剣契(後) ⑤
オドは瞑想を続ける。
深い霧のせいだろうか、日は昇っているはずなのに周囲は暗い。
最初は身体に付く水滴や空腹感などに気が向くが、一日も経つと徐々にそういった雑念は消えていき心臓の鼓動と血液が身体を巡る感覚だけが残った。オドがそんな感覚に身を任せていると、どんどんと感覚、特に聴覚が研ぎ澄まされていき、最初は静寂と思われていた中にも様々な音が聞こえてくるようになった。
風の音、どこかで岩が転がり落ちる音、遠くの雷鳴や、雨の降る音。更には、大地の震動や海の波の動きまでも音となってオドのもとに届く。まるで世界が、大地や大海でさえも常に移ろい、変わるものだと言うかのように、大自然は己の儚さをオドに囁きかける。
◇ ◇
どれくらい経っただろうか、もはやそんな感覚も薄れた頃に、どこからかパタパタと羽音が聞こえてくる。オドはすぐに羽音の主が、自分が夢の中で一生を過ごした蝶のものだと分かる。
「君のなかにも、僕がいるのかい?」
無意識のうちにオドが呟く。
今、羽ばたいている蝶の持つ人格も、瞑想するオドの身体に宿る人格も、どちらも確かに自分のもののはずだ。
むしろ、実はオドのこれまで歩んだ人生は羽ばたいている蝶の夢の途中なのかもしれない。そんな感覚すら、オドには感じられた。
「僕の一生も、君が目を覚ましたら消えてしまうような、儚いものなのかもしれないね。」
それでも、とオドは微笑む。
「君がそうだったように、僕は、与えられた僕の人生を全うするよ。」
蝶の羽音が遠ざかっていく。
この場所よりも高い所へと、羽音は軽やかに登っていくのだった。
◇ ◇
蝶の羽音が完全に聞こえなくなった時、突如、大きな音が下祭壇に響き渡る。
雷鳴だ。
オドの視界も真っ白になり、ビリビリと身体に落雷の衝撃が響く。しかし、それよりも、落雷の直後オドは違和感を抱く。何者かが目の前にいるような感覚がしたからだ。
オドが恐る恐る目を開けると、そこには伝説の生き物である龍が現れ、オドのことを見ていた。
雷を身体に帯びたその龍は青く長い胴体に茶色の角を生やしている。
「我は青龍。お主のせいで不完全な姿だがな。本来は鷲の鉤爪かぎづめがあるはずなのだが、、、。」
不満そうに龍にそう言われてオドは初めて角鹿、海蛇、大鷲を仕留める必要性に気が付く。それぞれが青龍を構成する要素を持ち合わせているのだ。
「すいませんでした。」
思わずオドが謝ると、青龍はフンと鼻を鳴らす。
「まあ、よい。我が召喚されるのも随分と久しぶりだ。許そう。」
青龍はそういうと、自分の真下にあるキーンの剣を見下ろす。
「さて、リオが我を呼び出したということは、きっとお前さんとこの剣には与えられるべき天命があるのだろう。さて、、、」
青龍はジッとオドと剣を見比べると、徐々に小さくなり、キーンの剣に巻きつく。
「見えたぞ。其方の背負っているもの、背負うべきもの。」
そんな言葉と共に青龍はキーンの剣もろとも輝きだす。光が収まると、そこには青龍の姿はなく剣が岩に突き刺さっているのみであった。
「この剣の銘は『コールドビート』。せいぜい課された天命に抗うんだな。きっとこの剣が助けてくれるだろうよ。」
どこからか青龍の声が響く。
オドは瞑想をしていた岩を降り、剣のもとへ歩み寄ると、柄に手をかけ岩から剣を引き抜く。
かつて父親の剣であったその剣は、姿を変え息子のものとなった。
青黒い刀身に光を映して金色のツヤを輝かせる、いわゆる紫金色をした刀身の付け根には確かに『コールドビート』と銘が刻まれている。
キーンが使用していた時に比べて柄が長くなり、刀身が太くなっている。柄には『その血、その涙、その痛みこそ糧なれば、其方の歩みに実りが訪れん』という天狼伝説に出てくる一節が刻まれていた。
しかし、変化はそれだけであり、かつてのキーンのような魔剣への進化はなかった。
オドは少し落胆しつつも気を取り直して、第二の儀式の場である上祭壇を目指し、一礼をして、下祭壇を後にするのだった。
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