2-6 さよならとひとつめの願い事
あれから何時間経っただろう。
相変わらず膝の上にいる男児はいつの間にか眠ってしまっていて、弥一の衣服を握り締めて小さな寝息をたてていた。
店内に流れている軽快な音楽が、閉店を知らせる音楽へ切り替わる頃、迷子センターの係員と警察官が二人、現れた。何が言いたいのかはわかっている。
「あのお客様……」
係員が言いかけたところで、後ろの扉が開く。
「まだ居たのか」
扉を開けたのは、男児の親ではない。
天音だ。
「もう帰るよ」
「だろうなぁ。全くお前は想像以上の馬鹿だな」
そう言って見下ろす天音の横をすり抜け、警察官に男児を預ける。
男児の少し伸びた前髪を掬い上げ、小さな頭を撫でてやると、瞼が重たげに開いた。
「たっくん、今度こそさよならだよ」
言ってからすぐ、男児が弥一の衣服を引っ張った。
また泣き出しそうな顔をしている男児の手を握り、目線を合わせる。
涙で潤んだ黒い瞳は縋るように弥一を見つめていた。
「大丈夫。たっくんはこれから先、もう寂しくなるような事はないから、安心して」
「ホントに?」
「うん。ご飯もいっぱい食べられるし、沢山遊べる。俺が必ず何とかしてあげる。だから、少しの間だけ我慢できる?」
「……うん」
握っていた手を離す。
男児の小さな手が少しだけ彷徨ったが、胸の上で丸く握り締められたあと、弥一に手を振った。
その手を振り返し、背中を向ける。
今度は足に重みがかかることは無かった。
隣を歩く天音が小さく溜息をつく。
「お前、あのガキが親に捨てられたって事、最初からわかってたんだろ」
「まあね。服も汚れてたし、男の子なのに髪も伸びてた。なにより、すごくお腹を空かせてたから変だとは思っていたよ」
「それなのに、わざわざ迷子センターで来るはずもない親を待っていたのか」
「……来た所であの子にとって良い事なのか、わからないけどね」
ふん、と天音が鼻で笑う。
それが嘲笑いだったのか、呆れていたのか、
どちらなのかは定かではないが、恐らく両方の意味があるのだろう。
人が疎らになった店内を抜けて、すっかり暗くなった外に出た。
口から吐く息は白く濁り、冷たい風がビリビリと頬を叩く。
寒さのせいなのか、会話は途切れたままだ。
少し前を行き始めた天音の後を着いて歩いて駅を目指す。
ふいに、天音の歩みが止まった。
「あんな無責任な事言って、どうするつもりだ」
「なにが?」
「あのガキが良い奴に引き取られて幸せに暮らせるなんて、そんな都合の良い話があるわけないだろ」
ひゅう、と冷たい風が二人の間を抜けた。
天音の長い金髪が靡き、視界を遮る。
髪をかきあげてから、黙っている弥一を見やると、薄暗い街灯の下で黒い瞳が真っ直ぐに天音を見つめていた。
「あるよ。都合のいい話」
「なんだと?」
弥一の口角が上がる。
しかし、アーモンド型の瞳は一切細まる事は無く、大きく開かれている。
街灯に照らされているせいなのか、瞳の奥が一瞬、紫黒色に光った気がして天音は思わず後退った。
それを追うように、弥一が言葉を続ける。
「お前が俺の願い事を叶えてくれれば良いんだ」
「あ……?」
天音は察した。
この男は最初からそう言うつもりだったのだ。