4-1 傷
華やかな香りがする温かい湯の中に、天音は顎の先まで一気に浸かった。
風呂というものは何て気持ちの良いものなのだろう。
水は嫌いだが、風呂は好きになれそうだ。
そんな事を考えながら、浴槽の縁で腕を組み、頭を預けてゆっくりとお湯を楽しむ。
時折ちゃぷちゃぷとタオルを膨らませたり、縁の水滴を繋げてみたり、長風呂を満喫していた。だが突然、天音の背中を刺すような痛みが走った。
思わず飛び上がって、鏡で背中を確認する。
血は出ていない。傷もない。
だが原因は何となくわかっていた。
ドッペルゲンガーに羽根を斬られたからだ。
ゆっくりと羽根を出してみれば、まだボロボロで、何枚かお湯の中にひらひらと落ちてしまった。
(あれからまだ3日程度……流石に治らないか)
湯が背中に滲みる訳ではないが、気が逸れたので早々に風呂から出た。
髪は乾かすのが面倒なのでそのままにして、弥一に風呂から上がった事を告げた。
「お前、また髪そのままにして。俺が上がるまでにちゃんと乾かせよ」
しばらくして、風呂から上がった弥一が未だ濡れている天音の髪を見るなり、呆れ気味にドライヤーを持ってきた。
自分の髪を乾かすついでに天音の髪を乾かしてやる。
「そのうち風邪ひくぞ」
「天女は風邪なんかひかねぇよ」
「わからないだろ。次からはちゃんと自分で乾かせよ」
使い終わったドライヤーのコードを纏めながら、弥一がぼやいた。
そのぼやきを聞いた天音は、乾いた髪をサラサラと遊ばせながら一言呟く。
「面倒だ」
「明日から少し冷えるらしいから、本当に風邪引くかもしれないだろ」
「ならお前がまた乾かせば良い」
「そうしてやりたいのは山々だけど……明日から泊まり込みのバイトなんだ。多分二週間くらい帰ってこれない」
ニ週間、と聞いた天音が大きな目を更に大きくして弥一を見つめた。
それがなんだか梟みたいで面白くて、弥一は唇の端に力を込めた。
「なに笑ってんだ」
「笑ってない」
「笑ってる」
「お前があんまり驚きすぎるからだよ」
天音が不服そうに目を細める。
しかしそれは決して弥一がいなくて寂しいだとか、そういった可愛らしい理由からではない。
「お前がいない間、飯はどうするんだよ」
そういうことである。
何となく予想していたその言葉に、弥一は用意しておいた封筒を差し出した。
「ここに二週間分の食費が入ってる。買物にも慣れただろうし、自分で何とかできるだろ」
流石に二週間分の食事を用意していく事はできない。
差し出された封筒を受け取り、中身を覗く天音に弥一は一言追加した。
「お菓子とか買い過ぎると足りなくなるからな」
「……土産、買ってこい。帰りに誘拐されるなよ」
猛禽のような瞳をじっとりと据わらせて、ぽつりと呟く。
「誘拐されるな」という言葉が弥一の心配をしているのか、あるかわからない土産の心配をしているのか、どちらなのかはわからない。