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六月の出来事B面  作者: 池田 和美
4/11

六月の出来事B面・④



「こらあ」

 月が替わって、衣替えも進んだ清隆学園高等部一年一組の教室に、勇ましい声が響き渡った。

「逃げようとするなぁ、真鹿児ぉ!」

 終業の学活が終わると同時に、そっと教室から抜け出そうとしていた真鹿児(まかご)孝之(たかゆき)が、首をすくめた。

 一見して彼を表現するなら「印象の薄い少年」である。背は高からず低からず、その面差しも十人前以下。ただし不細工と断言できる程ならば、それはそれで特徴になるだろうが、そうでもない。姿勢が悪いのか猫背気味なのが特徴と言えば特徴なのだが、こうして怒鳴りつけられなかったら、一生他人の背景として霞んでしまっているままであろう。

 そんな地味な彼に声をかけたのは、とても印象的な少女だった。

 髪は手入れを怠ったぐらいの長さになったボブカット。切れ長の目には意志の強そうな瞳が輝いていた。

「くぉるぅおわあああ」

「ぐへええ」

 少年に突進した少女は、ガッチリと彼をスリーパーホールドに押さえ込んだ。

「また始まった…」

 教室の後ろで始まった、ここ一組で放課後が始まるための儀式のような騒動に、教室最前列という居眠りが許されない席の海城アキラは、椅子に座ったまま振り返った。

 もちろん一日の授業を終えたばかりであるから、元男子とはいえ、いまは「女の子のようなもの」であるアキラも、半そでのブラウスにプリーツスカートと同じ紺色のベストという清隆学園高等部の夏用制服を身に着けている。お洒落な女子の一部は、カラーブラウスなどを着てくることもあったが、アキラは学校指定である臙脂色のネクタイを緩めに締めている以外は、おおむね真面目な格好をしていた。

 振り返って視界に入る孝之の頭には、昨夜の寝ぐせがまだピンピンと残っていた。もしかしたら印象が薄いのを逆手に、授業中に居眠りしていたのかもしれない。

その頭を小脇に抱え込んでいるのは、この四月から、何の因果かアキラと同じ班を組むことになった藤原(ふじわら)由美子(ゆみこ)であった。

 彼女は孝之と正反対といった性格で、なんにでも全力で取り掛かる、元気一杯な少女であった。そんな彼女に女子たちがつけたアダナは「王子」であった。

 一年一組の図書委員は、男女一人ずつ。女は由美子で、男は孝之である。由美子の方は委員会の方でどうやら副委員長に就任したらしく、毎日忙しく働いているようであるが、孝之はそれとは正反対に、所属する天文部の方ばかりかかりきりになっていた。

 それで、毎日のカウンター当番をさぼろうとする孝之に、由美子が掴みかかるという騒動が起きるわけだ。

 コメカミを絞められたまま、孝之はやる気のない声で喚くという、不思議な芸を披露する。

「いや、後生だ。今日はぎょしゃ座のカペラが見ごろで、はやく観測体制を構築しないとだな」

「かぺら?」

 由美子がキョトンとして、教室の天井を見上げた。

 大してきれいでもない照明を見上げて、やっと必要な知識が仕舞われている脳細胞に行きついたのだろう、クワッと牙を再び剥くと、ガナリ声を上げた。

「それは冬の星座だろ。いまは六月、見えるわけないじゃない!」

「それが、そうでもないんだなあ」

 由美子が思考の海へ沈んでいる間に、頭に巻きつけられた彼女の腕から脱出した孝之は、へへんと胸を張った。

「昼間でも一等星なら、望遠鏡を使えば誰でも見ることはできるんだなあ」

「うそおっしゃい! アンタは、ただ図書室の当番がやりたくないだけでしょお」

「ええと王子…」

 力む由美子の横から声をかけた人物がいた。いや、それは人の姿をしているが、果たして実体があるのだろうか?

 そのぐらい、そこに立っているのは、あまりにも完璧に美を表現しているモノだったのだ。

 まるでコンピューターが自身の持つ最高の計算能力で黄金律を計算した結果、その空間に立体映像として実像を投写したようなかのような存在。白い肌に包まれた肢体は、アキラや由美子と同じ紺色の制服を着ているはずなのに、どこまでものびやかで、そして自由だった。その指の一本を取っても、神の造形物の中でも一、二を争うほどの曲線であり、かのダビンチが描いたとされるジョコンダ夫人の絵画すら超えていた。長い黒髪は腰のあたりで、毛先だけがあるかないかのそよ風を受けてさざめいていた。

 とうとう人類の技術もここまで来たかと思わせる程の完璧な美少女。というのはもちろん比喩で、驚くべきことに彼女にはちゃんと血も肉もあった。

 四月から生徒会が非正規で定期的に行っている学年(裏)投票において、三か月連続で『学園のマドンナ』に選出された美少女、佐々木(ささき)恵美子(えみこ)である。その記録は、歴代の『学園のマドンナ』の在位記録として三人目のタイ記録であった。このままだと四か月連続の新記録も確実であろう。

「なによ? コジロー」

 その剣道の腕前と、名字から連想する剣豪からつけられた恵美子のアダナで聞き返す。

「私の知り合いの人…、そう仮名をつけるなら池田和美ってことにしとくけど、その人は昼間でも肉眼で星を見ることができるって言ってたわ。まあ、最近じゃあ老眼が進行して、なんにも見えないらしいけど」

「はぁ? なによそれ? どんな変態よ」

「まあ、視力が二、〇以上あれば可能な芸当だろうと思うよ」

 孝之が肩に自分の荷物をかけたまま腕組みをした。

「二、〇って…」

 信じられないという顔をした由美子に、孝之は敬礼を返した。

「ま、そういうことで、後はヨロシク」

「あ~~~~」

 パッと廊下へ姿を消した孝之を追って、由美子が全速力で走り出した。といっても足に軽い障害がある彼女は、ひょこひょこと小走りになる程度であったが。

「こらまて! 真鹿児ぉ!」

 由美子の怒鳴り声が、廊下へとドップラー効果で歪みながら尾を引いて行った。

「肉眼で星をねえ」

 学習机に頬杖をついたアキラは、そのまま窓から外の風景を見た。

 高等部の敷地は高い壁で周囲を囲われているのだが、ここ三階からは遠く向こうの田んぼまで見通すことができた。もちろん並みの視力であるアキラには、まだ梅雨に入る前の、普通の青空しか目に入らなかった。

「そんなこと可能かねえ」

「できんでねえの?」

 新しい声が上からする。チラリと振り返ると、夏の制服の上から白衣を着た人物が、アキラの席の横までやってきていた。

 アキラの幼馴染の御門明実である。アキラと同じクラスにいるのには、理由がある。

 日本語のイントネーションが多少おかしいのは、彼が純粋な日本人では無いからだ。

「そういやクウェートで知り合ったパイロットも、昼に星を見る訓練をしていたなあ」

 カチャカチャと制服姿の女子高生に似つかない音をさせて反対側から近づいてきたのは、アキラと違ってまだ冬の制服を身に着けた新命ヒカルである。音の正体は、彼女が両腿に巻いた拳銃のホルスターである。いつ襲われてもいいように、中身もばっちりと入っている。

彼女が二人を護衛しやすいようにと、明実が裏から手を回して、三人は同じクラスとなったのだ。

 明実はこの若さにして複数の工業パテントを持つほどの天才で、この清隆学園の大学付属研究所に、研究室を持っている程なのだ。大人たちの評価は「明日のノーベル賞受賞者のその候補」といったところ。本人は、自分の出自を引き合いに「道産子とスロバキアの混血(ハーフ)でチャキチャキの江戸っ子」と言って憚らない。深く考えては負けだ。一事が万事こんな調子の少年なのである。

 大学の方に研究室を持っているぐらいだから、学園上層部には顔が利く。幼馴染と同じクラスがいいとかいう、少々の我儘はそうして通すことが出来るのだ。

「このステルスだ、OTHレーダーだと言っている時代に、有視界戦闘も無いと思うが?」

 当然の質問に、ヒカルは何でもないようにこたえた。

「会ったのは砂漠の国の大統領が、国連決議とやらを蹴っ飛ばして大騒ぎになった後だったし。それに乗っていたのはウォートホッグだったみたいだし」

「ああ、それじゃあ目が大事だな」

 納得いったとばかりに、顎へ手を当ててうなずく明実。

「なによ、また私がわからない話ししてるぅ」

 三人でかたまって話していると、頬を膨らませて恵美子も合流してきた。日本人の父親と欧州人の母親との混血である明実は、仲間内で集合する時に目印になる程背が高いが、恵美子もモデル級のスタイルで、こちらも背が高い。へたをすると平均より少し低いぐらいのアキラとヒカルとは、大人と子供ほどの差に見える時があった。

