聖女、浄化する
遠征中の宿は宿泊予定地に先触れを出し、全員分の部屋を確保する。
宿屋のない小さな村でも教会はあるのでティアナはそこに泊まり、他は野宿だ。
「聖女様、お疲れでしょう」
馬で移動していたカインは蕩ける笑みを浮かべてティアナに声をかけた。
ティアナは全身ほぼ黒の修道服である。きらびやかな貴族令嬢を見慣れたカインの目に、彼女は清貧そのものに映った。清らかで正しい、聖女の姿だ。
馬車から降りたティアナは村人の出迎えを受け、一人一人に声をかけて励ましていた。こうすることで体にこびりついた瘴気を払うのだ。
「カイン様も、お疲れさまです」
「お茶の準備を致しましょうか? それとも教会で休まれますか?」
「そんなことより浄化が先です。今日は私は教会でお世話になりますが、みんなは野宿ですからまずは井戸ですね。水を確保しましょう」
カインの知る令嬢なら足元が舗装もされていない地面なのに眉を寄せ、レッドカーペットを用意しろと命令するだろう。靴やドレスは高貴なる者にふさわしく繊細で、泥汚れなどあってはならない。
その後は休憩と称したティータイムだ。それもこのような村ではなく、近隣で一番良い宿の一室を改装させる。
ところがティアナは茶なんか飲んでる場合ではない、と出迎えた村長と村人に話を聞き、井戸に向かった。もちろん徒歩だ。
村はすでに小麦の収穫が終わり、畑にもわずかな野菜が残っているだけでどこか寒々しい雰囲気だった。
村に一つしかない井戸は煉瓦造りのしっかりしたものだ。井戸から立ち昇る瘴気がティアナの目にはっきりと見えていた。
「いと慈悲深き水の女神よ。我が声に応えこの地を清めたまえ」
ティアナの祈りに聖なる光が井戸に注がれていった。夕焼けのせいだけではなく暗かった井戸から瘴気が晴れていく。神秘的な光景に、村人から歓声が上がった。
カインは目を瞠った。聖女の祈りがどれほどのものか報告する義務のある彼は、ほんの少しでも疑っていた自分を恥じた。
同時に、聖女への畏敬の念が強くなる。少女の手に光が集まり瘴気が払われている様は、神話の世界そのものだった。
「……おかしいですね」
「何がですか?」
全身に鳴り響く感動のままにティアナを見ると、聖女は眉を寄せて井戸を睨みつけていた。
「瘴気がまだ中に残ってます」
井戸の縁に手をかけて中を覗き込んだティアナは、思いの外深そうな底に唇を引き結んだ。
「マティアス」
「おう」
「ロープ持ってきて。なるべく頑丈で長いやつ」
「わかった」
マティアスが荷馬車に走って行き、すぐに戻ってきた。その間にティアナは靴と靴下を脱いで中に入る準備を始める。
「聖女様!?」
さらに、長い修道服の裾を思い切りよくまくりあげて縛りつけた。太股まで露わになったティアナにカインがぎょっとする。
「下まで降りて調べてみます。魔晶石があるかもしれません」
「魔晶石?」
はじめて聞く単語に首をかしげるカインに対し、聖女騎士団が驚きの声を漏らした。
「マティアス、ロレンス様、ロープお願いします」
ティアナは腰にロープを括り付けると井戸に潜っていった。
井戸の内側は苔などが生え、湿って滑りやすい。ティアナはロープを握りしめ、慎重に降りていった。
底は思った通り深い。ティアナは足が水につかないように体勢を変え、手を伸ばした。
水が肩どころか耳まで浸かりそうなところで指先が届いた。
生活用水を引いている井戸なのだから清潔であるべきだが、水を引き込む関係でどうしても砂利や枯れ枝などが入り込んでくる。指先で探すと、ピリッと指先に反応があった。魔晶石だ。
「これが魔晶石ですか……?」
「はい」
井戸から上がったティアナは片袖だけずぶ濡れになった姿で裾を戻した。すぐにアンヌがタオルを持って腕や足を拭いてくれる。
小指の先ほどの大きさの魔晶石は青い光を放ち、見た目だけなら宝石そのものだ。
「瘴気が結晶化してできたものです。触ると痛いのですぐにわかります。魔物を倒すとたまに出てくるんですよ」
騎士なら知っていて当然の知識だ。不思議そうに見ているカインにティアナこそ不思議そうな顔になる。
魔物討伐は基本、冒険者ギルドに依頼が行くが、大規模なものはその領の騎士団の出番だ。一度くらいは見たことがないと逆におかしい。
「元が瘴気なのできちんと処理しないと瘴気を撒き散らすんですよ。この村の瘴気もこれが原因でしょうね。もちろん体に有害です」
ティアナの掌に乗った魔晶石を触ろうとするカインに手を引くことで駄目だと伝え、ポケットにしまいこんだ。
