表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
六月の出来事B面  作者: 池田 和美
7/11

六月の出来事B面・⑦



 いちおう司書室で、アキラとヒカルそれぞれの戦闘服ファッションを見せた後に、制服へ着替え直しておく。後に着替えやすいように、下にTシャツなどは着たままだ。

 他の戦闘服を戻したバッグは、有紀へと返却した。

 ちなみに明実が司書室で、二人の戦闘服姿を見た時の反応は「二人とも、なかなか似合っているではないか」と、上辺だけの言葉で褒めただけ。

 有紀は「なかなかですなあ」だったし、空楽はチラリと見ただけ。圭太郎に至っては「新命さんがブラックを着たら、海城さんはホワイトじゃなきゃ」などと、虹の園を守る二人組を期待するような事を口にした。

(じゃあ来年には明実が、三人目として変身するのか)などと圭太郎に対して思ったことは伏せておくことにする。もちろん変身する三人目が香苗だったらもっと嫌だ。

 そうこうしている内に、お昼休みである。土曜日はD棟一階で営業している学食も、購買部もお休みである。

 だが平日からそれらを利用していないアキラたちには、何の問題も発生しない。いつも通り科学部事務局で、食事を摂ることにする。

 アキラは香苗が毎朝作ってくれるお弁当だし、明実は、成分的には一食分の栄養を補給するという触れ込みの、乾パンみたいなタブレットと水だけだ。

 ヒカルはその時の気分で食べたり食べなかったりだ。当初は香苗が、ヒカルの分もお弁当を作ると言っていたが、そこまでしてもらうのは落ち着かないからと辞退したらしい。

 今日は、自分で作ったらしいオニギリを一つ齧っていた。どうやら香苗がアキラの分を弁当箱へ詰め込んでいる隙を狙って作ったようだ。

 いかにも不味そうな顔をしながら自作のオニギリを齧っているヒカルを見て、アキラは自分の食欲すら減らされる気がした。

 一時的にノートパソコンを片付けた机の向こうに話しかける。

「おまえも、かあさんに作ってもらえばいいじゃないかよ」

「あのなあ」

 ペットボトルの麦茶で水分を補給してからヒカルはアキラを睨みつけた。

「あたしに言わせるなら、高校生にもなって、いつまでも母親に弁当作らせるなよ」

「だって、オレ料理できないし」

 アキラは開き直ったように言う。それをジト目で睨みつけたヒカルが、ボソッと言った。

「料理できる方が、女の子にもてるぞ」

「まあ、そういうよね」

 あくまでもそれは一般論という態度のアキラ。

「でも、とおさんだって料理あんまり得意じゃないし」

「そういうことを口にするから、日本人は男尊女卑だとか言われるんだぞ」

「それに、料理の腕前を披露するまでの間柄になってたら、もう、もてるもてないは関係なくないか?」

「バッカだなあ」

 いつもとは違う言い回しで蔑まされて、ちょっと傷つくアキラ。

「ちょっとした料理のコツとかを話しに挟める方が、できるイケメンって感じがするだろ。そのためには、まず実際にできないとな」

 オニギリを一旦机に置いて、麦茶のペットボトルに再度口をつけるヒカル。言い負かされたアキラは、せめてもの反撃とばかりに、ヒカルへ訊ねた。

「じゃあ、おまえもそうなのかよ」

「?」

「誰かに料理のアドバイスとかされた方が嬉しいのかよ」

 すると顔を赤くしたヒカルは、ドンと乱暴にペットボトルを机に戻した。

「あたしは関係ないだろ」

「なにキレてんだよ」

 その剣幕に引いていると、ヒカルはオニギリに食らいつきながら、そっぽを向いてしまった。

「怒りながら食事をすると、消化に悪いぞい」

 タブレットをミネラルウォーターで嚥下するという、食事と言い難い昼食を終わらせて、ふらっとどこかへ行っていた明実が、科学部事務局に帰って来た。

「怒ってねえ」

 これがデフォルトだと言わんばかりのヒカル。それを見てアキラと明実は顔を見合わせて、肩をすくめた。

「まあいいや。食事の方はだいぶ済んだようだな。食休みの後は、物理部の方へ行くぞい」

「物理部?」

「ああ、完成したオリジナルライフルを見に行こう」

「ライフルねえ」

 お行儀悪くオニギリを齧りながら肘をついたヒカルが、胡散臭い物を見るような目を明実に向けた。

「高校の物理部に、そんな物が必要かねえ。過激派の下請けでもやってんのか」

「いや、いちおう衝突実験に使用するという名目ならあるが?」

 不思議そうに聞き返す明実に、ヒカルの目がさらに細められた。

「高校の物理部程度の衝突実験に、ライフル?」

「あ、ウチの物理部をあまりバカにせんほうがいいぞ。全国高校生論文大会で入賞する程の実力だからな」

「ふーん」

 全然信じていない感じで鼻を鳴らしたヒカルは、最後の一欠片をまとめて口に放り込んだ。

「ま、あたしは頼まれた仕事をやるだけだ」

 ポケットから小さなウエットティッシュを出して手を拭いているヒカルを見て、アキラもお弁当箱を空にしようと、箸を急がせた。

 食事が終わって、後片付けを済ませる。ゴミは少しも溜めずに細かく捨てることにしていた。それは、春にこの部屋を根城にした時に聞いた、ヒカルの主張によるものだ。こんな閉鎖空間で虫が湧いたら、精神的にダメージがでかいと言われれば、アキラだって納得できた。

 さて、食事が終われば、完成品を見に物理部へ急げばいい。しかし明実が「親が死んでも食休み」と、いつもの態度を崩さないので、三人ともしばらく事務局で休むことにする。

 一つしかない机の天板を、半分ずつ分け合って、アキラとヒカルが上体を預けて眠気に身を任せる。

 明実なんかは窓際の段ボール箱が重なっているところで、横になった。いつも同じ場所だから、そこが凹んでしまい、まるで野良猫の巣のような風情になっている。

 トロトロとした眠気に身を任せながらも、頭のどこかが起きているような、そんなまどろんだ状態。

 ボーッと視線を移せば、ヒカルがすぐそこで腕を枕に目を閉じていた。

 ヒカルも寝てはいないのだろうが、おだやかな呼吸音が聞こえてきた。



「ふっふっふ」

 短い昼寝を終わらせ、先頭に立って廊下を進む明実が、悪の含み笑いといった態度で白衣を翻した。

 聞いてくれる相手がいるという事で、饒舌な解説が始まっていた。

「まず最初に…」

 人差し指を立てる。

「宇宙はビックバンから生まれた」

「そこからかよ!」

 アキラがうんざりした声を上げる。

「ここからだが?」

 不思議そうに半分振り返る明実。

「地球の誕生まで端折れ」

 アキラの命令に、とても残念そうな顔をする明実。

「まあ、じゃあ、なんだかんだで原始地球は、宇宙の塵から生まれた。その原始地球には、弟のような惑星がいた。今ではテイアと名付けられている惑星だ」

「そんな星なんか、聞いたことないぞ」

 アキラはヒカルと顔を見合わせた。

「まあ、最後まで聞け。テイアは原始地球と同じ公転軌道を回っていた。そこは地球と太陽と正三角形を形成する位置だった。重力的に安定している場所だからな。最初は小さかったテイアだが、地球が周りの塵やガスを重力で吸収して大きくなったように、テイアもまた成長していった。そして、いまの火星程に育ったテイアは、自らの重さで重力バランスを崩し、原始地球と衝突して失われた。これが有名なジャイアントインパクト説だ」

「あの、月が生まれた原因ってやつだ」

 どちらかといえば文系のアキラだって、ジャイアントインパクト説という言葉ぐらいは、常識の範囲として知っていた。

「で、まあ。最近の学説で、それが一番有力なんだが。まあこのジャイアントインパクト説にも説明しきれない部分があってな」

「へえー」

 アキラの口から気のない声が漏れた。アキラにとっては月がどうやって生まれたかを知るより、自分が男に戻れるのかどうかのほうに関心がある。

「まあ大きなところでは、地球と月の成分に違いが、無さすぎるというところだ。ジャイアントインパクト説が本当ならば、月の成分は衝突した天体由来の物となるはずだが、地球とあまり変わらなすぎる」

