第1話 ~冬~
私の教室におかしな男子がいる。それも、すぐ隣の席に。
見た目はそんなに悪くない。黙って座っていれば、俳優の妻夫木 聡に、ちょっと似てる。
笹原 隆太。
外は雪。こんな日には学校よりも、家のコタツでぬくぬくしていたい。
でも、今って授業中でしょ? 笹原は、何かを机から出して自分の膝に置いたかと思うと、それをメリッと開け出した。
え、サバ缶?
あっけにとられて、見つめていたら、
「食う?」
私の視線の中で、笹原はにこやかに微笑むのだ。
「い、いい……」
「あっ、そう。なら、いただきます」
悪びれもせず、サバ缶を食す。割りばしまで用意して。
こいつって、給食の時間にふらりと登校してきたり、二時間目にはもう姿がなかったり、もう、やりたい放題。
あんたのせいで、今の数学の問題、先生の解答解説が、ちっとも頭に入らなかったじゃないの。中二の成績だって内申に響くんだからね。
* *
「ねえねえ、美夏、今日やる? ターゲット決めた?」
二時間目が終わると同時に、友達のゆうちゃんが声をかけてきた。
「うーん、まだだけど……」
ちらりと見た隣の席。授業中はサバ缶に夢中で、休み時間は睡眠の様子。いったい、学校に何しにきてるんだろ。
「笹原 隆太にする」
私は、隣に聞こえないように声をひそめて言った。
「えっ、超変わり者だよ」
「いいの。おもしろそうじゃない」
“うそ告”って知ってる? 最近、私たちの悪友間で、密かに流行っている遊びなんだけど。やり方は簡単。ターゲットの男子を決めて、“告白”するだけ。でも、それは、“嘘”。
……で、後で嘘だってばらしてやった時の小気味良さ。
「笹原 隆太がいい」
今時、携帯も持っていないみたいだから、後で、あいつの机にメモを入れよう。
内容は簡単明瞭。
“前から笹原君の事が気になっていました。放課後、屋上で待ってます。
石井美夏”
後ろめたくない? “うそ告”なんて、人の心を((傷つける))だけだよ。
心の中で誰かが私に問いかける。
べつにいいの。こんな事くらいで傷ついたなんて、そう思う方が弱いんだ。
* *
放課後の屋上
笹原遅いな~。呼び出したのはいいんだけど、寒いよ。屋上なんか指定するんじゃなかった。
ほうっと息を吐いてみる。
白い息。
雪は止んだけど、心の中には白い靄がかかってる。
ほうっとまた、白い息。すると、
あれっ、笹原?
「ごめん。このメモ、くれたの、お前?」
いつの間に現れたの。ちっとも気づかなかった。
「あ……う、うん」
「で?」
「……で? って、あの、だから……笹原君の事が前から気になってて、それで、話を聞いてもらいたくて」
「あっ、サバ缶の事? 隣で食うなとか」
「ちがうってばっ」
「……なら、何なんだよ」
さすがに鈍そうな笹原でも、少しはメモの意味を理解しているようで、バツが悪そうに視線を私からはずした。ちょっと、ほくそえみたくなる瞬間。それって、多少、期待してる?
「あの……前から私、笹原君が好きだったの」
“うそ告”完了! 屋上の隅で隠れて見てる、ゆうちゃんにOKサインを出したい気分。
でも、笹原の反応はとても、とても意外だった。
ほうっと息を吐く、息を吐く。白い息、白い息……
「そんな事、言われたの、初めてだ」
「……」
「今日って寒いよな」
また、ほうっと……白い息
え、何、ここ、どこ?
入道雲と青い空。
緑の木々を通り抜ける木漏れ日。
川の音。堤防を歩く二人の男女。
どこかで見たような景色……
夏休み! これって今年の夏休みだ。
それは、一瞬の映像。
私と……すごく好きだった……私の先輩。
「……つきあってくれませんか」
「悪いけど……」
「お友だちからで、いいんです」
「ごめん」
「何で?」
「……俺、石田の事あんまり好きじゃないんだ」
「えっ?」
いつも、私に笑いかけてくれた優しい先輩。
「おまえ、しつこいよ」
封印していた苦い思いが、心を突き破ってゆく。
* *
「お、おい、何で泣いてんだよ」
寒い放課後の屋上に座りこみ、涙がとまらない。横にいるのは笹原? お願い、顔を覗き込むのは止めて。
「ごめんなさい。ごめんなさい。嘘だった……笹原、好きだなんて……嘘ついた……」
はあ、と一つ息を吐き
「泣くなよ。“うそ告”されて泣きたいのは、こっちなのに」
「そうだ、とっておきの物があるんだ」
笹原は、本当に弱りきった顔で、リュックを開くと、こう言った。
「桃缶があったんだ」
「美夏! どうしたの?!」
血相変えて、走ってきたのは、“うそ告”を見ていた、ゆうちゃんだった。
「笹原! あんた、美夏に何、言ったの!」
「知らないよ、勝手に泣き出したのは、石田の方だ」
その時、
「そうだ、俺も見てたぞ! 悪いのは石田だ! 俺だって、先週、やられたんだ。“うそ告!”」
突然、飛び出してきた笹原の親友? 村田は、鬼の形相で“ゆうちゃん”を睨みつけた。
「もう、止めろ、止めろ! ほら、みんなで気をとりなおして……開けるぞ、“桃缶”!」
屋上での騒ぎを遮るように笹原は言った。
「俺はテストの答えをいつも間違える。何でか教えてやろうか。忘れるからだよ。でも、それって当たり前の事なんだ。人間は忘れる、いや忘れられる。それってすごい機能なんだ。だから、俺はテストの点が悪くても気にしない」
私、もしかして、なぐさめられてる? よく分からない笹原の台詞。
笹原 隆太って、本当におかしな奴。
ほろほろと、また、雪が降り出した。
「今日は、寒いよな。本当に寒いよな……」
でも、季節が変われば、また、暖かい日が来るんだよ。
[時の魔術師] 〜冬〜