「大丈夫だ。オレもわからん」

 正直にアキラは告げた。傭兵まがいのスキルを身につけているヒカルと、何でも知っている明実が暴走すると、周囲がまったくついていけなくなる会話となるのだ。

「わからんのは、おまえの頭の中身だマヌケ」

 とヒカルがつついてくるのを、首を傾げてかわす。

「何を言う。オレはとても常識的だぞ」

「どこがだ?」

 訝し気な声を上げるヒカルに、明実が同調するような意見をあげた。

「たしかに、ちょっと考えれば分かるようなことを、説明されないと気が付かない節があるな」

 おそらく高等部どころか学園全体で調べてもIQの数値が一、二を争うような上位にあるはずの明実と比べないで欲しかった。明実は知能が高いなりに、一を聞いて十を知るというようなところがあったが、アキラは(身体的な事は除いて)ごく一般的な高校生なのだ。

「今度、そのマヌケな頭をカチ割って、中身を見てみたいもんだぜ」

 ヒカルの物騒な物言いに、明実が感心したような声を出した。

「今度の研究のテーマはそれにするか。『思考の映像化』。ちょうど先月開発した『睡眠洗脳学習電波発生装置』を応用すれば可能になりそうだ」

「なんだよ、そのいかにも怪しそうな機械は?」

「まあ、なんだ。離れた位置からこちらの望む夢を相手に見させる装置、と言ったらいいか」

「ホントかよ」

 幼馴染はノーベル賞級の頭脳を使って、また新しい発明をしたみたいだ。アキラは、その最初の実験対象が「また」自分でないことを祈りたい気分である。たしか小学五年生の夏休み、学校の宿題である自由研究で明実が発明した「着たまま洗濯乾燥機」では、洗われるまでは夏という事もあり気持ちいいぐらいだったが、乾燥の段階でミイラになりかけた。

「それよりも…」

 悪戯気に目を輝かせた恵美子が、アキラの席に手をついた。ベスト越しに大きな胸が反動で揺れるのに、目を奪われる。姿形は「女の子のようなもの」だが、中身は思春期の男の子なのだ。

「新しい英語の講師が来るっていう噂、聞いた?」

「新しい講師?」

 キョトンとするアキラの頭の上に、ヒカルの腕が置かれた。

「聞いてないぞ」と責めるような視線を、ヒカルは明実に送る。明実は肩をすくめただけだ。

「重いぞ」

 うるさそうにヒカルの腕を払いのけ、下からヒカルを睨みつける。

「オレの頭は、ひじ掛けじゃねえ」

「お、すまんすまん。あまりにマヌケで役立たずだから、有効活用しようと思ってな」

「大丈夫よ、ヒカルちゃん」

 ニッコリと笑顔を作る恵美子。

「アキラちゃんは取ったりしないから」

「あのなあ」

 ヒカルが眉を顰めた声を出す。顔はいつも不機嫌そうに固定されているから、あまり変わらないのだ。

「そんな関係じゃないって、何度言ったら分かるんだ?」

 たしかに、四月の事件では二人で揃って死ぬような目に遭ったし、五月には二人で一緒に特殊なバイトとやらで名古屋まで行った。

 だが待って欲しい。元は男の子とは言え、明美に『再構築』されたアキラは、少なくとも外側からは「女の子のようなもの」に見える。

 対して、こちらもだいぶ昔に『創造主(マスター)』が『構築』した『創造物(クリーチャー)』であるヒカルも、同じように外見は「女の子のようなもの」に見える。

 これでは(まあ中身は別として)女の子同士の同性愛になってしまうではないか。もちろん最近ではそういった者にも市民権が与えられるようになってきたのは知っているが、アキラは普通の異性愛者だった。

 それに明実から受けた『再構築』とやらの副作用か、アキラには恋人が欲しいだの、誰かと一線越えたいだの、男だった頃みたいな強い性欲はなくなっていた。そりゃあ目の前で形のいい胸が揺れたら目を奪われたりもするが、逆に言えばその程度だ。それで恋人とか言われても困る。

「新しい講師ってのは、ホントみたいだよ」

 第五の声がかけられて一斉に振り向くと、そこに教室から出て行ったはずの孝之が立っていた。どうやら廊下に飛び出た風を装って、由美子とは入れ違いに教室前方の扉から戻って来たようだ。

 これで由美子は、虚しく彼を探して、校内をさ迷うことが決まったも同然である。

「小石ちゃんが言ってたもの」

 小石ちゃんとは天文部の顧問を務める地学担当の小石健介教諭である。歳は中年に差し掛かっているが、今でも大学生の延長というような雰囲気なので、生徒から親しみをこめて「ちゃん」づけで呼ばれているのだ。

「小石ちゃんがかぁ。じゃあホントなんだね」

 ニッコリと恵美子が笑顔を向けると、孝之の頬がほんのりと赤くなった。なにせ相手は『学園のマドンナ』である。その微笑みを独占したいと思っている男子生徒は、おそらく全学年の半分は下らない。

「な、なんか、外国人らしいよ」

 しどろもどろになりながら孝之は自分が仕入れていた情報を披露した。

「外人さん?」

 パチクリと大きく瞬きする恵美子に、こちらはつまらなさそうに柄付きキャンディの包み紙を解いていたヒカルがこたえた。

「ちょっと前の日本じゃあ珍しかったろうが、今じゃそうでもないだろ」

 パクリと口の中にキャンディを放り込み、その咥えた柄で明実を差した。

「アキザネだってハーフだし。あたしだって三〇パーセントは外人だ」

「三〇パーセント?」

 キョトンと恵美子が目を丸くする。親のどちらかがならば五〇パーセント、祖父母なら二五パーセント。どうやっても三〇パーセントという数字にはなりそうもない。

 これは、ヒカルの身体は五人分の死体を集めて『構築』されたという事情がある。その内一人が外国人で、一人が混血だったらしい。一人と半分が外国の血だから三〇パーセントという計算である。

「あれ? アキラちゃんと従姉妹なんだよね?」

 恵美子の質問に、アキラの背中にぶわっと冷や汗が浮き出た。

 教室での設定は、アキラとヒカルは従姉妹同士という事にしていた。これは主に警護の目的で、海城家にヒカルが居候していることも関係していた。もちろん一般生徒である恵美子には『施術』のことや、命を狙われるような物騒な事は秘密にしていた。

「アキラちゃんも、ハーフなの?」

「ちげーよ」

 イライラとキャンディの柄を上下させながら、ヒカルが説明を開始した。

「こいつんちのオバサンと、あたしの母親が姉妹。それで従姉妹ってわけだ。父親が日本とフランスの半分ずつ」

「それだと二五パーセント…」

「計算間違いだ」

 ばっさりと言い切って恵美子を黙らせる。剣道をやっていて精神面も強い彼女にこんなことができるのも、ヒカルの実力であろう。

 すると横から機嫌を悪くした声で、明実が口を挟んできた。

「カナエさんは、けっしてオバサンなどでは…」

「え?」

「いいから、おまえは黙ってろ」

 カナエというのは、海城香苗という外見はアキラとそっくりな女性である。それもそのはずで、海城彰を産んだ実の母親なのだ。

 前に恵美子へ写真を見せた時に、今のアキラと間違えたぐらいに若作りである。その時に、説明が面倒で姉妹という事にしていた。そのことを恵美子は覚えていたのだろう。

 恵美子は、話しが繋がらずにキョトンとした目をしているが、そんな表情すら絵になった。

 そんな彼女が聞いているのにも関わらず、まだ明実はオバサンじゃないとブツブツ言っている。

 ややこしいことに、香苗は明実の片思いの相手でもあった。

 その明晰な頭脳に比例して、明実は早熟な子供であった。そして、そんな子供の成育環境に(海城家と御門家は隣接している)美人で幼馴染の母親という存在である。

 だがしかし、考えて欲しい。幼稚園に通う自分の子供と仲良くしてくれる友だちに「オイラ、おばちゃんのおムコさんになる」といわれた女性の反応を。普通だったら「そっか、じゃあ大きくなったらね」と答えるのが普通であろう。

 明実はいまもそれを信じて、公言して憚らないのであった。ちなみにアキラの父親であり、香苗の夫である海城剛は健在で、今週は山梨の取引先へ出向中である。

「はあ」

 もう、何もかも説明するのが面倒臭くなったアキラは、顔に手を当てて溜息をついた。

「どうでもいいけどさあ」

「?」

「時間、大丈夫なのか?」

 アキラの質問に、恵美子と孝之が同時に壁の時計を見上げた。恵美子は剣道部のエースとして活躍しており、孝之だって天文部所属だ。

「あ、いけない。じゃあね」

 バタバタと自分の席へ荷物を取りに行く恵美子。それに対して孝之はスマートフォンのアプリを起動させていた。

「うん、そろそろかな」

 どうやら星座早見盤と同じ役割をするアプリのようだ。アキラには少しも分からない黄色や赤色の線が引かれた点々だらけの画面を熱心に確認して、一人で納得している。

 嵩張る防具などは剣道場がある格技棟へ置きっぱなしになっているのか、意外に少ない荷物で恵美子が教室から駆けだして行き、その後に続いて孝之がゆっくりと出て行った。

「さて、オイラたちも行くかいの」

 変なイントネーションで変な日本語を使って促す明実。残された三人は、科学部所属という事になっていた。

 実験などを楽しむ化学部ではない。科学部というのは、物理部や数理研、手芸部から華道部まで文化会系部活の総元締めにあたる組織である。甲子園などの派手な大会がある運動会系部活に予算が取られがちな文化会系部活が寄り集まって作った組織で、いつもなら難航する予算折衝などを担当することになっていた。

