6-4 旅支度
「お前何かやっただろ」
「さあな。お前の運が良かっただけじゃないのか」
「俺、こういうの当たった事ないんだけど」
「私といる事で運気が上がったのかもなぁ」
もっともらしいことを言ってとぼけているが、恐らく天音が何かやったのだろう。
でなければ、都合良く福引きに当たる事なんてない。
こんな勝手なことをして、後でいずるに怒られれば良い。
弥一はぐるぐるとそんなことを思いながら、天音をじっと睨んだ。
「もっと喜んだらどうなんだ。くるーず船とやらはお前の部屋より過ごしやすいんだろ」
「まあそうだけど……」
ズルをしているようで後ろめたいのだ。
しかし当ててしまったものは仕方が無いし、今更返しに行く訳にもいかない。
日が傾きかけた帰路を上機嫌に歩く天音の後ろを弥一はぼんやりと着いて行った。
アパートの部屋に戻り、買ってきた物を片づけてから先程貰った資料を開ける。
中にはチケットを送ってもらうための返信用封筒、クルーズ船のパンフレット、注意事項が書かれた紙が入っていた。
「船に乗るのは……一ヶ月後?」
「なんだ、そんなにかかるのか」
「いや、ちょっと早すぎる気がするけど……こんなものなのかな」
如何せん、くじに当たる事など人生で初めてなのだ。
当たってから物が届くまでにどれくらい掛かるのかなど、見当もつかない。
訝しげにパンフレットを広げている弥一の隣に天音が座り、一緒に覗き込む。
それにはとても船とは思えない内装が映されていて、紹介されている食事も見たことが無いものばかりであった。
「うわ、こういう食事ってマナーがあるんだよなぁ」
「……まなー?」
「食べる順番とか、仕草とか。……教えるからら、ちゃんと覚えるんだぞ」
「……待て。お前、なんでそんなに詳しいんだ」
「乗ったことあるんだ。こういうの」
それ以上の言葉は弥一の口から出てこなかった。
……この男もまた、言いたくない事があるのだろう。
パンフレットを眺める瞳には仄かな翳りが落ちている。しかし、深く話に突っ込んだ所で素直に語るかどうかわからない。
気にはなるが、見なかったふりをして天音は再びパンフレットに視線を落とした。
一ヶ月というものは随分と早いもので、あれから猛暑といわれる日は無く、扇風機だけで耐えられる日々を送っていた。
安価の氷菓よりさらに安い、細長い棒ジュースは凍らせたら存外に美味く、天音は現在進行系でその味と食感に嵌っている。
「明日の準備出来た?」
バイトから帰ってきた弥一が、部屋の隅で扇風機に当たっている天音に訊ねた。
「言われた通りにまとめておいたぞ」
「うん、ありがとう」
今日の天音は随分と素直だ。
きっと楽しみでソワソワしてしまい、余らせた手で荷造りをしていたのだろう。
大きめのバッグに纏められた荷物の中身を確認し、夕飯の用意に取りかかる。
明日の今頃は豪華なディナーを食べているかもしれない。
今用意している物とは比べ物にならない程、高級な食材と味は、きっと天音を驚かすだろう。
そんな事を考えがながら、忙しなく手を動かす弥一の後ろで天音が小さく呟いた。
「お前、あんまり乗り気じゃなかった癖に行かないとは言わないんだな」
「せっかく貰ったんだし、勿体ないだろ」
「……嫌じゃないのか」
「どうして?」
パンフレットを見ていた時の顔が随分暗かったから、と言いたい所だが、その後うまくフォローできる気がしない。
少し悩んだあと「なんとなく」とだけ返すと弥一は「そう」と答えた。
それからすぐに簡単な夕食がちゃぶ台の上に並んだ。
天音の向かいに弥一が座り、食事が始まる。
今日の晩御飯はキャベツのスープ、トマトのサラダ、厚揚げと鶏肉の炒め物。
どれもいつも通り美味しかった。
食べ終わった食器を天音がまとめる。その最中で、ふいに弥一の視線に気付いた。
じっと見つめる黒い瞳。その下には微かに隈が出来ているのは、また寝不足なのが原因だろう。
「なんだ」
「お願いがあるんだ」
「それはお前の「願い事」か?」
「ああ」
ついに不眠に耐えられなくなったのだろうか。
それなら最初からそうすれば良いのだ。
これで余計な心配をしなくて済む。
天音は心の中で安堵したが、何故こんな事で安堵するのかはわからなかった。