3-2 不在
「それじゃあ行ってくる。明日の9時くらいには帰って来るよ」
弥一がそう言ってバイトへ向かったのが、昨日の夕方17時ころ。
そして今は昼の12時を過ぎたところだ。
「腹減った……。あいつ、一体何処で何してんだ?」
ぐう、と腹の音が鳴る。
昨夜、弥一が用意しておいた夕飯以降何も食べていないからだ。
冷蔵庫の中には食材が入っているが、調理しようにも何もレシピを知らない。弥一に連絡を取りたくても、取る手段も無い。
これでは八方塞がりだ。
「外出てみるか」
外に出た所で何か意味がある訳ではないが、じっとしているよりはマシだと思った。
駅やバス停に行ってみようか。
それとも、よく行くスーパーを覗いてみるか。
何処かでばったり会えれば。
もしかしたらそんな期待があったのかもしれない。
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始めに立ち寄ったのはスーパーだった。
店内をぐるりと一周したが、弥一の姿は見つけられず、すぐに店を出た。
次に来たのはバス停。
バスが来るまで待ち、下車する客を眺めるも、弥一はいなかった。
最後は駅に来た。
改札口の前でしばらくぼうっとしていたが、やはり弥一はいなかった。
何処かですれ違ったかもしれない。
そう思い、アパートへ向かう。
晴れ間の良い天気だというのに春がまだ遠い二月の風は冷たくて、指先が悴み、背中が震えた。
アパートに付いたら電気ストーブで身体を温めよう。そうしているうちに、弥一は帰ってくる筈だ。
もしかしたら、先にストーブの前にいるかもしれない。そしたら一発殴ってやろう。
コートのポケットに手を突っ込んで、天音は足早にアパートへ向かった。
閑静な住宅街を抜け、アパートへ続く長い坂を歩き、小さな石階段を登りきる。
それからまた少し歩いた所で、ようやくアパートが見えてきた。
少しの疲労から出た安堵のため息をつき、歩くペースを早める。
瞬間、電柱の影からぬらりと女が現れた。
思わず足を止め、女を凝視する。
白衣を着た、長髪の若い女だ。
白衣という点以外では、普通の女に見える。
しかし、目の前に現れるまで全く気配を感じなかった。ただの人間程度ならすぐに気付くことができるのに。
鋭い目で睨みつける天音に、女はニヤリと笑いかけた。
「よお、あんた天女様だろ」
女らしからぬ乱暴な口調。
暗い茶色の長いストレートヘアを揺らし、真っ直ぐに揃えられた前髪から覗く切れ長の瞳が天音を面白そうに見つめていた。
女の顔から視線をずらし、足元を見やる。
太陽が照らしているというのに、そこに影は無かった。
「お前、人間じゃないな。何者だ」
「おいおい、また忘れてるのかよ。俺だよ、俺。何回も会ってるだろ」
「何者だって聞いている。天界の奴か?」
「そんなイイトコの出身じゃねーよ。気付かないかなあ、俺だよ。ドッペルゲンガー」
意外な名前が出てきて、天音が強張った身体の力を抜いた。
「なんだお前か。ここで何してんだ」
「あんたを待ってたんだよ。あの古いアパートにも居なかったしさ」
「……何故私があそこに住んでいることを知っているんだ」
力を抜いたのも束の間、天音の身体と表情が再び強張る。
それでもドッペルゲンガーは、戯けたような笑みを消さずに言葉を返した。
「頼みがあるんだ。あんた、願い事叶えてくれるんだろ?」