 四月に化学部に入って、文化会系部活の地位の低さに憤慨した明実が、ほとんど一人で作り上げた組織だ。

 ということで、明実は科学部総帥を自称していた。

 アキラとヒカルの二人は明実といつも行動を共にしていた。これは春に命を狙われていたという裏事情によるものだ。しかしそれを知らない周囲からは、すっかり科学部総帥の美人秘書二人、という認識である。

 じっさい本当の年齢はずっと上であるヒカルは、戦闘能力だけでなく事務能力も優れており、明美が抱え込んでくる仕事のサポートをすることも多かった。

 三人は連れ立って、教室から出た。西階段を一階まで下ると教室を収めるB棟から、購買部、学食、自販機コーナーなどを揃えるD棟へ移り、校内を北上する。

 この清隆学園高等部は、野球ができる校庭をA~D棟の校舎が取り囲んでいるという、中の抜けた正方形という形をしていた。

 その北側に位置するC棟西側。校庭と校舎の外側に位置する体育館などの設備と行き来をしやすくするために設けられた「非常口」という名前の裏口、その脇にある狭い教材倉庫が科学部の根城であった。

 明実が白衣から鍵を取り出し、まるで潜水艦のハッチのような気密性の高い扉を開く。

 そこは六畳ほどの広さしかない。しかも窓際には数々の段ボールが散らかされたままになっていた。

 まともにあるのは二組ほどの学習机と椅子のセット。そのうち一つにはノートパソコンが鎮座しており、もう一方には段ボールを切って作った「科学部事務局」の看板が貼りっぱなしになっている。

 その看板を机ごと廊下に出せば、科学部の営業開始というわけだ。

 明実が、少々高い敷居を苦労して越えながら、机を出す。それで入り口の扉が閉まらぬよう押さえにして看板の準備も完了だ。

「さてと」

 自分の仕事に満足した明実が戻って来る。

 途中の自販機コーナーで買っておいたペットボトルを、ノートパソコンの横に並べながら、ヒカルは頬杖をついた。

 あとはトラブルの方が勝手に舞い込んでくるというのが、ここのところの科学部の日常であった。

「まったく、気を付けろよな。二人とも」

 落ち着いたところでアキラが口を開く。それを聞いてアキラとは机を挟んで座っているヒカルが、機嫌の悪い声をあげた。

「あ? なんだって?」

「コジローに、うっかりバレそうになってたろ。うかつなこと言うから」

「そうか?」

 一人立っている明実が不思議そうな声を出した。

「ササキにはピンと来ていなかったようだが」

「どちらにしろ…」機嫌悪そうな態度で腕を組んだヒカルは言い切った。「マヌケなおまえにゃ言われたくないわな」

 他に誰もいないからの気安さからか、机に向かっているからの油断からか、ヒカルは足を大きく開いて胸を張る。女子用制服にスラックスも制定されている高等部であるが、ヒカルが履いているのはプリーツスカートなので、健康そうな肌艶をした太ももが目に入ることになる。

 そこには無骨なホルスターが巻いてあり、きれいな肌とのコントラストが綺麗だった。

 と、その視界を制限していたスカートが、突然風も無いのにひらめいた。

 次の瞬間には、アキラの額へ硬い物を捻じ込もうとするような、ゴリッという感触があった。

「どこ見てやがんだ? あ?」

 つい下に目が行っていたアキラに、ヒカルが電光石火で引き抜いた黒色の自動拳銃を、これでもかという勢いで押し付けたのだ。

「まてまて」

 慌てて両手を上げて降参のポーズを取る。そうでないと本気で発砲する事を、アキラは経験則として知っていた。

 さすがにこの距離で発砲されたら、痛いで済むわけが無い。

 このスライドに「GUILTY」と彫刻された黒い拳銃は、残念ながら本物であった。調達した明実のよると「便利な通販」だったらしい。身を守ってもらうために彼が用意したものだ。

「まあ、まて」

 明実が優しく、銃を握るヒカルの左手に手を置いた。

「こんなところで撃つんでない。発砲音の逃げ場が無いから、我々の耳が死ぬことになるぞ」

「そっちかよ!」

 たしかにこの部屋は、入り口とは反対の壁に裏のテニスコートが見える窓以外、三方をコンクリートに囲まれていた。普段喋る声ですら少々反響しているほどなのだ。火薬で鉛弾を亜音速で撃ちだす拳銃を、こんなところで発砲したら音の逃げ場が無くて、室内にいる全員の耳へ深刻なダメージがあるだろう。

 いや、撃たれた本人はそれ以降、聴覚の心配をしなくてもよいかもしれないが。

「ふん」

 そんなことは分かっているとばかりにヒカルは鼻を鳴らすと、見事なガンスピンを決めた後に、左腿に巻いたホルスターへ黒い拳銃を戻した。

 そんなところに巻いているホルスターへ銃を収めるのだから、ずっとスカートをたくし上げなければならない。すると座っているからこそ、余分に上の方まで見えることになってしまう。

 今日は青色であった。

「スカートの下にスパッツでも履いてみるか?」

 いちおうそっぽを向いて赤くなっているアキラの横で、それがただの布切れのような反応の明実が提案する。

「蒸れて暑いだろうが。とくにこれからのシーズンはよ」

 咥えていたキャンディを噛み砕かんばかりの口調でヒカルは言い、アキラを睨みつけながらスカートの裾を直した。

「いつまでも見てるんじゃねえよ」

「見てねえよ!」

 顔を戻してアキラは悲鳴のような声を上げた。

「本当かぁ?」

 疑いの眼差しを受けて、アキラの顔が泣きそうなほど変化した。

「ふん、マヌケが」

 今度はヒカルがそっぽを向いた。

 それを待っていたかのように、明実から電子音が流れ始めた。音につられて振り向くと、白衣の懐からごつい印象の電子機器を取り出したところだ。まるで安物のスパイ映画に出てくるようなそのメカは、明実が自作した「象が踏んでも壊れない」スマートフォンである。

「失礼」

 二人に断って耳へ当てる。

「いまか? 科学部の事務局におるが? そうだC棟一階の。ふむ、ふむ。了解」

 短い通話で終了する。

「なんだ? またトラブルか?」

「うむ。フジワラが来るらしい」

 ヒカルの質問に、明実がこたえた。

「そんなトラブルシューティングばかりやってないで、色々と仕事があるんじゃないのか?」

 アキラは腕組みをすると下から明実を睨みつける。

「オレを元の男に戻す『再々構築』の方法を見つけるとかさ」

 突然こんな身体にされて、アキラは戸惑う事ばかりなのだ。だが明実の説明によると、すぐには男の体へ戻せないらしい。どうやら「色々と足りないモノ」があるとかなんとか。

「ほお、オイラが暇に見えると」

 心外だと言外に述べながら明実も腕組みをした。

「こうしている間にも色々なプロジェクトが同時進行中だぞ。もちろんその中に『再々構築』の技術に関する事だって入っている」

「じゃあ、おまえが先頭に立って早くやれよ」

「んにゃ」

 ひょいと様になる程に肩を竦めてみせる。

「基本的な実験結果のレポート待ちだったり、サンプルの化学反応待ちだったり、オイラが直に取り掛かっても、モーターを空転させるようなもので、才能の無駄遣いにしかならん。そんなことをするぐらいならば、今プロジェクトが進行している宇宙における爆縮機関の運用に関する論文に取り掛かった方が、はるかに人類の発展へ貢献するだろう」

