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剣契(後) ③



「はあ、はあ。」


集落を出立して一日半、オドは大星山の東側の山頂にある下祭壇しもさいだんを目指して荒い岩肌を登り続けている。

天狼族は元々かなりの高所で生活をしているため強靭な肺を持っているが、それでも雲よりも高く山を登ると空気が一層薄くなり息苦しくなる。また風もなくなり、辺りにはただオドが足を踏み出す音だけが鳴り響く。


「一旦ここまでだな」


オドは小さくそう呟くと安定した岩に腰を着く。袋から食料を取り出すとそれを頬張りながら辺りを見渡す。


目下には雲海が広がっており、その下にある景色は見えない。真上から照りつける太陽は普段よりも近くにあるはずなのに周囲は肌寒く、静寂と冷気によって世界が支配されているような感覚に陥る。


「、、、あれが大鷲岳おおわしだけか。」


雲海の遥か彼方に突き出た山が見える。その山とオドのいる大星山を繋ぐ道のように山脈の連なりが雲海から顔を出している。雲はゆっくりと流れていき、その動きと共にその色を変えていく。


オドは食事も忘れて思わずジッと流れゆく景色に見入ってしまう。




無音の世界で1人、オドが佇んでいると段々、自分の身体から心臓の拍動する音が聞こえてくる。


一度意識するとその音はどんどん大きくなっていき、しばらく経つと自分の身体を血が流れる感覚までもがはっきり認識できるようにまでなる。


「スー、ハー、スー、ハー。」


オドは深呼吸していると、自分の鼓動に合わせて地面が揺れているように感じ、試しにとオドが耳を山の岩肌に耳を押し当ててみるとドクン、ドクンといった鼓動を感じることができた。

結局、それが自分の心臓の音なのか、それ以外の物の音なのかの検討はつかなかったが、大地とオドの身体が融合するような感覚はどことなくこころよく感じられた。


そんな感覚のなか、オドは微睡まどろむように目を閉じるのだった。




「そろそろ行かなきゃ」


オドはハッとして目を覚ます。


集落を出発してから休みなく登ってきた疲労も相まって、岩場で長い時間を過ごしてしまったようだ。オドが腰を落ち着けた時には真上にあった太陽が傾き始めている。オドは立ち上がると、少し急ぐように岩肌を登っていくのだった。











オドが低い方の山頂に至る頃には既に夜になっていた。


山頂のひらけた場所へと伸びる縄で作られた梯子はしごを登ると目の前には月明かりに照らされた祭壇が佇んでいた。広場の中心が窪みになっていて、その中に石でできた大きな丸い皿が3つ、中心の四角い岩を囲むように配置されている。中心の長方形をした岩には剣を突き立てるための切れ目がある。


窪みの外には上が平らな楕円形の形をした大きな岩が窪みを見下ろすように置かれている。どの岩も非常に大きく、オドには、ここまでの険しい山でこれらの岩をどのように運んできたのかの検討がつかなかった。


「ここが東山頂の下祭壇か、、、」


オドは少し感動したように呟いた後、一度深呼吸をし、粛々と儀式に取り掛かる準備を始める。






まず、窪みにある三つの皿の一枚に角鹿の角を、他のもう一枚に海蛇の脱殻ぬけがらを置き、それに水をかけ、何も載っていない最後の皿には水のみをかける。




次にオドは背負っている鞘に入ったキーンの剣を手元に持つと右手を剣の柄に掛け、一気に引き抜く。


キーンの失踪以来、12年ぶりに剣の刀身は抜き放たれるが、かつてのような翡翠色の輝きはなく、オドの髪のような、夜空を写したような深い紫金色をたたえるのみである。


オドは柄に左手も添えると、窪みの中心にある長方形の岩に剣を突き刺す。


鈍い音と共に剣は岩に突き刺さり、月明かりの下で直立する。




オドは袋の中から儀式用に黒曜石を削って作られたナイフを取り出すと、それで自らの親指の腹を切る。ドクドクと溢れる血を、まず突き刺さった剣の柄に滴らせ、次に刀身の根本部分に指を押し付け一本の線を描くようになぞる。




うんと頷くと、オドは窪みの外まで出てくる。

そして、袋や弓、矢、短剣などの一切の道具を置く。


最後に窪みの中央にある剣に向かって、次に夜空に輝く大星天狼星に向かって一礼すると楕円形をした平たい岩に乗り、そのうえで座禅を組み、ゆっくりと目を閉じる。


オドは自分の心に浮かぶ邪念を消すように消すように意識しながら瞑想を始める。




月明かりに照らされるオドの影が伸びていく。





ここまでご覧になって頂きありがとうございます。

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