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忘却から愛と贖罪を込めて(Ⅲ)

「……気味が悪いと言いますと? このデザインが前々から気に入っていなかったということでしょうか」

「そうじゃないんです。その、信じてもらえないかもしれませんけど、最近娘の様子がおかしくなったんです」


 切迫した様子で香菜は説明を始めた。


「毎日夕方になると五歳の娘がこの時計を抱き締めて家から出ようとするんです。私が時計を取り上げようとしてもびくともしなくて……しかも、娘はその間のことを一切覚えていないみたいなんです。それがとても怖くて」


 夕方になると時計を抱いて、どこかに行こうとする子供。想像して頼政は気味の悪さを感じた。

まるで時計が女の子を操ってどこかへ連れて行こうとしているかのようだ。


「夫は今から二年前に大病を患って亡くなりました。……最後は何もかもが嫌になったんでしょうね。あの人は私や病院の方々に当たり散らすようになって性格も刺々しくなってしまいました。そして、口癖のようにこう言っていたんです。『いいよな、お前たちは俺と違ってずっと生きていられるんだから』って……」


 その時のことを思い出しているのだろう。香菜は両手で自分の買値が体を抱き締めながら首を横に振った。

彼女の表情は恐怖で満ちていた。


「つまりあれですか。三上様はその時計には旦那様の怨念が宿っていて、それがお子さんに危害を加えていると……」

「やっぱり信じてくれませんか?」

「まさか。商売をする上で一番大切なのはお客様からの信用だ。その信用を得るには、まずお客様を信用することです。私は信じますよ。あなたの言葉を」


 歌うようにそう語りながら夜鳥に微笑みかけられ、香菜は安堵の笑みを浮かべた。


「それじゃあ、この時計買い取ってくれるんですね?」

「金額のほうは今すぐ決めることができませんが、構いませんよ。電話でも話した通り、うちは何でも取り扱いますよ。例え、それが曰く付きのものでも。ああ、というより曰く付き大歓迎です」


(言い切ったなぁ、この人)


