第6話 江戸の火消し~時空を超えた修学旅行①
まだ、梅雨に入らぬ6月、初夏の日差しが爽やかな晴天。
「……で、修学旅行に、はるばる東京まで来て、何で消防博物館?」
私、石井美夏。
クラスでは、1・2を争う可愛さと噂されている中学2年。
けれども、私は、四谷にある消防博物館の5Fで、グループリーダーの村田に、盛大に顔をしかめていた。
私たちの中学は、毎年、2年生は6月に、3泊4日の修学旅行に出かける。
今年の行き先は、”関東方面”だ。その中の1日は、同クラスのグループ毎の活動になっていて ― 村田、私、ゆうちゃん、笹原隆太 ― の4人で、好きな(主に女子希望の)場所へ行けるはずだったのに……。
村田の奴、リーダー権限を利用して、私たちの見学コースを知らぬうちに決めてしまっていたのだ。担任に提出後の訂正はもう認められなくて……。
風貌も行動もぱっとしない村田なら、私とゆうちゃんの女子パワーで上手く操れると思っていたのが、間違いの元だった。
「嫌がる俺を、リーダーにしたのは、石井たちだろっ。それに、ここの消防博物館は、”消防の歴史”から防災の心得まで、幅広く学べる場所だ。これほど、修学旅行の意義を踏まえた見学先が他にありえようか」
「それ、完全に、”ちょっと外れた歴史オタク”のあんたの趣味でしょっ。私は、他のグループみたいに、スポーツ観戦とかVR体験がしたかったのに」
「はあ? 遊びなら、昨日、全体活動でディズニーランドに行っただろ」
「あんなのっ、ぜーんぜん、時間が足りなかったもん! いっそのこと、今日もディズニーに行きたかったくらい。ねえっ、笹原もそう思うでしょ。ピータパンとかスプラッシュマウンテンとか、楽しかったよねぇ」
私は、隣にいた笹原 隆太に助けを求めた。けど、こいつって、顔はいいけど、性格は超変人。学校には来たり来なかったり、姿を見せたかと思ったら、次の瞬間にはもういなくて……
彼曰く、『好きなのは学校給食、嫌いなのは学校活動』なんだって。ってことは、修学旅行なんてもんは、嫌いの部類に入るらしく……
だから、こいつには、ほとんど期待していなかったが。
案の定、笹原の答えは、
「別に」
ああっ、たまには、私の味方になってよ。
「……籠で空を飛んだり、映像の山を下っても、俺は、面白いとは……」
「分かった、分かったから、もう黙っててぇ」
この乙女心を全く解さない”残念なイケメン野郎”に、普通の感覚を求めた私が悪かった。
「にしたって……もうちょっと、賑やかな場所はなかったの。このフロア、私たち以外、誰もいないじゃない。ねえっ、ゆうちゃん」
ところが、最後の期待を込めて声をかけた、”親友の”ゆうちゃんは”消防の夜明け”コーナーに設置された虫眼鏡を手に、江戸時代の市中のジオラマに夢中なのだった。
「美夏ちゃん、見て見てっ! この江戸の町の模型っ。良くできてるわよ~」
確かに、消防博物館のジオラマはすごく良く出来ていた。
瓦葺の家々が立ち並ぶ江戸時代の商店や宿屋、人々の住居。
住居の脇には洗濯物や、軒下には犬。賑やかに、大通りを行き交う町の人たち。
それらは、虫眼鏡でしかよく見えないほど小さいが、生き生きとして、江戸時代の息遣いや声が今にも聞こえてきそうだった。
何かに夢中になりだすと、ゆうちゃんは、私の言うことなんて、聞きやしない。それに、最近は、あのぱっとしない村田と、どういうわけか、仲が良いのも癪に障る。
それにしても、この私と、ゆうちゃんのグループメンバーが村田と笹原とは。
あーあと、ため息をついた時、ゆっくりと場内の照明が暗くなっていった。
”これから、ジオラマコーナーにて、”消防の夜明け、江戸の火消”の上映を行います。粋でいなせな町火消したちの、活躍ぶりをどうぞご覧下さい”
そんなアナウンスが終わった瞬間に、遠くから乾いたような半鐘の音が聞こえてきた。
火事だ、火事でぃ!
♪芝で生まれて 神田で育ち
今じゃ 火消しの纏持ち ♪
リズミカルな歌とともに、江戸の町のジオラマが、スポットライトで明るく照らし出された。
舞台の中心にいるのは、
十番組 り組の纏をがっしと担ぎ、背中に”り”のロゴが入った法被を羽織った火消の青年。
今にも動いて走り出しそうなその人形に、私の目は釘付けになってしまっていた。
”あの火消さん、かっこいい!”