「じゃあ、どうやってできたっていうんだよ」

 アキラの質問を待ってましたとばかりに明実が指を立てる。

「それを補完するのが、複数の小天体が地球と衝突して、地球から岩石を宇宙空間へ飛ばしたとされる、複数衝突説だ。これならば月にあまりコアの成分が存在しないのも説明できる」

「だからって、今度は小さすぎてそんなに飛ばされないんじゃないか?」

「だからだ」

 ニヤリと嗤った明実は、D棟の東端にある物理講義室の扉に手をかけた。

「それを実験によって考察しようと物理部が開発した器具が、今回のオリジナルライフルというわけだ」

「いらっしゃい」

 物理講義室には六人ほどの生徒が待ち構えていた。男子四人と女子が二人である。他の男子が制服姿なのに、女子の一人は白衣を夏服の上から着ていた。まるで明実の真似だ。

「物理部部長の松井(まつい)芽衣(めい)さんだ」

 明実が白衣を着ている女子の方を紹介する。赤い髪の毛をオカッパにして、目つきが悪いのが印象的な女子だ。夏服では小さなフェルトにまとめて胸に留めることになっている徽章類からして、三年生のようだ。赤い髪は染めているのか、それとも地毛なのか判断がつかない微妙な色合いだ。

「こんにちは」

 とても平板な声での挨拶。

「こんにちは」

 二人が頭を下げると、もう興味が失せたとばかりに、明実を身長差から見上げる。

「で? 射手を紹介してくれるって話だけど?」

「こちらの新命ヒカルが射手(ガンナー)だ」と腕全体でヒカルを指し示して紹介する。

「女子? 大丈夫なの?」

 ただでさえ据った目を、さらに細めて疑わしそうに顔を歪める。

「論理的に導き出した結論だ」

「そう。御門くんがそういうなら確実ね」

 そこでやっと芽衣は、引き締まっていた顔をすこしだけ柔らかくした。

「よろしくね、新命さん」

 差し出された右手を、ヒカルは遠慮なく握り返した。

「こちらこそ」

 ヒカルは食後のデザート代わりに咥えていた柄付きキャンディを口の中で転がしつつこたえる。

「そして、こちらはサバゲ部の春日野(かすがの)留美(るみ)さん」

「よろしく」

 明実に紹介されて頭を下げたのは、もう一人の女子だった。こちらは芽衣と違って、明るい感じがする。同じく目が胸の徽章へ行ってしまう。彼女は二年生のようだ。女子の夏用制服を着ているのは芽衣と同じだが、締めているのは学校指定の赤ネクタイでなく、三色迷彩のネクタイであった。

 サバイバルゲーム部、略してサバゲ部は、やっていることは体を動かす事なのだが、その趣味性からか、文化会系に所属する。これが大学まで行って射撃部までいけば、運動会系になるのだが。やはり現在の日本で市民権が得られていないスポーツだからなのだろう。

「ウチの他の部員たちも、見に来たかったんだけどねえ」

 ちょっとだけ困った顔を作って見せる。

「でも明日、朝から大学のサバゲ連と一緒に、五〇対五〇の大きなゲームを控えていてね。みんな銃の準備や、買い出しに出かけているんだよ」

「先輩は、そっちに参加されないんですか?」

 アキラが言葉に気を付けて訊くと、苦笑いのような物が返って来た。

「ボクは、ああいうトリガーハッピーな奴だけが役に立つような大会は嫌いでね。エアコキ限定大会とかあったらいいんだけど」

「春日野さんは、今夜のゲームに参加する予定だ」

「よろしくね」

 改めての挨拶と握手。

「そして…」

 明実は室内を見回したが、探していた人物を見つけられなかったようで、キョロキョロとする。

「おや? 模型部が誰もいないようだが?」

「なんかプールの方で進水式だって息巻いてたよ」

 留美が少し呆れたように言う。

「しんすいしき?」

 アキラが、ピントがこないで首を傾げると、補足してくれた。

「なんでもみんなで造ってた戦艦が完成したとかね」

「ああアレか」

 明実はその話を知っているのか、一人で納得している。

「別に発注しておいた自律制御型の船だ」

「また、そんな物。何に使うつもりだよ」

 無意味な物を発注するとは思えなかった。

 すると明実はアキラを振り返ってニヤリと嗤う。

「楽しみにしておきたまえ」

「で? その銃ってのは?」

 それを、話しを変えるタイミングと取ったのか、ヒカルが声を上げた。そう聞きつつもヒカルの目は、物理講義室に置かれた三人掛けの机の上を向いていた。その内の一つに、もったいぶったようにシーツを被せた、なにか立体的な物を乗せてある。

「この物理部が構想三年、科学部総帥の御門くんの協力を得て、サバゲ部と模型部の技術支援を受けてやっと形にできた衝突実験装置。これが『マーガレット・スピンドルストン』よ」

 芽衣の口上が終わると同時に、控えていた男子二人が端を持って、シーツを剥がした。

「をを」

 下から出てきた物を見て、アキラは声を漏らしてしまった。

 とてもメカメカしい機械が置いてあった。

 全長は一メートル程である。見た目はボルトアクションライフルの前床が終わるところまで、という感じ。その上にアングル材で補強されたパイプが乗せられ、さらにその上にテーパー状に加工されたパイプが重ねられているという、三段構造であった。

 ライフルの銃床部までなにやら機械が埋め込まれ、本物ならば薬室がある箇所の右外側に、前衛芸術的に金属で作られた心臓のような瘤が取り付けられている。

 本物の心臓ならばそれぞれ主要な血管が繋がっている部分からは、ウソくさいチューブが生えていて、ライフルの機関部に繋がれていた。

 反対側には、どこかの電化製品から外してきたようなダイヤルやらスイッチやらが埋め込まれていた。とても嘘SFっぽいディテールだ。

 最前端には二脚が取り付けられ、銃床につけられた後脚と三点で自立していた。

サバゲ部(ウチ)では『史上最強エアガン』って呼んでいるけどね」

 留美の言葉に、明実がなにか言いたげであったが、結局なにも言わなかった。

「史上最強の、えーと、まーがれっと…、なんだっけ?」

「『マーガレット・スピンドルストン』だ」

「誰だよ、そのマーガレットさんって」

「知らんのか?」

 明実が不思議そうにアキラを見る。

「知らん」

 アキラが素直にこたえると、ヒカルが反対側から教えてくれた。

「イギリスの神話に出てくるドラゴンの名前だよ」

「ドラゴン? 竜か?」

「呪いをかけられた王女は竜の姿に変えられました。そして勇者がやってきてキスをすると、醜い竜は美しい王女の姿を取り戻したのです」

「なんか、どこかで聞いたような話しだな」

「まあ、昔話なんて似たようなもんだろ…。しっかし、大げさな形だな」

 腕を組んで『マーガレット・スピンドルストン』を睨んでいたヒカルは、明実に振り返った。

「この重しは必要なのかい?」

 本体の上に乗せられた二段ものパイプを指差す。

「何を言っておる。これが銃身だ」

「は?」

 明実は前床と後床へ手を差し込むようにして持ち上げて腰だめに構えると、銃の右側面にある瘤の前にある取っ手を掴んだ。そこを引き起こすようにして固定機構を解除すると、銃が展開を開始した。

