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7-2 ドッペルゲンガーの助言


 発熱から一日経った。

 風邪薬の効果は全く無く、未だに熱が続いている。

 食事は受け付けず、ただ体力だけが奪われていく。

 冷蔵庫の中には卵が3つ程。仕事が終わって寝て起きたら、買い物に行く予定だったのだ。

 そんな状況を見て、天音は弥一が眠っている間に買い物へ行く準備を始めた。

 買う物をメモして、弥一の鞄から財布を取り出し、アウターを羽織った所で弥一が目を覚ました。


「どこに行くの」


 枯れた声で訊ねられる。

 その言い方はまるで幼い子供ようにも聞こえて、違和感を覚えた。

 

「薬と、お前が食える物を買ってくる」


 答えると、弥一が天音の足首を掴んだ。

 熱い手は未だ体温が高いのだということを証明している。


「行かないで」


 寝ぼけているのだろうか。

 それとも熱のせいで気が弱くなっているのか。どちらにせよ、このまま薬も飲まずに放置しておく事はできない。

 

「何言ってんだ。薬無いと良くならないだろ」

「良いから……どこにも、行かないでくれ……」

「駄目だ。すぐ戻るから寝てろ」


 弥一の手を取り、布団の中に戻す。

 縋るように見上げてくる目から視線を逸して、玄関の方へ向かい、扉を開けた。


「待って」


 そう聞こえた気がしたが、天音は構わず扉を閉めた。


──────────────


 素早く買い物を終わらせ、薬局で風邪薬を買い、早足で帰路につく。

 あの様子のおかしい弥一をあまり放っておきたくはない。

 そんな天音の後ろをいつの間にか誰かがついてきていた。

 振り向かなくても、気配でそれが誰だかは見当がついている。

 ドッペルゲンガーだ。


「何の様だ、ドッペルゲンガー」

「腹ぁ減っちゃってさあ。今日の飯なに?」

「無い」


 なんで?とドッペルゲンガーが首を傾げる。

 風邪を引いたことや、先程の弥一の様子を仕方なく説明してやると、ドッペルゲンガーは眉を顰めた。


「天女様は非情だな」

「飯も薬も無いんだ。当然だろ」

「血でも飲ませてやれば良いじゃん。天上人の体液ってのは人間にとって甘露なんだろ?すぐ回復するぜ」

「ふざけるな。そんなもん飲ませたら、あいつ人じゃなくなるぞ」


 天女や神の身体……特に血肉は下界の人間にとっての甘露である。

 蜂蜜のように甘い体液をはじめ、その身体の肉は臭みもなく、極上の味だという。

 喰らえば忽ち力が湧き、神の術を使い、老いない体と尽きない命を手にする……。


 ──過去にそういう事例があったのだ。

 飢餓に苦しむ者の前に現れた神が喰われ、力を手にした一人の人間が暴挙の数々を尽くして世界を手にしようとした。らしい。

 天音が天界に来る前の話なので詳しくは知らないが、ドッペルゲンガーは知っていたようだ。


「えぇー……めんどくせえなあ」


 ぶつくさ文句を言いながら、ドッペルゲンガーは後をついてくる。

 煩わしいと思ったが、どうやらまだ言いたいことがあるようだ。


「でもさ、もうちょっと構ってやっても良いんじゃない」

「何故だ」


 ふう、とドッペルゲンガーはわざとらしく溜め息をついてみせて、話を続けた。


「人間ってのはさ、心が弱ってるとどうやっても回復しないんだよ」

「は?何言ってんだ」

「病は気からって言うだろ。治すのも薬だけじゃなくて精神的なケアも必要なわけ。例えただの風邪だとしてもな」


 精神的なケアとは何だろうか。

 具体的に何をすれば良いのか、天音には皆目見当がつかなかった。

 未だ後ろを付いてくるドッペルゲンガーがそれを察したのか、話を続ける。


「ちょっと優しくしてやりゃあ良いんだよ」

「優しくってなんだ」

「そうだなぁ」


 顎に手を当てて、少しだけ考える素振りをする。それからすぐにパチンと軽く手を叩いて、ドッペルゲンガーはにっこりと笑った。


「男だったらおっぱい揉ませりゃイチコロだぜ!」

「帰れ。二度と私の前に現れるな」

「ウソウソ! いや、ウソじゃないんだけど、まだ方法はある」

 

 冗談だったのか本気だったのかはわからないが、ドッペルゲンガーが慌てふためく。

 突き放そうとする天音に追い縋り、改めて余裕のある表情を浮かべた。


「ちょっと抱き締めてやれば良いんだよ。母親が子供をあやすみたいにさ」


 それならば、何度かスーパーで見たことがある。

 駄々をこねる子供、転んで泣き止まない子供、迷子になっていた子供、どんな時も母親が優しく抱き締めていた。

 落ち着かせるように、頭を撫で、肩を叩き、背中を擦る。

 すると子供は自然と泣き止んでいた。


「天女様も人間だったんだから、少しはわかるだろ。抱き締められると人間は落ち着くらしいぜ」


 その言葉で急いでいた足が突然重くなった。

 遅くなった歩みにドッペルゲンガーが「どうした?」と覗き込む。


「……確かに人間だったかもしれない」


 かもしれない、と言ったのは今ではそれがわからなかったからだ。

 あの時、本当に人だったのだろうか。

 閉鎖された空間の中で誰にも知られず、ただ息をしていただけの生活。

 それは人と言えるのだろうか。


「だが人間らしい事をされた覚えはない」


 あの男から抱き締められたとき、湧き上がってくるのはいつも不安と恐怖だけだった。

 抱き締められて、次の瞬間には苦痛が付き纏う。

 それが急に思い出されて、天音の胸の奥がざわついた。

 その些細な変化に気付いたのか、何かを言おうと口を開いたドッペルゲンガーに被せるように、天音が言葉を続ける。


「まあそんな事はどうでもいい。もうわかったから、さっさと帰れ」

「……そうかい。じゃ、白浜弥一によろしくな。夕方くらいにマスター連れて様子見に行ってやるよ」

「頼まない。来なくていい」

「はいはい」


 ひらひらと手を振りながら、ドッペルゲンガーが天音を追い越す。

 適当な影を見つけ、その上に立って足先を潜らせた。

 どうやらこの悪魔は影の中を移動しているらしい。


「ああ、それともう一つアドバイス」

「なんだ」


 完全に消える直前で、ドッペルゲンガーはにやりと笑って声を上げた。


「人間ってのは案外脆い生き物だからさ、あんまり冷たくし過ぎると壊れちゃうかもね」


 天音の返事を待たずして、ドッペルゲンガーは姿を消した。

 すうっと吹きつけた風が髪を靡かせる。

 その冷たさに、天音の背筋が粟立った。

 ただでさえこんなに寒いのだから、熱がある弥一はもっと寒いはずだ。

 早く帰って何か暖かい物を作らなければ。

 そんな気持ちに急かされて、天音は小走りで帰路についた。

 

 

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