「そういうものなのか?」

 なんか面倒くさいからほったらかしにしてあるという事実を、美辞麗句でごまかされたような気がする。

「そういうものなのだ」

 エヘンと無駄に胸を張ったところで、廊下に置いた机がコンコンと二回鳴らされた。

 振り向くと、天板をノックした手で二人へ挨拶しながら、由美子が部屋に入って来るところだった。

「ちわー、邪魔するよ。アンタたち暇みたいね」

「アキザネによると」ジロリと何か言いたそうな目で明実を見たヒカルが言った。「複数のぷろじぇくとが進行しているらしいぞ」

「また悪だくみ?」

 呆れた様子を隠そうとせず、明実の前で由美子は腕を組む。

「なぜオイラのやることが、悪だくみと決まっておるのだ?」

「アンタだからだろ」

 当然の質問を、由美子はバッサリと一刀両断。それを面白そうに見ていたヒカルは、咥えていたキャンディの柄を揺らしながら訊いた。

「で? なんか用事があって来たんだろ? ちなみにマカゴを探してくれっていうならお断りだぜ。あたしはそんなにヤボじゃねえ、自分で探しな」

()で、あいつを探さなきゃならンねん。まあ、探しちゃいるけど」

 ちょっとだけ牙を剥いてから真面目な顔を取り戻す。

「仕事を頼みたくて、誰か適任者を探してンのよ」

「カウンター当番か?」

「ちがくて」揚げ足を取りにきたヒカルに鋭く返し、ちょっと困った顔を取り戻してから明実に向きなおす。

「校内の写真を撮りたいのよ」

「校内の? ならば自分のスマホで…」

「そうはいかないのよ」

 話しが繋がらなくて明実は首を傾げた。そしてポンと手を打った。

「なんだ故障か。オイラに預けてくれれば明日の朝までに、赤外線からX線まで何でも撮影可能に…」

「そうでもなくて!」

 由美子は地団駄を踏んだ。

「病院じゃあスマホ禁止でしょ」

「まあな。医療機器、しかも生命維持に必要な物が誤作動を起こす引き金になるからな。そういうことか」

 一人納得してうなずく明実。アキラがキョトンとした顔をしていると、由美子が付け加えてくれた。

「見せたい相手は、入院してるのよ」

「ああ、なるほど」

 ただ医療関係者ならば、病院の外で会えばいいだけの話しだ。だが入院患者ともなると、程度にもよるが、そうはいくまい。

「そういう紹介も、アンタたちがやってくれるって聞いたから」

 たしかに文化会系全体としての金勘定を取り仕切る団体であるが、そういった横の繋がりの紹介みたいな仕事も科学部は手を付けていた。最近では、チラシを作成するために、校内で空いているプリンターと接続したパソコンを探していた刀剣研究部に、ゲーム研究部のソレを紹介したばかりだ。

「写真部の大戸島先輩でいいかな?」

「写真部」

 明実の提案に、とても不安そうな顔をする由美子。

「大戸島先輩なら女性だし、フジワラの求める写真を撮ってくれるんじゃないだろうか」

「女の先輩なのね」と胸を撫でおろす。なにせ清隆学園高等部の写真部ときたら無駄にアグレッシブなのだ。一例をあげると、入学式当日に恵美子のブロマイドが、学園(裏)投票のためとかいう理由で、校内にワンセット三○○○円で飛び交ったぐらいだ。

 ちなみに写真撮影に関することをメインにする部活としては、もう一つ高等部に存在している部活があった。

その名も美少女研究会。

こちらもガッツリ学園(裏)投票に噛んでいる。ただしこちらの部活は、盗撮などでいかがわしい映像を収集しているという噂で、女子生徒が自ら近づくには、とても抵抗がある。

 そちらでなく(まだまともな)写真部の、しかも同性の先輩を紹介してくれるという話しなので安心したようだ。

 さらにそういうアングラな組織として、美幼女研究会という存在があるとか無いとか。たしかに数年前まで同好会資格で存在はしていたのだが、同じ清隆学園の幼年部(幼稚園)や初等部(付属小学校)の更衣室などへ不法侵入を繰り返した末に、盗撮容疑で警備員に捕まるという不祥事を起こし、生徒会から解散を命令された。

 ただし正式にはそういう事にはなっているが、なんにでもバイタリティ溢れる清隆学園の生徒の事である、この高等部のどこかでいまだに暗躍しているという噂であった。

「ちゃいと待ち」

 再び明実は自分のスマートフォンを取り出すと、どこかへ電話をかけ始めた。

「しっかし、ガッコの写真?」

 由美子が手持無沙汰になったのを見て、ヒカルが声をかけた。

「入院って、親戚か何かか?」

「えーと」

 由美子は困った顔を作った。

「ともだち」

「ともだちねえ」

 曖昧な答えであったが、それで納得したかのようにヒカルはうなずくと、自分のバッグをドカリと机の上に乗せた。

 中から小瓶に入った小さなクッキーが出てくる。

「食べるか?」

 広口を塞いでいた、まるでコースターのようなコルクを外し、女の子でも一口で放り込めるような小さな焼き菓子を勧める。

「ありがと。どうしたの? コレ」

 遠慮なく手を出した由美子の質問に、なぜだか頬を赤くしたヒカルがそっぽを向いた。

「自分で焼いた」

「へええ。ちゃんと焼けてンじゃない」

 ポリポリと口の中で砕きながら味の感想を伝える。

「よいかな?」

 明実の長い指が伸びてきて、ヒカルの返事を待たずに一つを口にした。

「いま、写真部の天野部長と連絡がついた。これから行くか?」

「ええ、お願い」

 明実が先に立ち由美子が後に続いた。(もちろん紳士な明実は、部屋を出る時には、由美子へ道を譲っていた)

 トラブルを持ち込んだ本人と、何かと騒がしい変態が去ると、部屋の中が寂しいぐらいに静かになった。

 チラリとアキラはヒカルを見た。

 ヒカルは何事も起きていないかのごとく、ノートパソコンの起動を始めた。

「ゲフンゲフン」

 わざとらしいアキラの咳払いに、ヒカルもチラリとだけ視線をよこした。

 そのまま、お互い無言な時間が流れる。

 それを破ったのはアキラだった。

「あのう」

「なんだ? 言いたいことがあるなら、はっきり言えマヌケ」

 いつもの狂犬が噛みつくような調子のヒカル。

「オレも貰っていいか、ソレ」

 とアキラが小瓶を指差すと、不機嫌そうにまだ起動していないマウスを無意味にグルグルと回した。

「ま、いいんじゃないか。ヤクソクだし」

「やくそく…?」

「おまえ、まさか忘れたんじゃねえだろうな」

 睨まれて背中に冷や汗がブワッと集まった。

(たしか旅先のウドン屋で話したんだっけか)

 先月に二人きりでドライブに出かけた時の話しである。その時にお菓子を作ってくれるとか話した記憶があった。

「もちろん覚えてるって」

「いいわけに聞こえんだよなあ」

 ブツブツ言いながらもヒカルは小瓶をアキラの方へ差し出した。

 焼きたて程とは言わないが、香ばしい匂いが鼻を包む。一つ摘まんで口に入れた瞬間に、ホロリと砕けて甘みが広がった。少しだけ舌の上に残る塩味は、隠し味だろうか。

 店で売っている物では考えられない程のバランスの良さである。

「うまいな」

 ガサツさが目立つヒカルが作った物とは思えず、アキラは目を丸くして次の一個を取った。

「当たり前だろ。あたしが作ったんだから」

 さらに頬を赤くして完全に外の風景へ向いてしまう。アキラは、新しい一つを摘まみ上げながら、そのきれいな横顔をまじまじと見つめた。

「な、なんだよ」

 見られたことを意識して、ヒカルがさらに機嫌悪そうに訊いた。

「いや、まあ」

 言葉を濁しながら二つ、三つと口へ運ぶ。が、慌てたのがいけなかったのか、頬張ったのが多すぎたのか、粉になったクッキーが気管の方へ押し寄せた。

 アキラは目を白黒させながら咳き込み始めた。

「ほんとマヌケだなあ、おまえ」

 ヒカルは呆れたようにお茶のペットボトルの蓋を開け、椅子の上で悶絶するアキラへと渡してやった。

「すまん」

 咳のせいでろくな言葉にならない。ヒカルは、お茶をラッパ飲みするアキラの背中をさすろうと、わざわざ机を回り込んで来てくれた。

「慌てて食べるからだぞ」

 返事は咳でしか返って来ない。

「しょうがねえなあ」

「おおっと」

「?」

 廊下から声をかけられた気がして、二人は一斉に振り返った。

 そこには、もう写真部へ行って来たのか、白衣姿の明実と、直径二メートルはあろうかという球形の物体がいた。いや球体ではない、それは清隆学園高等部の制服を身に着けている。

 潜水艦のハッチのような入り口を、苦労してくぐり抜けながらやってきたのは、最近明実が仲良くしている男子生徒であった。

 一年二組の十塚(とつか)圭太郎(けいたろう)である。

 まるで相撲取りのような胴回りを持つ圧倒的な存在感の同級生に、二人は見ただけで部屋の温度が上がった気がした。

「これから百合姫展開のところを邪魔しちゃって、悪いねえ」

 ニコニコと人好きする笑顔で凄いことを言った。

「はあ?」

 ヒカルが眉を顰めた声を上げると、笑顔を一層大きくして「冗談だよ」と軽く流した。

「写真部行ったんじゃないのか?」

 アキラの当然の質問に、明実がさも簡単そうにこたえた。

「今日の写真部は暗室にこもって現像をしておる。暗室なぞ、すぐそこだ」

 確かに明実の言うとおりだ。写真の現像に使う暗室は、化学実験室に隣接する化学準備室に設けられていた。この部屋とは、ちょうど化学実験室を挟んだ反対側という関係になっている。