 一番上のパイプが後ろへ、中間の補強されたパイプが前へと起き上がる。つまり一本棒を三つ折りにしてあったような構造だ。

「はえー」

 アキラが口を開けて声を漏らしている間に、それらは一直線に組みあがり、全長三メートルを超える銃へと変形を完了した。

「おっと」

 急激にバランスが前に寄ったので、明実がたたらを踏んで二脚を机の上に置いた。

「で? どこで撃つんだ?」

 持ちきれなくてヨロヨロとする明実を横目に、二人の女先輩に訊くヒカル。

「中等部の旧校舎を考えている」

 無感情に芽衣が言った。

「我が物理部が何年もかけて準備してきた衝突実験設備が、中等部旧校舎体育館に完成したのだ」

 中等部は校舎の老朽化が目立ってきたため、大通りぞいの敷地に、新校舎を建てたばかりだった。残された旧校舎は、この夏休みに解体の予定である。

 その旧校舎の裏に存在していたのが、中等部の旧体育館である。こちらは解体せずに、大学の方で実験棟として利用する構想があるようだ。

 色々な実験室を設ける予定であるが、その一角に高等部物理部がスペースを貰えることになったらしい。というようなことを明実が自慢げに解説してくれた。

「もう試射する場所の下見は終わっている」

 旧中等部の図面らしきものを取り出しながら芽衣が説明してくれた。

「体育館前の広場から、こちらへ…」

 古い青写真をコピーしたらしい図面が、机の上に広げられた。アキラが覗き込むと、そこに赤いインクで線が引かれている。

「いつの地図だよ」

 つい自分が今いる場所を探して、目が紙面をさ迷った。

「高等部は、ここだな」

 それを見て取ったのか、明実が指し示したのは、コの字型の建物だった。

「四角じゃねえぞ?」

「D棟は後から増築されたと聞くからな」

 いまの正方形の校舎になるまで、それなりの歴史があったらしい。その今と違う形の高等部から、二本線が北へ延び、二つの小さな四角に繋がっている。

 どうやら学生寮はこの頃から存在していたようだ。

 今度は赤い線へ視線を移す。それは複数の四角が描かれた位置から、ちょっと真北から東に寄った線で、最後は敷地の境目近くの小さな丸印で止まっていた。

「ここに的を設置する」

 アキラの視線を追っていたらしい芽衣の指が、その丸印を突いた。

「で? これで月の出来方を証明できんのかね」

 ヒカルが疑うような声を出した。

「新しい実験施設には、真空室を用意した」

 芽衣がヒカルに振り返った。

「真空室の中には鉄粉(てっぷん)、えー、鉄の粉を敷き詰めた小さなプールがあり、そこに向けて外部から弾丸を発射。着弾したら鉄粉がどのように飛び散るかを観測する」

「真空? 原始地球の再現じゃないのか?」

 ヒカルの質問に、初めて芽衣は感情のような物を現した。微笑んだのだ。

「これはモデルだからだ。衝突した物体が、火星程の大きさでは無いという説の実証のための実験だが、いくら小さいとはいえ、一回当たりそれでも恐竜が二度も三度も滅びるぐらいの大きさの衝突を想定している。だから空気抵抗は邪魔にしかならないんだ」

「ふーん」

 芽衣の説明に納得いったのか、それとも自分とは無関係と判断したのか、あいまいな返事をしてからヒカルは重さに難渋している明実に近寄った。

「そんなに重いのか?」

「まあな」

 よっこいしょとばかりに後脚も机に置くが、重心に問題があるのかフワフワと浮き上がりそうだ。

 交代にヒカルが手をかける。明実の時よりも素直に持ち上がった。

「バーレット二つ分くらいか?」

「新命さん力持ちねー」

 留美が目を丸くする。彼女もサバゲ部だから、構えるぐらいはしたのだろう。

「そこまで腕力あったら、本物も撃てるんじゃない?」

 続いての台詞に、アキラと顔を見合わせるのだった。



 それからのんびりと夜の準備を開始する事になった。

 まずは、夜食の確保である。

 校内の購買部がお休みなので、アキラとヒカル、明実の三人は、国道の方にあるコンビニへ買い出しに行く事にした。

「お湯は? 沸かせるのか?」

 ヒカルが鋭い目で明実を振り返った。

「誰かがキャンプ用のコンロを持ち込むかもしれんが、ウチでは用意しとらんぞ」

「じゃあやめておいた方がいいな」

 それでも未練があるのか、カップ麺の方へ視線をやりながらヒカルは、総菜パンを選び始めた。

「お弁当も、冷めたら、あまり旨くないしなあ」

 アキラもパンを手にする。

「次があったら、暖かい食事を考慮しよう」

 こちらはオニギリを選択している明実。

 飲み物は校内の自販機の方が安いので、食べ物だけだ。

 お会計を済ませ、荷物は全て明実に持たせる。

「おい。半分は持てよ」

 面白くなさそうな顔をした明実に、アキラはとびっきりの笑顔を向けてみせた。

「女の子に荷物を持たせるなんて、ぶっちゃけありえな~い」

「なんだ? その日曜日の朝にマーブル・スクリューを決めているような口調は?」

「だって女の子ですもの、ねー」

 最後の一言は、ヒカルに同意を求めてみた。すると、意外にもヒカルも同調してくれる。

「そうだな。はやく男に戻してやれよ」

「ほお」

 身長差から少し屈んで、ヒカルの顔を覗きこむような格好で、興味深そうに明実は訊いた。

「ヒカルも、アキラには、はやく男に戻って欲しいのか?」

「ああ」

 店内は飲食禁止のエチケットを守って、我慢していた柄付きキャンディを、新しくポケットから取り出しつつうなずく。

「こんな格好してるから、紛らわしくていけねえや。今度はゴリラみたいにして、間違わないような姿にしろ」

「ちょちょちょ…」

 まるで鳥のさえずりのような声が出た。

「ちょっとまて。ゴリラってなんだよ」

「そのぐらいマッチョで毛深かったら、あたしと風呂なんか入ることにならねえだろ」

「やっぱり根に持ってやがった」

「あたりまえだろ」

 ツンとそっぽを向くヒカルを観察した明実は、興味深そうに二人へ訊いた。

「なんだ。もう、そんな関係だったのか?」

「「ちがう!」」

 脊髄反射的に上げた声のタイミングが揃ってしまった。それを見て満足そうに明実がうなずいてみせる。

「よいではないか。比翼の仲までとは言わないが、二人が足りないモノを補えば。それだけ生き残る可能性が高くなるというもの」

 明実が鋭い目線で、武蔵野の風景が残っている学園周辺の田園地帯を見回す。

「いつ狙撃されるかもしれん状況では、特にな」

「…」

 真剣な顔をして黙り込んでしまうヒカル。

 それを見て、少しでも明るくしようと、アキラはヒカルを指差して言った。

「でも、こいつ。かあさんに、一緒に風呂へ入ろうって誘われたんだぜ」

「なにい!」

 突然の大声に、二人は明実から一歩離れた。

「オイラですら、小学校四年生から香苗さんとは、一緒に風呂には入っていないというのに。誘われるなんて、なんて羨ましい」

「あのな…」本当に頭痛を感じたアキラは、人差し指を明実に突きつけた。一語一句ごとに突いてやる。

「ヒカルは、女だろ。そして、おまえは、もう高校生で、男だ。それなのに、ひとんチの母親と、風呂に入ろうと願うな」

「なにがおかしい。相思相愛なのだぞ」

 言い切る明実に、アキラとヒカルは脱力して顔を見合わせた。

「こういうのをストーカ体質って言うのかな?」

「まあ変質者にはちげーねーな」

「なにを本人の目の前で悪口を言っておる」

「悪口じゃねえし」

 アキラはジト目で睨みつけた。

「まあ、香苗さんとオイラとの純愛はおいておくとして。二人はこれからも、足りないモノを補い合って、頑張ってくれたまへ」

「まあ、前向きに検討しておくよ」

 この政治家の答弁みたいなのはヒカルだ。

 そんな話をしているうちに、国道から入って桜並木を過ぎ、壁を越えて高等部に戻って来た。

 そろそろ午後の自習会も終わって、帰り始める生徒が出始めている。校内に残るのは部活動のある者だろう。

「事務局に戻ったら、着替えてもいい頃合いかもな」

「もう、そんな時間か」

 明実の見積もりに、アキラは空を見上げた。まだ陽は高いような気もする。

 A棟の昇降口で履物を変えようとすると、明実に止められた。

「もう靴のままでよいじゃろ」

「そうか?」

 事務局から中等部旧校舎へ直接出かけるのなら、履き替える手間を考えると、たしかに靴はこのままの方が便利かもしれない。三人は、野球部のノックによる守備練習が始まっている校庭へ抜け、校舎沿いをC棟へ急いだ。

