7-3 優しくするということ
玄関の扉を開ける。
部屋の中を覗いてみると、弥一は再び眠っているようだった。
まだ熱が引いていないのか、相変わらず苦しそうな寝顔をしている。薬も飲んでいないのだから当然だ。
台所でタオルを硬く絞り、額の汗を拭いてやると重たそうに瞼を開いた。
「ああ……天音、おかえり」
掠れた声で出迎えられ、天音はきゅっと眉間に力が入った。
罪悪感のような、得も言われぬ感情が沸いてきたのだ。
悪い事をしたつもりはない。ただ、ドッペルゲンガーに非情と言われたことが引っかかっていた。
だから、とりあえず素直に謝ることにしたのだ。
「……勝手に買い物に行って悪かった」
「いや、お前は悪くないよ。引き止めた俺がどうかしてた。ごめん」
そう言って、弥一は再び目を閉じた。
布団を被り直し、寝返りを打って、天音に背を向ける。
すぐに天音の眉間の皺が深くなった。
こういうとき、どうすればいいかわからない。
また謝った所で埒のあかない押し問答が始まるだけだ。
ひとまず買ってきた物を冷蔵庫に入れ、薬と温い水を持って、弥一の隣に戻る。
「薬、買ってきた。飲めるか?」
「ああ、大丈夫」
水を受け取ろうと伸ばした弥一の手が、途中で止まる。
起き上がるのも辛いようで、布団の上で肘をつき、ゆるりと首を擡げて天音を見上げた。
それがあまりにも弱々しく見えて、天音は背中の後ろが急に冷たくなった。
──もしかして、このまま回復せずに死ぬんじゃないのか。
風邪を拗らせて死んだ人間は何人も見てきた。だからなのか、そんな不安すら浮かんできたのだ。
やはり、血を飲ませてやるべきか。
いや、そんなことをすれば弥一は人ではなくなる。化け物になってしまう可能性だってあるのだ。
「どうした?天音……」
いつの間にか布団に寝直した弥一が、不思議そうに見上げている。
どうやら思い悩んでいるうちに、薬を飲み終わっていたらしい。
「……いや、なんでもない」
誤魔化すように、空になったコップを持ち上げる。
そのまま立ち上がろうとした時、くいっと服を引っ張られ、天音は動きを止めた。
見れば、布団から伸びた手が天音の服の端を掴んでいる。
「あ……ごめん。なんでもない」
その手はすぐに離れた。どうやら無意識に掴んでいたらしい。
弥一が天音に背中を向け、布団の中で丸くなる。
『どこにも、いかないでくれ』
あのときの弥一の嘆きが、頭の中を過る。
今も本当はそう言いたかったのではないだろうか。
もしそうだとしたら。
今度はちゃんと側にいてやるべきだ。
「……弥一」
天音の言葉に反応する前に、弥一の背中が温かくなった。
振り向くと、天音の顔がすぐ近くにある。
それが抱き締められていると気付いたのは、天音がゆっくりと口を開いた時だった。
「人間はこうすると安心できるんだろ。寒くないか?」
紅い、綺麗な瞳が弥一の姿を映す。
ただひたすらに、真っ直ぐと、弥一だけを。
たったそれだけの事なのに、弥一は脱力するような安心感がどっと湧いてくる事に気付いた。
寝返りをうち、天音の肩口に顔を埋めると細い腕がぎゅっと抱き締めてくれる。
「ああ……温かいよ」
熱で呻いていた息苦しさが、嘘のように消えていく。
それは薬のおかげかもしれないが、きっとそれだけではないだろう。
天音の静かな心音を聞きながら、弥一は眠りに落ちた。