表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/16

第6話 江戸の火消し~時空を超えた修学旅行③

 ”お稲荷様、お願いしんす! あちきを (くるわ)の外に出してくんなまし”


 吉原遊郭が燃えている。

 逃げ惑う遊女たちや、叫ぶ客の間をすり抜けて、吉原大門のすぐ傍の稲荷神社に這う這うの体で逃げてきた少女。

 祠の両脇の狛狐がじっと、こちらを見つめている。


少女といっても、髪は(まげ)の根を後ろに下げた島田髷(しまだまげ)。着物は、前で絞めた青帯に、赤い振袖打掛(ふりそでうちかけ)

 少女の名前は千早(ちはや)、15歳。9つの時に吉原に売られ、今は振袖新造(ふりそでしんぞう)と呼ばれる花魁(おいらん)の付き人で、17歳になれば花魁になる。

 その千早の着物の裾に、燃える置屋からの飛び火が燃え移った。


「助けてぇ!」


その時、強い北風がびゅうと空から吹き付けてきた。……と同時に、千早の足元の熱さが、すうっと地面に抜け落ちていった。

 華やかな打掛(うちかけ)の下半分がびっしょりと水に濡れている。そのとたん、体が震えてきた。火事の恐ろしさと、冬の寒さが同時に襲ってきたからだ。

 おそるおそる、前に見る。そこには、消火用の桶を持った眉目秀麗な青年が立っていた。


「ぬしは……どなたで、ありんすか」

 

 半分戸惑ったような、残り半分は物珍しそうな青年の顔つき。


「えっと、俺は、火消。十番組 ”り組”の(まとい)持ち」


 心の奥まで見透かしてしまいそうな瞳。千早は、思わず、火消の青年の半纏(はんてん)の腕にすがりついた。


「どうか、どうか、あちきを逃がしてくんなまし。今を逃すともう後がないのでありんすぇ」


*  *


 吉原の大半が炎上してから、二日が経った。

 吉原大門のほど近く、美夏にとってはバイト先?の鰻屋では、馴染みの客の二人が顔と顔を寄せ合って、ひそひそと語り合っていた。


「いくら”り組”の隆太の頼みっていったって、これは、相当、マズいんじゃないの。吉原からの足抜けはご法度。おまけに、千早(ちはや)って名でしたっけ。あの娘は、再来年には花魁(おいらん)になる超エリート遊女”振袖新造(ふりそでしんぞう)”ときたもんだ。もし、二人で逃げたって、追いかけられて、捕まって、女は拷問、男は間違いなく殺されるわ」


 白田屋の若旦那に、連れの侍が、形の良い眉をぴくりと上げる。


千早(ちはや)の着替えと、仮宿に我が家の離れを提供した俺もな」


「ちょっと、落ち着いてる場合じゃないでしょ」


「三日のうちに元の(くるわ)に戻れば、足抜けの罪には問われない。それも吉原の(ことわり)だ。火事の勢いで飛び出してきてしまったが、あの娘だって、逃げきれないのは分かっているさ。だから、あと一日は少しばかりの休日だ。明日になれば、千早は吉原大門の中に帰る」


 逃げる道が地獄なら  戻る道とてまた地獄 


「切ないね。どうにもならないの」


「ならないな」


 そんな”江戸っ子”たちの会話を、鰻飯を盆にのせた、バイトのお夏=美夏(みか)=”修学旅行中”の”令和の女子中学生”は、耳をダンボにして聞いていた。



*  *


 美夏は大急ぎで鰻屋を出ると、クラスメートと、クラスメートと共に居るであろう少女を探し始めた。寒いっ、東京は爽やかな6月だったのに……何で江戸は、冬なのよ。けれども、そんな理由を今、考えてる暇はない。なぜなら、

 鰻屋の二人組の話では、どうやら、隆太”と、町娘の衣装に衣替えした”千早”は、江戸市中で、デート中らしいからだ。


「超エリートの遊女かなんか知らないけど、笹原と逃げる……とか何とか。はぁっ? 二人とも年齢的には”中学生”でしょっ、冗談じゃないわ。そんなの許されると思ってんの!”」


千早(ちはや)は15歳。笹原隆太は自分と同じ14歳……江戸時代の遊女の若さにも驚くが、私たちは、こんなことをするために、修学旅行に来たわけじゃないのーっ。(村田は喜ぶかも……)


 そんな二人の姿を美夏が見つけたのは、吉原大門とは目と鼻の先。見返り柳と呼ばれる柳の木の下だった。


 吉原遊郭を見下ろす土手にある”見返り柳”。

 吉原からの遊び帰りの客が、一夜の享楽を懐かしみ、後ろ髪を引かれる思いで、この柳のあたりで遊郭を振り返ったということから、この名がついた。


 再来年には花魁(おいらん)になる千早(ちはや)にとっては、柳の向こうの大門の先は、未来永劫に振り返りたくない場所。


 ”逃げおうせるわけがない。だから、明日までに(くるわ)に戻らねばならない ”