 たまに野球部コーチが打ち損じて、ホームランが飛んで来ることがあるからだ。

 非常口から校内へ入る。こういう時に、ここからすぐの倉庫を事務局に選んだ明実のセンスの良さを感じる。外靴のままでもあまり抵抗を感じずに部屋まで行けるからだ。

 それぞれのバッグに、それぞれが買った食料を詰め、そして明美を比喩的でなく本当に部屋から蹴り出して、二人は戦闘服へ再び着替えた。

 先に着替えた時に、下にシャツなどを着ておいたので、二人一緒にする抵抗感は少なかった。

 ヒカルはただ着替えると言っても大変だ。服はすぐ終わるのだが、制服の下に巻いたホルスターがある。それらはストラップを一回ばらして、組み直さなければならなくなる。黒い拳銃は後ろ腰、銀色の拳銃は背中だ。

 袖を直して、いつものキャンディを口へ放り込めば完成だ。

 そうしてから、普段使いの通学用のバッグと、今朝持ち込んだ円筒形のバッグに荷物をまとめる。

 廊下でいじけて床に「の」の字なんかを書いていた明実を呼び込み、彼の支度を待つ。

 三人の荷物がまとまったところで、移動開始だ。

 明実を先頭に、非常口から北に出る。しかし渡り廊下を行くのではなく、校舎に沿って歩き始めた。

 C棟の北側は、テニスコートが並んでいる。校舎との間はグリーンゾーンとなっており、散歩にも談笑にもいい雰囲気だ。硬式テニス部からの厳しい目線を気にしなければ、最高のデートコースになるだろう。

 歩いていった突き当りにあるコンクリート壁は、高等部のプールだ。これだけ、ちょっと離れた位置にあるのは、先に水源となる井戸があったかららしい。

 プールに沿って北上すると、自動車通勤をする教職員のための駐車場がある。

 そこで汗を掻いて、物理部の男子二人が折りたたんだ『マーガレット・スピンドルストン』を運んでいるのに追いついた。

 こうして陽の光の下で見ると、過激派が密造した違法銃にしか見えなかった。

 高等部専用駐車場は、学生寮の駐車場とは違い、ちゃんと舗装されている区画で、土曜日の午後である今は半分ほどが埋まっていた。

 女性職員の物らしいマスコットが一杯乗っているピンク色の軽自動車やら、きっと運動部顧問の物らしいピックアップトラックまで、同じ車種は一つも揃っていない。

 そんな駐車場に、一台のマイクロバスが停まっていた。

 いまどき珍しいディーゼルエンジンがアイドリングするカロカロという音が駐車場に響いていた。

「おー、来ておる」

 それを見つけた明実が、当たり前のように足を速めて、そのマイクロバスに向かっていく。

 とてもオンボロである。ところどころ錆びているどころか、ぶつけた痕を叩き出したままである。車体の青い塗装も、昔はそれなりだったろうが、陽に焼けて色褪せてしまっている。

 しかも田舎の葬祭場ですら送迎に使っていないような、丸いヘッドライトのデザインである。二一世紀にあって、昭和の香りがプンプンするようなボロさであった。

(これ、車検とか通ってるのかなあ)

 あまりの古さにアキラは口を開いて全体を見回してしまったほどだ。

 全員が左側車体中央部だけにある折り畳み戸のところに集まると、ミーという警告のブザー音とともに、そこが開かれた。

「おっす」

 中から背の低い男が出てくる。痩せ型で、どこか尖った感じがする若い男だ。チョロチョロある無精髭といい、アウトドアに便利そうなカーペンターパンツといい、山男という印象がある。

「大学の理学部に通う山奥(やまおく)槇夫(まきお)先輩だ」

 明実の紹介に、アキラとヒカルは頭を下げた。さすがに相手が大学生まで行くと、明実の態度も丁寧になる。

「こんにちは」

「よろしくお願いします」

「おっす、おっす」

 二人の挨拶にも同じ調子で返事があった。

「今回、旧校舎は隣だとはいえ、運ぶのは大変だろうとクルマを出してくれたのだ」

「クルマねえ」

 ヒカルが皮肉の一つも零しそうな声でマイクロバスを眺めた。口元のキャンディの柄がピコピコ動いている。

「先輩。こんにちは」

「ちっす」

「お久しぶりです」

 後から来た物理部の面々も、槇夫に挨拶を始める。

「おっす。おー、それが衝突実験装置かあ」

 無精髭を撫でながら感心した調子で、やっと辿り着いた感がある『マーガレット・スピンドルストン』を眺めた。

「あ、間に合った?」

 マイクロバスの反対側から、緑色の戦闘服を着た留美まで顔を出した。背中に払い下げらしいアリスパックを背負っている。

「これで全部か?」

「いえ。あと模型部の有志が数人参加するはずなんですが」

 プールの方を振り返ると、ちょうどそこから片手で数えられるほどの男子生徒が出てくるところだった。台車に乗せた灰色の長い物を引いてやってくる。

「やあやあ」

 眼鏡をかけた背の低い男子が手を振りながら、愛想よく挨拶する。

「彼が模型部部長、藤里(ふじさと)佑人(ゆうと)さんだ」

「やあ、キミたちがウワサの二人だね」

 明るく問われたのが逆に不安になり、アキラは御門を振り返った。

「オイラはなんも言っておらんぞ」

「いやいや」

 佑人はニコニコしながら自分の胸に手を当てると、きざっぽく一礼した。

「科学部総帥の脇に控える花二輪。とても、お美しい」

「こいつ、殴っていいか?」

 間髪入れずに訊いたヒカルの前に入る。

「ま、まあまあ。先輩相手に…」

 男子は夏服の間、胸ポケットのところにクラス章をつけることになっている。それを確認すると、佑人は一つ上の二年生であるようだ。

「こんど写真を撮らせてくれたまえ」

 アキラとほぼ同じ高さで、前髪をパッと払ってポーズをつけてみせる。

「しゃしん?」

「ああ。是非とも六分の一サイズで立体化したい」

「アキザネ」

 アキラは明実を振り返った。

「オレも殴っていいか?」

「おいおい」

 二人と佑人の間に入って苦笑する明実。

「彼なりの、二人の美貌への誉め言葉だよ」

「そう」

 勢いよく人差し指を立てた佑人は、そっくり返りそうになりながら胸を張った。

「こんな美貌を、写真なんていう二次元で残しても残念なだけだ。是非とも三次元で!」

「美貌なら、コジローがいるだろ」

「こじろー? ああ『学園のマドンナ』か。もう二体目の製作に入っているとも」

「えー」

 若干引き気味になっていると、明実が補足してくれた。

「個人で楽しむ分には現行法制上、彼の行為を止めることはできない。また、いちおう本人の許可も取ったようだし」

「でも、売ったりしそうだなあ」

「もし、そういうことをするなら」

 一層声を張り上げて佑人は宣言した。

「収益は全て彼女へ寄贈させていただくよ。まあ、彼女の美しさを独占するという夢を実現できるアイテムだ。ボクなら手離さないがね」

「コジローも苦労してるんだな」

 この場所にいないクラスメイトの代わりにボヤいてやる。

「で? これはなによ?」

 脇から槇夫が顔を突っ込んできた。視線は模型部のみんなが引っ張って来た台車に向いていた。

 いや、そこに乗せられている物に、という方がより正確であろう。

 そこには三メートルにもなる船の模型が、盤木を介してそこに固定されていた。

「むらさめ型…、『あけぼの』か?」

「正解です。さすがマキオ先輩」

 艦首に書かれたハルナンバーを読み取った槇夫に、佑人が頭を下げる。

 その船の模型は、現在海上自衛隊で活躍している護衛艦を再現していた。

「縮尺は五〇分の一。(ツー)ストロークのガソリンエンジン搭載で、先程試走に成功したばかりです」

「しかし…」

 チラリと槇夫は佑人の顔色を窺うように見た。

「もうちょっと細かく作れたんじゃねえか?」

「いえいえ」

 横の明実が慌てて口を挟んだ。

「これはオイラの発注なんです」

「これが?」

 訝しむ槇夫に、ニヤリと嗤って、メインマストを指差す。

「外見を楽しむことはもちろんですが、中身の方がメインなんです。普通のプロポでも動かすことができますが、それが目的では無くて、完全自律で対潜シミュレーションを行うことができるんです」

