ラーメン効果
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
んん? お前、今日か昨日あたり、にんにく料理を食べなかったか? 近寄ると、臭いがプンプン漂ってくるぞ。
にんにくの臭いってよ、口の中よりも体の中から漂ってくるものの方が、長く残るんだとさ。口の中と身体全体とじゃ面積も、そこに張り巡らされる血管の量も全然違うからな。臭いの元も血流に乗って行き渡り、身体のあちらこちらから臭いが出てしまうって話だ。
嗅覚は重要な判断材料。香りは、容姿に次ぐ身だしなみとして、多くの人に認知されている。息もまたしかりだ。
そのうちに潜んでいるものについて、少し考えちまう経験が俺にはあった。
どうだ、聞いてみないか?
高校時代。一人暮らしをしていた家の近所に、ラーメン屋が並んでいるのをいいことに、俺は休日になるとラーメンの食べ歩きに興じていた。
通な御仁のように、具や麺やスープの深みとかで、クオリティを判断できるだけの知識はない。
求めるのは量。そして俺の食欲をかき立てるだけの、インスピレーションを持つ一品。
何軒も回って、ようやく俺は自分の望みに合致する店を発見。入り浸るようになる。にんにくギトギト、背脂マシマシなその店のとんこつラーメンは、俺にぴったりだったんだ
並ぶ人は、いかにも肉体労働者といった感じの、コワモテな御仁がほとんど。店内に沸き立つ湯気だけでも、脂ぎってしまいそうな空間ということも相まって、暑苦しい。汗や鼻水を拭いながら、麺をかき込むのが風物詩とすら感じたほどだ。
それでも時々、ごつい男連中に混じって、きゃしゃな女の人が涼しげな顔で完食する姿が見受けられるんだ、これがな。
散発的にやってくるらしく、数ヶ月合わない時もあったが、この店にくる女の人は珍しいから、印象的だった。
他の連中が汁はね飛ばすのが当たり前の中で、その人の周りだけがものすごくきれいでな。むさい空間に花咲く、文字通りの紅一点。
あいにく、その人の容姿は好みじゃなかったが、俺の目にはその余裕ある立ち振る舞いがこの上なく優雅に、魅力的に映る。
――もし、彼女にするんだったら、こういう店で一緒にバクバク食える、健啖家な女性がいいな。
そんな俺の、甘いムードぶち壊しデートが当たり前になるきっかけを、もたらしてくれた女神さんでもあったわけだが。
何回か一緒にお出かけしてから、告白してデートになるのか。それとも告白が先に来て、デートと称してお出かけになるのか。人によって認識が違うところだろう。
俺は一緒に出かけるイコールデートという、単純思考。
何しろ、あの女神さんの姿に毒された信奉者だったからなあ。二人で出かけるとなれば、初手で件のラーメン屋で飯を食う。俺なりに「ふるい」をかけたつもりだった。
これから付き合いが深くなっていくとなれば、互いの好みに触れ合う機会が多くなる。最初に好き嫌いをはっきりさせた方が、未練がましくだらだら引き延ばして、変な期待を持たなくてすむからな。
そうして自分にウソをつかない俺は、校内でちょっと仲良くなった女子がいると、学校帰りに例のラーメン屋へ連れて行った。だが、なかなか相性が良い相手とめぐり合わない。
ボリューム満点の量に辟易するパターン――残したら俺が食べるが――。店のきちゃない雰囲気がダメというパターン。「そもそもなんでここに来るの」と、足を向ける時点でうんざりされるパターンと、さんざんな結果。
俺としては譲れない一線だけに、そこを拒まれると、付き合う前からお別れムードだ。
かといって、ここのラーメンが食べられても、俺的に、ブサイクな女子とは付き合いたくないし……。
いつかサシで、ここのラーメンを存分にすすれる相手と出会うことを祈りつつ、時間は過ぎていった。
そして、いまだに蚊を初めとする羽虫たちが、しばしば姿を現す高校2年生の冬。
この時期、俺の学校では、文系と理系でクラスが分かれてな。1年時にはきっちりと分かれていたコースの人間が顔を合わせる機会を持つ、という変則的な授業がいくつかあったのよ。
そこでたまたま隣り合った女子が、ど真ん中とはいかないまでも、なかなかにストライクゾーンな容姿だったんだ。あの女神さんの影響もあって、ほっそりとした足の長い子。
授業で先生の説明がひと段落するたびに、「ほうっ」と安心したような、色っぽいため息をついていたのが、印象に残っているな。寒いせいで、吐く息が白く染まったかと思うと、吸い込まれるように溶けていく。
何度か一緒に授業を受けるうちに、仲良くなってきてな。しばらくご無沙汰していた、放課後のラーメンデートに誘ってみた。
いきなり店の名前を出して、ハードルをあげたくない。これまで何人かがそれを知ったとたんに、表情がご機嫌から斜め下に滑り落ちたからな。
あの変貌ぶり。提案したこちらまでダメージが来るから、勘弁願いたいところだ。
