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猫の恩返し  作者: 猫正宗
8/19

8 春間マリーと同棲生活

 お風呂場から、シャワーを浴びる音が聞こえてくる。


『…………じゃあ、僕の家に、くる?』


 その言葉に満面の笑みを浮かべた美少女、春間マリー。

 僕は彼女を家へと連れ帰った。


 それにしても大胆なことを言ったものだ。

 普段の僕からは少し考えられない。

 彼女を家へと誘ったときの自分を思い出して、ひとり赤面する。


「……いけない、いけない」


 何がいけないのか自分でもわからないまま、2度3度と頭を振って火照った頬を冷ました。

 大きく息を吐いて気持ちを落ち着ける。

 お風呂場では彼女が鼻歌を歌っている。


「ちょっと近くのコンビニまで買い物に出てくるよ。鍵を閉めて行くけど、直ぐに帰ってくるから、きみはゆっくりと湯船にでも浸かっていて」


 シャワーの音が止んだ。

 狭い浴室に明るい声が反響する。


「はーい。いってらっしゃーい」

「うん。いってきます」


 玄関で靴を履き、扉を開けて外に出た。

 さて、手早く買い物を済ませてしまおう。

 コンビニに買い物に行く目的。

 それは、彼女の下着や靴下なんかの調達だ。


 デートのあと家へと帰ってきた僕たちは、少し遅めの夕食を共にした。

 食後、ソファでゴロゴロと寛ぐ彼女に、お風呂を勧めた。

 そのとき、ふとあることが気になったのだ。

 転入してきてからこっち、なんやかんやでずっと、春間マリーはわが家にいる。


『ねぇきみ。……そういえば、下着なんかはどうしているの?』

『にゃ? 変えてないよ?』


 僕はあっけらかんとした様子の彼女に、頭を抱えた。




「下着、買ってきたから、ここに置いておくよー」


 お風呂場に声をかけて、コンビニで買ってきた使い捨てのショーツを脱衣所に置いた。

 お風呂場から「はーい」という元気な声が返ってくる。


(けど、最近のコンビニって便利なんだなぁ)


