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六月の出来事B面  作者: 池田 和美
3/11

六月の出来事B面・③



 新宿の裏通り。

 泥水が、年がら年中溜まっているような、そんな路地である。

 そんな中、ボロ布を体に巻き付けた男が、こけつまろびつ走っていた。

 複雑な、都市計画とは真反対の、混沌が支配するような街である。こんな裏通りが一直線でどこまでも続いているわけではない。

 すぐにビルによって直角な曲がり角となる。

 曲がったところで、その男は立ち止まった。

 その先に、優雅なドレープをたくさん使用したワンピースを着た人物が立っていたからだ。

 全体的にゆったりとしたクリーム色をした服に、羽根を差したツバの広い帽子を合わせている。

 男から見て、わざとであろう、表情はその帽子のツバに隠されていた。

 典型的な日本人体型の男と正反対に、それは背の高い女と思われた。柔らかい体の曲線は、あますところなくマーメイドスタイルのワンピースに現れていた。

 肩からはエナメル質の赤色をしたショルダーバッグ。そして両手は胸の前で交差させていた。

 その豊かな胸と、細いが柔らかそうな腕で作られた空間に、一匹の室内犬が抱きしめられていた。

「ひゃん」

 抱かれた犬が、主人の行先を塞いだ汚い男へ、小さな威嚇の声を上げた。

 一見して、どこの社交界の奥さまといったファッションである。こんな陽も差さないビルの谷間には似合わない人物であった。

「いいかげん、あきらめなよぉ」

 男の後ろから、呆れたような声がした。

 垢で黒く汚れた顔色を、青いどころか白くした男が振り返ると、明るい髪を短いシャギーにした人物が、ゆっくりと歩いてきたところだ。

 白い男物のカッターシャツをお腹の所で縛って丈を調整し、下はデニム地の八分丈のパンツにパンプスをあわせている。そんなファッションだったら顔を出しそうなオヘソは、下に着た明るい緑色をしたプリントTシャツに覆われていた。

 ウエストのところで縛っているので、いっそう細さと腰の高さが強調され、男の行先を遮った貴婦人とは違った魅力をもつ人物だという印象であった。

 そう、例えるなら快活な近所のおねえさんといった感じ。

 おねえさんは面倒臭そうに後頭部を掻いた。

「いいかげん、お肉になってくれないかなあ」

「ひう」

 ニヤリと嗤ったおねえさんに恐怖を感じて、男は前を向き直った。行く手を塞いでいるのは、室内犬を抱えた貴婦人。

 二人を見比べれば、どちらが脅威か一目瞭然であった。

「ど、どけ!」

「んー」

 ちょっと小首を傾げる貴婦人。傾げた拍子にツバがずれて口元だけが男に見えた。そのモデル級のスタイルに似合った魅力のある薄い唇。そこには、肩にかけたバッグに負けない程の明るさをした真っ赤な口紅が塗ってあった。