 心は吹き付けてくる北風より、もっと凍り付いている。


 戻るも地獄 戻らねども地獄


 立ち止まって涙ぐんだ。……と、前を歩いていた半纏(はんてん)に股引き姿の青年が、くるりとこちらを振り返った。

 透き通るような視線が、胸の鼓動を波立たせる。青年はくすりと笑う。


「伊勢屋の団子っていうのが、美味(うま)いんだって。食ってみる?」


 その時、近くの店からからかうような声が響いてきた。


「”り組”の隆太! 隅におけないねぇ。えれえ、別嬪(べっぴん)さんと連れ立ってさ、今日は逢引きときたもんだ!」


 隆太は声をかけてきた店主に、”うるせぇ”とばかりに、後ろ手を振ると、千早の手を取り、そそくさとその場を離れてしまう。

 粉雪まじりの風は冷たかった。けれども、両脇にずらりと並んだ店々からは、煙が立ち上り、甘酒の香りがぷんと漂って通りは活気に満ちていた。何より、隆太に握られた手が温かだった。


 小さなお稲荷様が祀られた祠の傍で、千早は隆太の袖をとって傍に歩み寄る。


(りゅう)様は人望がありんすぇ。 先々は町火消の頭取(とうどり)になられるのでありんすか」


「町火消の頭取?」


「”り組”を率いる(おさ)のことでありんす」


「あ~、ないない。未来のことなんて、俺は考えても仕方ないから」


 そう、詮無(せんな)いことなんだ。

 俺の先には何もない。言葉も記憶も、おぼろげな感情も。

 未来は、巡る季節に押し流されて



 ― 時の彼方に(かえ)るだけだ ―



 一瞬、見せた隆太の(はかな)げな表情に、千早はまた、心魅せられる。同じ儚い未来なら、いっそ二人で行きたいと。

 千早は隆太の懐に身を寄せるとと、請うような声音で呟いた。


「隆様、考えても詮無(せんな)い未来なら、そこに、あちきを入れてもらえるわけにはゆきんせんか」


 寄り添う二人の男女を、粉雪を薄くかぶった祠のお稲荷様が、そっと見つめていた。

 そして、お稲荷様のすぐ後ろでも……

 

 身を隠し、頭に雪を積もらせた女子中学生が……()()()()()()見つめていた。


(りゅう)様って、ふ・ざ・け・ん・な! これ、14歳と15歳がしていい会話?! ダメでしょ。校則違反でしょ! 何が吉原は江戸男子のユートピアよ。笹原隆太は私の()()()()()()っ。令和の中学2年の男子なのっ」


 黙って放っておくと、この二人は手に手をとって、逃避行? こんな修学旅行はありえない!


 お夏こと、美夏は焦った。ここは、何としても()()笹原を止めないと!


 ”笹原隆太の好きなものは、学校給食。嫌いなものは学校活動”


 恋の逃避行が”学校活動”とは、到底思えないが、奴を誘うには”学校給食(たべもの)”を使うしか道はない。

 美夏は、近くの伊勢屋に駆け込むと、ありったけの焼けあがった団子を買い集め、


「そこの二人っ、さ、寒いでしょっ。団子、美味しいわよぉ。みんなで食べよっ!」


 出来うる限りの声を張り上げて、千早と隆太の間に割り込むと、熱々の団子串を差し出すのだった。



* *


「おおお、伊勢屋の団子はやっぱり美味い!」


「でしょっ」


 満面の笑みで、団子を頬張る笹原。そうそう、その調子。この表情が本来のこいつの姿なのよ。


 お稲荷様の祠の横に腰かけた、笹原、美夏、千早の3人。中央に陣取るのは、もちろん、美夏だ。

 ほっとした気分で、隣に座る男子の横顔を眺める。それに満足すると、反対側の隣で、白鳥(しらとり)が団子を(ついば)んでいるみたいな……お上品な少女が気になってきた。


 今は、お得意様のお侍さんの奥さんの着物を借りて、町娘の恰好をしてるけど、この()は時期、花魁候補。お化粧なんてしてなくても、肌は信じられないくらい色白で、色気もあるし、お江戸の雰囲気に満ちていて、すごく綺麗。笹原だって、成る様に任せてるし、 村田がここにいたら、きっと狂喜乱舞することだろう。


 とても、ムカつく。


 ……でも、年は15歳。私のたった1つ上だけなんだよね。

 そんな年で吉原で働かされて……それって、酷い。


 ああっ、でも、笹原は駄目っ。

 半ば、衝動的に手にした皿から、団子串を千早に差し出した美夏。


「あっ、あのね。これ、あげるっ。食べてっ」


「これは、お夏様のお団子ではござりんせんか」


「いいの、いいの。私のはまだ、こっちの皿あるから」


 微笑む千早、頬を赤らめた美夏。そして、飄々と美夏の皿の団子に手を伸ばす隆太。


 お稲荷様の祠の上の土手にある”見返り柳”が、そんな3人の姿を見下ろしている。

 その時だった。


「火事だ、火事だっ! 大通りの()()が燃えてるぞ!」


 火事を知らせる、けたたましい半鐘の音が響いてきた。町火消の詰所から、”り組”の(まとい)と旗、梯子をかついだ人足(にんそく)たちが駆けてくる。


「隆太、出番!」


「承知!」


 (まとい)を受取り、隆太が風のように町を駆けぬけてゆく。

 その後を美夏が追った。

 残された千早は、ただ、燃える空を眺めていた。


 行く道が、(はかな)い夢ならば、

 この世の全部が、今、燃えてしまえ

 何の未練も、ここには残すな


 そんな少女の呟きを、傍らの祠のお稲荷様が耳を澄ませて聞いていた。土手の上の”見返り柳”が、風に乗せて、空の彼方に吹き飛ばした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小説家になろう 勝手にランキング
この小説を気に入ってもらえたら、クリックお願いします
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