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 窓際で秋の暖かな陽を浴びて猫が鳴く。


ふと「動物は名詞を理解できず、例えば名前を呼ばれたとしても、それを『こっちへ来い』という動詞であると受け取るのである」という旨の話を聞いた事があるのを思い出した。



「吾輩」



飼い主の付けた安直な名前を呼ぶ。

反応はない。

いや、尻尾が振られているのは或いは反応といっても良いのかもしれないが、そっぽを向いていて気付いているのやらといった具合である。


なんだ、嘘か、と文句を呟いてみる。

なんとなく悔しかったので餌の入った袋でも持ち出して吾輩の気を引いてやろうか、とも思ったがやめた。




 町中を少し外れた静かな大きな家の中で、私達、一人と一匹は日々を流れるように過ごしている。




 「家ってやっぱり高いんですね」

出来上がったばかりの立派な新築を見上げて、男が呟く。


何を当たり前のことを、と思いながら

「そうさねぇ、最近はほら、税金も昔に比べたら上がったもんだからねぇ。」

と話の調子を合わせて答えると

「そうですね」

と呆気ない言葉が返ってくる。


図面を見た時や現場で指揮を執りながらも思っていたが、なかなか立派な家だ。この男からそんなに「稼いでいる人」というような雰囲気は感じられないのだが…


まさか一人で住もうというのではあるまい、と気にはなっていたのでチラ、と男の手を見てみると別に指輪はしていなかった。


そろそろ関わることもなくなるのだから、と聞いてみることにする。


「お兄さん、指輪してないあたり結婚はまだなんだろうけど、彼女さんとでも住むのかい?」

「いや別に…最後に付き合ってた彼女ももう大分昔の話ですね」

これまた淡々とした返事を聞きながら「昔」ってほどの歳でもないだろうに…と考える。


「親方さんは?」

「…え?」

「奥さんとか、いらっしゃるんですか?」

まさか聞かれるとは思わず開抜けな返事をしてしまった、と思いつつ

「ウチはもう長い付き合いだよ、子供もとっくの昔に家にゃ居ないさ。」

と男に指輪を見せる。


「それにしてもこの家に一人か…どうしてまたこう立派なのを、って、まあ聞いても仕方ないかね。」

手をポケットに突っ込みながら改めて家を眺めてみると、男の方もぼーっと家を眺めている。

「まあなに、良い仕事させてもらったよ。」

ありがとう、と言おうとしたところで男が口を開く。


「子供を引き取ろうと思うんです。」


今までで一番はっきりと声を聞いた気がした。

顔を窺ってみると男はどことなく締まった顔つきをしているように感じられた。


「…もしかして、なんかマズかったかね…?」

「いえ、過去にどうこうということではないですよ、気にしないでください」

「あぁそうかい、そいつぁ良かった。どうも女房からも()()()だなんだと言われてしまってな…」


がはは、と頭を掻いたりしてみるが言い訳がましくなってしまって、掻いていた手が行き場を失う。


あぁそうだ、とまた芝居がかったようにポンと手を打つ。

「確かそんな話があっただろう、会社員が娘を引き取るってほら、何とかって小説家の。」

「谷崎潤一郎の『痴人の愛』ですね。1924年から翌年まで新聞で連載されて、連載が終わったその年に単行本が出ました。今でも文庫なんかで並んでますね」


男はその内容を九九でも諳んじるかのように、また淡々と続ける。

「まあ僕は会社員じゃないですし、引き取るのも男の子にしようか女の子にしようか、いや、それ以前に引き取ることが出来るのか…」


まだ続きそうだったので「なるほど、詳しいんだな」と遮っておく。

あまりに饒舌に喋るもんだから少し驚いたというのもある。

ただまあ、当初の目的は果たした。


「そうか、子供を引き取るねぇ…いろいろと難しいだろうが頑張ってな。」

男の肩を叩く。嫌がる素振りは無い。

「そういう事ならこの立派な家はうってつけだわなぁ、どんな子が来るのか分からんが気に入ってもらえるといいな。」


「そうですね」


穏やかな顔をしていた。親父が死ぬ前にこんな顔してたっけかな、と思い出そうとしてやめた。

この男には、まだ少しは終わらないであろう「先」が待っているのだ。


「あ」

急に男が斜め上を見上げて呟く。

つられて上を見る。暗雲垂れ込めるでもなく雲一つない青空でもない、なんとも普通な空だった。

こうも何も語らない空はないだろう、と思ったが然しまた、こんな空がこの男には似合っているな、とも感じられた。


ところで


「…?何だ。」

「一つ言い忘れていたんですけど」


また少し間が開く


「…いやに勿体ぶるな。」

「あぁいやすみません、同居人が一人決まっていたんです、そういえば」

「ほう、それは確かに聞いてなかったな、女か?」


わざと悪い顔をしてみせる。

がしかし男にこちらのおふざけに付き合うような様子は無い。


「いえ、猫です。前住んでたアパートに捨てられてて…」

「なんだ猫か、ってそれは同居『人』なのか…?」

「それは…そうですね」

少し考える様な素振りをしてから男は言う。


「そうですね、ってお前さんなぁ…名前は、決めてあるのか?」

「ええ、決まってます。安直なんですけど」





「吾輩」


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