6-6 珈琲とシフォンケーキ
「何が嫉妬だ、馬鹿馬鹿しい……」
天音が訝しげにバルコニーを睨み付ける。
水浸しだったそこは、最初から何も無かったかのように乾いていた。
「神様も嫉妬とかするんだな」
「真に受けるな!あいつら暇だから、遊びの種を見つけて喜んでるだけだ」
天音が再びソファに身体を沈める。
肘掛けに頭を預けて横たわり、ソファひとつを占領してしまった。
「そろそろ出港するからデッキに行くけど、お前も来る?」
「いい。夕飯まで寝る」
ソファが気に入ったのか、それとも海を感じたくないのか、天音はそこから動こうとはしなかったので弥一は一人でデッキの方へ向かった。
デッキへ出ると、汽笛の音が響いた。
ゆっくりと岸から離れていく船、手を振る客、顔を撫ぜる湖風。
こんなに平和な状態で、何をどうやって仕掛けてくるのだろう。
弥一は離れる岸を眺めながら、じっと考えていた。
何も無ければ一番良い。
降り掛かる災難が、自分と天音だけならどうとでもできる。
しかし、この船に乗っている人達まで巻き込むのなら犠牲を出さないように動かなければいけない。
「あれを使わなければ一番良いんだけどな……」
その呟きは汽笛の音にかき消された。
夕飯までまだ時間がある。
散歩がてら、広いデッキを歩いた。
椅子に座って談笑する者もいれば、プールで遊んでいる者や、弥一と同じように散歩をしている者もいる。
海の上は快適だ。風が強くて、煌々と照らしてくる太陽の光も地上に居た時ほど暑く感じない。
びゅう、と強い風が弥一の髪を靡かせる。
その風に乗って、白い帽子が流れてきた。
思わずその帽子を掴む。
つばの広い、白い麦わら帽子に青いリボンがついているそれは、すぐに女性のものだとわかった。
「すみません!それ、あたしの!」
後ろで、持ち主と思われる女の声が聞こえた。
振り返れば、淡い水色のワンピースを着た20代くらいの女性が早足でこちらに歩いてくる。
セミロングの青みがかかった髪をかきあげて、短く切り揃えられた前髪からのぞく額に浮いた汗をハンカチで拭って、弥一の前で止まった。
「どうぞ」
帽子を差し出すと、女はにっこりと笑ってそれを受け取った。
「ありがとうございます。急に飛んでってビックリしちゃった」
「船の速度が早いですからね。その分、風も強いんですよ」
そうなんだ、と女がまた笑う。
それから遠くの方で「おーい」と女を呼ぶ男の声がした。
「あたし、雨宮ツバキっていいます。貴方は?」
「白浜弥一です」
「白浜弥一さん、ね。また会いましょ。ありがとうございました」
軽く手を振って、雨宮は呼ばれた方へ走って行ってしまった。
広い船の中だが、また会うだろう。
そんな気がして、デッキを離れた。
デッキを離れたあとは、カフェで珈琲とシフォンケーキを貰った。
夜にはお酒も楽しめる、と従業員が教えてくれたので、夜は天音を誘って来てみようと考えた。
しかし、あれは酒が飲めるのだろうか。
飲めなかったらノンアルコールの物を作ってもらおう。
そんな事を考えながら、弥一は珈琲からたつ香り高い湯気を眺めた。