 いくら由美子の足に障害があるとはいえ、そう遠くない距離だ。

「そこでツカチンにあってな」

 明実が圭太郎を半分振り返った。明実より背の高い生徒など、清隆学園高等部ではそういない。

「ほら、次の生徒会で行う(裏)選挙も近づいている事だし」

 圭太郎が微笑みを強めた。

「それで? 監査委員会としては不正が進行していないか情報を集めていた、ってところかい?」

 ヒカルが不機嫌そうに訊いた。

 圭太郎は、監査委員会に所属していた。監査委員会は生徒会に所属する事にはなっていたが独立しており、学園内で消費される予算が不正流用されていないかなど、教職員側と生徒会側両方を監視する第三者の立場に立っていた。そのため色々な秘密を嗅ぎまわっているという印象が持たれがちである。そのせいか高等部の中では「監査委員会は秘密警察」というような都市伝説があった。

 清隆学園高等部では、生徒会、教職員そして監査委員会の三者が、お互いを監視しあっていることにより、学生の自治が保たれていた。

 その関係で、文化会系部活の予算を連動させようと動き始めた明実と、そこに不正な流用が無いかを確認に訪れた圭太郎が知り合いになるのも、自然な流れと言えた。

 もちろん公明正大、後ろ暗いことは(ちょっとしか)無い明実は、その監査を恐れる必要は無かった。

 それ以来、圭太郎とは、こうしてつるんで遊ぶまでの関係性を保っている。

 もしかしたら監査委員会から、予算の不正流用が起きないように送り込まれた刺客なのかもしれない。しかし明実はそんなことを気にせずに仲良くしていた。

 どうやらそういった裏があるような存在は嫌いなのか、ヒカルは圭太郎を歓迎する様子は見せない。アキラは、明実が自分の他に友人を増やすことに嫉妬も何も感じない性格なので、別に普通につきあっている。男のままだったら一緒になって、バカ話でもしていたかもしれない。

「まあコジローが連続選出されすぎだと、色々ね」

 圭太郎が含みを持たせたウインクを送って来た。学園(裏)投票では、誰が次の『学園のマドンナ』になるかというトトカルチョも行われていた。胴元はよりにもよって生徒会である。

 もちろん現行の法制に引っかかること間違いなしの行為だ。しかし生徒会はそれを財源として、教職員の買収やら表に出せない仕事などをこなしており、それは必要悪として公然の秘密とされていた。

 ただし賭け事に不正があっては、誰も金を出さなくなる。そこで生徒会から独立している監査委員会の出番となる。

 また一方、答えの分かっている問題では賭けが成立しない。恵美子が美人なのはいいが、一強では盛り上がりに欠けるというものだ。

 そういったところを写真部に来て話していたのだろう。

「どこまで記録が伸ばせるかとかどうだ?」

「それもいいねえ」

「で? 何の用だ?」

「用がなくちゃきちゃいけないのかなあ」

 圭太郎が人好きする微笑みを崩さずに、後頭部を掻いた。

「いちおう用事っていう程でもないけど、今度の週末の予定を確認にね」

「週末の予定ぃ?」

 アキラは首を傾げて、今度の週末の予定を思い出そうとした。今日、金曜日までは普通の授業、土曜日は必修科目の授業は行われないことになっているが、各種講習会という名目での勉強会が行われていた。もちろん高等部を卒業するだけなら受けなくても問題ないが、大学受験を考えている者にとっては、出ていた方が有利となる講習ばかりだ。

 アキラも大学進学を考えているので、なにかと有利になるだろう英単語講習を積極的に受けてきた。

 ちなみに赤点などの成績の悪い者を集めて行われる補習も土曜日に行われる。

 そのどれもが午前中に集中しており、午後は自習会が各クラスで催されていたりする。

 また講習会や自習会に参加しない生徒も登校する事があった。主に運動会系の部活に所属している連中である。彼らは日曜日でも練習を欠かさないのだ。

「土曜の午後から、日曜の朝にかけてさ」

「オイラは、いちおう暇という事になっておるが」

 即答する明実に、先程の会話を思い出して睨みつけてしまうアキラ。

「みんなで集まるのなら、例の物を試したいのう」

「うん、それ。それも含めて、みんなでエアガン持ち出して遊ぼうかって」

「ほほう」

 明実は興味深そうに腕組みをした。

「アレを昼間に堂々と試すわけにもいかないでしょ。だから夜にと思って」

「それは、なかなかいいな」

 二人で話しが進んでいく。男同士で集まって騒ぐのなら、自分たちは仲間外れだろうと、アキラは二人から視線を外した。以前なら向こう側だったのになと、少々寂しさもあった。

 机の向こう側へ戻って来るヒカルへ笑顔を向ける。

「クッキー、おいしいじゃないか。また焼いてくれよ」

「けっこう大変なんだぞ。力も使うし」

 眉を顰めて不機嫌そうな顔をしながらも、ヒカルが咥えたキャンディの柄がピコピコと上下を繰り返し、まんざらでもないという感情を表していた。

「ということで、土曜日の夜にヒカルには来てもらいたいんだが」

「なんでだよ!」

 いきなり話しを振られて、脊髄反射のようにヒカルが反応した。せっかく席に戻ったのに、椅子を蹴って立ち上がったぐらいだ。

「男同士で仲良く遊んでりゃいいだろうが」

「そうもいかんのだ」

 難しそうな顔を作って明実が人差し指を立てた。

「以前に話したと思うが、物理部が中心となって、サバゲ部と模型部などが集まり、オリジナルのエアーソフトガンを完成させたのだ。最初はただのスナイパーライフルだったのだが、オイラが発明した爆縮機関を搭載し、威力を上げる話しが進んでの。これが今週完成し、あとは試射を待つばかりとなっておる。銃に関しては、プロじゃろ?」

 明実の説明に、ジト目になったヒカルが重要な指摘をした。

「もし暴発しても、あたしなら怪我もしてもいいって?」

「あ、そんな風に聞こえたか?」

「聞こえるも何も、言っているようなもんじゃないか」

 ヒカルは椅子の位置を直すと、ドカリと尻を下ろした。圭太郎がいるというのに、またガニ股になっている。

「あたしに得が無いように思えるんだけど」

「それは…」

 明実は圭太郎と顔を見合わせた。

「じゃあコンチネンタルのケーキバイキングに、ご招待では?」

 圭太郎の提案に右眉だけがピクリと動いた。

「もちろん一人分なんて言わないよ。海城さんとペアでご招待」

「なんでコイツと一緒なんだよ」

 決めつけられて気に入らないとばかりにヒカルが声を荒げると、そんな気勢はどこ吹く風とばかりに微笑みを崩さなかった圭太郎が言葉を続けた。

「もちろん、それに付き合ってくれる別の彼氏がいればそちらとでも、こちらは一向に構わないが」

「そんなやつぁいないね」

 断言してからフト気が付いたようにアキラをまじまじと見る。

「おまえは、そういうヤツいるのか?」

「いねえよ!」

 アキラは悲鳴のような声をあげた。なんやかんやあって三月から同居を始めているから、ヒカルはとっくに知っているものだと思っていた。海城彰は彼女いない歴=年齢であった。もちろん彼氏もいない、いたこともない。

「オレに、か…、そんなのはいねえよ」

 つい圭太郎が居ることを忘れて、彼女なんていないと言いかけて、慌てて修正する。

「まあ、寂しい独り身だからな」

 幼稚園の頃からの付き合いである明実が補足する。

「バレンタインだろうが、クリスマスだろうが、いつもオイラと一緒だったしな」

「おっ」興味が出てきたように圭太郎が瞳を輝かせる。「じゃあ幼馴染同士で付き合うとかしないのかな?」

 圭太郎に指摘され、アキラは明実の顔を見た。彼は不敵に笑っていた。

「オイラにはカナエさんという存在がいるからな」

「おい」と頭を抱えるアキラに、「へえ」と目を丸くする圭太郎。そして興味無さそうにキャンディを口の中で転がすヒカル。

「詳しくは後で聞くとして…」圭太郎が二人に微笑みを向けた。

「さっきの話しに戻るけど、土曜日の夜から日曜にかけて、サバゲしようと思っているんだよね。女の子たちも来ない?」

 サバゲというのはサバイバルゲームのことだ。簡単に言うとエアガン…、エアーソフトガンを使用した戦争ゴッコのことである。

「えっ」

 正式の誘いに、アキラとヒカルは顔を見合わせてしまう。

 ヒカルが本物を持ち歩いているのは、もちろん秘密になっている。が、スカートの裾からはホルスターが顔を出していた。

 大人たちが何も言ってこないのは、明実が裏から手を回したせいだ。女子の間で話題にならないのは、ヒカルが孤高でミステリアスな雰囲気だから一目置いているからであろう。だが男子から見れば、普段からエアーソフトガンを持ち歩くほどのガンマニアという風に取られても、それは自然の理というものだろう。

「興味あるでしょ?」

 圭太郎の誘いに、目で会話を交わす。

(どうする?)

