1-3 ポテチとコーラ
朝日が高く昇り、社員たちが出社してくる頃に弥一の仕事は終わる。
外に出れば眩しい太陽が煌々とビルの窓を照らしていた。
しかし、気温の低さは昨夜と然程変わらない。太陽が出ているだけ幾分かマシだとは思うが、突き刺すような冬風は身体を芯から冷やした。
(この調子だと今日は雪が降りそうだな)
赤いマフラーに顔を半分埋める。
寒空の下、同じように背中を丸めて歩いてくる者たちとは反対方向へ向かい、弥一は近くのコンビニに入った。
外の寒さから一変、コンビニの中は暖かくて、ほっと溜息が出る。
クリスマスの内装が施された店内をゆっくりと歩いてお菓子コーナーに行き、ポテトチップスの棚を眺めた。
適当な定番商品を手に取り、ついでにコーラを追加して会計を済ませる。
再びビルの方へ向かう途中、ふと、疑問が過ぎった。
ビルの裏に墓場なんてあっただろうか?
確か、ただの細い路地だったような気がする。
そもそもここはオフィス街の一角。
寺も無ければ、もちろん更地だって無い。
幽霊の言葉など信じる方がおかしいのかもしれないが、律儀にポテチを買う弥一はお人好しなのだ。
ビルの隙間から路地へ入り、薄暗く細い道を歩く。
壁を沿って歩いていけば、路地の一番奥に小さな庭石のような物が置いてあった。
墓では無いが、他にそれらしき物は見当たらない。
仕方なく、石の脇にポテチとコーラを置くと背筋に薄ら寒さを感じた。
「ちゃんと持ってきてくれたんだね。しかもコーラまで付けてくれるとは、君は中々気が利くんだな」
幽霊が昨夜と同じように、頭上に現れた。
それから供物を手に取るような仕草をしていたかと思えば、まるで幽体離脱のようにポテチとコーラが半透明になって分裂した。
その光景に、目を丸くして驚いた弥一を幽霊はしたり顔で笑う。
幽霊を見ても驚かなかった弥一が、ようやく驚いてくれたのが楽しかったのだ。
「さて、君にお礼をしなくてはいけないね」
「え、なんでですか?」
「コーラを持ってきてくれたからね。期待以上の事をしてくれたんだから、お礼はしないと」
そう言って幽霊は空中で足を組み、膝の上に手を乗せた。
とても今からお礼をする態度には見えない。
そもそもお礼が欲しくてコーラを追加した訳では無い。弥一が断ろうと口を開くと、幽霊は言葉を被せた。
「君の願い事をひとつ、叶えてあげよう」
口を挟む隙を与えずに、幽霊は言葉を続ける。
「巨万の富、輝かしい名誉、永遠の命。嫌いな奴を殺したって良い、なんでも叶えてあげる」
考えもしなかったその言葉に、弥一は思わず乾いた笑いをあげた。
馬鹿にしているつもりではない。ただ、有り得ないと思っただけだ。
寧ろ、馬鹿にされているのではないかとすら思った。
「地縛霊の貴方に、そんな事ができるんですか?」
「私はただの地縛霊ではないんでね。さあ言ってごらん。やはり金かい?バイトを転々とするのは大変だろう」
その言葉に弥一は首を振った。
「何もいりません」
始終吊り上がっていた幽霊の唇が下がる。
掌に顎を乗せ、じっと弥一を見つめた。
まさか断られると思っていなかったのだ。
「遠慮するなよ」
「遠慮なんてしてません。本当に何もいらないんです」
「そうは言うがね、欲しい物の一つや二つあるだろう」
その言葉に弥一は再び首を振り、いつもの人当たりの良い笑顔を浮かべた。
「俺は今の生活に満足しているし、欲しい物も何もないんです。だから、何もいりません」
真っ直ぐに幽霊を見つめる瞳は遠慮して嘘をついているようには思えなかった。
だから、幽霊はつい黙ってしまった。
こんなに無欲な人間を見るのは初めてだったのだ。
それじゃあ、と言って弥一が背を向けて歩き始める。
その背中に向かって、幽霊は独り言のように呟いた。
「何か思い付いたらいつでもおいで」
その声があまりにも小さくて、聞こえていなかったのか、それとも聞こえない振りをしていたのか、振り返る事もなく、弥一は細い路地を抜けて行った。