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六月の出来事B面  作者: 池田 和美
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六月の出来事B面・①


★登場人物紹介

海城 アキラ(かいじょう -)

:本作の主人公。周囲にいる人間がことごとく非常識のため、ツッコミ役である。春に交通事故に遭って、人ではない『創造物』とやらに『再構築』された身の上。

御門 明実(みかど あきざね)

:自称『スロバキアと道産子の混血でチャキチャキの江戸っ子』の天才。そして変態でもある。アキラの体を『再構築』した張本人。今回は自慢の発明品を披露。

新命 ヒカル(しんめい -)

:自分を『構築』してくれた『創造主』の仇を追ってアキラたちと出会った『創造物』。二人の護衛と引き換えに、自分の体のメンテナンスを明実に任せている。

海城 香苗(かいじょう かなえ)

:この物語のメインヒロイン(本人・談)その美貌に明実の心は虜になっている。今回は、それなりに出番がある。

藤原 由美子(ふじわら ゆみこ)

:清隆学園高等部一年女子。アキラのクラスメイト。外伝なのだが、今回はそれなりに出番がある。

真鹿児 孝之(まかご たかゆき)

:同じく高等部一年男子。由美子とはクラスで「仲良くケンカする仲」である。

佐々木 恵美子(ささき えみこ)

:同じく高等部一年女子。そんじょそこらの読モを軽く凌駕する美貌の持ち主にて、剣道部のエース。

サトミ

:ヒカル曰く「超危険人物」。本人は清隆学園高等部に所属していると言うが、本当かどうか分からない。今回は顔を出す程度。

不破 空楽(ふわ うつら)

:清隆学園高等部一年男子。恵美子の危機に駆け付ける。石見氏第二〇代直系を自称する。

岡 花子(おか はなこ)

:入学前のオリエンテーションにてアキラと知り合いになっていた和風美人。

美人のおねえさん

:快活で活動的に見える女性。年齢不詳。

マーガレット 松山(- まつやま)

:英語の講師として清隆学園高等部に現れる女性。アキラたち一年一組の副担任となる。





 星に夜が来るならば、都市にも夜はやってくる。

 しかし明るいネオンサインに支配された繁華街では、それが今やってきたと、はっきりと自覚する事は少ないのだが。

 世界的に有名なスクランブル交差点がある街。明るい表通りから隠れるように闇に沈む裏路地、その一角にある自動販売機脇に、二人の少女が座り込んでいた。

 二人とも、マスクで顔を半分隠しているが、夜目に分かる程に化粧品を塗りたくっており、実用的でない程の長さをしたツケ爪をした手を使って、何事かスマートフォンを操作している。

「なあ」

 長い髪の毛を脱色し、その一房を赤い色に、もう一房を青い色に染めているという、奇抜な頭をした方が、ガラの悪い言葉を上げた。

 そのほとんどがミルクティのような色になった髪の間から見える耳から、血が流れだしているように見える。しかし、それは音楽を聴くためのイヤホンのコードであった。

 顔を半分覆っているマスクは、鼻血を流したブタの鼻がプリントされているという、髪に負けない程の奇抜な物である。

「なあ、ってば」

「んー」

 言葉の投げ合いはしているが、お互いの顔を見ることはせず、手元の液晶画面に釘付けであった。

 面倒くさそうに応えた少女の方は、少なくともまともな髪型をしていた。長い髪は少々脱色したあとはあるが、もとの黒い色が確認できたからだ。

 こちらも耳にイヤホンが差しっぱなしになっている。

 こちらがつけているマスクは、カイゼル髭を意識したようなイラストが入っていた。

 二人とも、ガウチョパンツ風のズボンに、プリントTシャツ。そのうえにダボダボの薄手のジャケットといった服を着ていた。肩にはトートバッグをかけたままにしていた。

 余裕がある時や、なにかの記念日などは二人で、双子コーデをすることもあったが、今日みたいに、惰性でこの町をうろつく日などは、こんなものだ。

 この格好の利点は、理想の自分の体形とかけ離れている今の自分のラインを、苦労せずに隠してくれるところだ。トートバッグだって何でも放り込んでおくことができる。

 そしてマスク。顔を隠すことで都会のその他大勢に紛れることが可能だ。化粧が多少崩れても直さなくても済むし。

「きょおー、ティアラは、どすんの」

「んー」

 ティアラと呼ばれた、長い髪の端だけ脱色が残っている方の少女が、画面右上に表示されている時刻を確認した。

「そろそろヤバいよね」

「そお? あたしは充電がヤバす」

 時刻を小さく表示している横で、コミカルなブタさんが肩で息をしていた。友だちの真似をして入れたアプリで、ブタさんの疲労度で電池残量がわかるようになっている。

 これが布団を敷いて横になったら、電池切れ直前である。

「きょおは、どすんの」

 やっとパズルゲームから顔を外し、もう一度ティアラに訊ねた。

「どっしよーかねえ」

 ティアラと呼ばれた少女も、画面から目を離して、ビルの谷間に切り取られた空を見上げた。

 ただ黒い板で塞がれているようだ。曇っているわけでは無い。夜だからといって、東京都市部で星が見えることはまずない。それよりも明るいネオンサインや街灯、車のライトでかき消されてしまうからだ。

