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剣契(前) ⑫



「とは言っても主題は変わらず、あの鹿の話なんだけどね。奴は選択に関して何と君に言ったか覚えているかい。」


そういって指名するように青蛇はオドを指さす。


「ええと、、、選択をする時には、選ばれなかった選択の持つ可能性を考えなければいけない、でしょうか?」


「その通り。よくできました。」


そういって青蛇はうんうんと頷いた後、視線をオドに向ける。


「そして君は選択を誤った。だから、君はここにいる。それはなぜだろう?」


「僕が苛立っていたから、です。」


「うん。よく認めた。君はあの時、確かに苛立ち、焦燥感を抱いていた。それはなぜかな?」


青蛇は見透かすような目でオドを見つめる。


「今日を過ぎれば、ルナねえとコウさんと海蛇を仕留めるのにかかった時間が一緒になるから、、だと思います。」


「その通り。よくわかっているじゃないか、君。優秀、優秀。」


そういって青蛇は指をパチンと鳴らす。


「では、なぜ君はそんなにも天狼族の中で最も早く海蛇を仕留めることに拘ったんだい?」


「それは、、、わかりません。」


オドが逃げるように目をそらす。


「いや、君にはわかっているはずだ。別に恥ずかしがることはない。ここには君と僕しかいないし、僕は既に答えを得ている。君自身が認めることが必要なんだ。」


台の上を歩き回りながら、青蛇が言う。


「みんなの期待に応えたいからです。」


「違う、そうじゃない。君自身の心に素直になるんだ。君が隠そうとしている感情こそ、君がこんな場所に落とされた理由であり、君が克服しなければならない物なんだ。」


青蛇は台を降りてオドの方へと向かう。


「別に、隠そうとしているものなんてありません。」


オドは依然として食い下がる。


「、、、そうか。ならばそれまでだ。君は死体になって洞窟で発見され、皆に失望されることになる。」


「、、、」


青蛇の言葉にオドは黙り込む。


「そして、悲しみが過ぎ去った頃に、キーンとタマモの息子なのになんだ、それほどでもなかったのかもな、過大評価していたと皆に言われるんだ。違うか?」


挑発するように青蛇が言葉を紡ぐ。


「違う!! 僕は特別だ!! 僕は特別じゃなきゃいけないんだ!! 特別だからこそ、皆が僕を認めてくれるんだ。それの何が間違っているんだ!?」


立ち上がってオドはそう言い返すと青蛇を睨む。


「よく言った、少年。その言葉を待っていた。君は常にある強迫観念にさらされている。君が特別でなければ、君自身が特別といえる価値を持っていなければ、皆が君に失望し、そっぽを向き、離れて行ってしまうのではないかと思っている。それを心の奥底で恐怖している。違うかい?」


「、、、、。」


オドは何も言えずに黙り込む。


「うん。両親や祖母を早くに亡くした君の生い立ちを見ればそうなるのは頷ける。確かにこの感情は君の向上意欲を下支え、君の成長に寄与してきた。しかし、いや、だからこそ、君は本能的に全員に愛されていたい、自分の価値を常に認められていたい、という欲求に飢えている。そうでなければ、まるで君自身の存在意味が全く無くなってしまうのではないかと危惧する程に。」


そういうと青蛇はオドの下へと歩み寄る。


「少年。よく認めた。」


そういうとオドの肩を軽く叩く。




「では、話を変えよう。再びあの鹿野郎しかやろうの話に戻る。」


青蛇はニコリと笑うと身体を翻し台へと戻る。


「奴は君に選択をする時には、選ばれなかった選択の持つ可能性を考えなければいけない、と言った。しかし、君は感情的になっていて、そのことを失念していた。それはなぜか。それは君が本能的な欲望、さっき君自身が認めた欲求に執着し、駆られていたからだ。ここまではわかるかい?」


青蛇は台上からオドを見つめる。


「つまり、感情に囚われず常に冷静に判断しなさい、ということでしょうか?」


オドが質問すると青蛇は首を横に振る。


「それは違う、少年。人は往々にして感情に支配されるものだ。本人が合理的に判断しようと思っている時ですらね。常に鹿やつの言うような合理的な判断を下せるほど人類は完璧にはできていない。では、なぜ君はあの時に感情に支配されていたのだろう?」