 夜鳥の隣で頼政は渋い顔をした。


それが真実だとしても、曰く付きをガンガン持ってこられたらそれはそれで、祟りや呪いも恐れぬ店主とし

て骨董業界では有名になりそうだが、喫茶店としてはイメージダウンに繋がりかねない。


「…………」

「あの? 助手さん?」


 置時計を凝視していた頼政に、香菜が戸惑いの声を上げる。


 少し気になったのだ。子供の奇妙な行動の理由が。

 亡くなった香菜の夫がそれに関わっているとして、彼の目的が。


 だから、小さく深呼吸したあとで、その時計の表面に指を滑らせるように触れた。


 目の前が暗くなる。

 住宅街、家のリビング、社内、遊園地、レストラン、病院。それらが切り取られて写真のようになり、次々と頼政の目の前に飛び込んでくる。

 すべて頼政の知らない場所だった。

 この光景の持ち主は時計の持ち主だった人間だ。


 今よりも少し若い香菜が赤ん坊を抱いて笑いかけてくる写真。赤ん坊が哺乳瓶で一生懸命ミルクを飲む写真。赤ん坊が眠っている写真。


 それらを見たあと、頼政はどこかの建物の屋上に佇んでいた。

 強烈に痛む掌を見ると両手は傷だらけで血まみれだ。

 上を見上げれば綿飴のように柔らかそうな雲が青い空に漂い、下を見下せば灰色のコンクリートの地面が広がっていた。


 あの空に行くためにはまずは下に向かわなければならない。そんな考えが心の中に宿り、頼政の背筋に冷たいものが走る。

 頼政自身の思考ではない、これは『彼』のものだ。

 彼は、今ここで。


 体が勝手に動く。次の瞬間、強烈な浮遊感に襲われた。体が自らの意思で屋上から飛び降りたのである。

 悲鳴を上げることもできなかった。

 頼政は本能から瞼を閉じて数秒後にやってくる衝撃に耐えようとして――――。


「頼政」


 馴染みのある声に呼ばれると同時に上から誰かに腕を掴まれた。

 その声が呼び水となったのか、頼政が瞼を開くと周囲の風景がぐにゃりと歪んで絵の具を数種類混ぜたパレットのような複雑な様相となる。

 そして、次に瞬きをした時、頼政は彼方の店内で店主の隣に座っていた。

 店主は苦笑しながら頼政の顔を覗き込んでいた。


「大丈夫? いつもよりも深く潜っていたみたいだけど。脂汗すごいよ」

「……大丈夫。ありがとうございます」


 まだあの浮遊感が体の残っている。

 深呼吸を繰り返していると、不思議そうな顔をした香菜に見られていることに気付いた。何を言うべきか決まっていないのに慌てて取り繕うとする頼政を遮るように夜鳥が口を開く。


「お気になさらず。今のはうちの助手の特殊能力みたいなものですから」

「ちょっと夜鳥さん!? 人がせっかく……!」

「特殊能力ですか? もしかして、この時計に憑り付いている霊を追い払ってくれたとかでしょうか」

「いいえ。そういう類ではありませんよ」


 冗談めいた口調で尋ねる香菜に夜鳥はやんわりと否定した。頼政は諦めの境地に入ったのか、止めようとはしなかった。

「彼の特殊能力というのは物に宿った記憶を読み取るのです。所謂超能力の一種」

「何かの番組で見たことがあります。サイコメトリーっていうのですか?」

「そう、それ。彼はそれが使えるんですよ。骨董品屋にはおあつらえ向きでしょう?」

「それは……すごいですね」

「あはは……ありがとうございます」


 こんなに棒読みの賞賛があっただろうか。香菜の顔には「絶対に嘘だ」と書かれているかのようだった。

それでも社交辞令だと頼政はそれを素直に受け取る振りをした。悪いのは客相手にこれをばらした夜鳥である。

 妙な雰囲気になったところで香菜は帰ることになった。

 買い取り価格は数日後電話で言い渡すと夜鳥が伝えると、香菜は「ゆっくりでいいですよ。買ってくれるなら」と返した。


「というより、時計を買い取りたいと熱心に語ってくれたのは、あなたぐらいでした。それに朝に電話をした時から。……あと、コーヒーもありがとうございました。とても美味しかったです」

「はい、ありがとうございます」


 先ほどよりも情のこもった褒め言葉だった。これは頼政も素直に受け取った。


「では、また今度……ああ、そういえば三上様。一つ窺ってもよろしいですか?」

「何でしょうか?」

「旦那様は病死されたんですよね」

「……病気にかかったと言いませんでしたか?」

「申し訳ありません。念のための確認でした。肌寒くなってきましたので体調を崩されないように」


 香菜が店から出て行き、姿が見えなくなるまで見送ったあとに頼政は両手で頭を抱えながらその場に崩れ落ちた。


「あああああ……絶対に変な人だって思われた」

「どんまいだよ、頼政」

「他人事!?」

「ああいう人には下手に隠すより、はっきり言ったほうがいい。それに向こうだって普通じゃ信じてもらえないような話を引っ提げてここにきたんだ。おあいこだよ」


 肩を叩いて励ます夜鳥には同情する気が一切ないようだった。

 嘆きつつも頼政は自業自得かと折り合いを付けることにした。あそこで時計に触れて『読んだ』自分が悪い。


「でも、ありがとうございます。名前呼んでくれて」

「君に何かあったら困るのは私だよ。そこは礼は言わなくてもいい。でも、能力を使う時は物を選んだほうがいいよ。この時計みたいに強い思念がこびりついてくると、それに絡め取られてこっちに戻ってこれなくなる」