 大通りの方でトラブルでもあったのか、クラクションが派手に鳴らされた音が、この路地まで届いてきた。

「キティこそ、どすんの? やばいしょ?」

「うん、まあ」

 長い髪を二房だけ染めた少女も、ティアラに釣られて空を見上げた。

「あたしはプチ家出中だから、また適当にするつもり」

 せっかく入った高校へ行くどころか、電車で一時間半はかかるこの街に来ることの方が多くなっている二人だった。

 ココに何かがあるわけではないのだが、高校に求めている何かが無いことだけは確実だからだ。

 ただやってきて、店を覗いたり、知り合った友だちと中身のない話をしたり。金がかかるカラオケなんかはあまりしない。ただやってくることが目的になっていた。

 そうすると、今度は帰る電車の一時間半が億劫になってきて、いつのまにか夜もこの街を徘徊するようになっていた。

 ただ、未成年が夜間に外出していると、色々と面倒が起きることになっていた。

「あの、このまえ言ってた『おねーさん』に、また?」

 キティは、最近になって知り合った、この近くに住む女性の家に泊めてもらうことがあるようだ。ティアラはまだ会った事は無いが、彼女曰く「とてもキレイなひと」らしい。

「そうしようかなあ」

 風呂どころかシャワーもまともに浴びていない髪をかき上げる。その右手の内側に、ティアラは目が行った。

 彼女との付き合いは中学からだが、その時からキティのそこには一円玉ほどの大きさをした星形のホクロがあるのだ。

 あまりに見事な五角形なので、最初はボディペイントかタトゥーかと思ったほどである。キティとは、容姿やスタイルなどに、あまり差が無いと思っているティアラであったが、そのホクロの分だけ負けていると感じていた。

 男の子たちと話す時だって、あまりにも珍しいホクロだから話題にしやすいので、二対二などでグループを作る時なども「いい方」を彼女に取られがちであった。

 そのせいで、こうして視界に入ると、目がどうしてもそのホクロに向いてしまう。キティも、ティアラの視線には気が付いているようで、こうして髪を弄ったりする時に、わざわざ見えるように手首を捻っていたりした。

 実はティアラも、そういった一風変わったホクロを持っていた。ただ、そのある場所が右のくるぶしという微妙な場所なのである。

 それは二つの円が重なったようなホクロで、小さい頃は「雪だるまさん」と呼んでいたほどだ。

 でも、わざわざ会話の度に靴を脱いでアピールするのも変であろう。その点、手首を返すだけで見せびらかすことができるキティの星形は、有利であった。

「ヤラしいことされたりしないの?」

「んー、いまのところ、まだ」

 未成年が深夜の街を徘徊しているのである。体目当ての男に声をかけられるなど、日常茶飯事である。それでも誰でもいいというわけでもなく、一定レベルより上の相手と決めていた。

 まあ、金に窮した時などは、男を選んでいる余裕など無くなるのだが。

 もちろんそういった生活をしているのだから、二人ともとっくに「卒業」していて、そして相手が女でも、そういった相手を探している輩がいることを知っていた。

「あたしも行っていい?」

「うーん」

 キティが難しそうな顔をした。

「おねーさん、どう言うかなあ」

「あ、別にいいよ。きょおは帰ってもいいつもりだったしぃ」

 ほぼ脊髄反射のように遠慮してしまう。相手がそういう趣味ならば一対一の方が好まれるだろうし(たまに一体多とか、多対多を好む性癖の者もいるが)無理について行ってキティすら断られたら悪い気がしたからだ。

「じゃあ、またRINEして」

 汚れているとは思わないが、お尻をはたきながら立ち上がる。

「あんた既読つけんのおそいじゃん」

 彼女を見上げながらの軽い冗談のような返しに、ちょっと本気になって言い返す。

「だって、キティって、いつもトイレとか風呂の時に狙って送ってくるよね?」

「ばれてたか」

 ティアラはペロリと舌を出した。

 その時、道の向こうから複数の話し声がやってきた。

「?」

 二人して闇を透かすようにして、その十人程度の集団を見る。

「あれって」

「うん」

 そこまで暗くないのに、大きな懐中電灯を持っていることから、地域ボランティアによる見回りの可能性が高かった。

 警察のOBなども加わっており、未成年者の深夜徘徊などを見つけると「説教」やら「指導」やらをし始める団体である。学校の生活指導すら「お節介」としか判断しない二人には、やっかいな連中としか認識できなかった。

「いくよ」

「うん」

 先に立っていたティアラを追うようにキティも立ち上がった。丸めるようにして肩のトートバッグを掴む。それがかえって目立ってしまったのか、懐中電灯の一つが二人に向けられた。

 そ知らぬふりして背中を向けて歩き始める。

「こんばんはー」

 二人から見てお爺さんと言えるほどの男性が声をかけようとした。それが逆に合図になって、二人はうなずきあい、さっと左右に分かれた。

「おい!」

 少し厳しい声で呼び止めようとするが、構っていられなかった。キティは集団の反対側へ、ティアラはそんなところに道があったのかと思えるような壁の隙間へ、それぞれ遁走を開始した。



 結局、ティアラはそのまま街を一周して、終電の二本前で帰宅する事にした。

 はぐれたキティにはいちおうメッセージを入れておいたが、既読はなかなかつかなかった。

 快速電車の終点で降り、そこからさらに普通列車にしようか、それとも別の交通手段にしようか迷ったところで、同じ中学だった連中と運良く出くわした。

 男女混合の七人組である。八人で遊んでいたところ、男の子が一人バイトの時間で抜けて、女の子であるモカだけ「余って」しまったようだ。他の六人はいちおう一緒に遊ぼうと引き留めていたところだったようだが、モカ自身は興が覚めて帰ろうとしていたようだ。