「他の皆より優れてなければいけないと思っていたから、です。」


「その通り。君は強迫観念に駆られていたため感情的になってしまっていた。君にとっては自分自身の価値に関わる事態だ。感情的になるのも頷ける。しかし、結果その強迫観念が君の身を滅ぼした。君のその「皆にとって価値あるものでいたい」という欲望には欠陥がある。それは君自身の価値を決める判断者が君ではないということだ。そこに矛盾が生まれる。」



青蛇が肩をすくめる。



「すこし視点を変えよう。話が難しいことには変わりないが、君はよいと“正しい”、“美しい”、またはそれらを表現する“価値がある”という意味での《《良い》》の違いはわかるかな。」


「、、、、。」


「多分わからないだろうけど、これらには決定的な違いがある。“正しい”、“美しい”、“良い”といったものは行動の結果に付着する要素であって、それを判断するのは結果をみた他者だ。つまり、君は皆にとって“良い”人であろうとしていたわけだ。ここまではわかるかな?」


「僕が“良い”人かは他の人たちが決めるから僕は焦っていた、ということですか?」


「その通り。それに対して善い、ここではぜんとでも言おうか、は少し違う。善は自分の行動の根拠として自分の内面に宿やどるものなんだ。君が何かをするときに、その行動が自分にとって「まさに今この時に、しなければならない行動」だと考える根拠になるのが善なんだ。その行動の結果がどうあろうとも君がそれがいと思って行動したという根幹は揺るがない。君が善だと思って行動を実行した段階で、その善は永遠のものとなり、これが覆ることは二度とない。」


青蛇は再びオドの方へと歩み寄る。


「他者の評価は気まぐれに変わり、そしてそれに囚われた者を追い込む。そんなものを行動の基準にし、感情を奪われてはいけない。その欲望は君自身に宿った善を搔き消して、見えなくしてしまう。」



青蛇は椅子に座るオド前に立ち、ジッとオドを見つめる。



「行動の根拠を自分自身に求めるんだ。叶うのなら君が善いと思った行動をするんだ。その積み重ねは君に揺るがない自尊心を与えてくれる。」


青蛇はオドに青い短剣を一振り取り出すと言葉を続ける。


「自分への尊敬は君をきっと悪から遠ざけてくれる。僕が君に伝えたいのはそれだけだ。」


青蛇の言葉がスッとオドの心に入ってくる。



次の瞬間、オドの視界をいくつもの泡が下から上へと昇っていき、オドは初めて自分のいた場所が水中だったことに気が付く。


「ここでの出来事は泡沫うたかたの夢だ。それでも、もし君がこの出来事を意味があるのもだと思ってくれたなら、僕は嬉しい。この短剣は僕からの餞別さ。鹿が弓を与えたのに僕が与えないのもしゃくだしね。」


オドの目の前に短剣が差し出され、オドはそれを確かに受け取る。


「老いぼれの長話に付き合ってくれてありがとう。君の幸運を祈っているよ。」


そういうと青蛇は最初そうだったようににっこりと笑う。


「さあ、お別れだ。」


オドの意識が霞む。オドは静かに薄れゆく意識に身を任せるのだった。






まず、説教臭い回になってしまい、申し訳ございません。

青蛇(せいだ)の言っていた「善」に関する話は、お手持ちの電子辞書かコトバンクの日本大百科全書(ニッポニカ)で“善”と調べれば詳しく出てきます。純粋悪と言われる概念も実は今回の話と被ります。良ければ調べて見てください。

それと、今回はいわゆる承認欲求に関する話でもあったのですが、社会的生活をする中で人に評価されるのは当たり前で、だからこそ愛されたい、認められたいと思うのは当然だと思います。自分自身、揺らぐことも多いですが、無条件に「それでも自分も捨てたもんじゃないな」と、そう思えたなら幸せなのかなと、今回書いていて思いました。

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