聖女、知らぬ間に謀られる
エミーリオ・マリー・ド・フルホネット公爵令嬢は、自他ともに認めるアベル王子の恋人である。
蜂蜜のような金の髪に潤んだ紫色の瞳。透きとおるほど白い肌。神の作りたもうと最高傑作と謳われる美貌。彼女が微笑めば花は恥じて萎み、鳥は歌を忘れて見惚れ、月さえも隠れると言われていた。
さて、そんな麗しのエミーリオだが、腹の中は残念なほど真っ黒だった。
その父のフルホネット公爵も当然真っ黒である。
黒を白に見せるのも貴族の腕。そんな信条を掲げているのがフルホネット公爵家だった。
「今日は聖女が遠征から帰って初の登校であったな。いかがであった?」
「特に変わりなく、つつがなくお過ごしでしたわ」
公爵家の屋敷。書斎の間では、父と娘が外には見せない腹黒さを隠さない会話を繰り広げていた。
「上は伯爵令嬢から下は特待生まで、さすがは聖女といった交友関係を築いているようですわね」
忌々しい、と言いたげにエミーリオが吐き捨てた。彼女にとって、自分以外の令嬢や平民など下僕そのものである。
「殿下は、どうだ」
「興味はあるようですが、会う機会は潰しておりますのでご安心ください」
アベル王子は女好きではないものの、どうにも人が良すぎる性格だ。
神の妻たる聖女に手を出す心配はないが、聖女と友人になり、聖女の言いなりになられるのは困る。
ただでさえ、聖女は貴族の支持を集めていた。
はじめのうちは、しょせんは平民、金に目が眩んだと嘲笑っていたが、なんと聖女は瘴気払いの遠征先で、傷ついた冒険者を癒したり、村々の井戸や農地を浄化したりと、下々の者にまで直接声をかけているのだ。
聖女の力は二十歳ごろがピーク。まだ十六歳のティアナの力は衰えることはない。
それでも早朝から深夜まで、弱音も吐かずに働き倒れるように眠る聖女の姿に、貴族の間でも依頼金が安すぎるのではと囁かれている。
平民だけではなく貴族の人望も得ている聖女となると、王家でも無視はできなくなる。
それは、フルホネット公爵家には都合が悪いのだ。
「エミーリオ、聖女と友人になれるか?」
「聖女とですか? ……ふふっ」
エミーリオは肩を揺らして笑うと、
「虫唾が走りますわ」
その艶やかな顔に侮蔑を乗せて言い切った。
「政治の何たるか、貴族の何たるかを知らぬ、綺麗事しか見えない小娘と友人? お父様、わたくしにはいささか荷が重いですわ」
フルホネット公爵家は王家の血を引いていることを最大限利用して、武器の密造密売、人身売買、食糧の買い付けによる経済操作など、ありとあらゆる悪事に手を染めてきた。
そしてエミーリオをアベルに嫁がせて彼を王太子、ひいては国王にして、外戚として存分にその力を発揮するつもりだった。
それを聖女に台無しにされてはたまらない。
「それにあの噂……。聖女のそばにいるものは善良になるという、眉唾物だと思っておりましたが、学園での様子を見るともしや、と」
「……あれか。私も聖女の村を調査させたが、皆驚くほど善人ばかりだ」
村では聖女関連の商品が売り出され、活気に満ちていた。
特産品や土産物などは割高で売られるのが常であるのに、他の商品と同じ適正価格で販売していた、と諜報員が驚いたほどである。
それだけではない。あまりの居心地の良さに諜報員が村に居たい、戻りたくないと言い出したという。
公爵はまさかと思ったが、聖女の幼馴染だという無警戒の村娘から聖女の話を聞いているうちに、離れがたくなったらしい。その諜報員は今もたびたび村に足を運んでは順調に恋を育んでいる。旅商人が聖女商品の買い付けという名目だから怪しまれることもなかった。
「聖女は大悪人ですら改心させる。それが真なら迂闊に近づけんな」
「はい。今さら善人になれと言われても……」
エミーリオがわざとらしく怯えて自分を抱きしめた。
政敵を追い詰め、その娘を娼館に売り飛ばしたこともある彼女は、今さら善人になどなれはしない。そのつもりもない。
学園では慎んでいるが、アベルに近づこうとする女生徒を周囲を操って排除する程度のことはしていた。その後のことなど気にもかけない。自分の邪魔をする方が悪いのだ。
聖女のことも、平民出ということをあげつらっていれば身の程をわきまえるとエミーリオは楽に構えていた。
ところが聖女は貴族に恩を売り、謙虚な姿で令嬢たちの心を摑んでしまっている。学園で女王として君臨していたエミーリオにしてみれば予定外もいいところだ。
それどころか、このままでは聖女派とエミーリオ派に分裂しかねなかった。
アベル王子との婚約目前だというのに、余計なことはしたくない。
「……お父様、聖女のことはわたくしに任せていただけますか?」
「ふむ。考えがあるのか?」
「はい。聖女ごときを排除できずに、フルホネットを名乗れませんわ」
エミーリオは笑った。
女の陰湿さをよく知る公爵は、娘にやってみろと言った。