 モカとは仲良くしていたので、一緒に帰ることにした。

 幸い彼女が、この駅までスクーターでやってきていた。パトカーに見つかるとうるさいことは知っていたが、二人乗りさせてもらって、家の近くまで送ってもらった。

 真夜中の家には、三台分の駐車スペース。父親が使う大きな車が真ん中に停めてあり、両脇は空いていた。

 母親の軽自動車が無いのは、地域の交流サークルで遅くまでフラダンスに行っている、ということになっている。夕方に閉まってしまう公民館でのサークル活動が、こんな夜まで続くわけがないはずだ。母親の説明によると、いちおう反省会という名目の飲み会になるということだ。が、行った時と帰った時の髪型が変わっていることある。それで大体なぜ遅いのか察しが付くというものだ。

 無言で玄関を開けて、居間を通過する。

 そこでは何も知らない父親が、一人で晩酌をしていた。

 チラリと何か言いたそうに睨みつけてくるが、まったく無視して冷蔵庫を漁る。

 適当に残り物を集め、そのまま台所で食事にした。

 食器をシンクへ付けて、自分の部屋へ戻る。もちろん父娘の会話など存在しなかった。

 そのまま着替えを纏めると、風呂場へ。仕事から帰って来た父親がすでに済ませたのか、風呂場には熱気がこもっていた。

 風呂桶の栓を抜いて、せっかく張ってあったお湯を流しながら、洗面台で化粧を落とす。

 と、ドライヤーの脇に置いたスマホがチャランと鳴った。

 ハンカチの上に並べるようにつけ爪を外してから、スマホを確認する。

 キティからだった。どうやら無事に逃げおおせて、今晩はやっぱり「おねーさん」にやっかいになるようだ。



 翌日は久しぶりに学校へ。

 クラスで仲良くしているサエと話す。

 本当の病気の時しかマスクはしてはいけないとか、下らない校則が並んでいる校風には辟易とする。もちろん校内で派手なお洒落、お化粧は禁止だ。

 そんな事を考えながら外を眺めていたら、サエが自分のスマホを弄りながら訊いてきた。

「ティアラはさあ、きのー、キティと東京まわってたんでしょ」

「ん、まあね」

 サエの家は厳しいらしくて、東京へ遊びに行くどころか、学校でできるレベルのお洒落すらさせてもらえない。

 それでも一回、清水の舞台から飛び降りるつもりで髪を脱色したら、親が学校へ乗り込んでくる騒ぎとなった。

 サエの父親曰く「学校の指導がしっかりしていないから、娘が不良になった」なんだそうだ。その横で、ただ泣いているサエの母親が印象的だった。

 その大騒ぎのせいで、それまで何も言ってこなかった生活指導が、すでに染めていたティアラやキティなんかにガミガミ言うようになってしまった。

 あまりにうるさいのでティアラは諦め、そのせいで今のこんな中途半端な髪の色になってしまった。彼女より根性が座っているキティは相変わらずであったが。

 そんなサエのことを逆恨みしてもよかったが、本人は至って気のいい女の子だし、また自由にお洒落を楽しんでいる二人を、まるで尊敬するように扱ってくれるので、付き合いがそれっきりということにはならなかった。

「きのーから、繋がらないんだけど」

 と手首を返して画面を見せてきた。そこにはサエからキティへ連絡を取ろうとした経歴が並んでおり、その全てに既読がついていなかった。

「おやあ?」

 さすがに半日以上の音信不通は異常である。キティも自分のスマホを取り出すと、アプリを開いてみた。

 朝一に挨拶代わりに送った「きのう、どおだった?」という文章にも既読はついていなかった。

 あまりに憂鬱な学校生活が先に来て、彼女の事を忘れていた。

「おかしいよね。いつもならレスはやいのに」

「うん」

 ためしに「きょうガッコ、つまんない」と送ってみるが、やはり既読にはならなかった。

「でさ」

 声を潜めてサエが身を乗り出してきた。

「探しに行ってみない?」

「これからぁ?」

 学校が終わってから電車に飛び乗っても、着くのはだいぶ夕方になってしまう。それに行くならそれなりのお洒落もしたい。その時間も考えると、夜になってしまうのではないだろうか。

「きょおなら、あたし部活ってごまかせるもん」

 厳しい家庭環境のサエである。休日にすら東京へ遊びになんか行かせてもらえない。ティアラが知っているだけで、二人と一緒に一回だけ有名なところを巡っただけだ。

 キラキラとした目で見てくるサエを見つめ返し、ティアラは小首を傾げた。

 東京慣れしていないサエは、ここらへんで友だちを探す感覚で言っているのだろう。しかし実際は、あの街へ行ったからって、必ず出会えるわけではないのだが。なにせ「その他大勢」が多すぎる。

 そんなサエを見て、突然ティアラは理解した。

(ああ、ただ東京へ出たいだけなんだ)

 しかしキティがどうなったかも気にはなる。彼女の方から連絡が無ければ探しようもないが、それでも地元にいるよりは会う確率が高くなるのには違いない。

 それに、連絡がつかないから探しに行ったんだよ、という事実が手に入る。

「じゃあ、制服のままでいっちゃおうか」



 雲行きが怪しいとは思っていたが、着いた頃にはシトシトとした小雨が降り始めていた。

 駅ビルでビニール傘を買い、とりあえずサエの隠れた目的だったらしい本屋へ寄る。

「ふーん」

 なにやら手芸コーナーをうろついているので、手編みの本か何かを探していると思ったら、レジンとやらでアクセサリーを作る本を手に取った。

 表紙の写真には、透明な氷に閉じ込められたようなモミジのペンダントが掲載されていた。

「こーゆーの、自分で作れたらヤバいでしょ」

「ふーん」

 自分が不器用であることに自覚があるティアラは、わかったふりをしただけ。

「じゃあレジしてくるね」

 大事そうに両手で本を抱えたサエが、レジカウンターの方へ小走りに行った。

 一人残されたティアラは、手持無沙汰になり店内を見回した。

 ファッション雑誌に興味はあったが、それらは厳重に梱包されている。オマケが豪華になりすぎて、店先で本誌でなくオマケだけを万引きする客が増えたせいだ。

(他に何か立ち読みできそうなもの…)

 見回していると、一人の女性に目が留まった。

(うわあ)

 身長はそれほど自分とは変わらない。しかしそのスタイルも立ち回りも、常人にはありえない程の洗練された物だったからだ。

 緑色のボレロで体の線は隠れているはずだが、充分に魅力的で、チラリと見えた横顔は、雑誌やモニターの向こうにいるような美しさであった。

(モデルさん?)