 もちろんこんな裏路地で、大人同士がぶつからずにすれ違うことなど無理があった。男が先に進みたければ、この貴婦人を突き飛ばすなりなんなりしないと通ることができない。

「がうるるる」

 主人へ向けられた害意を感じ取ったのか、小さいくせに腕の中の犬が牙を剥いた。

「おやあ?」

 すると後ろのおねえさんが間の抜けた声を上げた。

「その唸り声は聞いた事があるぞ。チビ犬のルイじゃん、久しぶり」

「久しぶりね」

 犬を抱えた主人の口元が微笑んだのが見えた。手が犬の前足を掴むと、ちょいちょいとコミカルに動かしながら、おそらく犬の代弁をはじめる。

「最後にあったのは、いつだったかしらワン?」

「ええと、たしかススキノの飲み屋だったかな? あの後、苦労したんだからボク」

「あの時はごめんなさいね、ワン」

「殺そうとしといて、ごめんなさいかー」

 苦笑でもしそうな、あっけらかんとした口調で物騒な事を言った。

「うちのご主人さまにも、色々と事情があったのワン。元気そうでなによりワン」

「お互いね。それで? 今度もボクとやりあおうって言うの?」

「それなんだけど…」

 自分を挟んで何やら世間話を始めた二人に、男は逃げるチャンスがやってきたとばかりに行動することにした。

 身を屈めると、そのまま貴婦人へ体当たりをしようと突撃したのだ。

「わわわん!」

 両手を突き出して、ワンピースの肩を押そうと走り込む。悲鳴のような犬の吠え声に風を切る音。そして男の視界が一回転した。

「?」

 自分に何が起きたか理解する間もなく浮遊感に包まれ、そして背中に衝撃がやってきた。

「ぐう」

 息が詰まってのたうち回る。どうやら自分が貴婦人に投げ飛ばされたらしいと自覚した時に、ドスリと腹に新たな衝撃が加えられた。

「ぐええ」

 しかめた顔でなんとか視界を得ようと目を開く。いつの間にか彼は、後ろから追ってきていたおねえさんの方に、仰向けのまま踏みつけられていた。

「今晩のオカズを捕まえてくれてアリガト。どうやら、いまはボクとやりあう気は無いみたいだね」

「ええ、あれからまた事情というヤツが変わったのよ」

「ふーん」

 ゴスゴスと男の鳩尾へ何度も踵を落とし、痛みで悶絶させて逃げられなくする。

「事情って?」

 男の口から色々な吐瀉物が出てくるのを見おろしながら、おねえさんが訊ねた。

「わたしと手を組んで欲しいのよ」

「ええ?」

 おねえさんはあくまでも明るい声で、それでいて眉を顰めた声を上げた。

「キミには腕利きの『創造物(クリーチャー)』がついてたじゃないか。それだけじゃ足りないのかい?」

「あのコは死んだわ」

「あら、それは残念」

 まるでそうすることにより死者への手向けにでもなるかのように、いっそう足に力を入れて踏み下ろす。すると「ごぼっ」という音と共に、男の歯の間から赤い液体が吹き出した。どうやら内臓破裂を起こしたようだ。

「!」

 その時、狭い路地に息を呑む声が響いた。

 スタイルの良い二人が振り返ると、男が進むはずだった方向に、女の子が一人立っていた。

 黒いフレアスカートに、白いレースをふんだんに使ったエプロンを合わせている。これまた黒いパフスリーブの上着と合わせて、愛くるしいゴスロリファッションに身を包んだ中学生に見えた。

 ただし左手には血だらけになった野良猫をぶる提げ、右手には肉包丁という、全然平和的な雰囲気を持ち合わせていなかったが。

 首根っこを掴まれている野良猫の体には、まったく力が入っていなかった。それもそのはずで、その腹は裂かれて内臓が飛び出し、そこからポタポタと赤い液体を垂らしているのだ。

 もちろんそんなだから、折角のかわいいエプロンには、その返り血が派手にかかっていた。

 持ち物はまあ論外として、その他を見る限りでは、こんなすえた臭いが充満する都会の裏路地になんか似合わない人物であった。

 男を踏みつけるデニムパンツのおねえさんという構図に驚いたのか、女の子の赤褐色の瞳が丸くなっていた。

「ちぇ。女の子は食べるより、取り込むほうが好きなんだけどな」

 少しだけ残念そうな響きを混ぜて、おねえさんが飛び掛かろうと、体をぐぐっとたわめた。

「お待ちを」

 バサバサと服をはためかせ、なんと上から、新たな人物が飛び込んできた。

 女の子と、三人の大人の間に見事着陸する。

 今度の人物は、とても身長の高い男であった。身長のわりに体は細くて、まるで普通の人間の頭と足を掴んで引き延ばしたような体格であった。上から下まで黒い色で統一した服で身を包み、顔には剽軽と思えるほどの丸い眼鏡をかけていた。

