聖女、許しを与える
その瞬間のエミーリオこそ見ものであった。
恐怖に歪んでいた顔が安らかなものになり、ハラハラと涙を零したのだ。
聖女の前にひざまずき、両手を組んで祈りを捧げる姿は一幅の宗教画のようだった。
「あ……」
我に返ったエミーリオは目を見開き、
「あ、あ……っ。ああああああああああああああああああっ!!」
そして、絶叫した。
「エミーリオ!?」
アベルは突然絶叫したエミーリオを慌てて支えた。
やはりこうなったか、と教皇と国王、枢機卿たちが冷静に眺めている。
ティアナは聖なる光そのものとなり、アベルとエミーリオのみならず世界中に聖なる光を分け与えていた。新年大礼拝の『祝福』だ、相当なものになるだろう。
「お許し……っ、お許しください!!」
エミーリオはティアナの足元に縋りつき、罪を懺悔し始めた。
「魔晶石を使って大地を穢し、聖女の評判を下げさせたのはわたくしです!!」
「エミーリオ、なにを言う!?」
ぎょっとしたフルホネット公爵が止めようとするものの、エミーリオは泣きながら暴露し続けた。
「カインの父を借金漬けにしてそれを救うことで恩を着せ、カインを使って聖女を誘惑させたのも、他領の生産率を下げて食糧価格を高騰させたのもすべて我がフルホネット家がやったことです!! ああ、いいえ、許されることのない罪はそれだけではありません! 口にするのもおぞましい! 数えきれない子供の骨がフルホネットの森に埋められています! わたくしは、人の屍を重ねてここに立っているのですわ!!」
「エミーリオ!!」
公爵が力づくでエミーリオを押さえようとしたが、すぐさま取り囲んだ騎士たちに捕らえられた。
「聖女だ! 聖女がエミーリオを狂わせそのようなことを言わせているのだ! 薄汚い平民の小娘めっ、よくも娘を!!」
口から泡を吹き唾を飛ばして醜く罵る公爵に、教皇が進み出た。
「これが聖女の『祝福』ですよ。彼女は今、良心の呵責に耐えかねて懺悔しているにすぎません」
教皇の静かな声は、エミーリオの狂乱が響く大聖堂に不思議と聞こえた。
ティアナの光はいつの間にか消え去り、力を使い果たした彼女をアンヌが支えている。
「いかなる大悪人をも改心させる――誇張と侮ったか。公爵、あなたのあやまちは聖女を操ろうとしたことだ。神の慈悲はすべての人に与えられる。人の心と同じように操れるものではない!」
エミーリオはアベルの腕の中で啜り泣き、力なく懇願している。
「どうか……。どうかわたくしを処刑してくださいませ。わたくしは許されるべきではないのです」
「エミーリオ、そんなことを言うな」
アベルが縋るようにティアナを見上げた。
ティアナは光となっていた時のエミーリオの懺悔を聞いていなかった。新年を祝う人々に光となって降り注いでいたからだ。
気がついたら足元でエミーリオが泣き崩れていて、いきなり処刑してくれと頼んできた。ハイわかりましたと言うわけにはいかない。まずは状況を説明してほしい。
「エミーリオ様、あなたを楽にするために、他の誰かに罪を犯させるのですか」
殺人は大罪である。
そして、神を信仰するこの国に死刑制度はなかった。生きて贖罪することこそが魂の救済だと信じられているのだ。
同時に自殺も罪となる。
ちなみに、家畜を屠殺することはそれを食べることが贖罪であり、骨や皮も無駄にしないよう利用されている。
魔物は瘴気に侵されているので討伐することが救済だ。
なんとなく納得してしまうものの釈然としない。ティアナもそれでいいのかよくわからないが、それが宗教というものである。
ともかく、ティアナにそう諭されたエミーリオの顔からすべての表情が抜け落ちた。涙も止まり、目を見開いてただティアナを凝視している。
「神は許しを求めるものに許しをお与えになります。エミーリオ様、悔い改めて許しを求めなさい」
神は、だ。
あくまでも許すのは『神』だとティアナは繰り返した。聖女としては百点満点の説教である。
エミーリオが求めているのは魂の救済などではなく、現世での裁きだ。神も聖女も畏れず、現世利益を求めてきたエミーリオにとって、死は単なる終わりでしかなかった。死ねばそれまで。だからこそ栄華を極め、簡単に他人を踏みにじることができたのだ。エミーリオは神を信じていなかった。
エミーリオの父であるフルホネット公爵はまだ暴れていた。暴れながら、駆けつけた警備兵に連行されていった。
王太子になるとされていたアベル王子とその婚約者エミーリオの乱入。
予定外な聖女の祝福。
突然乱心したエミーリオの懺悔とフルホネット公爵逮捕劇。
まるでこうなることがわかっていたように落ち着き払った教皇と国王。
呆然と取り残される人々。
世界各地の教会が聖女の祈りではなく祝福が降り注いだことに湧く中、聖女がおわします国の大聖堂だけがあまりのことに静まり返っていた。