テンション高めの私の耳に、火事を知らせる半鐘の鐘が鳴り響く。
宿場町の一角に、火元を示した赤の照明が煌々と輝いている。
辺りで一番高い屋根の上で、いなせなポーズをキメる町火消の青年。
♪芝で生まれて 神田で育ち
今じゃ 火消しの纏持ち ♪
彼が持つ纏の天辺で、白いドーナツ型の飾りがくるくると廻り、幾つもの馬簾が風に棚引いている。その恰好が、また粋で女子中学生の”女心”をくすぐるのだ。
「へえ、ああいう”男気溢れた”のが、石井の好み?」
いつの間にか、にやにや笑いを浮かべた村田が、私の隣に来ていた。その横では、笹原がきょとんと目を瞬かせて、ジオラマをのぞき込んでいる。
「好みも何も…… 馬っ鹿じゃないの。あんなちっちゃい人形なのに」
でも……ああいうの……わりと好みかも。
ジオラマイベントを説明する活舌の良いナレーションまでが、江戸っ子風のいい声だ。
”『火事と喧嘩は江戸の華』と申しますが、 当時、江戸で起きた火事は約1800件。その対策として、8代将軍吉宗の享保の改革で、町火消が制度化され、南町奉行の大岡越前守忠相が、隅田川の西のいくつかの町を「組」として地域割りをして名をつけ、「いろは48組」と「本所・深川 16組」を設けたとされます”
”ちょっと外れた歴史オタク”の村田までが、調子にのって解説を付け加え始めた。
「”石井の心の恋人”は、”十番組、り組”の町火消だ。消火の担当地域”は、今の”浅草”辺りかな。天辺に、”り組”のシンボルのついた纏を持ってるから、俺にはすぐに分かるぞー!」
「纏? それって、あの火消さんが持ってる棒のこと?」
「そう! 纏っていうのは、各組のシンボルで、ああみえても、とても重い。だから、”纏持ち”っていうのは、腕力もあり、真っ先に現場に駆け付ける素早さ、ここ一番では、危険を顧みぬ度胸のよさを持ち合わした町火消の花形なのだ!」
「へえ、町火消の花形かぁ……素敵!」
……と、その時、
「ふぅん……俺、あの人形より、こっちの街の方が気になるんだけどなぁ」
ジオラマを見つめていた笹原が、火事現場の隣の街を指さして言った。なぜなら、江戸の市中のジオラマの中で、その地域だけが他から浮いていた。たった一つの門がある以外は、周りを堀で囲まれて他から隔離されていたからだ。
「おお、さすがは”男気溢れる”笹原隆太! そこは、江戸男子の”ユートピア”、吉原遊郭だ! 出入口が、吉原大門一つなのも、周りを堀で囲まれているのも、中にいる遊女たちが外に逃げないようにするためだ」
「は? ユートピアって、どういう意味だ?」
「えっと、”修学旅行中の中二”の俺の口からは言えんわ。……で、話を戻すと、吉原遊郭は独自の火消組織を持ってたんで、町火消は吉原内の火災には手を貸せなかった。それもあってか、吉原はけっこうな頻度で火事で焼け落ちてんだぞ。明歴の大火から幕末までの210年間に、実に、吉原は23回も全焼している!」
「へえ」
すると、ゆうちゃんが、ここぞとばかりに、話を蒸し返して来た。
「何々っ? 遊郭っ……って、時代劇とかに出てくる花魁がいる場所? 笹原が興味津々なのっ? うわぁ、ムッツリ何とかだったりしてって」
そのツッコミが妙にムカつく。
「ゆうちゃん、笹原は別に……。あれっ? あいつ、どこへ行ったの?」
突然、姿を消してしまったクラスメート。すると、村田が屋外へ出る扉を指さして言った。
「隆太なら、屋外展示の防災ヘリを見に外へ出て行ったぞ」
あいつ、ジオラマには、もう飽きたの? ゆうちゃんといい、笹原といい、私の修学旅行のグループメンバーは、一箇所をじっくりと見学する気がないようで、同じ場所に5分といたためしがない。
「もうっ、あいつったら。私も外を見てくる!」
あんな変人なのに、笹原の姿が見えないと、なぜだか、気持ちが落ち着かない。
外を出てゆく私の後ろで、再び”江戸の火消”のアナウンスが始まった。
”火事でぃ、火事でぃ!”
火事を知らせる半鐘の音が、ジオラマの江戸の町に繰り返し鳴り響いていた。
* *
「わぁ、眩しい」
薄暗かった5階の展示室から出ると、外は快晴で、空には雲一つない青色が広がっていた。
そこは、中古になって役目を終えた防災用のヘリコプターが展示してある屋外展示場で、”東京消防庁”の文字が機体に入ったヘリの赤い色が、空の青に映え、プロペラに反射する陽光が銀色に輝いていた。
「笹原っ、そこで何してんの? そのヘリって試乗していいのは、小学生までじゃなかったの?!」
防災ヘリの運転席から、顔を覗かせた笹原を見て、私は呆れかえってしまった。
こいつは、顔は端正でいかにも賢そうに見えるが、精神年齢は小学生と変わらないなと。
笹原は、爽やかな初夏の風みたいに微笑んで、空を見上げている。私が、もう一度、名を呼ぶと、彼はさらさらした前髪から透けて見える瞳を、悪戯っぽく、こちらに向けてきた。
「だって、このヘリだったら、飛べるぞって、風が囁くから」
あの街が、俺を呼んでるから
その瞬間だった。強い風が私の足元を吹き抜け、笹原が乗った防災ヘリのプロペラが勢いよく回転し始めたのだ。
動くはずのないヘリコプター。その鉄の機体が命を吹き込まれたように、空にふわりと舞い上がった。
「ええっ?!」
思わず目を疑ってしまった私。すると、ヘリの中の笹原がこちらに向かって、手を差し出してきたのだ。
風が吹いている。その場に立つこともできないほど、有無を言わさぬ力で強く。
「待って! 私を置いてゆかないで!」
私は、知らず知らずのうちに、彼の手を握り締めてしまっていた。