 三人の…、倒れた男を踏みつけるおねえさんと、貴婦人へ、開いた右手を差し出した。

「なんだい、キミは」

 行動を邪魔されたことが気に障ったのか、おねえさんの目がスッと細くなった。

「『先生』」

 女の子は、中年に差し掛かったように見える背の高い男の影に、隠れるように身を縮めた。

「お互い、見なかったことにしませんか?」

 人好きする笑顔を浮かべて、先生と呼ばれた男は提案した。しかし丸眼鏡の向こうの鋭い目元には、厳しい感情しか見て取れない。

「見なかったこと?」

 不思議そうに、おねえさんが首を傾げる。

「ここで、もう喋らない体にする方が、安心だし、簡単だと思うけど」

 言うなりおねえさんは、男を踏み台にして、親子ほど年の離れた二人に飛びかかった。

 鋭い右手刀が先生を襲うが、それを先生も下腕部で受け止めた。

 肉と肉がぶつかったはずなのに、ギインという金属的な音が響いた。

「?!」

 おねえさんが着陸と同時に間合いを取り直そうとバックジャンプする間に、先生は袖の内側から刃物を抜き放って、一閃させた。

 ゾンという何にも形容できない音がすると、空中でおねえさんの右脚の膝から下が、切られたデニムごと体から離れた。

 靴下をなしに直接履いたパンプスと一緒に、ボトリともベシャリとも聞こえる音で、汚い路地に落ちて転がる。

「あいてて」

 特別な悲鳴ではなく、淡々とした感想を述べるように痛みを訴えながら、おねえさんは片足のまま着地した。不思議な事に、切断面からは一塊の出血があっただけで、それ以上周囲を汚すことはなかった。

「これは、もうちょっとマジにならないと、ヤバいかな?」

 一層顔を引き締めたおねえさんと先生の間に、クリーム色の影が平然と立ち入った。胸に抱いた犬といい、公園の芝生を散歩しているような雰囲気であった。

「はーい、ストップストップ」

 パンパンと手を叩いて、双方の殺気を払っていく。

「さっきのそちらの提案を、今から呑むって、できるかしら?」

 右手に凶悪な得物を抜いた丸眼鏡の先生と、表面的には友好的な笑顔を取り交わす。

「いいでしょう。こちらは何も見なかった。美しい方々も、そうでない方もね」

「ええ。わたしたちも猫をぶら下げた女の子なんて、見なかったわ」

 お互い当てつけのような言葉を口にして、ニッコリと笑顔を深くした。

「見逃してくれるお礼に、ひとつだけ忠告させていただきます」

 血の筋が一本だけついた刃物(それはナタであった)を下に向けて戦意が下がったことを示しつつ、左手で丸眼鏡の位置を修正する。

「なに?」

「そのコ」

 と、ナタを構えていない手で、貴婦人が抱える室内犬を指差した。

「おそらく、その浅くて荒い息。ジフテリアに罹っていると思って、間違いないでしょう。しかるべき診察を受けさせるべきですよ」

「そお?」

 声の質を心配げな物に変えた貴婦人は、胸元の犬を覗き込むように見おろした。犬の方も主人を仰ぎ見る。舌は口腔からはみ出し、たしかに呼吸は荒かった。

「どこかお薦めの病院知らないかしら?」

「ここは東京ですからね、有名な動物病院はたくさんありますよ」

「そんな世間一般の評判でなしに」

「そうですね」

 先生は少しだけ考える振りをした。

「多摩地区になりますが、私立清隆学園の大学付属家畜病院なんていかがでしょうか? 腕の方は確かですよ」

「ふーん」

 目を細めた貴婦人は、興味無さそうに言った。

「考慮しておくわ」

「『先生』」

 女の子の呼びかけで、先生は引き締まった表情を取り戻した。

「さ、行きますよ。ナギサ」

 そのまま二人は、背中を見せないように後ずさりしながら退場して行った。ビルの谷間にあるような狭い路地であるから、すぐに次の角がやってきて、姿は見えなくなる。

 二人の気配が去ったところで、路地に落ちていた自分の右脚の所へ、おねえさんが戻った。

「あーあ。せっかく外反母趾だからって、交換したばかりなのに」

 双方の中間に落ちた足には、くるぶしの所にかわいい雪だるまのようなホクロがついていた。

「その男は?」

 対して興味無さそうに貴婦人が訊ねた。

「ん? 『生命の水』と消化液に混ぜた物に沈めて、プリンにするの。ヒトみたいに面倒な食事をしないで済むから、楽よ」

 平然と言ってのける相手に、両肩をすくめた。

「三大欲求の一つを、そう簡単に捨てるなんて。あなた、いかれてるわ」

「そんなこと言わないでよ。キミも人から外れているんでしょ」

 その時、帽子のツバがずれて、女の瞳が露わになった。

 どこまでも冷酷そうな眦を持つくせに、どことなく好奇心に溢れていそうな碧色をした瞳をしていた。

 そして、その瞳孔の奥では、青い炎が揺らめいていた。




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