表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/16

第4話 ~秋~

 高度7,700m、第8キャンプ、北壁ルート。

 最悪の吹雪と嵐、地球上に14座しかない8000m級の山の一つ、世界第二の高峰、K2。

 その頂上アタックを目前にして、方角を失い、視界をなくす。

 

 手の中にまだ残っている走っていったザイルの感触。谷底に落ちていったパートナー。

 

 若手登山家のホープとして名を馳せてきた俺 “山下 慶一”の強運もついに尽きる時がきたのか。

 急な氷壁の斜面に一人取り残され、途方にくれる。


  “山で死ぬなら本望”


 それは、頂上を極めた人間の言う言葉だ。


 俺は、まだ、見ていないんだ。

 超然たる聖域、K2の頂を。


* * *


 東北、神室山。高度1,365m。


「おい、隆太はどこへ行った」


 笹原ささはら隆太りゅうたの親友(自称)― 村田は、半ばあきらめ気分で辺りを見まわした。


 青い空、白い雲。


 奴が、“秋山登山”に参加した事でさえ奇跡に近い。ましてや、こんな気持ちのいい日に、まともに学校活動をやるわけないよ。


「隆太あ〜! 焼き芋できたぞ。だから、出てこいよお〜!」


 中2の俺たちの、テーマは“自然に溶け込もう”


 山頂での“焼き芋”作りと“自然に溶け込もう”がどう繋がるのか、さっぱり、わからなかったが、笹原 隆太が登山に参加した理由があるとしたら、“それ”としか考えられなかった。


 奴の好きな物は、学校給食。嫌いな物は学校活動。


 “焼き芋”も学校給食なのか。


 疑問はあったが、隆太を呼び寄せるくらいの効果はあるはずだ。


「また、行方不明? 笹原って協調性ゼロ。同じ班になった私らの苦労も知らないで」

 クラスメートの石井 美夏が、膨れっ面をして言った。


「あいつって学校をなめてるんじゃないの」

 と、その友人のゆうちゃん。


「……せっかく、うまそうな焼き芋ができたのになあ」


「村田は、あいつに甘すぎるよ」

 と、怒りながらも三人は、隆太が戻って来てはいないかと、きょろきょろと辺りを見渡した。どーでも、いい奴なのに、何故かそばにいる方がいい。


 村田が、仕方ないなと、焚き火から取り出した焼き芋のアルミホイルに手をかけた、その時だった。


「おっ、いい匂い!」

 手に栗の実をいっぱいに抱えた、笹原 隆太が現れた。


「隆太、お前、どこに行ってた?」


 聞いても無駄な質問。


「ちょっと、栗拾い。これもパチッと焼いてもらおうと思って」


 爽やかに微笑んで、ばらばらと栗の実を、焚き火の中へ放りこむ。

 パチッ、パチッと弾ける音

 だが、突然

 パーンッっと、強く弾けたいがが笹原を直撃した。


「あっ」

 やばっ、俺、飛ばされるっ



* * *


 K2。吹雪はまだ、静まる気配も見せない。


「とりあえず、テントの入口から雪が舞いこむのだけは阻止しなければ」


 風がテントを引き裂いたら、もうどうしようもない!


 若手登山家、山下慶一は、冷たささえ感じなくなった手で、懸命にテントを押さえこんだ。

 テントを押さえるペグが、吹き飛ばされた時、山下は狂おしげにその方向を見た……が、


「……お前……誰だ?」

「俺?」


 ジャージ姿の少年が、テントの隅にちょこんと座り込んでいる。


「笹原 隆太。中学2年」


 少年は、照れたような笑いを浮べ、そう言った。


*  *


 ……この世界最高所に、中学生?!


