聖女、絶交される
新年が間近に迫った年の瀬、ようやくティアナが王都に帰ってきた。もう雪がちらついて、歩いているだけで鼻先が赤くなる季節だ。
新年の大礼拝では聖女による聖なる力を世界各地の教会に届ける儀式が行われる。呼び戻す名目はきちんとあった。
「おかえり、ティア」
「風邪ひかなかった?」
教皇と枢機卿の出迎えを受けた後は、家族との団欒だ。
マティアスとアンヌも一度家族に顔を見せると帰っている。マティアスは料理人たちに気に入られ、すっかり聖女騎士団の一員になっていた。アンヌは除籍したとはいえ家族から手紙が届いている。新年くらいはと思ったのだろう。
「今回は大変だったんですってね?」
遠征中のことを話すティアナに、いつもなら笑って聞いてくれる両親は複雑そうな曖昧な笑みを浮かべている。
「どうしたの?」
父と母は顔を見合わせ、思い切ったように母が身を乗り出した。
「その、カイン様という騎士様とはどういう関係なの?」
「カイン様?」
質問の意図が摑めず、ティアナはきょとんとなった。
「どういう関係もなにも、目の保養要員よ。見た目良いとこの坊ちゃんだし、苦労しているわりに世間知らずで悪い女に騙されないか心配ではある」
貧乏だといっていたわりにティアナがあちこち連れ回して買い食いしても、気前よく奢ってくれた。
フルホネット家と教会から支度金を貰っているとしても、借金で苦労したのなら諫めるべきだろう。
さんざん奢られたティアナが言えた義理ではないが、心配だった。両親は額を押さえた。
「そ、そう……。何かあやまちがあったわけではないのね?」
「ないない! 騎士様に恥をかかせちゃ悪いと思って出してもらったけど、領収書あるもの。聖女の交際費で落ちないならきちんと半分払うわよ」
聖女になってからティアナの個人資産は順調に溜まっている。
女の一番良い時を神の妻として捧げるのだから、給料もらって当然だとティアナは思っていた。個人的な贈り物も目録と共に教会に預けてある。
そんなティアナの目から見てカインは「ない」と判断されていた。どんなに顔が良くても中身が薄っぺらではせいぜい観賞用だ。むしろ騎士ではなく、社交界に出てどこかの有閑マダムでも捕まえたほうが良かったんじゃないかとすら思っている。まったく余計なお世話だ。
容赦がないが、率直な意見である。
ティアナは自分が聖女でなければ端にもひっかけられない村娘だと自覚している。
どこかの素敵な青年、できれば小金持ち、美形ならなお良しという贅沢なことを願っていても、肝心なのは中身だ。ハートだ。
聖女ではないティアナを好きになってくれる人。そんな相手を探している。
そうでないとマティアスに縋ってしまいそうだからだ。それは、駄目だ。マティアスには幸せになってもらいたかった。
待っていて、と言うのは簡単でも、それがどれほど酷であるかもわかっている。
ぎゅう、と痛む胸を無視してティアナは笑った。
「それならいいけど……」
「ティアナ、しばらく家に帰ってこないか? 学園も休みに入るんだろう」
ホッとした母にかぶせるように父が言った。
「それは駄目よ。遠征中の課題を提出しなくちゃだし、補講があるもの」
ティアナはマティアスのことを考えていた。だから、両親の気づかわしげな様子に気づかなかったのだ。
なぜ父があんなことを言いだしたのかわかったのは、学園に行ってからだった。新年休みの前の最後の登校日だった。
以前ならティアナを見れば寄ってきていた令嬢たちが、遠巻きにひそひそしている。
お嬢様に合わせなくてすむぶん楽だが、この変化にはさすがに能天気なティアナも戸惑った。
「ティアナ様!」
誰が言うでもなくティアナにかまうなという空気の中、果敢にもティアナを呼んだのは伯爵令嬢のマチルダだった。ティアナは素早く猫をかぶる。
「マチルダ様、ごきげんよう」
「お聞きしたいことがありますの」
マチルダは令嬢らしからぬ、挨拶もすっとばして聞いてきた。
あれほどティアナを慕っていたマチルダが、親の仇でも見るように睨みつけている。周囲の生徒たちも立ち止まり、遠巻きに二人を眺めていた。
「なんでしょう?」
「フルホネットの人々を見捨てたというのは本当でしょうか?」
