2-1 かけ蕎麦
この街で一番高い坂道の上に建つ、築40年程の木造2階建てアパートはお世辞にも綺麗とは言えない。
人が住めるのかと疑いたくなるような古めかしい外観と、歩けば軋む錆びた階段と廊下。
内装はリフォームすらされておらず、古いキッチンと5畳程度の狭い畳部屋があるだけだ。
唯一良い所と言えば、風呂とトイレが付いている事と、見晴らしがいい事ぐらい。
今時、余程生活に困窮していない限り住みたがる者はいないだろう。
そんなところに、弥一は住んでいる。
「お前の幸せについて考えてみた」
開け放たれた窓から景色を眺めながら、天音がキッチンにいる弥一に声を掛けた。
意気消沈していた昨日の朝から一切言葉を発さなかったので、天音の声を聞くのは一日ぶりだ。
ようやく声を掛けてきたという事は多少は立ち直ったのだろうか。
「なに?」
とりあえず聞いてみる事にする。
また殺すなどと言われれば何か対処しなければいけないな、と頭の隅で考えながら昼食のかけ蕎麦をちゃぶ台の上に置いた。
出汁の香りが窓から入ってくる風に乗って部屋に広がる。
「こんな物置みたいな所より、もっと広くて便利な場所に住みたいと思わないか」
「ここ結構気に入ってるんだけど。家賃も安いし……というか、物置ってなんだよ!俺以外にも住んでる人いるんだぞ」
言いながら、蕎麦の上に七味をかける。
具はネギと甘辛く煮込んだ油揚げの切れ端だ。
「金がないのか?それなら、金を望めば良い。働きたいのなら良い仕事が舞い込むようにしてやろう」
「お金は今あるので充分かな。仕事だって選ばなければいくらでもあるよ」
天音が眉間に皺を寄せる。
またあの鋭い眼光で睨んでくるので、蕎麦を食べるように促した。
難しそうに箸を使いながら、ツルツルと蕎麦を啜ると猛禽のような瞳がキラキラと輝く。
その移り変わりが面白くて、思わず蕎麦を吹き出しそうになったが、なんとか堪えて飲み込んだ。
思えば、誰かに食事を振る舞うのは初めてだ。こうして向かい合って食べるのだって随分久し振りだった。
「美味しい?」
「うま……まあまあだな」
そう言ってから、また蕎麦を啜って忙しなく口を動かした。
出会ってからまだ一日しか経っていないが、弥一はこの天音という人物が少しずつわかってきた。
まず断定できるのは、素直ではないということ。
美味いなら美味いと言えば良いのに、こうして言葉を濁すのだ。
次に、人間を嫌っていて、見下しているということ。
天界で神様と共に居たのだから仕方が無いかもしれない。しかし、だからと言って弥一は下手に出るつもりはなかった。
平気で人を殺そうとする者に媚び諂うなど、絶対にしたくはなかったのだ。