 山下は、妄想を吹き飛ばすかのように、2、3度、頭を横に振った。


「ここ寒いなー。おっさん、ここで何してんの」

 笹原 隆太は、屈託なく笑う。


「何してんのって、それは、こっちが言いたい台詞だ。ここは、世界第二の高峰、K2だぞ」


「えっ、K2ってエベレストの次に高い山の? やばっ。そんな所まで飛ばされてたのか」

 まいったなと、隆太はテントの端をめくり、外の景色を覗き込もうとした。


「や、やめろっ! テントをめくるなっ!」


 ところが、

 吹雪は嘘のように静まり、西から回り込んできた太陽が山の雪肌を、オレンジ色に染め上げていた。


 K2の夕暮れ。羽衣のような薄い雲が、長くたなびいている。


「すごい、すごい! こんな絶景、初めて見た」


  一瞬、はしゃぐ少年が姿が山の景色と重なりあった。稜線の向こうに沈んでゆく太陽にとり込まれるかのように。


  山下は慌てて隆太の首ねっこを引っつかんだ。


「さっさと、中に入れ! お前、そんな格好で外にいたら、凍傷になって手足の指を全部なくすぞ!」


*  *


「馬鹿げてる。まったく、信じられない……ジャージでK2に登頂? 学校の遠足じゃないんだぞ」

 山下は自分のリュックからヤッケを引き出し、それでも着てろ! と、隆太に放り投げた。


「あ、俺、今日は遠足だよ。秋山登山。“テーマは自然に溶け込もう”」


「……」


「せっかく、村田が“焼き芋”作ってくれたのに、食べそこねたなあ。ちぇ、思い出すと、腹がへってきた。おっさん、何か食うもんない?」


「おっさんは、やめろ! 俺には山下 慶一って名前があるんだ。あいにく、食料はほとんど、雪崩で流されてしまった。リュックを探れば、非常食の残りくらいはあるかもしれないが……」


 えっ、困ったなあ。と隆太は自分のポケットをごそごそと探りだす。


 栗の実、ブナの葉、鉄釘、そして、ぴょこんと飛び出したアオガエル。


「お前のポケットは、地球の裏にでもつながってんのか!」


 どこの登山家が、高度7700mでアオカエルを見るんだ? あきれ返る山下を気にもせず、隆太はうれしげに笑った。


「あった、あった。おやつにとっておいたチョコレート。えーっと、俺と、おっさん……山下だっけ、それと……」

 少し、俯いて隆太が言った。


「あんた、一人?」

「今……はな」

「今はって?」


「俺のパートナーは、北壁の割れ目の深い谷底に……落ちていった」



 山では弱気になることは、禁忌だ。くじけた心では、気が遠くなるような雪渓を乗り越える事はできない。


「まだ、日があるうちに、このテントの周囲を見にいってくる。うまくルートが見つかれば明日は下のキャンプ地におりれるかもしれない」

 山下はわざと明るい声で言った。そして、お前はここを絶対に動くなと、言い残すと、外へ出て行った。


「あ〜あ、ここ、退屈だよな……」


 隆太は、少し頬を膨らませると、ごろんとテントに横になる。

 さわさわと外の雪がきしむ音

 

 あのおっさん、このままだと、死ぬな……


* * *


「まいったな、ここまで積雪があるとは……」


 山下は口を真一文字にくいしばった。

 膝上まですっぽり、雪に埋もり身動きがとれない。山の上部ではまた、風が激しく舞いだした。

 耳元をびゅうと、風が通り過ぎた時、


 パキッ


 氷の裂ける音がした。


「しまった! クレバス(氷の裂け目)に……」


 驚く間もなく、山下は積雪で隠されていた落とし穴に

引きずり込まれていった。 

 真っ暗な奈落に落ちて行く。だが、突然、開けた明るい景色に目をみはる。


「ここは……?」


 青い空、白い雲。


 がさごそと、手を伝わってくる落ち葉の感触。


 “俺、今日は遠足だよ。秋山登山”


 隆太の言葉が頭をよぎる。

 山下は思わず笑みを浮べた。差し迫った現実から、一瞬、目をそらしたい衝動にかられたのだ。だが、


「馬鹿な! K2の雪と氷と風は幻なんかじゃない。俺を騙すのはやめろっ!」


*  *

 

 再び吹雪に閉ざされた雪稜で、山下は天を仰いだ。

 

 “ちぇっ、何でもどってきちまうんだよ”


 風がその足元の雪をふわりと舞い上げた。

 


 一面の白い世界が強風にさらされ、激しく揺れうごいている。


 もう、無理だ。これでは一歩も動けない。


 山下は、何かを諦めたかのように、その場に膝から崩れおちた。だが、岩とは違う硬い感触を手元に感じ、はっと、そちらに目をむける。


 これは、あいつのピッケル……?


