6-9 選択
席から立とうと弥一が構える。
しかし雨宮は素早く弥一の手を掴んだ。
「君に害を加えようと思ってないから安心して。それに、良い話だって言ったでしょ?」
妙な圧を感じる。
害は加えないと言っているが安心はできない。
気を張ったまま、雨宮を見やると掴んだ手をスリスリとなぞられた。
「あの女、君にも迷惑かけてるんじゃない?ずっとそうなの」
「……ずっと?」
「そう。寿命が来た女の子を生かそうとしたり、死にかけてる野良猫を拾ったり。馬鹿よね」
あの天音が?と言いかけた。
驚いている弥一には目もくれず、雨宮は一方的に話し続ける。
「意味の無い事して、わざと迷惑掛けようとしたのよ。だから魂回収なんて地味な仕事に戻されたの。上位の神様にちょっと気に入られてるからって、調子に乗ってるんだわ」
愚痴愚痴と雨宮が語る。
どうやら余程、天音のことが嫌いらしい。
「私はね、生きてる時は巫女だったのよ。雨乞いで雨を降らしてあげたり、予言で村を救ったりして最後まで皆に慕われてたわ。天音みたいな無様な生き方はしてないの」
不幸な人たちに情けをかけて善行を積み、天寿を全うし、天女になるべくしてなった。
なんなら、神様にもなれた筈なのだと雨宮は言った。
「それに、あの気持ち悪い赤色の目。おぞましいわ……」
「で、良い話ってなに?天音の話だけじゃないよね」
思い出したように雨宮が「そうね」と呟く。
「弥一君、天音なんかやめて私と組まない?」
にっこりと雨宮が笑う。
弥一の手を両手で握り、引き寄せた。
「願い事が叶えば誰でも良いでしょ?あんな性悪より、私の方がずっと君のためになると思うの」
天音が必要だ。
そんな事を言ったことがある。
それは天音が願い事を叶えてくれるから。
だからきっと、雨宮の言う通りで、本当は誰でも良いのかもしれない。
しかし。
「話はそれで終わり?」
握られた手を解いてから、驚いている雨宮に優しく笑ってみせる。
だが、弥一の腸は煮えくり返りそうだった。
既の所を、ぐっと抑えこんでいるのだ。
「俺にはあんまり良い話じゃなかったかな。ごめんね」
「どうして?何もしないで胡座をかいてるだけの女なんて邪魔でしかないでしょ!?」
「そうかもしれない。でも、あいつは俺を夢から救ってくれたんだ」
天音にとっては、意図しなかったことかもしれない。
あの時、悪夢に魘されていた弥一の手を握った事も、ただの気まぐれだったのかもしれない。
もしそうだとしても、それが救いになったのは確かだ。
「あいつじゃなきゃ、俺は夢の中から逃げる事ができなかった」
「意味わかんない。あいつと私と何が違うの?劣ってるのはあいつでしょ!」
一口しか飲んでいなかったマティーニを一気に飲み干す。
グラスをゆっくりと置いてから立ち上がって、弥一は雨宮に向き直った。
「あいつと君とでは全然違うよ。優劣じゃない。俺が、あいつじゃなきゃ駄目なんだ」
雨宮が言葉を失う。
その隙に弥一は雨宮の隣をすり抜け、カフェバーを出た。
瞬間、「後悔するわよ」と聞こえた気がした。
足元が、一瞬ふらつく。
酔ったのかと錯覚したが、窓の外を見てみると海が荒れていた。
どうやら波が高くなって、船が揺れているようだ。
次第に雨が強く窓を打ち付け始める。
アルコールでぼんやりとする頭を振り、弥一は部屋へと真っ直ぐ進む。
そして部屋の前で独り言を呟いた。
「後悔なんかしない。願い事が叶って、あいつがいなくなったら、ただいつも通りに戻るだけ。俺はいつも通りで充分なんだ……」
(……本当に?)
一瞬湧き上がった疑問をを飲み込んで、弥一はドアノブに手を掛けた。