聖女、祝福する
大礼拝ともなるといつもの黒い修道服ではなく、聖女専用に仕立てられた絹の祭服を着ることになる。
基本的に白だが金糸銀糸の刺繍が施され、やけにゴージャスかつ重くて動きにくい。庶民感覚が抜けないティアナは見ただけで腰が引けてしまった。頭の中ではチャリンチャリンと金の音がしている。
「修道服って胃と財布にやさしいよね……」
「それ去年も言ってたぞ」
年に一度しか着ないので慣れることがないのもつらいところだ。おまけにティアナは成長期、毎年新しく仕立てられている。
マティアスがティアナのそばにいるのは、そんな貧乏性聖女の緊張をほぐせと教皇に頼まれたからだ。
「ティアナ様は普段修道服で過ごされるので、聖女の経費は余りまくっているのですよ? それに、ほとんどは枢機卿の皆様が出資しておられます。一年に一度の晴れのお衣裳なのですからお気になさらず」
歴代聖女の中にはドレスや宝石に目が眩み贅沢を望む者もいたのだ。貴族の出なら今までの生活水準を当然と思うし、ティアナは本当に清貧だった。あまりにつつましい暮らしぶりに、聖女は虐待されているのではとあらぬクレームが来るくらいである。
「だって修道服って楽なのよ。丈夫で汚れも目立たないし」
「修道服を作業服扱いするな」
ティアナの主張にアンヌはただ微笑み、マティアスはため息を吐いた。
「ぐずぐず言ってないで腹決めて綺麗にしてもらえ。誰が何と言おうとお前は聖女だ。聖女を信じてるやつのためにもしゃんとしろ」
「わかったわよ……」
ようやく着る気になったところでマティアスは退室しようとした。
「マティアス」
ティアナは不安に揺れる瞳でマティアスを見つめていた。
王都に帰ってから聖女に逆風が吹いているのをティアナは肌で感じている。
「マティアスも、聖女を信じる一人だよね?」
この時、マティアスの胸に湧き上がったのは、明確な怒りだった。
マティアスの大切な、惚れた女を、誰かの無造作な手が傷つけたのだ。これに怒らないようなやつは男ではない。
「バーカ。俺が信じてるのはティアナだ。聖女なんて後付けなんかいらねえ、ティアナだから、俺は信じる」
マティアスは笑って言いきった。
「笑ってろよ。ティア、笑ってりゃお前は国一番の美人だ」
「なによ、それ」
たまらず、ティアナは笑った。
笑いながら、目尻に溜まった涙を振り払う。
マティアスが信じてくれるのなら、きっと大丈夫だ。そう信じることができた。
大礼拝はまず国王が新年の祝辞を述べ、教皇が神に感謝を捧げる。それから集まった人々が祈りを捧げるのだ。
聖女の出番はその後。この国だけではなく世界中に聖なる力を届ける儀式を行う。
教皇の隣に控える聖女に、例年とは違う視線が向けられていた。すでに王都中に聖女の悪評と、それをかばったエミーリオの噂は広がっている。吟遊詩人が歌にして領民を救い聖女を許した可憐な姫君の物語を酒場で奏でているほどだ。
さすがに大礼拝で聖女をあしざまにいうものはいなかった。それでも万が一を考慮して聖女騎士団は例年より多い騎士を大聖堂に配置していた。彼らもティアナと同じくキラキラしい鎧に身を包み、聖女の威厳を示すように剣を捧げ持っている。神官たちも正装で儀式に臨んでいた。
そして枢機卿たちも、今年はそれぞれの任地ではなく王都に集結し、鋭い眼光を飛ばしていた。
一種緊張した空気の中、ティアナが前に進み出た。
「これよりすべての人々に、主の愛を与えます」
今まさに聖女が聖なる光を放とうとしたその時、アベルと彼にエスコートされたエミーリオが進み出た。
何も聞かされていなかった者たちは戸惑ったが、国王は止めるどころかにこにこと二人にうなずいた。
「聖女よ。私、アベル・ネアンドロ・カウザージはフルホネット公爵令嬢エミーリオとの婚約が決まった」
それがどうした。
緊張がクライマックスのところで横槍を入れられたティアナは、ただ二人の闖入者を見つめた。
教皇の眉が寄る。
儀式を邪魔しただけではなく、あの二人は聖女の前で膝をつこうともしない。無礼極まりない二人に怒りが募って行った。
「ついては私たちの婚約と将来を祝っていただきたい」
「ティアナ様、お願いしますわ」
エミーリオが勝利の笑みを浮かべた。
これが目的か。
教皇はエミーリオとフルホネット公爵の目的をようやく悟り、ぞっとした。
この国どころか世界中の人々が待ち望む聖なる儀式を利用して、二人の前途を聖女に祝福させる。世界中の人々が、喜んで二人を迎え入れるだろう。
それと同時に偽聖女疑惑をかけられたティアナを被害に遭ったフルホネットの姫が真実聖女だと証明する。これ以上ない演出だ。
断れない。教皇は瞬時にそう判断し臍を噛んだ。
ここで断れば慶事に水を差す聖女とティアナの疑惑が確定してしまう。国王はおろか、貴族にも根回しは済んでいるのだろう。
教皇がちらりと国王を見ると、口元だけは笑みを浮かべ、瞳には残酷な色が滲んでいた。国王は覚悟を決めたようだ。
「聖女様、どうぞ『祝福』を」
え、いいの?
ティアナは目で教皇に問いかけた。『祝福』は特別な者にしか与えない聖なる御業だ。
滅多に使ってはならないし、教皇が許可を与えた時のみ使用できる、聖女の最終兵器。必殺技だと聞いている。
教皇は微笑んでうなずいた。
「――全知全能の王にして我らが生命を生みし者。いと慈悲深き聖なる光よ」
教皇と国王が賛成するならやるしかない。ティアナはアベルとエミーリオに手をかざした。
「闇に染まりし哀れなる魂をその清らかな御手で慰撫し、今こそ正しき道へと歩ませたまえ」
ティアナの体が聖なる光に包まれる。かざした手の平に光が流れていった。
エミーリオが目を見開いた。本能的な畏れに硬直している。逃げなくてはと思うものの足は動かず、目を逸らすこともできなかった。
「光を我が手に。子に祝福を。汝の魂は善なり」
祝福の光がアベルとエミーリオを洪水のように飲み込んだ。