5-7 悪夢
「助けて」
何処かから声がする。
一人ではない。複数の声が暗闇の中で四方から聞こえるのだ。
(またこの夢だ)
もう何度見たかわからない、暗闇が広がる虚無の夢。
そこには何も見えない、人の気配すらしないのに声だけは聞こえる。
それが何なのか、弥一は知っていた。
昔の記憶の声だ。
「神様、どうか私達に夢のお告げをください」
皆、口を揃えて同じ事を言う。
一人一人、違う悩みと問題をかかえて縋ってくる。
その人たち全員を救いたいと思った。
救わなければいけない、という使命感があったのだ。
「……ごめんなさい」
暗闇の中の見えない群衆に弥一は謝った。
助けを求められても何も出来ないからだ。
今も昔も、ずっとそうだった。
謝った瞬間、群衆の縋る声が一変する。
「あなたは神様なのに、どうして私達を助けてくれなかったの?」
その言葉を皮切りに、今度は悲鳴と血の臭いが辺りを包んだ。
伏せていた目を上げる。
目の前にはおびただしい数の死体が転がっていた。
首から血を流し、見開いた瞳に弥一を写して、苦しそうに呻いている。
「お前のせいだ」
「許さない」
口々に怨み言を吐く。
その死体に向かって、弥一は手を伸ばした。
「俺は皆に……幸せになって欲しかっただけなのに……俺の、せいで……」
ごめんなさい。
すみません。
いくつもの謝罪の言葉を並べても、死体は怨み言を吐くのをやめない。
膝を付いて頭を下げると、伝う涙が地面を濡らした。
伸ばした手は死体に届かない。
これが夢だからだ。
──いや、あの時もそうだった。
周囲を、闇が包む。
そうして再び「助けて」と言う声が響き始めた。
また始まる。
誰も助けられなかった、忌々しい瞬間を何度でも見せられる。
そう思ったときだった。
「弥一」
初めて、夢の中で名前を呼ばれた。
その瞬間、助けを求める声が止んだ。
伸ばしたままになっていた手を、誰かに強く握られた。
濡れた地面に突っ伏していた頭を上げると、暗闇だった空間に薄っすらと光が差し込んでいた。
柔らかなその光に、美しい金髪がキラキラと反射して煌めいている。
「天音……?」
赤い瞳が弥一を見つめる。
血と同じ赤なのに嫌悪を感じない、美しい瞳だ。
何を言う訳でも無く、天音はじっと弥一を見つめて、手を握っていた。
不思議と心が軽くなって、流れていた涙が少しずつ引いていく。
手の暖かさが安心感を与えてくれる。
自然と瞳を閉じれば、緩やかな眠気が弥一を包んだ。
「……おやすみ」
遠くなっていく意識の中で微かに聞こえたそれは、いつもよりずっと優しい声だった。
これが夢だから、そういう風に聞こえたのかもしれない。
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あれから随分と眠った気がする。
いつもよりずっと高く上がった陽の光がカーテンの隙間から差し込んでいる事から、弥一は今の時間が昼だと予測した。
長く眠ったのに、目覚めがスッキリとしている。常に感じていた気怠さが無いのは、薬のおかげだろうか。
徐々に覚醒していく頭の中で考えを巡らせているうちに、ふと、左手が何かに包まれてい事に気付いた。
薄目のまま、頭を左に寄せる。
それは夢で見た光景とよく似ていた。
差し込んだ光に反射する、長い金髪。
美しい瞳は閉じられていたが、左手は夢と同じようにしっかりと握られていた。
「ああ、そうか……お前、助けてくれたんだな……」
天音は、きっと助けたつもりなど無いだろう。
ただ、名前を呼んで手を取った。
たったそれだけなのに、弥一は地獄の底から救われたような気がしたのだ。
包まれている手を握り返す。
布団を半分天音に掛けて、弥一は再び目を閉じた。
起きたらなんて言おうか。
知らないふりをした方が良いだろうか。
きっと恥ずかしがるだろうから、その方が良い。
そんな事を考えながら、弥一は二度目の眠りに落ちた。
今度は、あの悪夢を見る事はなかった。