 東京に出てくれば有名人に会うことも珍しいことではない。地元にいたって会えるとしたら、里帰り中のマギーC郎か、「指紋チュ」とかいうご当地アイドルぐらいなものだろう。

(なにかに出てた有名人?)

 しかし、その美人を他で見かけた記憶は無かった。

(さすがにこの街だと、一般人でもレベルが高いんだなあ)

「ねえってば」

 その美人に見とれていたせいか、話しかけられていることに気が付くのが遅れた。

「ねえ」

「んー」

 サエが返って来たのかと思って振り返ると、そこに見た事のない男が三人も立っていた。

「声かけてんのに、無視なんて、ありえなくね?」

 背は高いが、体には筋肉がついていないような男たちである。声の感じから、ティアラとはそんなに歳は離れていないと思われた。

 三人でヤンキースの帽子を色違いで揃え、半そでのシャツに七分丈のズボンという服装。ペンダントだったりアンクレットだったり、あちこちにチェーンを巻いて気分はラッパー崩れのシティボーイといった感じ。

 ただし気分以上に素が追いついていなくて、つくばエクスプレス沿線出身と思われる垢ぬけない顔立ちであった。

「よーよー、オレたちとあそばね?」

「ひとり? ほかにもいるなら、いっしょしよーよ」

「いいじゃんいいじゃん」

「えっと…」

 さすがにこの街に慣れていても、引くシチュエーションである。しかも目に怖い程欲望がギラギラと浮き出ているような表情なのである。

 チラリとレジの方へ視線を走らせたが、サエの姿は見つけられなかった。また複数の男に女の子が囲まれているというのに、助けに来てくれそうな店員もいなさそうだ。

「ねーねー、たのしいことしよーぜ」

 一人が遠慮などなく、肩へ手を回してきた。そのままガシッと掴まれてしまう。

 駅で買った傘があれば振り回すこともできたのであろうが、あいにくサエが持って行ってしまった。

「もう、たのしーことうけあい」

 別の一人が反対側に回り、脇へ手を回してきた。学校のまま来たので、肩から提げていたカバンごと抱きすくめられてしまった。

 二人の男に掴まれてしまっては、相手がこんなヒョロガリ君たちでも脱出不能だ。ティアラは大声を出して、周囲に助けを呼ぼうとした。

「おおっと。たのしーことが待っているんだからさ。大声はナシで」

 残った三人目が、周囲から見えない位置まで近づくと、さっとズボンの後ろポケットから何かを取り出した。

 男たちが体に巻き付けているチェーンと同じ色をした物。しかし、それは穏やかな物では無かった。

 キラリと店の照明を反射したのは、バネ仕掛けで刃が飛び出すナイフであった。周囲からは男たちの体が邪魔をして見えない位置で、刃先を揺らした。

「…」

 声を出そうにも、恐怖が先に立って、何も喋れなくなってしまった。

「たのしーこと、たのしーこと」

 と、口調は遊びへ誘っている風を装って、刃先がティアラの制服の胸元へ走った。

 ピンと小さな音がして、ボタンが一つ弾けた。

 ティアラの常人並みな胸でも、そんなことをされれば前がはだけて、下着が覗けるぐらいにはなる。

 両脇でティアラを押さえている男たちが、ゲヘヘと欲望に染まった笑い声を上げた。

「どこいこっか」

 あくまでもティアラに訊ねる風で、実は押さえこんでいる二人に訊ねる。

「いつものトコで、いいしょ」

「うんうん」

 そのままティアラの足が抵抗しようがお構いなしに、ぐいっと店の表に連れ出されてしまった。

 外は相変わらず小雨が降っていた。

 三人は構わず傘も無しにティアラを引きずっていく。

「ちょ、ちょっと!」

 なにも抵抗せずにいたら、三人がかりでオモチャにされる恐怖と、この街に何回も来ている経験が、やっとティアラに反抗させる意思を取り戻させた。雨の冷たさも、冷静さを取り戻すきっかけになった。

「お? ていこうしちゃう?」

 ナイフをチラつかせた男が不思議そうに振り返ると、またティアラに詰め寄った。

「いいじゃん。オレらとあそびましょうね」

 そう言って、手を制服のスカートの中へ入れてきた。

「!」

 性的に触られるのかと警戒した瞬間に、ビッという音がしてスカートが縦に切られた。

 けっこう上まで切られたので、まるでスリットスカートのようになってしまった。

「次は、パンツ切るから」

 ヒラヒラとナイフを見せびらかしながら、愉悦に歪んだ顔で宣言されて、ティアラはまた動けなくなった。

 硬直している女の子を、男三人がかりで運んでいく。人の多い都会であっても異常な集団だが、この街では基本的に他人には無関心であった。

 そのままズルズルと道玄坂方面へ。

「おおっと」

 上り坂を運ばれていると、前から声がかけられた。

 男性ではない。女性の物としては低い方であったが、決して無骨な感じはしない透明な声であった。

 ちょうど、そろそろ新しいアクションを起こして、逃げるなり助けを呼ぶなりしなきゃとティアラが再決心していたところだ。声をかけてくれたことにより、希望が差し込んだ気がした。