「それがなんになる?」

 不満そうに腕を組む槇夫。それに対し、あいまいな笑顔を浮かべた明実が言った。

「これからは無人機の時代。水上艦艇でもドローンを使って対潜スキームを行うことになるでしょう。それを先取りし、さらに飛行するドローンの航続時間不足を補う存在として、無人艦艇が活躍する。そういう時代を見据えた試作品ですよ。外見は、まあ趣味ですが」

「おまえが言うと、本当に防衛庁と組んで研究しているように聞こえるなあ」

「してますよ」

 さらりと凄いことを言う。さすがにアキラもそこまで知らなかったので、ギョッとしてしまう。

「信じるか信じないかは、先輩次第ですが」

 気圧されたのか、槇夫は黙ってしまった。

 しばしの沈黙がやってきたことにより、話題を転換するきっかけと取ったのか、明実は模型部を振り返った。

「で? これから『マーガレット・スピンドルストン』の試射に向かうのだが、諸君らはどうする?」

「行きますよ」

 なにを当たり前のことを訊くんだろうという態度の佑人。

「ただ『あけぼの』を片付けるまで、待ってもらってもいいですかな? せっかく完成したコレが破損したりするのは避けたいから」

「了解した」

 指で丸をつくってうなずいた明実は、槇夫を振り返った。

「そういうことで、よろしいですか?」

「まあな」

 槇夫は、改めて物理部の方へ振り返り、『マーガレット・スピンドルストン』を確認した。

「さっそく、積みこんじまうか」

 槇夫が手を大げさに振って、物理部の面々に合図をした。と言ってもマイクロバスの入り口には大人一人分の幅しかない。長い物を乗せるには、ちょっと斜めにするなど一工夫が必要だった。

 補助席が畳まれた通路に『マーガレット・スピンドルストン』を置く。すると物理部のメンバーはその近くに席を取った。

「さ、我々も行くぞい」

「え?」

 アキラはヒカルと顔を見合わせてから訊いた。

「これに乗るのか?」

「別に歩いて行っても構わないが?」

 そう言いつつも明実は二人の背中を押してきた。

 明実は助手席に。二人はその後ろに座った。荷物は足元だ。

 アイドリングをする車内でしばらく待機する。すると、そんなに時間をかけずに通学用バッグを抱えた模型部の連中が駆け戻って来た。

「じゃあ、いいかいの?」

 明実のように怪しげな日本語の槇夫。といっても彼は明実のような素ではなくて、どこかワザとそういった言葉遣いにしているような雰囲気である。

 再びミーという緊張感のないブザーで扉が閉まった。



 駐車場から一旦、大通りに出たので、そのままこの道を行くのかと思いきや、逆に国道の方へハンドルを切る。

 訝しむ間もなく、学園の敷地を取り囲むように走っている砂利道へ乗り入れた。

 職員や出入りの業者が使用する、管理用道路というやつだ。

 左手に高等部を囲む高い壁を見つつ、緩いカーブを進む。雨が降った時の轍がそのままだから、車体は揺れに揺れた。

 運転席はまだしも、客席のシートベルトなんか、体重をかけただけでぶち切れそうな、とても簡素な物しかついていない。よってアキラを始めとする乗客たちは、手足を突っ張ってその揺れに耐えなければならなかった。

 物理部の男子二人は、床に身を投げ出すようにして『マーガレット・スピンドルストン』に抱き着き、それがあちこちにぶつかって壊れないようにしていた。

 道が広くなったと思ったら、昨日エアーソフトガンを試した寮の駐車場であった。今日も変わらず寮監の軽自動車が停められていた。

 槇夫のマイクロバスはそこで止まらず、さらに雑木林の中へ分け入っていく。

 アキラは自分が乗り物酔いにはそうならない体質だと思っていたが、この短い距離でそろそろ不調になる気配が胃の辺りに漂い始めた。

 そんな嵐の中の小船のような揺れが、唐突に止んだ。

 窓から見ると左前方に、まだペンキが残っているフェンスに囲まれた、カマボコ形の建物がある。

「どっちに停める?」

 ハンドルに寄りかかりながら槇夫が助手席の明実に訊ねた。

「いちおう実験棟の方で」

「それじゃあ」と運転席で操作すると、車体中央の扉が開く。

「門をよろしく」

「りょうかい」

 とても愛想のない声で、ヒカルが立ち上がった。アキラも慌てて続く。

 そこは中等部旧校舎から見て裏口にあたる門であった。まだ現役時代に差された油が残っていたので、長い引き戸式のゲートを動かすのに、そう労力は必要なかった。

 ただ二人でゲートを動かしていると、四月の事件が思い出された。

 槇夫は、車幅が確保された段階で乗り入れてきた。敷地の中も外も大差はなく、地面が剥き出しで凸凹していた。

 いちおう閉めてから、トボトボと歩いて青い車体を追いかけることにする。

「人気が無いな」

 ヒカルが周囲を見回して呟いた。

 カマボコ形の向こうには、まるで巨大なマッチ箱のような五階建ての建物がある。表面には無数に毛細血管のような補修跡がたくさんついていた。

(あれが旧校舎か…)

 二つの建物は、渡り廊下で繋がっていたが、それは工事用フェンスで区切られていた。校舎の方は解体業者が取り壊す予定なので、もう立ち入り禁止になっているのだろう。

 渡り廊下の脇に、ブロック造りの二階建ての小屋があった。

 よく見れば一階に観音開きの鉄扉と、トイレの表示がある。二階に上がる外階段は両側についており、それぞれが男女の更衣室へ繋がっているようだ。

 おそらく現役時代は体育の授業の時に利用されたのであろう。ただ、工事関係者が使うつもりなのか、はたまた実験棟として再利用される旧体育館にそういった設備が無いのか、きれいに掃除されているようではある。

「うおーい」

 停車したバスから、さっそく荷物が降ろされている。そこで明実が呑気に手を振っていた。

「あいつ、少しは狙われているっていう自覚をしろっての」

 ヒカルが小走りになりながら悪態をついた。アキラも慌ててその後ろについていく。

「襲ってくるったって、あのカタナ女だろ。姿を現せてからでも、間に合わないか?」

「ほんと、揃いも揃ってマヌケだなあ」

 ヒカルから呆れた声が出た。

「いつ、あいつの武器がヤッパしかないって決まった?」

「やっぱ?」

「…カタナしかないって決まった?」

 気まずそうに言いなおしつつアキラを睨みつける。

「他に銃を用意しているかもしれねえだろ」

「ま、まあな」

「それに、誰があいつ一人しかいないって決めたんだ?」

「へ?」

 アキラは、自分でもマヌケだなと思えるほどの、素っ頓狂な声を出した。

「一人のマスターに、一人のクリーチャーじゃないのかよ?」

「そんなルールは存在しねえ」

「ええ~」

 ついアキラの足が止まった。それに付き合うようにヒカルも立ち止まり、アキラに振り返って言った。

「たしかにマスターが一人しかクリーチャーを作らない傾向はある。それは必要な『生命の水』の確保が大変だからだ。だが、逆に技術的難関を突破(ブレイクスルー)して『生命の水』の大量生産に成功したら、どうなる?」

「それは…」

 アキラの脳裏で、春に戦ったクリーチャーが立ち上がるイメージが沸いた。

「一人二人ならまだいいが、一〇〇人だったら? いやもっと、それこそ一万人ぐらいでクリーチャー師団を作ったら? こちとら腕利きが一人に、変態が一人。ついでにマヌケが一人だぞ」

「どうすんだよ」

 不安に襲われたアキラが顔色を青くしていると、ヒカルが安心させるように不敵な笑顔をみせた。

「ま、一個師団くらいなら軽いかな」

「一人であんなに苦戦したのに?」

 春に戦った時は、アキラは左腕を切断、ヒカルに至っては腹を撃たれて血まみれになった。

 二人がいまこうしてピンピンしているのは、それこそ『施術』という超科学的な技術のお陰なのである。

「まあ、一万人も行方不明になれば、さすがにニュースになるだろ」

 今までの経験から、クリーチャーは必ず人間に対して『施術』が行われて生み出されることが分かっている。細胞だけ持ってきて一人の人間を作れるほどは便利ではないのだ。明実によると、そこに生きようとする意志が存在しないためだとか。