 谷に落ちていったパートナーの。

 

 その時、一瞬、途切れた雪の間から、頂上付近が垣間見えた。


  K2の聖なる頂……何故、お前は俺たちを拒むんだ!


 再び視界は閉ざされ、日は暮れて、闇までが近づいてくる。

 俺は、ここで死ぬのか……雪に埋もれて、たった一人で……。



  “一人じゃない……んだよなあ”


  頭上から突然響いてきた声。信じられないくらいK2に不釣合いなジャージ姿の少年


 笹原 隆太……


「お前、何でそこにいるっ、ついて来るなと言ったのに!」

「だって、秋山登山に誘ったって、来やしない。だから、教えてやろうと思って」

「何っ?」


「雪崩が来るんだよ」


 音もなく波のような雪が流れてきた。

 そして、隆太は鮮やかに笑った。


 “山が人を拒むものか。山はそこに居るだけだ”


*  *


「隆太、遊んでないで早くやれよ。終わってないのは、俺たちの班だけなんだぞ」


 またまた、うるさい村田がやってきた。

 学校のHRの時間。今日の課題は、秋山遠足のレポートをパソコンでまとめる作業。


「ちょっと待てよ。今、クックポット見てるんだ」


「はあ? お前、ネットでも食い物サイト見てるんか。そんなのは休み時間に見ろよ。時間がないんだから、さっさと、画面もどせ」


 隆太からマウスを、奪い取った村田は、あれ? とパソコンのトップニュースに目をやった。


「先日、世界第二の高峰K2(8,611m)の北壁で雪崩が起き、登山中の日本山岳隊隊員、佐伯 数馬、山下 慶一が巻き込まれた模様。両名とも死亡を確認……ま、死んでも、仕方ないわな。そんな高い山に登るんじゃ」


 その時、教頭に付き添われ、教室に見知らぬ男が入ってきた。


「今日から来てもらった、産休の担任の代わりで、地理も教えてくれる先生を紹介するからみんな、着席」


 えっ!

 何っ!


 互いに顔を見交わす、隆太とその男。

「何でお前がここにいるんだっ!」


 笹原 隆太!


 やっぱり、ついて来たんだな。でも……この展開は以外だったなあ。


 隆太は照れたような笑いを浮べた。


 おっさん、名前は……山下 慶一


*  *


 HRが終わった後の廊下。隆太を山下がとっ捕まえる。


「こらっ、待てっ、 俺にきちんと説明しろ」

「何だよ。もう、帰るんだから邪魔するな」

「帰るな! まだ、2時間目が終わったところだ」

「あんたなんか、知らない」

「しらばっくれるな!」


 あの雪崩の後

 何で俺は神室山(東北の)にいたんだ。

 お前は何故、K2に現われた。

 そして、


 何で俺は生きてるんだ?


 “時の間を飛び越えてしまったんだよ”


 え? 山下の頭に響いてきた声


「あの後、この学校の知合いに頼みこんで、先生の職を世話してもらったんだ。登山家の山下 慶一の名は伏せて。その説明も四苦八苦だ。考えてもみろよ。K2で死んだはずの男が、3日もしないうちに日本にいるなんておかしすぎる」

 まくしたてるように山下は言った。


「ほとぼりが冷めたら、俺は、またK2に登る。あの山で別れたパートナーの事が心残りでならないんだ」


 しらばっくれてるのも、面倒になってきた。ふうと一つ息を吐くと、隆太は笑った。


「おっさん、また、死ぬぞ」

「死ぬものか。K2の頂を俺はまだ、見ていない」


 ふうん。なら、勝手にすればいいや。


「俺、帰るから。今日の給食は、一番まずい酢豚チャーハンなんだ」


 廊下の窓からひゅうと秋風が飛びこんできた。舞いこんできた銀杏の葉がくるりと宙を舞った瞬間、目の前から突然、隆太がいなくなった。


「……あいつ、堂々と消えやがった」

 

 もう、驚く気にもなれない。山下は、苦い笑いを浮べると、次の教室へ歩き出した。


 はらはらと舞う銀杏の間を縫うように、風が通り過ぎてゆく。



 “山は人を拒まない。だから、人は山を目指すのか……”


 

  時の間をすり抜けて



        【 時の魔術師  〜秋〜 】








評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小説家になろう 勝手にランキング
この小説を気に入ってもらえたら、クリックお願いします
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