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1-10 朝焼け


 空が薄っすらと白くなってきた未明。

 天音の大きな瞳が開いた。

 布団から出て弥一の姿を探すと、部屋の隅で薄い毛布を羽織って丸くなっているのを見つけた。


「馬鹿な男だ」


 小さく呟く。

 それから近寄って、顔を近づけた。

 太くて凛々しい眉をなぞり、小さく開いている唇に触れる。反応がないことから、完全に眠っているのだということがわかった。

 見知らぬ女の横でよくも無防備に寝ていられるものだ。

 何をされるかもわからないのに。

 

(消えかかっていた私が見えていたくらいだ。この男、ただの人間でも何かしら力があるはず)


 ただ幽霊が見えるだけの人間ならごまんといる。しかし天音は幽霊ではない。

 神でもないが、それに近い存在なのだ。

 神に等しい尊い存在。それが見えるのはほんの一握りだろう。

 それだけの能力がある弥一の力を吸い取れば、弱っている体力を回復することができる。

 そうすれば、自分を嵌めた天界の神々に多少なりとも復讐することができるはずだ。

 冤罪を飲み込んでのうのうと上に戻るくらいなら、ここで奴等を困らせて死んだ方がマシだと思った。


(まずはこいつ殺して、この街全部燃やすか)


 いくら神といえども、人を蘇らせる事はできない。

 直接対抗できないのなら、奴等の大切な物を壊してやるだけだ。

 

 穏やかな寝息を立てている弥一の頬に触れ、唇を重ねた。

 力を取るなら口から取った方が早くて楽だからだ。決して慈愛の念が生まれた訳ではない。

 思った通り、体の底から力が溢れてくるようだった。

 これなら街一つ燃やしたところで疲れることはないだろう。

 唇を離しても相変わらず無防備に口を開けて眠っている弥一を見下ろす。


「……殺すのはあとにしてやる。どうせお前も燃えるんだ」


 力は殆ど吸い取った。

 例え目が覚めても、もう起き上がる事すらできないだろう。

 わざわざここで殺さなくても、炎に呑まれて死ぬはずだ。

 弥一の横をすり抜け、玄関へ向かう。

 玄関横のキッチンのシンクには昨日使った皿とマグカップが置いてある。

 それを見て、何かが心の中に引っかかった気がしたが、天音は静かに玄関の扉を開けて外に出た。

 瞬間、真冬の冷たくて乾いた空気が肺に溜まる。吐き出せば、それは白くなって消えた。

 薄っすらと積もった雪は氷のように固くなり、天音の足の裏を赤く染めていく。

 

 住宅街はシンと静まり返り、すれ違う人も居ない。

 いっそ、燃やしながら歩いても良いと思ったが、どうせなら高い所から一気に燃やした方が爽快だ。

 あの古いアパートは坂の上にあって見晴らしもいい。しかし、その更に上へ歩いて行けば広い公園と街を一望できる小さな展望台があった。


 この展望台から炎を放てば、街一つ数秒で燃え尽きるだろう。 

 この街が無くなったら、次は隣の街だ。

 奴等が気付いて止めに来るまで、どこまでも燃やし尽くしてやろう。

 そんな事を考えながら、天音は手の中に小さな火の玉を作り、展望台の真ん中に立って街を見下ろした。

 このまま手を振り下ろせば、この街は終わりだ。

 それなのに、天音の手は止まっていた。


 街を見下ろして、最初に目に写ったのは家々に積もる薄い雪を照らして輝いている、オレンジの光。

 その光はゆっくりと広がり、闇に包まれていた世界を美しく彩っていく。

 それはまるで炎のようだ。

 息が白く濁る程寒いのに、その光を見ていると温かくなるような気すらした。

 

 光を辿るように顔を上げれば、燻銀の雲に燃えるような赤が混ざって、夜明けを知らせている。

 それは初めて見る、なんとも美しくて奇妙な色で、天音はその景色から目を離す事ができなかった。

 

「綺麗だろ」


 ハッと我に返って、後ろを振り返る。

 そこには先程まで口を開けて眠っていた弥一が立っていた。


「お前……どうして……」

「玄関から出ていくのが見えたから付いてきたんだ。ここ、俺も好きなんだよね。新聞配達のバイトしてた時にさ、よく日の出を見に来たんだ」

「馬鹿な……今のお前は立つことすら出来ない筈だ」

「俺、体力には結構自信があるんだ」


 そう言って、弥一は天音の手首を強く握った。掌の中では、未だに小さい炎が燃えているが、弥一は然程気に留めていないようだ。 


「本当に放火をしてないっていうのなら、こんな事しない方が良い。けど、どうしてもって言うのなら、俺がお前を止める」


 弥一の太い眉が眉間に皺を作り、アーモンド型の瞳を険しくして天音を見つめた。

 手首を握る手は強くて、とても体力を奪い取られた人間とは思えない。

 どうやって天音に対抗するつもりかは分からないが、止めようとする気持ちは本気なのだろう。

 それならば、今度は本当に立てなくなるくらい叩きのめしてやるまでだ。


「……やれるもんならやってみろ」


 赤と黒の瞳が互いに睨み合う。

 重い沈黙の合間に朝を知らせる鳥が囀った。

 

 ──ふわり、と二人の間に泡が舞う。

 朝の光を反射して虹色に輝く泡が幾数も飛んで、目の前で弾けた。

 弾けた拍子に思わず二人同時に瞬きをすると、次の瞬間には弥一の隣に、昨晩の着物の男が立っていた。


「そいつを殺して街がいくつか燃えた所で、上の連中は大して困らねえよ」


 男が呆れたように言い放つ。

 街を燃やそうが、弥一を殺そうが、結局何一つ意味など無い。

 それを理解したのか、天音が苦々しく舌打ちをする。


「いいか、その男がさっき言ったとおりだ。馬鹿な事はやめろ」


 言い終わると、男は再び泡となって消えた。

 

「……帰ろうか」


 弥一の言葉に、天音が静かに頷く。

 握っていた手首を離し、背を向けて歩くと天音は黙って付いてきた。もう襲う事は考えていないらしい。

 落ち込んでいるのだろうか、それともまだ何か企んでいるのか。

 どちらかはわからないが、猛獣のように鋭かった眼光は野良猫のような寂しさを含んだ眼差しに変わっていた。

 

「そんな格好でよく外に出られたな。足も裸足だし……ほら、これ着て」


 アパートで着せてやったセーター一枚でよく我慢できたものだ。

 着ていたコートを肩にかけてやり、持って来たブーツを渡した。

 どちらも弥一の物なのでサイズは大分大きいが、無いよりはマシだろう。


 広い公園を抜け坂道を淡々と降る。

 途中、自販機で温かいココアを買った。

 天音に渡してやると、また不思議そうな顔をして一口含んでから、小さく首を傾げた。


「お前が作ったやつの方が美味い」


 その言葉が何だか嬉しくて、弥一は微笑んでから「そうか」と一言だけ呟いた。


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