「それにアキザネだって、少しは考えているんだろ?」

「それはない」

 即答するアキラ。幼馴染として明実の事はよく知っていた。

「次に事件が起きた時に考えればいいだろう、ぐらいしか思ってねえぞ。たぶん」

「それじゃあ後手に回るじゃねえか」

 キリキリと眉を顰めるヒカル。まだ呑気に手を振っている明実を睨みつけると、ダッシュで駆け寄った。

「おまえは少し自覚しろ!」

「? なんのことだ? ああ」

 一瞬だけ話しが分からないという顔をして見せた明実だったが、すぐにいつもの表情を取り戻した。

「安心しろヒカル。『生命の水』に必要な物質の流通は監視しておる。それによれば敵は多くても四体。その中に、おまえの仇もきっと入っておる」

「四人もいるのか…」

 追いついたアキラは、そのニュースを聞いて顔を歪める。

「まあ各個撃破なり、やり方は色々あるだろう。普段からそんな心配していたら、うまい飯が食えなくなるぞい。打てる手は打ったつもりだし、気楽にいこうではないか」

「杞憂というやつだな」

 その明実の説明で納得いったのか、ヒカルが賛成するように頷いた。昔中国の杞という国の人に「空が落ちてくるんじゃないか」と憂いて、家に閉じこもっていた人がいたという。現在の日本で問題になっているヒキオタの元祖のような話である。

 ヒカルも、不確定要素が多いうちにクヨクヨ悩んでいても仕方がないと考えを改めたのだろう。それにいちおう明実も情報を集めているようだし、まったくの無策ではないと感じたのかもしれない。

「ま、四人ぐらいなら、なんとかなるだろ」

 明るい笑顔を取り戻したヒカルは、制服のポケットから新しい柄付きキャンディを取り出すと、包装を剥がして口に放り込んだ。

「さて」

 明実は、実験棟前で展開を開始した『マーガレット・スピンドルストン』をチラリと見ると、その向こうの正面入り口を顎で示した。

「見学していくか」

 アキラがヒカルと顔を見合わせると、ヒカルはうなずき返した。

「見てみようじゃないか」

 三人は連れ立って、実験棟の中へ。体育館時代は履き替えていたのだろうが、土足のままで上がり込んだ。

 バスケットコートが二面は取れそうな棟内は、安物のパーテーションで区切られていた。

 実験棟の正面入り口から入ってすぐの右隅。そこが高等部物理部に割り当てられた区画だ。

 床には半球形のごつい(かまど)のような物がすでに設置されている。脇にあるポンプと太いパイプで繋がれているところを見ると、あの中を真空にして実験をするのだろうなと想像できた。

 その竈には、いくつもの円形をしたハッチが設けられている。一番大きいハッチはちょうど腰の高さである。あそこから中に入って、実験の準備をするのだろう。他にたくさん用意されているハッチは、どれもコースター程の大きさしかない。それが真上から水平まで等間隔に一直線に並んでいた。

「あそこに設置して、目標に向かって飛翔体を発射し、どう金属粉が散らばるかを観察するのだ」

 明実が並んでいる小さなハッチを指差した。

「本当は無段階に角度を変えられれば、よりいいデータが取れるのだろうが、大気圧に勝てる可動式パッキンが手に入らなくてな。一〇度ずつの刻みで実験する予定だ」

「けっこう手間がかかりそうだな」

 コースター大のハッチは、『マーガレット・スピンドルストン』を差し込む穴を塞いでいるのだろう。あれでは角度を変える度に、わざわざ取り外さなければならないだろう。

 アキラの感想に、明実が何でもない事のように言う。

「真空室には、的となる金属粉のプールが設置されている。それを均してからハッチを閉鎖。真空ポンプを稼働させる。求める真空度になるのに八時間はかかる。それから『マーガレット・スピンドルストン』を発射。金属粉の散らばり具合を室内に設置したカメラで撮影し、一つの実験が終了する。真空室を安全に大気圧まで戻すのに、また八時間。それからデータ精査などするから、授業を受けながらだと一回の実験に、一週間は余裕でかかるな」

「それが一〇回?」

 アキラが気の長い話に目を丸くしていると、明実は人差し指を立ててチッチッと舌打ちと共に横へ降った。

「発射する飛翔体の質量、素材や形状などを考えると、その一〇回ワンセットを、何回繰り返していいか分からんぞ」

「うへえ」

 信じられないとばかりにアキラは首を振った。

「ジジイになっても終わらないんじゃないか?」

「そうだろうな」さらっと明実は言った。「しかし、こういう基礎的な実験データの集積は、やっておけば明日の科学の発展に、必ず役に立つ」

「そういうものか?」

 素人目からは、ただライフルで砂場を撃つだけの実験である。アキラが不思議そうな顔をすると、明実も不思議そうな顔をしてみせた。

「この実験をしなければ、では誰かが別の研究で、このデータが必要になった時に、誰がデータを提供してくれるのだ? 『物が当たって飛び散る』という当たり前のような実験。簡単そうな実験だからこそ、必要とされる場面は多いだろう」