 顔を上げて見れば、四人の行く先を一つの赤い傘が遮っていた。

「なんだ、てんめえ」

 気分よく歩いていたところを邪魔されて、リーダー格らしいナイフを持った男が、ガラの悪い声を出した。

「ボク? ボクかあ。『美人のおねえさん』とでも呼んでくれたまえ」

 そう自己紹介するだけの権利がある相手であった。

 バランスのよい肢体を黒いシャツとレギンスで覆っており、肩からはゆったりとした緑色のボレロというファッションである。

(あれ、この人って…)

 ティアラには同じ緑色のボレロに心当たりがあった。

「ボクのツレに、何か用かな?」

 そう言って傘の傾け方を変えて、顔を四人に晒した。

 立ちはだかったのは、やはり先程ティアラが本屋で見とれた美人であった。

 こうして向かい合わせに立たれると、その美しさを充分に観察する事ができた。髪はショートのシャギーカットで快活さを演出し、軽く茶色く脱色している事で、さらに軽さを表現していた。一点の曇りも見られない白い肌には、青い血管が薄く浮いており、もちろんムダ毛の類は目に入らなかった。相手を小馬鹿にしたように歪められている唇は、愛されるのが当然のように湿っていて、女であるティアラですら魅力的に感じられたほどだ。

 これで小皺を隠すような化粧の仕方をしていれば、大体の年齢を推察できるというものだが、素肌の美しさを活かすような薄化粧で、ティアラよりは確実に年上だろうが、それがどの程度か全くわからない。

 そんな美しい面差しの中で、もっとも特徴的なのは瞳であった。宝石のヒスイのような色合いをした大きな虹彩に、ホクロが一つだけ墨を垂らしたように存在している。

 そして強い意志を感じさせる眼力の中心に、青い炎が踊っていた。

 結局、活動的なファッションとその美しさで、近所の快活なおねえさんという言葉を連想させる以外、まったくの正体不明な人物であった。

「ツレ?」

 男三人が顔を一瞬見合わせてから、そして下卑た笑いを取り戻した。

 もちろんティアラには、こんなモデル級の美人なんて知り合いはいなかった。さっき本屋で見かけたのが最初である。

「じゃあ、おねえさんもいっしょに、たのしんじゃう?」

「うーん」

 わざとらしく、赤い傘を肩にかけると、体のラインが浮き出るような長袖のTシャツに包まれた細い腕を組んで、これまた花瓶のような首にのる小振りの頭を傾けた。

「キミたちのドレも、ボクのタイプとは違うなあ」

 皮肉めいた笑いを浮かべたが、そんな表情も似合っていた。

「その娘を置いて、おとなしくママのオッパイをしゃぶりに帰るなら、見逃してあげてもいいよ」

「ンだと! てメえ!」

 挑発されたと理解したナイフの男が、瞬間湯沸かし器のように怒鳴り声を上げた。そんな物は梢を揺らしたそよ風とばかりに、自称おねえさんは歪んだ微笑みを崩さなかった。

 まだ通りかかったサラリーマン風の男の方が反応したぐらいだ。そして、その反応とは、この街では当たり前の「触らぬ神に祟りなし」とばかりに、自分の傘の中に引っ込むというものだった。

「あれえ? 聞こえなかったのかな? ボーイズ」

 余裕たっぷりにクスクスと笑い出したおねえさんは、まるで子犬でも追い払うかのようにシッシッと手を下から上に振った。

「見逃してあげるから、自分のお山へお帰り」

「うをおお」

 その態度に我慢の限界が来たのか、先頭の男がナイフを振り回して、おねえさんに襲い掛かった。

「ふむ」

 その瞬間に、赤い傘が歩道へ落ちた。

 切られたり、刺されたりしたのではない。自分に迫るナイフに対し、おねえさんは傘を捨て、右手を突き出した。刃先が触れるような間隔で前に突き出された右手は、実際は毛筋ほどの傷も受けずに男の攻撃をかいくぐった。

そのまま右掌の一番奥が、男の顎を下から突き上げた。

 格闘技で言うところの掌底打ちというやつである。ただルールに沿った格闘技とは違って、おねえさんの攻撃はそれだけで終わらなかった。

 顎に掌を打ち付けた状態から、その長い指を曲げて男の目を抉ったのだ。

「ぎゃあああ」

 脳を揺すられて意識が遠のいたところを、人体で最大の急所である眼球を指で突かれたのだ。そのまま失神していた方がマシであったろう。強制的に激痛で現実へ戻されて、男にはもう戦う意思すら残されてなかった。