「すいません、次からもっと気を付けますんで」


 たまにこういうことがある。読み取るだけではなく、そこに残っている記憶の中に入り込んで追体験に近い状況に陥ってしまう。

 あの屋上での出来事はまさしくそれだ。夜鳥に名前を呼ばれて意識を引き上げてもらわなかったら、心だけがあの世界に閉じ込められたままだった。

 この能力とは十年以上の付き合いとなるが、たまにこうしてやらかす。


「で、君は何を見たのかな? かなりしんどそうにしていたけど」

「えっと……多分、なんだけどあの人の旦那さんの記憶だと思います。それで最後にどこかの屋上から……その」

「飛んだ?」


 夜鳥のストレートな質問に頼政はゆっくりと頷いた。


「やっぱりそっちだったか」


 その反応を見て夜鳥は独り言のように呟く。


「そっちって?」

「あの人、何か隠してたから少し気になってたんだよ。根拠は俺の勘だけだったから直接ゲロってくださいとまでは言わなかったけど」

「全然気付かなかった」

「歳を取ればこういうものは嫌でも研ぎ澄まされるものだよ。ほら、私歳だけは無駄に取ってるから。と、それは置いといて、私の勘が正しければ隠し事っていうのは大方旦那のことだ。それが何か分からなかったから試しに『旦那様は病死ですか?』って聞いたら目が一瞬泳いだ。これに加えて君が見た記憶。うん、ビンゴ」


 夜鳥がどこか嬉しそうに言う。

 彼としては自分の勘とやらが当たっていたことが嬉しいのだろう。香菜の隠し事そのものにはあまり関心がないようだった。

 だが、頼政は違った。


「……どうして、あの人はそれを隠してたんだろ」

「知りたい?」

「そりゃ気になりますよ」

「病死した旦那の霊が憑り付いているかもしれない時計と、自殺した旦那の霊が憑り付いているかもしれない時計。君はどっちが怖いと思う?」

「自殺したほう……って何ですか、この質問」


 香菜には到底聞かせられない不謹慎すぎる内容だ。

 さすがに眉間に皺を寄せる頼政に夜鳥は笑みを消して机の上に置かれたままの時計を手に取った。


「自殺した人間の怨念なんてろくなものじゃない。そんなのが染み付いていると知ったら、いくら曰く付き商品大好き骨董屋でも引き取ってくれないかもしれないとか。……自殺と知られるとまずいことがあるとか」

「知られると……まずいこと」

「私は後者と見た。彼女は私が何が何でも買い取るつもりだと分かっていたから、べらべら喋っていたし」

「香菜さんもそんなこと言ってましたけど、どんだけ欲しがってたんですか」


 頼政が呆れたように言うと、夜鳥は鼻で笑って頼政の肩に手を置いた。


「今、ここで実践してみせようか? 時計の代わりに君で」

「嫌ですよ」


 頼政は即答した。


「……話戻しますけど、夜鳥さんはそれの見当はついてるんですか?」


 その頼政の問いに対して夜鳥は両手を上げて降参のポーズを取った。つまり、ついていないのだろう。


「今日のところはこれでおしまい。頼政、夕飯を作って」

「……もしかしたら、子供のことと何か関係あることなんですかね」

「子供がおかしくなる原因はこの時計で合ってると思うよ。だったら、こうして時計を引き剥がせばもう心配はいらない。私は面白いものをゲットできて、三上さんもほっと一安心。はい、怪奇現象は解決だよ」

「父親が子供に恨みを持っているなんて……本当にそうなのかな」

「あと芋いっぱい持ってきたんだよね? 芋もちってものを作ってよ。あれが食べてみたい」


 まったく聞き入れる様子もない。

 時計の話を切り上げて夕飯を作れとせがむ夜鳥に頼政は口を閉ざした。こうなった時の彼には何を言っても無駄であることはそれなりに理解している。

 この話はもう終わり。香菜の望みは時計の怪異から子供を切り離すことだった。これでいい。

 そう分かっていても頼政の脳裏には、『彼』の記憶の映像が残されたままだ。幸せそうな家庭と、屋上から眺めた空と地上。

 彼は最期、家族に対して何を思いながら命を絶ったのだろうか。



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