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六月の出来事B面  作者: 池田 和美
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六月の出来事B面・②



 都市に夜がやってくるならば、森にもやってくる。

 その闇の中で、ザザザと風が梢を揺らすような音がした。

 いや、風ではない。

 人為的な手の入っていない自然のままの雑木林を、二つの影が走っているのだ。

 先頭を進むのは黒い色をしていた。それから少し遅れてついて行くのは、カーキ色という町ではあまり見かけない色をしていた。

 獣ではない。それらは二本の足で森の下生えの間を掻き分けるようにして走っていた。

 なにかアテがあるのか、瞬時も躊躇わずに、木々の下草を揺らさないようにして、あるかないかの月影を選んで進んでいく。

 もちろん、森のありとあらゆる植物が、その棘や枝などで行く手を塞ぐが、黒い影はそれを意に介していないかのように進んでいく。それどころか、黒い影が掻き分けてくれた後をついて行くという好条件にもかかわらず、後方のカーキ色の方が遅れ始めていた。

「ちっ」

 あるかないかのような小さな舌打ちと共に、先頭の影が、一本の巨木の根元へ飛び込むようにして止まった。

 後から、幹へ抱き着くようにしてカーキ色の影が飛び込んでくる。

 周辺の気配を探る黒色の影と、とりあえず息を整えようとするカーキ色の影。

「はあ、はあ」

 口を大きく開いて肺へ酸素を取り込む。その姿をつまらなそうに見やってから、こちらは疲労を感じさせない態度で、黒い影の方はゆっくりと後方をチェックした。

 重なった木々の向こうから、風を切る音が複数迫って来る。この二人を追ってくる者の気配だ。

 視界の通らない夜の森である。見失ってしまう方が当然だ。しかも逃げているのは隠れやすい小柄な体をしている者だ。それが大人数ならまだしも二人だけである。

 これだけでも追っている者たちのレベルが知れるというものだ。

 梢を抜けた月光が、逃亡者の二人を淡く照らし出した。

 二人とも、上から下まで機能的な服を身に着けていた。厚手の布地で作られたそれは、軍隊で言うところの戦闘服というやつである。ただ若干サイズが合っていないようで、二人とも袖や裾を二折三折していた。

 そして揃えた様に、腰にはホルスターが巻かれていた。

しかし、そんな無粋な物で身を包んでいても、柔らかい曲線で描かれた肢体を隠しきることはできなかった。

 二人とも、少女と呼んでおかしくない年頃の娘に見えた。

 警戒を怠らずに周囲を見回しているのは、どこまでも黒い髪を持つ子であった。服と同じ色の手袋をした右手を、前に突き出すようにしている。それもそのはずで、そこには銀色に輝く回転式拳銃が握られているのだ。

 淡い月の光が、その横顔を照らした。

 純粋な日本人とは思えない、どことなくエキゾチックな美しさを持った人物であった。

 黒い瞳に怒りのような青い炎を光らせ、機嫌悪そうに結ばれた形のよい唇からは、世界的に有名な棒付きキャンディの柄だけが顔を覗かしていた。

 暗闇に紛れるような黒髪を揺らして、まだ息を切らしている相棒を半分だけ振り返った。

 幹に手をついているのは、これまた愛くるしい人物である。

 黒眼がちな大きな瞳の中に、同じく不思議な青い炎のような光を宿している。小鼻はちょんと人差し指で突きたくなるような可愛らしさだ。蠱惑的に湿った唇は、薄く整った形をしており、異性を引き付ける魅力に溢れている。その長さは、ちょっと手入れを怠ったボブカットという黒髪は、先頭の子には及ばないが、それでも充分に夜の闇になじんでいた。

 このどこを切っても美少女が、昨年までは普通の中学生「男子」であった海城(かいじょう)(あきら)とは思えない。

 彰は、高校進学を控えたこの春に、大きな事故に遭った。このままでは救急隊が到着する前に死んでしまうという、まさに瀕死の重傷を負った彼を救ったのは、現場にいた自称天才の幼馴染であった。

