8-1 鳥の照焼き
色付いた紅葉が冷たい風に舞う。
足元をカサカサと通り過ぎる紅い葉を天音は渇いた音を立てて踏んだ。
今は買物の帰りである。
珍しく弥一と一緒ではないのは、買い忘れたものを買ってくるように頼まれたからだ。
「醤油切れてたの忘れてた。お釣りで好きな物買っていいからさ、行ってきてくれる?」
そう言って500円玉を渡されたのが、20分程に前である。
さっさと買物を済ませ、好きな菓子を買って足早で帰路につく。
まだ秋とはいえ、冷たい風が吹けば指先が冷える。
重たい醤油を抱えてアパートにつく頃には全身が冷たくなっていた。
「買ってきたぞ」
ドアノブを開け、すぐ横の台所にいる弥一へ醤油を渡す。
鍋から上がる蒸気で温まったそこは、天音の体を少しだけ解した。
「寒かっただろ。ココア入れておいたよ」
「上出来だ」
暖かいカップを弥一から受け取る。
居間のちゃぶ台にそれを起き、手洗いとうがいを済ませて、ようやく体を暖める事ができた。
「ふう……」
「先週紅葉狩りに行ったときはまだ温かかったのに、急に寒くなったなぁ」
「そうだな」
ぼんやりとスマートフォンを眺める。
ニュースには今週から徐々に気温が下がっていくと表示されていた。
画面を操作しながら、台所にいる弥一を見る。
先程渡した醤油を開けて計量し、ボウルの中の野菜に和えているようだ。
それを小鉢に盛り付け、ちゃぶ台の上に持ってきた。
いんげんの胡麻和えと、茄子の浅漬けだ。
「どうかな。味見してみて」
「ん」
まずはいんげんを口に運ぶ。
シャキシャキ、もきゅもきゅ、と口の中が楽しい。胡麻の風味が食欲を刺激し、ついもう一つ摘んでしまった。
茄子の浅漬けも程良い塩梅だ。こちらもついでにもう一つ摘む。
「まあまあだな」
「良かった。もうちょっとで出来るから……全部食べるなよ」
もうひとつ、と手を伸ばしかけた所で弥一に釘を刺されてしまった。
仕方がないので、大人しくスマートフォンの操作を続ける。
画面にはいつの間にか広告が表示されていた。多分、間違えて押したのだろう。
『カップル限定プラン!綺麗な夜景で豪華ディナー』
などと書かれている広告を素早く消す。
こんな物が出てくるのは、最近「恋人」というものを検索したからだ。
人間の男の幸せというものは、大体決まっている。
金と、名誉と、女だ。
金と名誉は弥一にとって必要ないということはわかった。必要ないどころかトラウマである。
ならば女はどうか、と思ったのだ。
ネット記事曰く、「恋人」というものがいれば、人間は幸せを感じるらしい。
精神的な支えになり、心を許し合い、ありのままの己を曝け出せる相手、それが恋人だと書かれていたのだ。
そんな存在がいれば、恐らく弥一も少なからず幸せになれるだろうし、この先、妙な行動や無茶もしないだろう。
そんな事を思いながら、すいすいとスマートフォンの画面をなぞる。
暫くすると、味噌汁の良い匂いが漂ってきた。
その香りに誘われるように、ふらりと弥一の隣に立つと、おたまを渡された。
「もう出来るから、味噌汁とご飯よろしくな」
「……わかった」
お椀に盛った味噌汁をちゃぶ台に並べる。
それからご飯も盛って、その隣に並べてから箸を置いた。
「はい、おまたせ」
そう言って弥一が大きめの皿をちゃぶ台の空いているスペースへ置いた。
甘じょっぱい、食欲をそそる香りを放っているそれは、鶏胸肉の照り焼きだ。
じゅわっと油の弾ける音が聞こえそうな照り具体に、天音は思わず喉を鳴らした。
天音の向かいに弥一が座り、ようやく食事が始まる。
「いただきます」
最初に手を伸ばしたのは、やはり照り焼きからだ。
鶏胸肉を使っているのに柔らかく、ほろほろと口の中で解ける。
甘辛いタレがしっかりと絡んでいて、ご飯が進む。
「うまい」
思わず溢した言葉に、弥一がニンマリと笑う。いつの間にか素直に美味いと連呼している天音が面白くて仕方がないのだ。
それから弥一も、照り焼きを一口食べる。
「うん、美味しい」
美味しい、美味い。
二人でそんな事を言い合っているうちに、食事は終わった。
気持ちの良い満腹感に、天音が「ふぅ」と息を吐くと、弥一が食後のお茶を渡した。
湯飲みを受け取り、一口すする。温かいお茶が胃に落ちて、体がぽかぽかと暖まった。
弥一を見ると、彼もまた天音を見て微笑んでいた。
「なんだよ」
「なんでもない」
視線をそらして、弥一が立ち上がる。台所へ向かい、食器を下げ始めた。
そのまま洗い物を始める弥一の背中を眺めながら、天音は再びスマートフォンの操作を始める。
恋人がいれば幸せになれる事はわかった。
問題はこの男にそういった物が作れるのか、候補がいるのか、ということだ。
「おい弥一」
「なに?」
聞くのが一番手っ取り早い。
教えてくれるかは別である。
「お前、恋人とか好きな奴はいないのか」
ほんの一瞬、弥一の手が止まる。
それを覚られないように、再び手が動き始めた。
それは言葉よりもわかりやすい反応だ。
「どうして?」
「……別に」
「そう」
いないとは言わなかった。
沈黙は肯定と同じだ。
相手は誰だ?どこで知り合った?そいつとくっつけば、お前は幸せになれるんじゃないのか。
そんな言葉が出てきそうになったが、その前に弥一が口を開いた。
「お風呂沸いてるから入ってくれば?」
聞かせる気がないのだろう。
それならば暴いてやるまでだ。
天音が猛禽のような瞳で弥一の背中を睨み付けた。
弥一は最近、カフェのバイトをしている。
もしかしたら相手はバイト先にいる女か、或いは帰りに待ち合わせてデートでもしているかもしれない。
どちらにせよ、弥一を尾行すればわかることだ。
わかったら問い詰めて、あわよくば願い事を言わせてやろう。
「風呂入ってくる」
「ああ」
横目で流し見た弥一の表情は、いつも変わらないように見えた。