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8-3 モンブラン


 厨房から出されたモンブランと紅茶を、山下が運んでいく。

 それを眺めながら、弥一は拭き終わったグラスを定位置に並べた。

 今日はもう上がりだ。

 この後、買い物をして夕飯を作る予定だが、その前に一つやることがある。

 戻ってきた山下に「じゃあ、お先に失礼します」と声を掛けてバッグエリアへ下がると、「ちょっと待って」と引き留められた。


「ねえ、あのお客さんってさ、芸能人かモデルさんかな?」

「……違うと思うけど」


 山下が客に聞こえないよう、小声で話す。もしお忍びで来ている芸能人か何かであれば、聞こえたら失礼だと思ったのだ。


「そうかなぁ。地味な服着てるけどさ、スタイル良すぎて逆に目立ってるよね。やっぱりモデルさんだよ」


 その言葉に、弥一は思わず吹き出してしまった。

 急に笑い出した弥一を、山下はきょとんと見つめている。


「あはは、確かにそうだよね。いや、でも本当にあいつはそういうのじゃないから、気を使わなくて良いよ」

「あいつ?あの人知り合いだったの?」

「うん、まあね。俺に気付かれないようにしていたみたいだけど」


 更に聞いてこようとする山下を、弥一は「お客さん来てるよ」と遮った。

 少し不満そうな顔をしながらも、山下はバックエリアを後にする。

 弥一も、着替を済ませて裏口から店を出た。

 それからもう一度、正面の入口から店内に入って、まだケーキを楽しんでいる天音の前に座った。

 弥一を見るなり、口に運びかけたケーキをそのままにして、天音が固まる。


「は……お前、どうして……」

「俺はバイト終わりだよ。見てたからわかるだろ」


 そう言って弥一が頬杖をつく。

 ばつが悪そうに目を背けている天音を、弥一はじっと見つめた。


「いつから私に気付いていた」

「注文したときかな。それまでは似てるなーって思ってたけど、目の色が違うから」


 だから、最初は他人の空似かと思った。

 しかし、注文する声を聞いて、天音だと確信したのだ。


「ケーキ食べたかったのなら、そう言ってくれれば良かったのに」

「……違う」

「一人で食べたかったとか?」

「それも、違う」


 天音が歯切れの悪い返事を返す。

 それに小首を傾げて、弥一は少しだけ考えた。

 ケーキが目的ではないのなら、何故ここに来たのだろう。

 しかも、わざわざ変装までして。

 考えていると、ふと視線に気付いた。

 山下がこちらをチラチラと見ているのだ。

 それに軽く手を振ると、山下は嬉しそうに手を振り返す。

 

「……あれとは仲良いのか」

「山下さんのこと?」


 天音が頷く。

 

「良い子だとは思ってるよ」

「それだけか?好きとか嫌いとか、そういうのはないのか」


 その言葉で、天音の考えていることが大体わかった。

 何時ぞやも「好きなやつはいないのか」と聞いてきた事があった。

 その時は少し動揺して手が止まったのを、天音は見逃さなかったのだ。 

 多分、何か勘違いをしている。 


「……なるほどね」


 呟く弥一を、天音が訝しげに見つめた。


「どうなんだ。少なくともあの女はお前を好いている」

「そうかもな。でも俺にはそういう感情はないよ」


 山下に聞こえないよう、弥一は小声で言った。

 その言葉に天音が目を丸くする。

 やはり、何か勘違いをしていたようだ。


「顔も性格も良い女に言い寄られてるんだぞ。よくそんな事が言えるな」

「まあ……確かにあの人は可愛いと思うよ」

「じゃあ何が不満なんだ」

「不満とかじゃくて、今の俺には恋人は必要ないってこと」


 言い切ると、天音が小さく溜息をついた。

 納得したような、してないような、そんな微妙な表情で紅茶を一口飲みこむ。


「なんでだ……」

「俺がどういう人間か、お前ならわかるだろ」


 そうだった。

 弥一はそういう男だ。

 人を助ける事が好きなのに、人と寄り添おうとはしない。

 全部独り善がりで、他人の幸せを遠くから眺めて満足している。

 恋人なんか作った所で、恐らく弥一は尽くすばかりで安心感なんてものは得られない。

 天音の計画自体が間違っていたのだ。


「……変なことをして、悪かった」


 素直に謝ると、弥一が驚いた顔をした。

 まさか天音が謝るとは思っていなかったからだ。


「何で謝るんだよ。それより、ケーキ食べなよ」


弥一の言葉に促され、天音は再びフォークを手に取った。

それからはもう何も言わず、黙々と食べ続けて、食べ終わった頃におずおずと山下が現れた。


「えっと……もしかして彼女さん?」


 その問いに弥一は苦笑しながら答える。


「いや、こいつはただの友達だよ」

 

 当たり前のように嘘が出た。

 友達というほど、仲が良い訳ではない。

 しかし知り合いというほど、浅い仲でもない。

 だが恋人というには、天音はあまりにも遠い存在なのだ。

 触れ合うことはできても、寄り添い続けることはできない。

 弥一の言葉を素直に受け取ったのか、山下は安堵の表情を浮かべた。


「そうなんだ!弥一くん、見たことない顔してたから、てっきり彼女さんだと思っちゃった」


 でも、素の弥一くんもかっこいいね。

 そんな事を言って、山下はカウンターへ戻っていった。


「……俺、そんなに間の抜けた顔してた?」

「お前はいつも間抜けな顔だ」


 即答されて弥一が肩を落とす。

 それに天音がふん、と笑った。

 狡猾で憎たらしい笑顔だが、嫌いではない。


「そうだ、今日の晩ごはん何にする?」

「カレーがいい」


 そんな話をしながら、二人は席を立った。

 その会話が聞こえたのか、山下は二人が店を出てすぐに厨房にいる男に声をかける。


「ねえ、あれ絶対付き合ってるよね。バレたらマズイのかな」


 それから次のシフトで店に行くと、弥一は人気モデルと秘密の同棲をしているという噂で持ち切りになっていた。

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