(どうするって言ったってよ)

 ちなみにアキラは、元男の子としてサバイバルゲーム自体には興味はあった。実弾が飛び交う現場を経験した今となっては、大分その興味も目減りしていたが。

「夜にやんのか?」

 当然の質問をアキラが発すると、圭太郎がそこらへんの事情を話してくれた。

「有料のフィールドを借りてもいいんだけど、高校生の俺たちには高いし、あと知らない人とチームを組むことになったりで、なにかとやりにくいだ。だから高等部(ウチ)のサバゲ部なんかは、学園の敷地内(うら)にある森でやったりするんだよね。でも、ほら、迷彩服でうろついてたりするのを見られると、通報されたりするじゃん。だから目撃されにくい夜に『夜戦』という形で遊ぶことが多くてさ。荷物も、先に男子寮に預けておけば当日に重い装備を持ち歩かなくても済むしさ。帰りだって、疲れたら同じように男子寮に預かってもらって、身一つで帰ることもできるし」

「変な事しないだろうな?」

 ジト目で訊くと、圭太郎が困ったように明実を見た。

「その点は大丈夫だろう。オイラも参加する予定だし、みんな気のいい連中だし」

「そんなに、あたしらに魅力が無いってか?」

 ヒカルの質問に明実は本当に頭を抱えてみせた。

「オマエらは襲って欲しいのか、欲しくないのか、どっちなんだ?」

「嫌に決まってんだろ」

 ヒカルが自分の体を抱きしめるように、両腕をまきつけた。

「でも、オレたちエアガン持ってないんだけど」

 アキラが言うと、圭太郎は一瞬だけ不思議そうな顔をした。きっとヒカルのホルスターの中身を問い正しかったのだろう。だが、そうしなかったところを見ると、ヒカルが持っているのはエアーソフトガンでなく、発火を楽しむモデルガンと誤解したのかもしれない。

「それなら大丈夫」

 ドンと胸を叩く勢いで圭太郎が言った。

「男子寮には貸し出し用のエアガンがあるから、それを借りるといい。それに着替えも幾点かあったはずだし」

 アキラはどうしようかと問う目線でヒカルを振り返った。ヒカルは肩を軽く竦めただけだ。

「どちらにせよオリジナルライフルの試射は行いたいのだが」

 これは明実だ。

「じゃあ、ただ試し撃ちだけじゃつまらないから、ゲームにも参加しようか」

 アキラが水を向けると、勝手にしろといいたげにそっぽを向くヒカル。

「ちなみに、銃を選ぶうえでヒカルの意見を聞きたいのだが」

 明実の質問に、首がこちらに戻って来る。

「いけん?」

「銃に関してはプロじゃろ?」

 明実が立てた人差し指をピョコピョコと曲げてみせる。

「銃ったって、色々あるぞ」

 少しは興味が出てきた声でヒカルが言った。

自動小銃(アサルトライフル)から短機関銃(サブマシンガン)。でかい物になると対物(アンチマテリエル)ライフルや榴弾発射器(グレネードランチャー)まであるし。時と場合によって色んな選択がある。まずは条件を示してくれ」

「ああ、それなら簡単」

 圭太郎が安請け合いのように言う。

「夜戦は名前の通り夜にやるだろ。すると、良く見えないから基本的に交戦距離が短くなりがちで、長物(ライフル)だと威力が高すぎで怪我をしやすい。だから威力の高い長物は選ばないようにしているんだ。みんな拳銃(ハンドガン)で参加するよ」

「じゃあ…」

 ヒカルが、明実の真似をするかのように人差し指を立てた。

「まず第一に回転式拳銃(リボルバー)。予備のために、もう一挺リボルバー。そしてリボルバー。何が何でもリボルバー」

「参考にならねー」

断言するヒカルに、アキラは呆れた声を上げた。

「なんだと?」

 自分の信念に対する挑戦と捉えたのか、面白くなさそうに机の向こう側に座るアキラを睨みつける。

「あたしがどれだけ…」

「わかったわかった」

 激昂してうかつな事を言いそうになるヒカルを宥めようと、アキラは腰を浮かせて手を伸ばした。トンと肩に置かれた手で我に返ったのか、またプイッと横を向くとアキラの手をはねのける。

「ま、まあ、好きな種類の銃があるってだけでも、違うよね」

 まるで偏執狂のようなヒカルの態度に、若干引き気味の態度になった圭太郎が、取りなすように言った。しかしヘソを曲げたヒカルは、こちらを向こうともしない。

「じゃ、じゃあ、こういうのはどうかな」

「?」

「今から男子寮に、貸出用のエアガン見に行くってのは?」

「おー、そりはいいなあ」

 真っ先に明実が反応した。

「なんだ、結局アキザネも遊びたいだけか」

 不満そうにヒカルが、目つきの悪い視線を彼へ移動させた。

「ふ、ふーん」

 アキラは、どんなエアーソフトガンを借りられるのか興味が湧いた。が、つまらなそうにしているヒカルに遠慮して、中途半端な声が出た。

 その声を聴いて、ヒカルの頬がピクリと動いた。

「じゃあ、見に行ってみる?」

 もう一押しとばかりに圭太郎が訊ねると、ヒカルはマウスを操作し始めた。

「おんや? ヒカルは見に行かないのか?」

「いま電源を落とすところだ」

 いかにも付き合いで行くだけですよという声色であった。



 清隆学園高等部の生徒は、大きく分けて三つのグループにすることができた。人数で言うと、一番多いのが中等部から上がって来る進学組である。それとほぼ同数なのが、近所の中学校から受験して入って来る受験組であった。そして、大きく数に開きがあって少数派となる他の道府県から受験してくる留学組である。

 その留学組のために、高等部には付属の学生寮が存在した。

 正方形に組まれている校舎北側の外へC棟の非常口から出ると、長い渡り廊下が存在する。一般生徒は、すぐ北西側に向かい合うように並んでいる、体育館と格技棟を利用する時に通ることが多い。

 渡り廊下はそれで終わりではなく、もう少し北側に建っている講堂と自転車置き場、テニスコートなどの間を通過し、高等部全体を囲んでいる背の高いコンクリート壁を防火扉で通過、さらに北へと延びていた。

 そこまで行くと、周囲は武蔵野の原風景のような雑木林の中を、コンクリートとトタン屋根だけが続いて行くことになる。

 その北端に近づく頃、木造三階建てのぼろい建物が二棟見えてくる。

 薄い青色で塗装されているのが男子寮で、向かいに建つ薄い赤色で塗装されているのが女子寮であった。

 渡り廊下はそこで終わらず、進路を西へ変えると、雑木林の中へ消えていた。

「まだ続くのか」

 感心したようにアキラが渡り廊下の先へ目をやると、明実が得意そうに教えてくれた。

「この先は、記念図書館を経由して中等部の旧校舎まで続いておる。まあ、利用する者はいないがな」

 いまの中等部へ行くなら、正門から出て学園のド真ん中を通る大通りを行った方が遥かに近い。かつて軍隊の航空基地だったなごりか、その大通り沿いに主要な設備は集まっているのだ。そのころは大通りが、戦闘機用の滑走路だったらしい。

「噂じゃ首と両腕のない幽霊が夜な夜な歩いているとか」

 圭太郎が、女の子たちは怪談が好きだろうという感じで付け加える。

「ふーん」

 それに対して「女の子のようなもの」である二人の反応はとても薄かった。

 二つの学生寮の間を仕切るように入り込んでいる渡り廊下の支線から、男子寮の玄関に至る。

 いまどき大時代的に感じるような玉砂利を塗りこめた玄関に、木製蓋つきの下駄箱が片一方を埋めていた。反対側は部外者が入る時に声をかけなければいけない寮監室のカウンターと傘立てだ。

 あと玄関ホールにあるのは、これも今どき珍しい緑色の公衆電話。あとは消火器の赤色が目立つぐらいで、全体的にクリーム色で統一されていた。

 その玄関ホールの突き当りという目立つ位置に、墨痕鮮やかな標語がガムテープで留められている。貼りだした時間を物語るかのように、書かれた和紙の方はだいぶ黄ばんでいた。

「女人の入寮を禁ずる」

 まあ高校生ぐらいになると、色々な間違いを犯しやすくなる年頃であるから、書き出しておく意味はあるだろう。

 初めて入る男子寮の玄関を、アキラが口を開けて見回している間に、圭太郎が閉じていた寮監室のガラスへノックした。

 そこから顔を出すかと思いきや、脇の扉から、寮生ぐらいの子供がいそうな年代の女性が出てきた。

「あらあら」

 呑気な声を上げて来訪者を見る。

「今日はどうしたの、十塚くん?」

「部活のことで、ちょっとユキちゃんと相談したくて」

「松田くん? 部屋にいると思うけど…」と、標語がかかっている壁の扉を開いて微笑みを返してくれる。二階以上はそれぞれ寮生が暮らす三人部屋となっているが、基本部外者は立ち入り禁止で、面会者はだいたい一階で待つことになる。