 ナイフを放り出して両手で顔を押さえ、がっくりと膝をつく。

 ティアラを左右から押さえている二人には、あまりにもあっさりと勝負がついたので、何が起きたのか分からなかったようだ。

 二人してポカンと口を開けて立っている。

 自分を拘束する力が弱まったと感じたティアラは、男たちの手を振り切って、おねえさんの後ろへ回り込んだ。

 慌てていたので、おねえさんが差していた赤い傘を踏んでしまった。

「いだいいだいいだい」

 両手で顔を覆ったまま歩道を転げまわる男。それを無視して、おねえさんは残る二人にちょいちょいと手招きをした。

「ちくしょお」

 最初にティアラの肩を抱いた男が、握り拳をつくった。

「おい、やめろって」

 残った一人は、のたうち回っている男の様子を見ようと、屈んだところだった。

 大ぶりの一発は、おねえさんにかすりもしなかった。逆に、踏み込まれてカウンターの一発を頬骨にくらう。

「おぶう」

 なんとも情けない声をあげながら、殴りかかった男は仰向けに引っくり返った。そのまま受け身も取れず、アスファルトに後頭部を打ちつけた。

「がっ」

 ビクンと痙攣してからウンともスンとも言わなくなる。

「キミはかかって来ないの?」

 軽い前傾姿勢の戦闘ポーズで、おねえさんがニッコリ笑った。

「ひい」

 最後の一人は、悲鳴を上げると、情けなくもガニ股で歩道に座り込んで、動けなくなった。

 そのあからさまに戦意喪失した姿に、おねえさんはカツカツと歩み寄り、最後の一歩を足の間へ下ろした。

 緑色した靴のつま先が、イチモツの数センチ前に叩きつけられた。上から覆いかぶさるように睨みつける。

「キミたちは、他にも女の子を泣かせたみたいだけど? そういうのは別の街でやってくんないかなあ。わかった?」

「はいいい」

 すっかり委縮した男が、何度も首を縦に振るのを見て、おねえさんがニッコリとした笑顔を見せた。

「はやく救急車を呼ばないと、そっちのコは大変なことになっちゃうかもね」と、のたうちまわっている方ではなく、仰向けになってピクピクと痙攣を始めた方を指差した。

「もちろん」と男へ顔を近づけ「ボクのことは、おまわりさんになんかには言わないよね」

「はい、はい」

「よろしい」

 クルリと身を翻すと、おねえさんは硬直していたティアラの方に戻って来た。その途中で顔面を押さえてのたうち回っていた男は、蹴ってどかした。

「大丈夫だった?」

 男たちに向けていた、どこか険しさのある笑顔とはまったく違う、まるで慈愛に溢れた聖母のような表情で訊ねる。

 その優しい声に、ティアラは安心して泣き出してしまった。

「あらあら」

 おねえさんはティアラの裂かれたスカートを見て、着ていたボレロをわざわざ脱いで、制服の上から被せてくれた。

「傘は…」と歩道から取り上げた赤い傘は、見事にひしゃげていた。

 それを溜息一つでティアラに差し掛けた。

「こんなトコじゃなんだから、ウチに来る?」

 そっと優しく背中の中心を押してティアラを誘導してくれた。

 三人の男を現場に残して、二人は赤い傘を揺らしながら、脇道を歩き始めた。

 この街で遊びなれたティアラがまったく知らない、住宅地の隙間を縫うような路地である。

 ティアラの想像つかない事だったが、この派手な街でも、ちょっと入れば普通に暮らしている人たちがいるのである。

 少々キツイ坂道と、小さな階段を幾つか。それと車じゃ絶対に曲がれないような鋭角の角を曲がった。

 着いたのは木造モルタル二階建ての一軒家であった。さすがに都内なのでほとんど庭のような物はなく、周囲を囲うブロック塀が切れている門からすぐに玄関だ。

 確実に昭和の時代に建てられた家である。

 外見は古いがリフォームでもしたのか、真新しい扉の鍵を開け、狭いなりに機能的な玄関にティアラを迎い入れた。

「ちょっと待ってね」

 いちおう役割を果たそうとしてくれた壊れた傘を強引に畳むと、傘立てに投げ入れるようにして片付ける。

「あ、つ」

 ヒールのある靴を脱ぐときに、ちょっとだけ顔を歪める。

「け、ケガしたんですか?」

 見ると、右足首から先に包帯が巻かれていた。

「んんん。ほら、こういう靴履いていると、どうしてもつま先がね」

 短い靴下に包まれた指先をほぐしながら、おねえさんは廊下に上がった。

「荷物、おろして」

 おねえさんはティアラを玄関に立たせたまま、入ってすぐの扉に入った。ティアラは肩に提げたままだったカバンを、ボレロの下から抜いて、壁際へおろさせてもらう。

 おねえさんは、入って行った扉から柔らかいバスタオルを持って出てきた。

「はい」

 ただ渡すのではなく、ばさっと宙で広げて、ティアラを包みこむようにしてくれた。握っていた端で、泣いて崩れた顔まで拭ってくれる。

「お互い、びしょ濡れね。シャワー使う?」

「え、でも…」

 バスタオルの暖かさに気持ちが落ち着いたティアラは、そこまで世話になってはいけないと、腰が引けた。

「服も破かれちゃったし、そんな恰好で帰れないでしょ?」

 そう笑顔を向けられて、ティアラは何も言えなくなってしまった。

 おねえさんがバスタオルを持ってきた部屋が、脱衣場であった。その向こうに外見から想像できない程の広さを持った風呂場に繋がっていた。

「お湯に浸かる?」

 シャワーの準備をしながら、脱衣場で立ち尽くすティアラに明るく問いかける。一人が手足を伸ばして充分入れる程のバスタブも、最新の物に見えた。

「その方がホッとできるかな?」

「いえ、おねえさんもビショ濡れじゃないですか。一人でお風呂占領したら、悪いです」

 にこやかに振り返るおねえさんに気が引けて、ティアラは愛想笑いもできなかった。

「じゃあ、女の子同士だし、一緒に入っちゃおうか?」

 とても悪戯っぽく微笑む。

「え?」と一歩さがったのを見て「冗談よ」とカラカラ笑った。

「脱いだ服はその籠に入れて、後で乾燥機かけてあげる」

 脱衣場の突き当りには、立派な洗濯乾燥機が鎮座していた。あれならば一時間もせずに服は乾くであろう。

