聖女、無意識に憐れむ
遠征から戻ってしばらくはゆっくりできると思っていたティアナだが、それは叶わなかった。
「また遠征? 今度はフルホネット公爵領ですか?」
「そうなんだ。国内の瘴気はだいたい浄化し終えたがあそこはまだだったろう? ついに来たという感じだな」
ティアナにこの話を持ってきたのは、なんと教皇である。
フルホネット公爵家は教会のトップに依頼を持ってきたらしい。さすが国一番の金持ち、スケールがでかいとティアナは感心した。
教皇との面会は国王であっても難しいといわれている。世襲で決まる国王より、選挙で選ばれる教皇のほうが重要人物なのだ。
そんな教皇、ティアナとは茶飲み友達だ。よく愚痴を吐きに聖女宮に来る。
今日も学園から帰ったら疲れた顔した教皇がメイドのアンヌに茶を淹れてもらっていた。「先にやってるよ」なんて飲み屋のおっちゃんだ。
「遠征から戻ったばかりだし、学園に在籍しているもののあまり通えていないからな。それに、もうすぐ冬だろう? 渋ったんだがどうしてもと押し切られてな」
「期末テスト!」
「そうじゃない。いや、それもあるが……三年生は卒業の季節だ」
教皇がティアナの学園入学を認めたのは勉学はもちろんのこと、様々な人と交流できると考えたからである。
ティアナは平民だ。平民の暮らしを知っている。
そして平民の生活を守るのが貴族だ。しかし貴族のほとんどは平民の生活を知らずに贅沢をしている。
ティアナを彼らの側に置くことで、貴族に良い影響を、思いやりのある領主になるようにしたい狙いがあった。
今のところそれは当たり、貴族たちは目に見えてよくなったり領地に目を向けるようになってきている。
教会内でも賄賂や暴利をむさぼる悪徳聖職者が激減し、私財をなげうって慈善活動に励むようになった。
聖女とはここまで凄いのか。教皇は感嘆の思いでその変化を受け止めた。彼とて教皇になるくらいだから必要悪があることは十分承知している。多少強硬な手段も取ってきた。善人ばかりの国など気持ち悪いとすら思っている。
その教皇がもっとも警戒しているのがフルホネット公爵家だ。
あの家は人間の悪を煮詰めたような貴族だ。教皇になる以前に支援を申し出てきたが、悪事の痕跡を残さないあまりに綺麗なやり口と、背後に漂う死臭が恐ろしく断っている。
あの時は潔く引いてくれたが、命の危険を感じたのは一度や二度ではなかった。
「卒業してしまえば聖女と交流する機会は減るだろう。彼らのためにも、ティアナと友人になってもらいたかった」
特にアベル王子だ。フルホネット公爵令嬢とアベル王子は十八歳、卒業生だ。王子は国王から聖女と交流を持つように言われているはずだが、ティアナの話ではまともに会えたことすらないらしい。
邪魔をされた、というより、ついに動いたか、と教皇は背筋を震わせた。
「地方の浄化が終わるのを待っていたといわれたら断れなくてな……。行ってくれるか」
「いいですよ」
そんな事情など露とも知らないティアナはマティアスお手製のクッキーを食べながら気軽に承諾した。
「それにしても貴族様って」
食べる手を止めずにティアナが話をする。教皇の御前でこの無礼、彼女はイマイチ教皇の凄さを理解していなかった。仕事を持ってくるついでに愚痴を吐くおっちゃん、くらいにしか思っていない。
「やることちっちゃいっていうか、心狭いですよねえ」
教皇は咽そうになった。
「私がご令嬢たちとお茶してると遠ーくから覗き見てるんですよ。あれだけ男侍らせてるのに。なんだろ、人の持ってるものが欲しくなるタイプなのかな?」
「なにか言われたか?」
ティアナは呆れ気味だが教皇はそれどころではない。フルホネット公爵令嬢はしっかり聖女に目を付けている。
「いえ、別に。時々高位貴族っぽいお嬢様使って『調子に乗ってんじゃないわよ』を言われるくらい? 調子に乗るほど学園に行ってないのになに見てるんでしょうね。特待生に聞いたら通過儀礼みたいなものだそうですけど。でもその後の対応次第で気に入られればそこまで意地悪はされないとか。すごーく遠回しな『友達になりましょう』だと思っておけばいいって言われました」
違う。
特待生なら平民だろう。わからなくても仕方がない。
貴族の生徒なら学園は社交界の入り口だ。誰とどうやって付き合っていくか、社交界に出る前に体験しておく。学生なら失敗しても挽回しやすいからだ。
『調子に乗るな』は『貴族のルールを知らないのに踏み込んでくるな』であり、貴族のルールをきちんと学び自覚を持った対応をすれば認められるということである。平民といえども能力のある者しか選ばれることはない。彼らと繋がっておくのは貴族にとってもメリットがあるのだ。
「ああ、でもそう考えるとかわいそうかも。好き嫌いを顔に出しちゃいけないんでしょう? お姫様って」
「……ティアナ」
「こうやって好きな時にお菓子も食べられないし、迂闊にトイレにも駆け込めない! うわー、私には無理だわー」
「ティアナ、それ学園で言うんじゃないぞ」
そんなことで憐れまれているなどと知れば、エミーリオが怒り狂うのが目に見えている。
煽っているとしか思えないティアナに、教皇は釘を刺した。