「まあ玄関先もなんだから、ロビーで待っていて」

「おじゃましまーす」

 圭太郎が出してくれたスリッパに履き替えて、リノリウム張りの床へ上がる。

 寮監のおばさんは四人を招き入れながら、ひょいといった感じでロビーを見渡した。ちょうどそこで大画面液晶テレビを見ていた寮生に声をかける。

「星野くん、いいところに居た」有無を言わさない微笑みで、お願いという命令を下す「松田くんにお客さんなのよ。呼んで来てくれる?」

「ふあーい」

 洗いたてのようにキラキラしている髪質の寮生は、開いていたノートにシャーペンを落とすと、五人と入れ違いにホールへ出て、寮監室の向かい、下駄箱の裏にある階段を上って行った。

「じゃあ、待っていてね」

 寮監のおばさんはそのまま部屋へ戻っていた。

 ロビーには色々な物が置いてあった。まず目につくのは、点けっぱなしになっている大画面液晶テレビである。いまは海外のニュース専門チャンネルに合わせてあり、黒人のアナウンサーが原稿を次から次へと読み上げていく。

 その前に並べてあるのは、全寮生がつけるほどの大きなテーブルである。それを取り囲んでいるのは、色々なタイプの椅子だった。先ほど出て行った寮生が座っていた席にはノートや辞書などが置きっぱなしになっていたが、テーブルには他になにも置かれていない。

 アキラが首をのばして覗いてみると、ノートは英単語でびっしりと埋め尽くされていた。もしかしたら海外ニュースを使って、ヒアリングか何かの練習をしていたのかもしれない。

 次に目につくのは、冷蔵庫である。大家族の家に置いてあるような大型サイズの物が三つも並んでいた。扉には「名前は責任もって書くこと」とか「消費期限は守りましょう」そして「他人の物はとるな! 食い物の恨みは恐ろしい」などの貼紙がしてあった。

 冷蔵庫の横には一台だけ自動販売機が立っていた。中身はスポーツドリンクや炭酸飲料が主で、逆にコーヒーが全く入っていないのが印象的だ。

 あとあるのはキッチンワゴンに乗せられた電子レンジとオーブントースター、そして一番の上座にあたる位置に置かれた豪華な革のソファベッドが一つ。

 生活臭が溢れる大部屋といった感じである。

「ま、座ったら」

 遠慮という言葉を知らない明実が、さっそく背もたれのある椅子に座り、二人に同じ椅子を引き出してくれた。圭太郎は自販機の方へ行って、商品を覗き込んでいた。

「お待たせした」

 入口の方から変なイントネーションで声をかけられた。振り返ると、これまた身長の高い少年が、さきほど寮監にお願いされていた寮生と共に入って来るところだった。

「ほな」と呼びに来てくれた寮生に挨拶すると、微笑んで話しかけてきた。

「おや、おふたり、女の子と一緒やとは珍しい」

「紹介するよ」

 明実も立って、二人に向かって手を開いた。

「ウチの隣に住んでいる、海城アキラ。と、その従姉妹にあたる新命ヒカル。同じクラスだけどわかる?」

「よろしゅうに。ウチは松田(まつだ)有紀(ありよし)いうます」

「は、はあ」

 慌てて立った二人に、柔らかい物腰で会釈してきた。二人も立ち上がり、ぎこちない返事を返す。

「で?」後ろで自販機の作動音をさせながら圭太郎が訊いた。「準備は?」

「こちらになりましゅう」

 ニコニコとした笑顔のままロビーを出る。ついて行くとロビーと寮監室の間にある自習室のネームプレートが貼られた扉を開いた。

 窓が一つしかないような、とても狭い部屋である。元は倉庫か何かだったのだろうが、いまは裸電球が嵌められたデスクライトが置かれた机と、それを挟むように二つの椅子があるだけだ。

(安物の刑事ドラマの取調室みたいだな)

 アキラがそう感想を抱いていると、有紀は、机の脇に置かれた複数の大きくて黒いバッグの一つを持ち上げた。

「ほえー」

 アキラが気の抜けた声を漏らしている間に、中身が次々と机の上に並べられていく。全てがエアーソフトガンであった。

 まず一番多いのが、アーノルドシュワルツェネッガーにピッタリの、デザートイーグルであった。それも国内各社が出したエアーソフトガンの新旧取り揃えているようで、ガス注入口があったり、電池を入れる蓋が半開きの物だったり、作動方法も一つでは無いようだ。

 その次に多いのがグロックシリーズである。スライドにセレクターがついていてマシンピストルとして使える物から、小学生向けのような安物(チープ)な造りの物まで、こちらも色々揃っている。

 あとはコルトガバメントのバリエーションや、ベレッタM九二などの定番アイテムが並ぶ。一挺だけワルサーP三八が混じっていた。

 共通点は、すべて自動式拳銃(オートマチック)という事だ。

「どれも、ちゃんと使えます」

 柔らかいが変なイントネーションのままで有紀が告げた。彼も寮生という事で地方出身者なのだろう。

「まだ探せば、出てこうかもしれまへんが」

「それがな」

 明実が残念そうに言った。

「ヒカルはリボルバーじゃないとダメだと言うのだ」

「おや」

 身長差からヒカルを見おろした有紀は、目を丸くして見せた。

「リボルバーやと形だけで、エアガンとしてあまり良ないどすえ」

「そんなこと言ってもな」

 不機嫌そうに腕を組んでいたヒカルは、手近にあったシリーズ七〇を手に取ってみせた。

「あたしらは手が小さいから、グリップが回り切れないんだ」

 たしかに本物なら四五口径弾が納められる銃把は太く、ちゃんと指が回りきれていない。

「んまあ、そういうんのも用意ありますえ」

 有紀はデザートイーグルを仕舞いながら、今度は別のバッグから、各種リボルバーを並べ始めた。

 こちらも色々な会社の色々な種類が取り揃っている。

 S&WならばM五〇〇から始まってM三六まで、コルトならSAAからアナコンダまで、より取り見取りだ。

 変な物では日本陸軍の二十六年式拳銃まであった。

 男の子ならわくわくするシチュエーションなのだが、生憎とアキラの心は踊らなかった。なにせヒカルに連れられて、本物が並ぶ「いい店」(ヒカル談)へ行ったことがあるからだ。

「使いやすさで選ぶなら、やっぱりコレかなあ」

 後ろから、あくまで自分の意見といった態度で、圭太郎がまだ机に置かれていたベレッタの電動ガンを取り上げた。

「気温で性能が落ちることも無いし、そんなに重くも無いし」

 いまのアキラから見て、丸太のように見える腕で持ち上げて、重くないと言われても実感が湧かなかった。

「どんな感じ?」

 手を出すと、素直に渡してくれた。たしかに今のアキラには指が回らず掴みにくいところがある。が、銃把(グリップ)のチェッカリングのおかげか、手の中で遊ぶという程でもない。

 やはり大きい反動がある実物を扱うヒカルと、ゲームで使用する遊戯銃を使用する側とでは意見の相違があるようだ。

「これなんか、ぴったりだ」

 ヒカルが机から取り上げたのは、M三六(チーフスペシャル)であった。見ればたしかに細いグリップに指がしっかりと回り込んでいた。

「それでもいいけど、命中率がねぇ」

 圭太郎が歯に物が挟まったような事を言う。

「実際に試してみまひょ」

「?」

 有紀の笑顔に一同は顔を見合わせた。



 有紀は数挺の銃を持ち出し、さらに大戦中の軍事郵便に使われたような、帆布製らしき肩掛けカバンをたすき掛けにした。その中には、フロンガスのガスボンベ、それとBB弾がたくさん入ったパウチなど、エアーソフトガンを楽しむツールが揃えてあるようだ。

 玄関から出て、女子寮の向こう側になる、寮の駐車場という名目の場所に来た。とは言っても雑木林を適当に伐採し、砂利を敷き詰めただけの場所であるが。

 いまは寮監が使用する軽自動車が停められていた。

 その車へ流れ弾が行かないように、反対側の端まで行くと、そこに崩れかけた低い柵があった。どうやらかつては駐車場をグルリと取り囲んでいたようだが、自然の侵略になすがままの様である。