 彼が開発した『施術』というやつで、彰は生命を繋ぐことができた。ただし、元の姿では無かった。

 母親を見おろすほどの身長は、少し低いぐらいに。胸には脂肪の塊が二つ。そして大きな違和感が下半身に…。

 つまり、それまで間違いなく男だった彰は、その『施術』とやらで、まったく正反対の『女の子のようなもの』として『再構築』されてしまったのだ。

 理由は『施術』を行った幼馴染によると、「つい、うっかり」らしいが、彰は絶対に故意だと確信していた。

 その日から海城彰は海城アキラとして、精神は男のままで、慣れない女子高生ライフを強いられているのだ。

 先程まで「ジー」と鳴いていた虫たちが、静まり返る。

 追う者と追われる者。双方の殺気に、弱者である物が怯えて沈黙を選択したのだ。

 銃を構えながら、ゴツッと軽く左肘で相棒が脇をつついてきた。

「いいかげん口を閉じろ。マヌケが」

 押し殺した声で相手を睨みつける。その夜の女王と見間違うばかりの美しさに反して、どこかしら、いがらっぽいような声質であった。

「そ、そんなこと言ったって」

 アキラは胸に手を当てて、それでも息を整えようとした。

「お、おまえは、こういうことに慣れているかもしれないけど、オレは初めてなんだからな」

 そのアキラの言いざまに、相手の眉がキリキリと額の方へ上がって行った。

 こんな身体になるまで普通の学生だったアキラとは違い、言われた相手である新命(しんめい)ヒカルは、戦闘のプロと言ってもおかしくない存在だった。

 ヒカルを『構築』した『創造主(マスター)』は、すでにこの世にいないらしい。その仇を追ってこの町までやってきたヒカルに、同じ相手から狙われたアキラと幼馴染が、とある交換条件で身辺警護を頼んだのが、この関係の始まりであった。

「なに言ってやがる」

 ピョコンと、ヒカルが咥えたキャンディの柄が跳ね上がった。

「夜にンな事言うなんて、おまえは初夜を迎えたオボコか?」

「しょや? おぼこ?」

 ちょっと宙を見て意味を考えたアキラの頬が、夜目に分かる程、みるみると赤く染まっていった。

「ま、マヌケ。なに考えてやがんだよ」

 押し殺した声のまま、ヒカルがアキラの肩を叩いた。

「そ、そんなこと言ったって。言い出したのは、おまえだろ」

「物の喩えだろ。これだから男は」

「こういう時だけ、男扱いはずるいだろ」

 アキラも眉を顰めると、不敵な笑いをヒカルは返した。

「銃を構えるんだ、相棒」

「おう」

 言われてアキラは、腰のホルスターから銃を抜いた。手にしたのは米軍制式の自動拳銃であった。

 先程まで微かに聞こえていた風を切る音すら止んでいた。ただ、銃の構え方が板についていないアキラにすら、背中を炙られるような感覚を味わっていた。この森の暗闇の、どこからか二人へ投げかけられている殺気というやつだ。

 どうやら二人の包囲は完成したらしい。


 と。


「わはははははははは」

 突然、周囲を狂ったような笑い声が支配した。

「追い詰めたぞ、二人とも!」

「どこだ?」

「あそこだ!」

 顔を歪める相棒に、アキラは自身がもたれかかっていた木の上を指差した。

 太い枝の上に、白い影があった。

「なに?」

 その白い影が、見ている間に飛んだ。

 着地点は向かいにある、同じような木の枝である。

「オイラから逃げられると考えるとは、アキラもヒカルも二人とも甘いぞよ」

「アキザネか!」

 それは、この夜の森に似つかわしくない格好をした少年であった。なんと高校の制服である紺色ブレザーの上に白衣を羽織っているという、こんなところでよりも化学実験室の方が違和感のない服装だったのである。

 彼が、アキラをこんな身体にした張本人の御門(みかど)明実(あきざね)である。

「く」

 アキラが唇を噛んでいる間に、日本人というより欧州系の顔立ちをした相手の顔が、愉悦に歪んだ。

「オマエとは幼稚園からのつきあいのオイラだ。どのあたりで息が切れて休憩するかも、すべてお見通しだ」

 その彼に、迷わずヒカルは銃口を向けた。

「おい」

 驚いたようにアキラは、銃を構えるヒカルを見た。

「やらなきゃ、やられるんだ」

 一切迷いのない声のヒカルに、アキラも銃を構えた。

「おわああ」

 このまま身を晒していては撃たれると自覚した明実が、白衣を翻して茂みへとダイブして、身を隠した。

 すると、それが合図だったように、複数の赤い色をした点が、二人の周囲を舐めるように這い始めた。

 夜間、射撃の補助になるようにつけられる、レーザーポインターの明かりだ。

 その複数迫る赤い光を見ながら、アキラは漠然と考え始めていた。

(どうして、こんなことになっちまったんだ)

 アキラの思考は、こんな時だというのに、まだ平和だった昨日の記憶を辿ろうと動き出した。




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