「着替えは持ってきておくから」

 そういって廊下との境目の扉から、おねえさんは出て行った。

「すいません」

 ティアラにできるのは、その閉じられた扉に頭を下げることぐらいだった。



 シャワーを浴びて脱衣室に戻ってくると、すでに洗濯乾燥機がゴンゴンと音を立てて動き始めていた。

 制服を脱いだ籠には、ワンピースほどの丈があるTシャツと、下着が一式。

 自分の物ではない。慌てて洗濯乾燥機の窓から中を覗くと、見覚えのある靴下がグルグル回っていた。

 バスタオルをキッチリ巻いたまま、首だけを廊下に出す。

「あのお」

「あ、終わった?」

 タオルを頭に乗せたおねえさんが、斜め向かいの扉から出てきた。シャワーの間に着替えたのか、ネズミ色の半そでTシャツに、ジーンズというラフな格好だ。

「じゃあ、代わってもらっていい?」

「いえ、そのお」

 言いづらそうにしていると、一瞬だけ訝し気な顔になったが、察する事ができたのであろう、笑顔をすぐに取り戻した。

「ブラもパンツも濡れちゃってたから、一緒に放り込んじゃったわよ」

「でもお」

「気にする? 洗濯して返してくれればいいから」

 そこまで世話になってよいものかどうか迷ったが、実際に自分の物は乾燥中である。機械が止まるまで、おねえさんを待たせても悪いだろう。

 乾いてから着替え直すという選択肢もあると思い直した。

「じゃ、じゃあお借りします」

 引っ込んで服を身に着ける。

 再び顔を出すと、タオルを首にかけたおねえさんが廊下まで出ていた。

「ごめんなさいね、せかしちゃって」

「いえ、いいです」

「サイズが分からなかったから、適当に選んだの。大丈夫?」

「はい」

「そこが居間だからテレビでも見ていて。その隣がクローゼットだから、もし合う服があるなら、出して着ちゃってもいいわよ」

「そ、そんな…」

「だって、それじゃあちょっと寒いんじゃない? 自分でならサイズ選べるでしょ」

「はあ、まあ」

 ティアラと入れ替わりに脱衣場に入ったおねえさんは、扉も閉めずに服を脱ぎ始めた。下着の一部が目に入ったところで、慌てて廊下へ飛び出た。

「あ、それと」

 扉を閉めるティアラに一言やってきた。

「二階は上がらないでね」

「?」

 扉から首を出して、イタズラ気にウインク。

「乙女の秘密だから」



 ティアラは玄関に置きっぱなしになっていたカバンから、スマホを回収し、おねえさんに言われた居間へ移動した。

 あまり広くない部屋に、ソファベッドが並べてある。ちゃぶ台ぐらいのテーブルに、テレビのリモコンが乗っていた。

 ソファの反対側の壁一面がテレビになっていた。いまは海外のニュース番組が点けっぱなしになっていた。

 しかし昼のこの時間に、いつも見ている番組があるわけもない。ティアラは、テレビを流しっぱなしにしたまま、本屋ではぐれてしまったサエに連絡を取ることにした。

 SNSに書き込むと、すぐに反応があった。

 どうやらティアラ(それとキティ)を探して、だいぶ街を歩いたようだ。簡単に、チンピラに襲われたが、美人のお姉さんに助けられた。いまはその人の家にいると送っておく。

 サエは家の門限があるので、電車の時間も考えて、一人で先に帰るようだ。

 サエとのやりとりで思い出したわけでは無いが、キティが返信してきたか、履歴を遡ってみる。

 やはりこちらからの書き込みに既読はついていなかった。

「もう、こんな目に遭ったのも、キティのせいなんだからね」

 ちょっと膨れて、いま自分がこの街に来ていることを書き込んでおく。

 その途端に、震えがきた。

 六月とはいえシトシト雨に降られて、体が冷えているのである。シャワーで一時的に温めたが、いつまでもTシャツ一枚というわけにもいかない。

 廊下に出て、クローゼットと言われた扉の前に立つ。風呂場からは、まだ水音がしていた。

 扉を開けると、そこはウォークインクローゼットになっていた。

 狭い居間に、広い風呂場。そしてこのクローゼットで一階のスペースは使い切っているようである。

 もう一つある扉は、きっとトイレであろう。

 台所などの生活スペースは二階にあるのかもしれない。

 それにしても家族で住んでいる間取りとは到底思えない。あえて言うならお一人様用一軒家といったところか。

 そんなことを考えながら、自分が着られるような服を探しに、ティアラはクローゼットの中に入った。人感センサーがどこかに仕込まれているのか、なにもしていないのに天井の照明が点いた。

 クローゼットには色々な服がかかっていた。

 夜会服に始まって、クリスマスやハロウィンなんかに着るだろう派手な服。もちろん普段使い用のジーンズやブラウスなんかもある。

 そんな小さな服飾店並みの中を、自分の好みを探して歩いている時だった。

「え?」

 ハンガーの一つに、見た事のあるプリントTシャツがかかっていた。そのすぐ横にはガウチョパンツ風のズボンに、薄手のジャケットまである。

 ティアラの血の気が引いて行く。これらはキティが昨日別れるまで来ていた服にそっくりだったからだ。

 まさかと思ってジャケットの端を摘まんでみる。

 キティが着ていた時は薄汚れていた。しかしここにかかっているのは、新品と思えるほどきれいに洗濯されて…。

 タグのところに、キティがいつもするいたずら書きがあった。

「ウソ…」

 ここにある昨日着ていたはずの服。いつまでも既読が付かないSNS。そして彼女が言っていた「きれいなおねーさん」という単語。

 不安に襲われたティアラは、その時になって、自分がスマホを握りっぱなしだったことに気が付いた。

 慌てて電話を起動し、キティの登録を選択する。

 どこかしらから「ひまわり」が流れ出した。

 中学の時、はじめて携帯を手にした時から、キティがティアラからの着信メロディにしている音楽である。

 信じられないとばかりに、音を追って廊下に出る。風呂場からは、相変わらずの水音。玄関はその向こうだ。制服は脱衣所の洗濯乾燥機にかけられている。そしてTシャツだけで、とても外を歩けない今の服装。