「いつからあったのかわかりませんし、村人の皆さんも浄化しましょう」
人が完全に瘴気に侵されると、理性も感情も失くして暴れる魔人と呼ばれる状態になる。骨格や皮膚の色も変わり鬼そのものの見た目でも、誰かは判別できるのだ。それでも魔人化したら討伐対象になる。
井戸の水で生活していた以上、村人は全員体内を瘴気に侵されている。蒼ざめる村人一人ひとりを浄化すると、すっかり夜になっていた。
「ティアナ様!」
教会ではすっかり支度を調えたメイドのアンヌがティアナの帰りを待っていた。
メイドといってもアンヌは伯爵家の令嬢だった。聖女様にお仕えしたいと自ら身分を捨ててティアナの元に来てくれたのだ。
「ただいま、アンヌさん」
「お疲れさまでございました。こんなにお体が冷えて……。湯あみの用意ができておりますわ」
「本当!? さすがアンヌさん、ありがとう!」
アンヌは珍しい、火と水の二属性魔法の使い手だった。魔力量は多くないが、それでも火と水という対極の属性を持っていたことで、学園で注目された。
そして、徹底的に苛められ、ついに退学まで追いやられた。
そんなアンヌを救ったのがティアナだった。
伯爵家の恥、貴族令嬢失格の烙印を押され、友人にも見放されたアンヌが自分に生きている価値などないと死ぬ前に懺悔に行った教会に、たまたまティアナがいたのだ。
ティアナはアンヌの話を聞くや激怒し、伯爵家に駆け込んで家族を一喝した。
家族とは言えもって生まれた才能を羨ましいと妬む気持ちはしょうがない、それが悪いとは言わない。だが本当にそれでいいのか。このままアンヌが消えて満足するのか。いじめられた原因を調べたのか、誰が犯人か突き止めもせず、退学に追いやられたアンヌを見捨てるとは何事だ。
具体的には「虐められるほうが悪い? あんたらそんなに完璧な人間なんだ、羨ましいわ~」と人の心を抉りまくることを言った。
これが効いた。両親、特に母親は虐められていることを相談もできないほど思いつめさせたのは自分だと泣きながらアンヌに謝罪した。
母親に続いて父親も、珍しい二属性魔法に目が眩んで無理を言ったと謝罪した。兄は気まずそうにそっぽを向いて、王子に気に入られろと言ったのがまずかったのかもしれない、と後悔を口にした。珍しい魔力の持ち主なら、王子の婚約者になれたかもしれないのだ。
家に帰ってきてほしいと懇願されたアンヌだが、一度傷つけられた心はそうたやすく癒えることはなく、結局ティアナに仕えることを選んだ。そう簡単に和解できたら聖女はいらないのだ。
そんなアンヌは今やティアナの生活に欠かせない存在になっている。いつでも水が出せて火が使えるのは大きな強みだ。おかげでティアナは遠征先でも湯あみができる。
村人の浄化を優先して濡れたままの修道服だったものだから体が冷えてしまっている。風邪を引きそうだ。ありがたく湯を使わせてもらった。
「ティアナ様、お食事の支度ができておりますわ」
「ありがとう。アンヌさんも一緒にいただきましょう」
「はい! あ、その前に、マティアスさんからホットミルクを預かっております。湯冷めしないように、とのことですわ」
ほかほかになって用意された部屋に戻ると、タイミングを見計らって持ってきたのだろう温かな食事とホットミルクが待っていた。
教会内には聖女であるティアナとメイドのアンヌしかいない。聖女が宿泊する部屋は男子禁制だ。鍵のない教会では神父でさえよそに行ってもらう徹底ぶりである。
「騎士団のみんなもちゃんと温かいご飯を食べてる?」
「もちろんですわ。騎士団には魔道士がいますし、天幕に保温魔法をかけておりましょう」
「そうね。良かった」
食事を済ませたティアナは机に向かい、今日の報告書と教皇にあてた手紙を書いた。
井戸から見つかった魔晶石は聖水の入った瓶に入れられている。浄化すれば痕も残さずに消えるが、浄化しない場合は聖水が瘴気を抑え込んでくれるのだ。
魔晶石と共に手紙を教皇に届けるようアンヌに頼む。魔導士が転移魔法で届けてくれる手筈だ。
魔晶石は瘴気が結晶化したもので、瘴気に侵された魔物から稀に採れるとカインには説明した。
自然界ではよほど瘴気の濃い土地でしか見つからない。そういう場所はとても人が住めるところではなかった。
ましてや井戸である。そんなところに魔晶石ができれば、人など飲んだ瞬間に血を吐いて死んでいる。気づかなかったはずがないのだ。
つまり、フルホネット公爵領の瘴気は人為的に撒き散らされた可能性がある。
国家への敵対行為だけではない、神への冒涜に等しい行為だった。