「行く行く〜」と、ノリのいい彼女。放課後に校門前で待ち合わせてから、まっすぐにあの店へ足を向ける。
適当にお茶を濁しながら歩いていたが、行程の半分ほどに差し掛かったところで、彼女が尋ねてきた。俺のお目当ての店の名前を挙げて、「あそこだよね?」と。
目の前で小さくらせんをえがき、立ちふさがる蚊柱を俺は手でのけながら、「ああ」と、隠さずに答える。幾度となく繰り返してきた、絵踏だったからな。
聞いて、ぱっと彼女の顔が明るくなる。「ちょうど、行きたいところだったんだよねえ」とも漏らした。
初めて見る、でも期待し続けていた反応に、俺は淡い期待がふつふつと湧き上がってくるのを感じていたよ。嬉しさのあまり、食べきったら俺がその分をおごる、なんて提案しちまったくらいだ。
かの店の特徴として、にんにくはデフォルト装備なのが挙げられる。
注文する時に「なし」と告げないと、もれなくスープ全面を「カケラ」で埋めつくすほどの、荒削りしたにんにくと対面することになるんだ。
もちろん、増量をお願いすることも可能。その他のトッピングも調整ができる。
彼女はというと、麺少なめにする代わりに、にんにく、野菜、背脂、かつお節をいずれも注文できるマックスでお願いするというもの。俺も周りの人も、なかなかこの手のオーダーはしない。
予想通り、届けられた彼女の丼は、ラーメンというより野菜盛りとでも言うべき様相。
もやしとキャベツをベースに、ジンギスカン鍋でも始められそうな野菜。その山肌にもてっぺんにも、スープに混ぜられるものより、ひとまわり大きい輪切りガーリックがまぶされている。かつお節も同じく。
そのままだと吹けばよその人の席へ飛んでしまいそうな、軽装トッピングたちの上に覆いかぶさるのが、真っ白い背脂。これがもう、大根おろしかと見まごう周到さ、重厚さで山のすそ野まで降り積もっているんだ。
一足早い雪景色。並大抵な人なら、見た目と臭いで腹がいっぱいになっちまいそうだった。
それを彼女はかぶりつくように食べていく。せわしなく箸を動かし、小さい口に運んでは「きゅっ、きゅっ」とキャベツを噛む音が、隣に座っている俺の耳まで響くんだ。それでいて、咀嚼のスピードは速く、手が止まる様子もなく、どんどん山を崩していく。
共に麺をすするタイミングが合わないのが残念だったが、うかうかしていると、俺よりも先に食べ終わってしまいそうな勢い。二人して黙々と食べていき、半ば急かされるようにして、十数分後には並んでいる人に席を譲っていたよ。
いつもより早いペースだったためか、俺は歩くのが億劫になっている。対する彼女も、お腹をさすりながら「ふう、ふう」と、時々、あの色のある息をもらしていた。
苦しそうには感じられないのが幸いだが、そこから発せられる臭いは、ちょっと女性の口から出るには、はばかられるレベル。
俺はポケットから消臭用のガムを取り出した。正直、焼け石に水だが、あのラーメン屋を利用する時には欠かさない。
彼女にもガムを差し出しながら「休む?」と通りかかったバス停の近くのベンチを指さしたけど、彼女はそっと手を振って、どちらも断った。「動かないといけないから」とのこと。
まあ、ダイエットかなあ、と俺は思っていたんだが、すぐに違うことを知る。
臭いに惹かれてか、また蚊柱が俺たちの前に立ちふさがった。数も結構多く、さながらネットのごとく。
また押しのけるかと思った矢先、彼女が俺を制止した。
「今日、おごってくれたお礼。ちょっと手品を見せてあげる」
彼女は俺の前に進み出ると、蚊柱とは数歩程度の距離を空けて、鼻から息を大きく吸い込むと、一気に吐き出した。
昼間に比べて、辺りは暗くなっている。彼女の吐息は、ますますはっきりとした形で、もやのように広がり、蚊たちの前に立ちはだかった。
まさか、と思ったよ。彼女の白い息が空に漂っている間に、次々と蚊たちが地面へと落ちていくんだ。
でも、ただの墜落じゃない。「パチン、パチン」と何かが弾ける小さな音が響くと共に、一匹、また一匹と地面をなめる羽目になった。
ものの数秒で、立ちはだかった蚊を殲滅。「すごいっしょ?」と彼女は満面の笑みでVサイン。
彼女自身、あそこのラーメン屋には定期的に通っているらしい。その中でいろいろなトッピングを試した結果、件のオーダーを完食した後に、この息を吐けることに気がついたとのこと。
「これね、一食で二週間くらい効果が持つんだ。最近、効果が薄くなってきたところへのお誘いだったから、もしやと思って甘えちゃった。ありがとね」
彼女はようようと告げて歩き出すが、俺は倒れ伏した蚊たちをちらりと見やる。
どの蚊も、まるで叩かれた時のように胴体が破裂してしまい、溜め込んだ血を流していて、とても息の臭さだけで撃退したものとは思えない。
結局、彼女とは仲のいい友達のまま。今じゃほとんど連絡も取っていない。
機会を見つけて、あのトッピングも試してみたんだが、現在に至るまで、俺の息はあの劇的な効果を得られずにいるんだ。