「ありがとう」

 横から声がかけられたので振り向くと、そこに頬を赤く染めた芽衣が立っていた。

「別に感謝される程ではない」

 明実はそれが、水が低いところに流れる程度のように言う。

「だが、実際にデータの集積は大変だぞ」

「もちろん、わかっている」

 高校生と見れば二つも年下である。ただし科学者としては、明実の方が遥かに先を行っていた。その彼からの励ましである。

 気負った風に深呼吸をした芽衣は、それを鼻から盛大に吐き出した。

「まあ、オイラにも実利がある話だからな」

「実利?」

 キョトンとして訊くアキラに、悪そうな笑顔を向ける明実。

「興味があるではないか。オイラが造った爆縮機関を組み込んだライフルだぞ。どの程度の威力を見せるか」

「うわあ」

 アキラの口からとても平板な声が出た。

「いや」

 ヒカルが周囲を確認しながら囁いてくる。

「たぶん、こんな大層な武器は、実戦では使えないだろう。だが、まあ。選択肢が増えることは悪い事ではないからな」

「オレには自爆してチャンチャンという、ギャグマンガのオチみたいのしか想像できないんだが…」

 なにせアキラには、幼いころから明実のあんな発明品やこんな発明品の犠牲…、いや実験台…、いやいや最初に使う栄誉を与えられてきた実績がある。

「まあだからこそ、あたしがガンナー役なんだろうけどさ」

 達観したように天井を見上げるヒカル。それに対してアキラは遠慮なく言った。

「右半身が粉々になるとか、頬づけした顔面が失われるとか、覚悟が決まったか?」

 アキラの言葉にヒカルはギョッとする。

「顔は勘弁してほしいなあ」

「まあ、女の子ならね」

 そこだけ聞こえたらしい留美が口を挟んできた。肩にかけたアリスパックを足元に置きながら、彼女も竈のような真空室へ視線を走らせた。

「女の子の顔に傷をつけたら、責任重いからね」

 と明実に言ってはくれるが、重傷を負っても『生命の水』さえあれば、少しの入院で治る身である。どこまで彼が気にしているのかわからない。

「まあ、おんなのこなら、ね」

 意味深にニヤリとしてみせる。

「さて、試射の方だが」

 真空を作るためのポンプは、電動であった。電源である分電盤から、物理部によって、ドラム式延長コードが三本も伸ばされていく。

 槇夫が分電盤に取りつくと、ブレーカを落としてあるのを確認して、その延長コードと分電盤の接続を開始した。

「準備にしばらく時間がかかりそうだが、遊んでいるわけにもいくまい。我々は的の方を担当しようではないか」

「この五人でか?」

 ヒカルが女先輩たちの顔色を窺いながら明実に訊ねた。

「うむ」と一つうなずく。

「私は、的が正確に設置されたか確認がしたい」

 これは芽衣だ。

「ボクは、やること無いからな。別にいいよ」

 こっちは頭の後ろで指を組んだ留美である。

「よし、決まりだ。先輩、的の方は?」

「バスからは降ろしてある」

 作業する背中に訊ねると、槇夫はそのまま作業を続けながらこたえた。

「了解しました。じゃあ、設置に行ってきます」

「おう」

 五人でマイクロバスまで戻る。そこでは模型部がシャベルで穴を掘り、物理部は実験棟からのコードを『マーガレット・スピンドルストン』に接続をしていた。

「オイラたちは、的の設置に行ってくるでの」

「はいよ」

「おう」

 大分息の上がった模型部と、神経質そうな声の物理部の返事が重なった。

「ただ撃って終わりなのかと思った」

 アキラの声に、明実がニヤリと嗤う。

「それでは、面白くないではないか」

「あんなモン。ホントに撃っちゃっていいのかねえ」

 アキラが目で『マーガレット・スピンドルストン』を差すと、横を歩いていたヒカルが、どこか遠くを見ながらボソリと言った。

「引き金を引くときには心で祈りながら引く。その以上に資格なんてないさ」

「歴戦の傭兵みたいだね~」

 明るい声で留美がちゃかしてくるが、ヒカルはガン無視である。ヒカルの正体を知っているアキラは笑えなかった。

 マイクロバスのところまで行くと、折り畳みの台車の上に、赤いポリタンクが三つも乗せられていた。

「的って、これか?」

「おそらくな」

 アキラの質問に、明実は一つの蓋を緩めてこたえた。手で仰いで臭いを鼻へ誘導する。

「うむ、間違いない」

 確信を得てうなずく明実に、不安を覚えたアキラは、彼の真似をするように臭いを嗅いでみた。

「これって…」

「灯油だな」

 同じく臭いを嗅いだヒカルがうなずく。

「これなら離れた位置でも着弾が分かりやすかろう」

 こちらは知っていたのか、芽衣が頷いている。

「派手になりそうだね。大丈夫なの?」

 はっきりと心配しているのは留美だけだ。その尻に乗るように、アキラとヒカルも不安げな顔を明実に向けた。

「大丈夫だ」ニヤリとして「全部燃えてしまえば、証拠は残らない」

 とうとうアキラは自分の頭を抱えてしまった。



 中等部旧校舎と現実験棟を繋ぐ渡り廊下。それが駐車場から見て奥側で、鉤になって北へと繋がっていた。

 渡り廊下自体は、昨日男子寮まで歩いた物と同じ規格で作られており、足元はコンクリート、屋根はトタン張りである。しかし、もう誰も掃除をしないせいか、周囲の雑木林から落ちてきたと思われる、落ち葉やら木の枝やらが散らかっていた。

 そこを、ポリタンクを乗せた台車を押して、五人は歩いて北上した。物理部で見た地図によれば、いずれ高等部に繋がる方向だ。

 一つ丘を越えたぐらいの感覚で、伏せた瓦のような形をした建物が、複数見えてきた。それぞれが人の身長程の高さをしたコンクリート壁で隔離されている。

 いまは大学で倉庫として利用しているが、元は戦闘機の掩体壕であった建物である。清隆学園が建つ敷地が、戦時中は首都圏の西の守りとして陸海軍合同の防空基地だったなごりだ。

 B二九を迎え撃っていた時代から半世紀以上。いまでもちょっと掘れば戦闘機の部品を見つけることが出来る。そんな状況なので、当時活躍した戦闘機を蘇らせようと、活動している大学のサークルがあるぐらいだ。

 それらの倉庫は、爆弾が直撃してもいいように頑丈に作られていることから、理学部で使用する危ない薬品などを貯蔵するのには、もってこいの施設だった。

 倉庫を過ぎると一回渡り廊下は東へ折れた。さらに雑木林を分け入っていくと、砂利道に囲まれたゴシック様式風の建物が見えてきた。

 反対にあたる大通り側には、まるで迎賓館のような車寄せまである、その白い建物が、通称記念図書館である。学園の創始者を記念して建てられた大図書館である。

 裏から見ている分には、教会にすら見える建物だが、見どころは大通り側にある庭園にある。約二万五〇〇〇坪にもなるイギリス風景式の庭園は、それだけを観光目的に訪れる者がいるほどの、清隆大学屈指の文化施設である。

 そこからしばらく歩くと、再び倉庫群が現れる。渡り廊下はここで再び北上を開始した。

「えーと」

 歩き疲れたと自覚が出てきたあたりで、芽衣が例の地図を取り出した。この四角いのが建物を示し、それを繋ぐ二本線が渡り廊下だとすると、そろそろ渡り廊下の最北端に達するころだ。

 地図と周囲を見比べる。すぐそこで渡り廊下が右に曲がっているのが、地図に載っている最北端の角であろう。

 そこから緩やかに南に下がりながら東進していくはずだ。

 周囲は相変わらず雑木林だが、ここらへんは木の密度がまばらで、角まで行かなくても林に入れば迷わずに、斜めにショートカットできそうである。

「あれ? 下見は終わっているんじゃなかった?」

 留美が訊くと、申し訳なさそうに芽衣が口を開く。

「下見に来た時は、道の方から来たから。渡り廊下からでもすぐ分かると思っていた」

「じゃあ、わかんないのか~」

 そのまま五人で頭を寄せて地図を覗き込む。

「よーう」

「きゃ」

 声をかけられて驚いた芽衣が小さく声を出す。アキラとヒカルは殺気のこもった目で睨みつけ、留美は腰のホルスターに手をかけていた。

 見れば、この渡り廊下を、高等部の方向から三人の男子が歩いて来たところだった。

 一番目立つのは、やはり球形という表現が一番似合う、圭太郎であった。

「なに? 忘れ物?」

 ニッコリと丸い笑顔で問われたので、明実が台車に乗せたポリタンクを顎で示した。

「いんや。的の設置。そちらは、いま出勤?」

「そんなとこ」

 指を二本立ててブイサインをなぜかする圭太郎は、不思議な格好をしていた。

 白いタンクトップをはち切れそうに着て、その上に、直接黒革のジャンパーを着ている。下も黒革のロングパンツであるから、体型は別として、今にもデデンデンデデンというBGMが聞こえてきそうな感じだ。

 革服はどちらも、もちろんアメリカンサイズだ。

 その横で微笑みを崩さないのは、寮生の有紀だ。こちらは黒いハイネックのサマーセーターに、茶色いジャケット。下は、制服とは違う濃い紺色をしたロングパンツ。なんかカジュアルディに出勤した草臥れたサラリーマンのようだ。

 最後にこちらへ鋭い目線を向けているのは、校門前であの居合道の少女と戦った空楽であった。黒一色の背広に、臙脂色のネクタイ。それに、着こなした感のある茶色のコート。こちらは場末の町で泥水を啜っている私立探偵といった雰囲気だ。

 三人とも、ほとんど荷物を持っていない。唯一、有紀があの帆布製の肩掛けバッグを提げているぐらい。おそらく着替えた制服などは、男子寮に置いてきたのだろう。

「ちょうどよかった」

 そんな三人へ、さっきまでの警戒心を霧散させた留美が、微笑みを向けた。

「道に迷ったみたいなんだ。わかる?」

 すると圭太郎と有紀が、芽衣が広げていた地図を覗き込んできた。

「あ~、カンシショウね」

 一目で分かったらしい圭太郎は、今来た渡り廊下の角を指差した。

「あっちあっち」

 誘導するように先に立って歩き始める。それに台車を押した明実が続き、有紀、芽衣、留美も続く。

 が、アキラとヒカルは、腕を組んで立っている空楽と向かい合ったまま動かなかった。

「やめろ」

 空楽が不機嫌そうに言った。

「こんなところで殺気を向けてくるな」

「それは、お互い様だろ」

 ヒカルが睨み返すと、空楽は自分の顔をひと撫でした。

「そうだな」

 そして先に行った五人を追うように背中を向けた。

「どうしたんだよ」

 アキラがヒカルの耳に囁くように訊くと、それが夏の夜に耳元で飛ぶ蚊だったように、手で振り払われた。

「やめろ、こそばゆい」

「昨日は、あのカタナ女を退治してくれただろ」

「だからって、味方とは限らねえだろうが。このマヌケ」

 悪しざまに罵って、アキラの肩をド突いてから、右耳をほじるような仕草をする。

「あと、囁くの禁止な。おまえの息がかかると、こそばゆいから」

 しきりに耳の穴をほじったり、耳たぶを擦ったりしているのが可笑しくて、アキラのイタズラ心が疼いた。

「じゃあ愛の言葉も囁いたらいけないんだな」

「あ…、い?」

 その格好で硬直したヒカルが、みるみると顔を赤くする。

(あ、やべ。怒らせた)

