プロローグ
以前、投稿していた『夜鳥』という作品の世界を大きく膨らませて書いたお話になります。
ホラーと店以外はかなり変わっております。
どこからか蝉の鳴き声が聞こえる。
公園のベンチに座りながら少年は周囲を見回した。
いつまでも鳴いてばかりで疲れないのだろうか。どこか辛そうにも聞こえるそれをずっと聴きながら夏特有のうだるような暑さに耐えていると、急に目の前に影ができた。誰かが後ろに立ったのである。
驚いて振り向けば、美しい顔立ちをした青年が穏やかに微笑んでいた。
青年は少年の待ち人だった。ほっとして笑顔を向けると、青年の両手に二本のソフトクリームが握られているのが見えた。
「お待たせ。暑くない?」
少年の隣に座った青年はそう尋ねた。
「うん、全然」
この暑い日にもかかわらず、黒い服を纏い、黒のシルクハットをかぶる彼に少年はいつも驚いてしまう。が、陶磁のように白い肌は汗の一粒さえ浮かべてはいない。決して強がっているわけではなく、本当に暑くないらしい。
まるで彼だけが真冬の中に取り残されているような錯覚を少年は覚えた。
「ここにくる途中で買ったんだ。食べるかい?」
「うん」
受け取ったソフトクリームを早速舐めると、ひんやりとした甘さに頬が緩んだ。暑い時に食べるアイスはやっぱり美味しい。
一生懸命食べていると、青年はどこか楽しそうに少年を眺めていた。自分の分のソフトクリームも放って。
「溶けちゃう。早く食べないと」
「ん? ああ、忘れてた。俺の分はついでに買ってみただけだったから」
「ついででも食べないと。すごく美味しいよ」
「はいはい」
急かすと青年は舌を伸ばしてソフトクリームを一口舐めた。
すると、「美味しい」と小声が呟いたのを聞いて、少年は「だから食べてみてよかったじゃないか」という気持ちになる。
二人で無言でソフトクリームを食べていると、青年が珍しく難しそうな顔をしていることに気付く。いつも、笑っていることのほうが多いのに。
「どうしたの?」
「悩みがあるんだ。どうしようかなって」
「悩み?」
「うん。ほら、今度店を開こうって言っただろう?」
聞き覚えがある。こっとうひん、という物を売ったり買い取る店をやると先日、言っていた。
「そういえば、名前、まだ決めてなかったなって。うん、店の名前自体はもう決めていたんだけどなぁ」
「……どうしてそっちを先に決めなかったの? お店の名前より大事だと思うけど」
「だって、君にとやかく言われなかったから」
つまり、青年は『自分の名前』を決め忘れていたことを少年のせいにしたいらしい。
その先にある思惑を感じ取って少年が顔をしかめるも、青年は綺麗な顔に笑みを貼り付けたままだ。
「ねえ、名前君がつけてくれる?」
「えぇ……絶対やだ……」
「何で? 名付け親になれるんだよ、その歳で」
「……僕、まだ小学生なのに名付け親なんてなりたくない」
「せっかくソフトクリーム買ってきてあげたのに」
その言い方は卑怯だ。抗議のつもりで睨んでも、青年は美味しそうにソフトクリームを食べているだけである。
「大体、こういうのってあなたが決めるべきなんじゃないの?」
「君でいいんだよ」
「で、でも僕本当にいい名前浮かばないよ? 真っ黒な恰好してるから夜って漢字入れようとか、今は夏だから夏も入れてみようとかそのぐらいしか……」
「いいよ」
これはもう諦めるしかなさそうだ。少年は観念してため息をつく。
「……あとで文句言わないでね」
「言わない。約束するよ。君がくれた名前はちゃんと大事にするよ、頼政」
「分かった。分かったよ! それじゃあ、あなたの名前は――――」
あとで後悔しても知るものか。そう思いながら少年は優雅に微笑む『友人』に名前を与えることにした。