3-5 救出
新堂の長い髪が靡く。
吹き飛んだドアの大きな破片が彼女の頬を掠り、弥一の隣に音をたてて落ちた。
これが当たっていたら死んでいたかもしれない。
弥一は背中が冷たくなるのを感じつつ、ドアの無くなった入り口を見た。
ドアがあった場所は煙が立ち、小さな炎が上がっている。
その煙の中で、見覚えのある金髪がゆらりと揺れた。
「おい、弥一!さっさと帰って飯にするぞ」
「お前なぁ……もう少しでこれ当たる所だったんだぞ!ちょっとは加減しろ!」
「うるさい!助けに来てやったんだから文句言うな!」
言い合う二人を、ドッペルゲンガーがぽかんと口を開けて眺めている。
それから新堂が小さく舌打ちをした。
「あれが天女?……気味の悪い瞳だな」
訝しげに新堂が呟く。
それからドッペルゲンガーをきつく睨み付けた。
「跡をつけられるとは馬鹿な奴め」
「いや……悪かったよ。でも本人来たんだし、マスターが直接脅せば良いじゃん」
「ふ……良いだろう。よく見ておけドッペル。脅迫とはこうするのだ」
「お、おう……」
ずい、と新堂が前に出る。
しかしその隣を、後ろで縛られていたはずの弥一がすり抜けていった。
「助けに来てくれたのはありがたいけど……。まあいいや、今日は何食べたい?」
「魚が良い」
「魚かー。確か冷凍庫に……」
「おい、待てお前ら。俺のマスター無視するなよ、可哀想だろ」
そのまま出入り口へ向かおうとする二人の前を、ドッペルゲンガーが塞いだ。
二人を挟むように新堂も向き治り、腕を組む。
「縄抜けが出来るなら何故最初からそうしなかったんだ」
「あなた達がそこにいたので……。一対二じゃ不利でしょ?こいつが来るのを待ってたんです。まさか本当に来るとは思いませんでしたけど」
新堂の後ろには切られた縄が放置されている。少しずつ縄を切って、抜けられる機会を待っていたのだろう。
「縄、簡単に切れましたよ。誘拐なんて初めてしたんじゃないですか?そこまでして叶えたい願い事って一体なんなんですか」
「きみ……私の願い事を叶えてくれるつもりなのか?」
「違います」
間を置かずに即答する。
その横で、都合の良い考え方をする奴だな、と天音が小さく呟いた。
それが聞こえたのか、新堂は再び眉間に皺を作り、唇をぎゅっと引き締めた。
「私は……私を殺して欲しいだけだ」
聞き間違いかと思った。
しかし確かに「殺して欲しい」と聞こえた。
「ふざけるな。死にたいなら自分で勝手に死ね」
「天音!そこまで言うことないだろ!」
言葉を詰まらせてた弥一の代わりに、天音が苦々しく言い放った。
しかしそれは弥一が言いたかった言葉ではない。
「それが出来たらこんな事はしていない。これを見たまえ」
手元で銀色のナイフが輝く。
蛍光灯の光に照らされた刃先が、流れるように新堂の首筋へ当てられた。
「は……?ちょっと!!待っ……」
弥一が一歩踏み出した頃には、銀色の刃が真っ赤に染まっていた。
噴水のように噴き出した血液が、新堂の白い白衣を赤く染める。
血溜まりの中に倒れた身体は小さく痙攣し、程なくして動かなくなった。
「……本当に死んでいるのか?」
天音が疑り深く死体に近寄ったが、漂ってきた血液の生臭さに顔を顰め、それ以上の事は言わなくなった。
同時に弥一が膝をつき、顔を覆う。
蒼白くなった顔には、薄っすらと冷や汗が浮いている。
そんな二人の反応を、ドッペルゲンガーは面白そうに眺めていた。
「間違いなく死んでるよ。……今は、ね」
その言葉に天音が首を傾げる。
どういうことなのか、問い掛ける前に、その疑問はすぐに解消された。
「ショックだったか?白浜弥一くん。君なら見慣れた物かと思ったんだがね」
赤黒い血溜まりから、死んでいた筈の新堂がのっそりと起き上がった。
先程と何ら変わらない声のトーンで、まるで何事も無かったかのように、血溜まりの中心から血を滴らせてゆっくりと歩いてくる。
切りつけた筈の首筋の血を掌で拭い、首を傾げて、弥一に見せつけた。
……切り傷は跡形もなく消えていた。
「このとおり、私は何をしても死ねないんだ。信じられないか?それならもう一度、別の方法で死んでみせようか」
「……やめてください」
弥一が絞り出すように嘆く。
浮いた冷や汗を拭い、深い溜め息を吐いてから血塗れの新堂を見据えた。
「申し訳無いんですけど、こんな事をされても貴女を殺すなんて事は俺にはできません」
「何故かね」
「俺はもう誰も殺したくないんです」
「まるで過去に誰かを殺したかのような口ぶりだな」
「……全部知ってるんでしょ」
全てを見透かしたように眉を吊り上げている新堂に、弥一は半ば吐き捨てるように呟いた。
「ならば君を……」
「いい加減にしろ」
新堂の言葉に、天音が声を被せる。
呆れているのか怒っているのか、よくわからない顔で新堂を睨みつけ、組んでいた腕を解いた。
「こいつが願った所で人の生死は変えられない。意味の無い事やってるんだよ、お前」
「……神なら生死くらい簡単に操作できるだろう」
「できるかもしれないが、奴らは面倒くさい事はしないし気まぐれだ。諦めろ」
新堂が奥歯を噛み締める。
眉しか動かさなかった表情が、徐々に怒りをあらわにし、酷く歪んだ。
「それじゃあ……私は……一体……」
下を向き、早口で何やら呟いているが聞き取ることができない。
後ろでドッペルゲンガーが「あーあ」と呆れ気味に声を漏らし、部屋を出ようと背中を向けた。
「もういい!ドッペルゲンガー、そいつを始末しろ!」
「うわ、八つ当たりかよ……。へーへー、わかりましたよ……」
やる気の無い返事とは裏腹に、ドッペルゲンガーが振り上げた指先から鋭利な刃が数枚現れ、一斉に弥一を目掛けて飛んできた。
それは、ほんの一瞬の出来事。
次の瞬間には先程の新堂のように血塗れになるのだと、脳裏に諦めがよぎった。
それでもいいかと思った。だから足が動かなかったのかもしれない。
反射的に瞳を閉じた瞬間、刃物が刺さる鈍い音がした。