 その柵の上に、ボコボコに凹んだ空き缶が数個置きっぱなしになっていた。

 どうやら射的の的として寮生が設置した物のようだ。

「これも追加ね」

 圭太郎がロビーの自販機で買ったコーラをそこに並べた。この短時間に、もうすでに中身は飲み切っている。

 適当に離れた場所で、肩掛けカバンからシートを取り出し、お店を広げる。持ち出した数種類のエアーソフトガンに、さっそく圭太郎がガスの注入を開始した。

 ヒカルが興味深そうに、しゃがんで準備するその手元を上から観察していた。

「はい」

 アルカリ電池を入れたベレッタが、差し上げられる。顔を曇らせたヒカルの横から手を出して、アキラが受け取った。

「まず、大事ん事は」

 有紀がカバンからシューティンググラスを取り出した。

「サバゲでも射的でも、ゴーグルは必須やで」

 差し出された薄い黄色がかった安物のゴーグルを、これは素直に顔にかけるヒカル。やはり実銃の射撃場でもゴーグルはかける習慣があるからであろう。

 アキラもそれに習って同じタイプのゴーグルをかけた。

 振り返ると圭太郎はフェイスマスクと一体になった濃いオレンジ色のゴーグルを顔にかけていた。とても不審者に見える。

 こっちも危険な実験をする時にゴーグルをかける習慣がある明実も、アキラたちと同じタイプのゴーグルをかけた。

「まずは撃ってみましょ」

 赤味の強いゴーグルをかけた有紀が、柵に並んだ空き缶を手で示した。

「い、いいのか?」

 おそるおそるといった感じでベレッタを構える。さすがに元は男の子だけあって、構え方はそれなりの格好になっていた。

「どーぞどーぞ」

 トリガーを引く。パシュという空気の抜ける音がして、白い軌跡が柵まで伸びた。

 残念ながら弾は柵自体に当たり、軽い音がして弾き返された。

「はい、新命はん」

 ヒカルが選んだチーフスペシャルに、ガスと弾を補充していた有紀が、それを終わらせてグリップを前に差し出した。

「どら」

 少々不敵な笑みを浮かべたヒカルは、余裕たっぷりでそれを受け取ると、まずはガンスピンを一回決めてみせた。

「お」

 その腕前に、男の子全員が一目置いた顔になる。なにせ今もスカートの下に吊っているホルスターには、バケモノみたいな大きさのリボルバーがぶちこんであるのだ。銃の扱いは、この中では一番であろう。

 次のガンスピンで撃鉄(ハンマー)起こ(コッキング)し、銃口を空き缶へ向ける。

「しゅ」

 細く尖らせた息を吐きつつトリガーを絞る。と、ほぼ同時にカンという小気味のいい音が鳴り響いた。

「どうだ」

 何とも言えない笑顔をアキラへ向けてくる。

「オレだって」

 ちょっとムキになったアキラが、二度三度とトリガーを引いた。三発目にしてやっと同じ音が出た。

「まあ、普通?」

 短くアキラの腕前を評したヒカルは、再び銃を空き缶へ向けた。

「あ、あれ?」

 今度は、こちらが当たらない。白いBB弾は、とんでもない方向へ飛んで行った。

「へたくそ」

 アキラが鬼の首を取ったように言うと、ヒカルが握っている銃を指差した。

「いや、あたしのせいじゃなく、コイツのせいだ」

「ほらね」

 圭太郎が肩をすくめた。

「リボルバーは、BB弾を保持するパッキンがシリンダーについてるんだ。だから一回撃つごとに違うパッキンになるから、その度に弾道が変わるんだ」

 バシャっとレンコン状の弾倉(シリンダー)をスイングアウトすると、残り三発が装填されているのが見える。それぞれが薬莢を模したパーツに、ゴムでできたパッキンでBB弾が保持されていた。

「その点、オートマは同じパッキンへ装弾されるから、弾道が安定するんだ」

 圭太郎の視線を受けてアキラが再びトリガーを引くと、また柵に当たって弾き返された。

「だいたい同じところへ飛ぶだろ? だからリボルバーは不利なんだ」

 これが実銃ならば、オートマチックでは扱えないような強力な弾丸を扱えるというアドバンテージがあるが、エアーソフトガンには遊戯銃として使用者に怪我をさせないように、厳しいレギュレーションがあるので、それも無い。装弾数も、特殊な構造を採用して増やしている銃を除けば、実銃と同じ五、六発ということで、ゲームには不向きだ。

 というようなことを簡単に圭太郎が説明してくれた。

 フテた顔になって手の中の銃を見おろすヒカルに、有紀が微笑みながら同じチーフスペシャルでも、今度は銀色をした銃を差し出した。いや、ちょっとだけ違う。銃身(バレル)の下にあるエキストラクターロッドに、覆い(シェラウド)がついているヘビーバレルタイプだ。

「まあまあ。こちらを試してみとぉくれやす」

「?」

 ヒカルは訝し気な顔のまま、圭太郎が追加したばかりの的に向かって、引き金を引いた。

 バチン!

「うを」

 激しい金属音と共に、アルミ缶に大きな穴が開いた。一撃で向こう側まで貫通したようだ。

「なんだ、これ…」

 先程とは全く違う性能に、アキラはヒカルの手の中を覗きこむようにして、今の銃を観察した。

 外見は普通の小型拳銃(スナブノーズ)である。少々傷があるのが中古の貸し出し用という雰囲気を醸し出していた。

 外側のモデルは、既述した通りS&WM三六のステンレスモデルであるM六〇であった。グリップが黒いブーツグリップであること以外、ヘビーバレル仕様である事以上の特徴が無い。

 見ているうちに、ヒカルが慣れた手つきでシリンダーをスイングアウトさせた。

「これか…」

 一目で納得した声を漏らす。そこには金色をした五発の薬莢を模したディテールがあり、その内一つが発射されたため、残り四発が装弾されたままになっていた。

 その込められた弾の全ても、銃本体と同じような金属製の輝きを放っていた。

「こら、卒業したカオル先輩が置いて行った銃なんや」

 得意そうに有紀が説明を開始した。

「ガス圧を上げて、ベアリングが発射できるようになってる、危険な代物なんや。やけど面白いやろ?」

「たしかに、面白いな」

 目をキラキラさせたヒカルが、身長差で有紀を振り仰ぐ。

「やけど、だめや」

 悪戯気に人差し指を立てた有紀は、ちょっとだけ眉を顰めた。

「こんな威力が高いんは、相手を怪我させてまうから、ゲームでは使用禁止」

「そうか…」

 残念そうに肩を落とすヒカル。それを見て気の毒になったのか、横から圭太郎が提案した。

「中のバルブを弄って、ガス圧を下げて威力を落として、弾も普通のBB弾にすれば、ゲームでも使えるんじゃないかな」

「それじゃあ、そっちと同じでないかい?」

 明実が、先程ヒカルが撃っていた方のM三六を指差した。

「いや、そうでもあらへん」

 ふと気が付いたように有紀が、ヒカルが開いたままにしているシリンダーの後部を指差した。

「普通ならパッキンを使うとこ、こら金属製のクリップにしてるさかい、別の弾でも、安定した弾道になりやすいんや」

 言われて発射された分の薬莢を覗けば、そこに細い髭のような金属線が、銃口まで貫通している薬莢内にはみ出していた。この髭で押さえつけることによって弾を保持するように改造してあるらしい。

「これでホップアップさせているさかい、薬莢は抜けへんようになっとって、使うとっても今一おもろないけどな」

「いや、弾道が安定するなら、余分なギミックはいらない」

 ヒカルは手を差し出した。

「そっちのプラスティックの弾をくれ」

「?」

 言われるままに有紀が一発だけBB弾をその手に乗せた。細い指先で摘まむと、いま発射されて空になった薬莢へ後ろから押し込む。

 弾を補給してシリンダーを戻したヒカルは、ふたたび銃口を空き缶へと向けた。

 バシッという布団を叩くような音がして、白い軌跡が銃口からのびる。こんどは野球で言うところの大暴投と言った感じで、的の遥か上を通過していった。

「あーあ」

 アキラはまた的を外してヒカルが肩を落とすんじゃないかと声を上げたが、本人は至って元気に有紀へ振り返った。

「これ、調整次第ではどっちも撃てるようになるんじゃねえか?」

「うん、まあ、きっと」

 なにが嬉しいのだろうと首を傾げながら有紀が歯切れの悪い声でこたえた。

「あたしはコレにする。とりあえずBB弾用に調整してくれないか?」

「了解した」

「あと、グリップをそっちの木製の奴と交換してくれ」

 自分の掌を広げ、グリップの大きさを示しながら注文を出す。

「ほら、いまついているヤツだと、こんなに大きくて、使いにくいからさ」

「そないなのネジ回し一本の仕事やで」

 有紀は了解したとばかりに笑顔を深くした。

「よろしく頼むよ、ユキちゃん」

 圭太郎が切実な声を出す。

「数少ない女性プレイヤーを増やすチャンスなんだから」

「請けたまった」

「なんなら金をかけてもいい」

 よほど気に入ったのか、いまにも財布を取り出しそうな勢いのヒカル。

「そうがっつくなよ」

 横からアキラがドウドウと落ち着かせるように声を挟んだ。

「なんでそんなに、それが気に入ったんだよ」

「護身用に最適じゃねえか」

 アキラの質問に即答するヒカル。それを聞いて男の子たちは顔を見合わせた。まあ仕草や話し言葉はガサツだが、見かけは美少女のヒカルである。逆に言えば黙って立っていれば痴漢の一人でも寄って来ると言えないことも無い。

「ごしんよぉ~?」

 ヒカルの太腿に巻いたホルスターの中身を知っているアキラからは、とても変な声が出た。




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