 段々と自分の現況に「ヤバさ」を感じ始めているティアラだが、音源を追って廊下を移動した。

 音はクローゼットの向かいにある階段の上から聞こえてくるようだ。

 助けてくれたおねえさんが「乙女の秘密」とやらで、二階には上がらないようにと言っていたが、ここまで来たら確認せずにいられなかった。

 なるべく音を立てないように二階へ上がる。

 上がったところは廊下で、右はベランダに繋がり、左には二つの扉。少々違うデザインの扉が廊下の突き当りに立っていた。

 まず手前の扉を開いてみた。

 そこにはシステムキッチンが据えられたダイニングになっていた。

 ダイニングテーブルの周辺を歩いてみるが、聞こえてくる音楽の音量は変わらない。まさかと思ってキッチンの方へ回ってみた。

 シーンとして冷たい調理器具。冷蔵庫は一人暮らしにしては大きい物で、そこにスナップ写真が数枚貼られていた。

 なんの気も無しにそれを視界に入れると、今では博物館に飾ってあるような、プロペラがついた旅客機が並ぶ空港で、今と寸分変わらぬおねえさんが笑っていた。

「え…」

 写真はすでに色褪せが始まっているような古さである。それなのに、後から合成したかのように、笑うおねえさんだけが今と変わらない姿でファインダーに納まっていた。

 その写真に不気味さを感じ、さらに音楽が聞こえてくるのがこの部屋では無いと確信したので、廊下へ戻る。

 隣の部屋の扉は、薄く開いていた。

 そこは窓もなく照明が点けられていない部屋であった。

 しかし部屋の中は薄明りで満たされていた。四方の壁に沿って木製の実験台のような無骨なテーブルが置かれ、その上に青く光る液体に満たされたビーカーやシリンダーが並んでいたからだ。

「ぐ」

 ティアラは喉元までせりあがって来た酸っぱい物を飲み込んだ。

 光を当てられているのではなく、自ら発光する液体には、特徴的な物が沈められていたからだ。

 こちらのコーヒーカップぐらいのビーカーには、眼球が外眼筋ごと一つ。隣の縦長のシリンダーには十二指腸が伸ばされた状態で一本。そちらの木製の試験管立てには十本の試験管が並べられており、その一本ずつに指が順番に入っていて、ちょうど人間一人分。

 まだまだある。こちらのビーカーには、まるで入れ歯を洗浄しているかのような感じで下顎骨が歯と一緒に浸かっており、そちらのメスシリンダーには図鑑でしか見た事がない気管支の一部。

 そういった人体の一部と思われる物が入ったガラス容器で、テーブル上は埋められており、明らかに耳とわかる物が沈められたビーカー横で、いまだ呼び出し状態だったスマホが、二度目のサビに突入していた。

「うそ」

 ティアラは廊下へ座りこんだ。あまりの衝撃に腰が抜けてしまったのだ。

 その視界に最後の扉が目に入った。

 見てはいけないと、開けてはいけないと、頭のどこかがティアラに命令するが、彼女はガクガクとする膝を伸ばして立ち上がり、その扉に手をかけた。

「!」

 その部屋も、真っ暗で窓も照明も無かった。

 ただ人が入れるほどのガラスの水槽が二つも置いてあり、それにも青く発光する液体がいっぱい満たされていた。

 そこに一つずつ…、いや一人ずつ立った状態のモノがいた。

 片方は見た事のない人物。そりゃそうだ。そこにあるのは肉も臓器もない、明らかに人間の物と思われる一揃えの骸骨だったのだ。

 ただ肋骨の間で、忘れられたように残された心臓だけが動いており、この発光する青い液体を吸ったり吐いたりしていた。

 もう一人は…。

 再びティアラはペタリと床に座り込んでしまった。

 その青い液体に沈んでいるのは、間違いなくキティだったのだ。

 いつもマスクで顔の下半分を隠し、残された部分だって厚い化粧で原型が分からない程だったが、まだこんな街へ出てくる前からの知り合いである。お互いのスッピンぐらいは見分けがつく。

 一糸まとわぬ姿で青い液体に沈んでいるが、呼吸などはどうしているのだろうか。特に苦しい様子を見せているわけでもなく、ただそこで立ったまま眠っているように見えた。

 液体の循環に任せるままに、あの特徴的に染められた髪が踊っており、両方の瞼は静かに閉じられていた。

 自分と同じぐらいの平均的な胸が、微かに動いている。ということは死んではいないのだろうか?

 だが、彼女の右腕は肩から失われており、断面からは腱やら筋、外された関節についている軟骨、そして切断された大小血管から木枝のような神経まで、まるで人体標本のよう見ることができた。

「だめじゃない。『乙女の秘密』って、言っておいたでしょ」

 突然、廊下に座り込んでキティを見上げていたティアラは、後ろから抱き着かれた。フワリとした雰囲気で、おねえさんだということが振り返らずとも分かった。

「さあ、子猫(キティ)ちゃんとはお別れしましょうねえ」

「!」

 ティアラは息を呑んだ。

 彼女の肩を抱くために、前に回されたおねえさんの右腕。その手首に星形の痣が浮いていたからだ。



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