ぎゅっと拳を握るマチルダは、どんな答えでも納得しないだろう。見捨てていないと言っても、それならなぜ王都に帰ってきたと返されるはずだ。
「見捨てるというか、いらないと言われたので帰ってきたまでですわ」
ティアナは事実のみを簡潔に述べた。
ティアナを偽者呼ばわりし、浄化に戻ってきたティアナに石を投げた村人を、笑って許せるほど彼女は大人ではない。
むしろ神の妻に石を投げた村人を騎士団が逮捕しなかっただけありがたいと思うべきだ。
「そ、それだけではありませんっ。見目の良い騎士を侍らせて遊んでいたとか!?」
「カイン様ですか? それなら思い出づくりに一役買っていただきました」
「おっ、思い出づくり!?」
「はい。……一生の思い出ですわ」
ティアナは「あんないい男にちやほやされるなんてもうないだろ」くらいの言葉だったのだが、令嬢教育の一環でそういうことも含まれていたマチルダはカインと同じくそっち方面に妄想を膨らませた。
「ふっ、不潔ですわ! 聖女様がそんなふしだらなお方だったなんて、幻滅です!」
「ふしだらってそんな大げさな」
観光地で買い食いデートしただけでふしだらと言っていては、貴族社会はどうなるのだ。不倫、パトロン、愛人とふしだらのオンパレードだ。
呆れるティアナに、顔を真っ赤にしたマチルダが絶交を言い渡した。
「ティアナ様、わたくしは、わたくしだけでも信じて差し上げようと思っておりました。ですが、あなたには失望しましたわ。これ以降、わたくしに話しかけないでくださいませ!」
「え……」
ごめんあそばせ、と言ってマチルダはぽかんとするティアナを置いて立ち去った。
人の噂とは恐ろしい。ティアナがフルホネットを見捨てて美形の騎士を連れ回して豪遊、の噂は事実として学園では知らぬ者のない話になっていた。
エミーリオによる聖女ネガティブキャンペーンの結果だ。
フルホネットの村人が少し聖女を悪く言った程度で浄化を拒否された。おまけに聖女はこちらが好意で貸した騎士に言い寄り、街で遊んでいる。エミーリオの涙の訴えは世間知らずの令息、令嬢たちの胸をおおいに打った。
マチルダたちティアナの友人は反論したのだ。ティアナのような素直な娘がそんなことをするはずがない。何かの間違いだ、と。
しかしそれなら裏を取ってみろともっともなことを言われ、調べてみると、エミーリオの言葉通りの報告が届いた。
マチルダたちの純粋さを突いた作戦だった。もっと深く、なぜ一度浄化した村に瘴気が発生しているのか、身分を隠して行ったはずの都市部での行動が筒抜けになっているのか、教会がなぜ沈黙してるのかを深く考えてみるべきだった。
だが、マチルダたちは「誰かが悪意を持って聖女を貶めようとしている」という発想がなかった。聖女は誰からも愛され人々を救う至高の存在だと信じている。
神聖視するのが悪いとまではいかないが、ティアナも一人の人間であり、同年代の少女である、という事実が頭から抜けていた。
よって、ティアナに失望する者が学園で続出、最後まで踏みとどまっていたマチルダも、そんな噂など露ほども知らないティアナののん気な返事に失望し、去って行った。
高位貴族の令嬢と生徒全員が悪感情を抱けば当然親にも伝播する。ティアナを庇護していた貴族たちが続々離れ、それはやがて公平であるべき学園の先生方にも影響した。
「冬休みの補講は中止になりました」
学園の箔付けどころか傷にしかならないティアナに、学園長は冷たく言い放った。
「え?」
「出席日数の足りない生徒は君だけです。我が校には追試の必要な生徒はいませんからね。君一人のために、先生方に休みを返上してもらうわけにはいきません」
暗に退学をほのめかす学園長。ティアナには渡りに船だった。
学校に行きたいと言ったのはティアナだが、警護の関係でこの学園に決めたのは国と教会である。ティアナはもっと普通の、父が教師をしているような学校が良かったのだ。
女友達と放課後におしゃべりしたり、お小遣いを持って街に遊びに出かけたり、村でフィオとリリーといった幼馴染とやっていたことをやりたかった。
望んでいたのはいつだって、特別ではない普通の女の子の生活だった。