 アキラが後悔した時には、ヒカルの右手には銀色の銃が握られていた。

「わあ、バカバカ」

「バカはてめーだ」

 右手一本から両手に持ち変えた銃は、プルプルと震えていた。

「いまここで『施術』でも『再構築』できないぐらいに、肉片にしてやる!」

「わるかった。悪かったから」

 そろそろ先に行った連中が訝しんで振り返る頃である。明実はいいとして、他の四人にヒカルの銃を見せるわけにもいかない。

「ほら、見られる前にそいつを仕舞え」

「愛の言葉だ」

「は?」

「愛の言葉ってやつを言ってみろ。ほら。そうしたら仕舞ってやる」

 銃口を向けられて思わぬ事を強要された。

「愛の言葉ぁ? なんの罰ゲームだよ…。ええと、あいらぶゆー?」

 半秒でハンマーがコッキングされた。

「うわあ」

「もっと、まじめに」

「わかったから、銃口を向けるな」と時間稼ぎをしながら頭をフル回転させる。だが恋に百戦錬磨のドン・ファンであるまいし、ただの高校生にそんな言葉がすぐに出てくるわけもない。空回りした脳細胞が火を噴く前に、もう頭で考えるのを放棄して、口が動くままに喋ることにした。

「ヒカル。出会った時から、エキセントリックなキミに、オレは心を奪われた。本当に好きなんだ、愛してる」

 そのまま沈黙が訪れた。

 果たしてこれで合格だったのか、アキラが心配になり出した頃、ようやくヒカルは震える銀色の銃を下ろしてくれた。

「ち」と舌打ちのような声を出してから銃を背中へ仕舞う。「いちおう許してやるか」

「なにを二人でイチャついておるのだ?」

 二人だけ追いついてこないので心配したのか、明実が手ぶらで戻って来た。

「イチャついてなぞおらんわ」

 さすがにヒカルでも、生身の明実に銃を向けることはしなかった。

「ヒカルには的がどんなものだか見ておいて欲しいのだが」

「わかってるよ」

 言葉を吐き捨てるようにして、ヒカルがさっさと角で待っている五人の方へ行く。それに遠慮するように、アキラが歩き出すと、明実が横にやって来た。

「熱烈な愛の告白だったのう」

「うるせ。それに、あれは罰ゲームだろ」

「果たしてそうかな」

「は?」

 明実まで変な事を言い出したと思って、アキラの足が止まってしまった。



 渡り廊下の北端は、小さな休憩所のような物になっていた。

 といってもコンクリート床にトタン屋根という構造は変わらず、そこが多少広くなってベンチが一つ設けてあるだけだが。

 渡り廊下より南は雑木林だが、北側には起伏ができており、背の高い雑草が生え放題の荒れ地になっていた。その起伏の向こうを窺えば、さらに北側には、さきほど槇夫の車で通った管理用道路が通っているようだ。道路に沿って杉らしい木が植えられている。

 道路の外側は一般の田畑が広がっている。あれが大体、学園と私有地の境目となるのだろう。

「カンシショウって、アレだよ」

 圭太郎が起伏の中でも一層小高くなっている丘を指差した。

 丘までは、誰かが通るのか、荒れ地の藪に一本だけ獣道のような物が残されていた。足元はもちろん土なので、台車は使えない。

「ちょうどいいじゃんね」

 留美が笑顔で後輩男子を振り返る。

「力持ちがこんなにいて、助かったね」

「むう。日本政府によると、男女は平等らしいが?」

 空楽がつまらなそうに言い返す。

「ま、ボクならいいけど。松井先輩の細腕じゃあ無理だからね」

「そんなもの、アキラとヒカルに任せればいいじゃろ」

 これは明実だ。たしかにこの中で単純に力比べしたら、相撲取りみたいな圭太郎はともかく、他三人の男子に負ける気がしなかった。これも『施術』による副作用だ。

「そういうわけには…」

 紳士らしく有紀が眉を顰める。

「ま、後の二つはジャンケンでもして決めて」

 と、最初から諦めているのか、圭太郎がポリタンクの一つを持ち上げると、その獣道を歩き始めた。

「ふん」

 これもつまらなそうに空楽がポリタンクに、手をかける。

「ほな、これも何かの縁ちゅうことで」

 ニコニコ顔の有紀が最後のポリタンクを手に取った。

 巨体の圭太郎が先に行ってくれたので、後からついていく面々は、意外と楽に歩くことができた。

 ドラ焼きの上半分といった形をした丘に差し掛かると、コンクリートでできた階段が長い間隔で設けてあり、ただの坂道を登るよりは楽になっている。

 さして時間もかからずに頂上へ到達した。そこだけ草があまり生えておらず、不愛想なコンクリートの塊が四つ、転がるように丘から生えていた。

 よく見れば頂上全体が古いレンガのような物で舗装されている。レンガの隙間から生えた雑草が、造られてからの時間を示していた。

「ここは基地時代に、タイクウカンシショウが置かれていたのだ」

 感慨深そうに明実が周囲を見回して言った。

「そのタイクウ…、なんちゃらって?」

 聞き慣れない単語に女子グループがキョトンとしているので、アキラが代表して訊ねると、明実は得意そうに指を立てた。

「対空監視哨だ。太平洋戦争当時は、あまりレーダーが発達していなかったから、低空で近づく敵機は、目で見つけるしか方法がなかった。だから基地の端に(やぐら)を立てて、見張りを置いたのだ。そのポイントを対空監視哨と言うのだ」

「じゃあ、これって?」

 一番近くにあったコンクリートの塊を指差すと、明実は首を縦に振った。

「その櫓の土台だな。戦後、この基地が進駐軍の管理下に置かれた時に、解体されたのだろう」

「で? 的なんだが」

 横から芽衣が口を挟んだ。

「ここの上に設置するのが一番合理的ではないか?」

 南西の土台を指差した。

「そうだなあ」

 のんびりとスマートフォンを取り出した明実は、GPSを作動させた。方位磁針を模った矢印が液晶画面でクルクルと回る。

 土台の上に芽衣が広げた地図と、その矢印を合わせて、延長線上へ顔を向けた。

「むう」

 視界に入るのは緑色のみ。

「あ~。見える見える」

 留美が感心したような声を上げるので振り返ると、どこから出したのか小さなオペラグラスを顔に当てていた。

「どれ」

 明実も白衣の内側から手のひらに収まるようなフィールドスコープを取り出し、同じ方向へ向けた。

「中等部の旧校舎でよいのか?」

 空楽は目の上に左手をかざして、肉眼で確認している。

「確認させて」

 芽衣が、光学器を使っている二人へ向けて言うと、留美が簡単に貸してくれた。

「…、確かに」

 しばらく焦点の調整に戸惑っていたが、それが済むとすぐに確認した。そのまま当たり前のようにアキラへ差し出されたので、使ってみることにした。

「うわ」

 こんな小さな双眼鏡なのに、風景が肉眼で見る時よりもくっきりと立体視できた。雑木林が緑の山を作っている。その谷間に実験棟が見えた。青色のマイクロバスと、そこから離れた位置に、模型部が掘った穴へ、物理部が『マーガレット・スピンドルストン』を設置しているのがわかる。

「よし、じゃあコイツを仕掛けちまおう」

 圭太郎が地図を避け、有紀が土台の上にポリタンクを並べていく。わずかに生えていた鉄骨に、これも明実が白衣のポケットから出したビニール紐でグルグル巻きにする。

「ショウ、聞こえる?」

 設置が終わったあたりで、芽衣が自分のスマートフォンで誰かに電話をかけた。向こうで設置していた一人が伸びあがり、腕を頭の辺りに上げる。

「そちらから、こちらが見えるかしら?」

 どうやら確認してもらっているようだ。

「赤い標的が見えればOKなんだけど? 見える? 見えるのね。はい、ごくろうさま」

 スマートフォンを切って一同に振り返る。

「的はこれでいいみたい。向こうの準備も大体終了ですって」

「じゃあ、戻るかいの」

 明実の音頭で、八人は下山を開始した。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