 これは今日初めて知ったのだけれど、いまどきのコンビニでは紙で出来た、使い捨てのショーツなんてものまで売られているのだ。


 コンビニへと足を運んだ僕は、日用品の陳列棚に目を向けて女性用の下着や靴下を探した。

 挙動不審になりながら、キョロキョロと辺りを見回す姿は、はたから見るとさぞかし変質者チックに映ったことだろう。


 顔を赤くして小さくなりながら陳列棚に下着を探す。

 そうして見つけた紙のショーツを手に取り、勇気を出してレジに並んだのだけれども、……運が悪いことにレジの店員さんは女性の方だった。


 僅かな逡巡。

 もう諦めて帰ってしまおうか。

 いや、それでは折角ここまでやって来た甲斐がない。


 覚悟を決めて、俯いたままその女性用下着を差し出したのだった。


「あぁ、恥ずかしかったなぁ……」


 そのときのことを思い返して赤くなった顔を手で扇ぐ。

 とにかく買うべきものは買えたのだから、コンビニでのことはもう忘れてしまおう。


 長々と回想に耽りながら、下着を届け終えた僕が脱衣所から出て行こうとしたとき、浴室へと続く扉がガチャッと音を立てて開かれた。


「おかえりなさい。新しい下着ってどれー?」

「――ッ!? き、きき、きみッ!?」


 思わす慌てふためいた。

 目の前に一糸纏わぬ姿の春間マリーが、艶めく髪に水滴を滴らせながら現れたのだ。


 彼女は先ほどの僕みたいに、火照った体を手で扇いでいる。

 頰を上気させるお風呂上りの彼女の姿は、何とも艶めかしい。

 見てはいけないと思いながら、その霰ない姿から目を背けることが出来ない。

 彼女は固まったままの僕なんて気にも止めずに、普段と変わらない軽い調子だ。


「うに? どうしたの、テル? 固まっちゃって? それで、下着ってどれー?」


 止まっていた僕の時間が動き出す。

 反射的にバッと彼女から目をそらした。


「ととッ、と、とにかく! お風呂場に戻って!」


 目を閉じながら彼女の背を押してお風呂場に戻した。

 彼女は何が何だかわからないと不思議な表情をして、背を押されるままにお風呂場へと戻っていく。

 浴室の扉を閉めて背中を向けた。


「……えっと、もう私、お風呂から上がろうかなぁって思うの。結構長く入っていたのよ? でもまだ入ってないとダメかな?」


 少し戸惑った声色だ。

 そこで彼女はふとあることに気が付いた。


「あっ!? そっか! もしかして、テルも今から一緒にお風呂に入るの?」


 なにかとんでもないことを言っている。


「えへへ。早くテルもおいでー。じゃないと私、のぼせちゃうよー」

「……な、なな、な!ッ?」


 陽気な声でお風呂場へと誘ってくる。

 心臓がバクバクと鳴りだした。


「い、いい、一緒になんて、入るわけがないじゃないか! と、とにかく下着はここに置いておくから!」


 もう耳まで真っ赤だ。

 トマトみたいに赤くなった僕は、お風呂場に彼女を残して脱衣所を飛び出した。

 そのままリビングへと戻った僕の手のひらには、彼女を浴室に押し戻したときの、直接その背に触れた暖かさが、まだじんわりと残っていた。




 翌日、僕たちは連れだって、近所のファッションセンターへと買い物に赴いた。

 彼女の洋服やその他の諸々を購入するためだ。


 彼女は、パジャマで眠るとき以外は、ずっと学校の制服を着ていた。

 チェック地のベストとスカートに身を包んだ彼女の制服姿は、とても可愛らしい。


 けれども、さすがにこれからもずっと、その制服1着という訳にもいくまい。

 僕からウチに来るかと彼女を誘った手前もあるし、そういう訳で、何着か、しばらく過ごせるだけの洋服なんかを見繕いにやって来たのだ。


「ねぇきみ。僕は女子の洋服のことはよく分からないから、好きなのを選んでよ」


 僕に服を選ぶセンスはない。

 だから最初から洋服選びへの参加を放棄して、彼女に一任する。


 ところでこのファッションセンターは、正直そこまで小洒落たお店という訳ではない。

 例えば、昨日デートをしたショッピングモールに店を構える、お値段のお高いブランドショップなんかとは比ぶべくもない。

 けれどもそこはもう我慢して貰おう。

 僕にもご予算の都合というものがあるのだ。


「ね、ね、テル。これなんて、どうかな?」


 試着室のカーテンがしゃっと開いた。

 中から真新しい洋服に身を包んだ彼女が、ピョンと小さく跳んで出てきた。

 制服ではない、初めてみる私服姿の春間マリーが僕に微笑みかける。


 彼女が選んだのは膝丈の白のワンピース。

 端にレースが施された綺麗なAラインのワンピースだ。


 その春らしい1着に着替えた彼女が、目の前でクルリと体を一回転させた。

 彼女の動きに合わせて、ワンピースの裾がフワリと宙に舞う。


(……う、うわぁ)


 あまりもの愛らしい姿に、返事をするのも忘れて、魅入ってしまう。


 彼女は少し前かがみになって、後ろ手に手を組みながら、ヒマワリのような眩しい笑顔で僕の顔を下から覗き込んだ。


「ね? 私、おかしくない?」


 上目遣いの彼女と目が合った。

 僕は言葉を失ったままだ。


「お、おい。見てみろよ、あの子」

「凄く可愛いわねぇ……。モデルの子か何かかしら?」


 周囲から足を止めた買い物客の話声が聞こえる。

 みんな一様に彼女の姿に見惚れているみたいだ。

 そりゃあそうだろう。

 だってこんなに可愛らしいひとは、僕もこれまで見たことがない。


「――はッ! い、いいと思うよ! うん」


 やっと我に返って、慌てて返事をした。


「えへへー。ほんと? 似合ってる? 私、可愛いかな?」

「ほ、ほんと。似合ってる。……うん、か、可愛い」


 たじたじになってしまった僕は、彼女の言葉にオウム返しをするのがやっとだった。




「お茶碗と、お箸はこれでオーケー。……後は、歯ブラシっと」


 ぶつぶつと口に出しながら、日用品を次々と買い物カゴに放り込んでいく。


 洋服を買い終えた僕らは、次は近くのスーパーまでやって来ていた。

 隣には、買ったばかりのワンピースを着た春間マリーが、何かの歌を口ずさみながら軽い足取りで並んでいる。


「ららららー。ふふふふーん」

「これで日用品は大体揃ったかな。じゃあ次は、晩御飯の材料を見に行こうか」

「ごはん! おいしいの食べたいの!」


 カートを引いて、食材コーナーへと移動した。


「ね、ね、テル。これ、なぁに?」


 手に取った商品を突き出してくる。

 それはオイルサーディンだ。

 なかでもこのオイルサーディンは、イワシをオイルに漬け込む前にしっかりと燻製してあるから、燻製していない普通のものと比べて香りも味わいも良い。

 実はひそかに僕もお気に入りの商品なのだ。


「それはね、燻製オイルサーディンだよ。結構いけるやつ」

「燻製オイルサーディン?」

「うん。イワシのオイル漬けなんだけど……あ、そうだ。家にまだ、パスタが結構残ってるね。

今日の晩御飯はそのオイルサーディンでパスタをつくろうか。炒めたキャベツもたっぷり入れたおいしいやつ」

「お魚の料理ね! うん、たのしみなの!」


 オイルサーディンの瓶をかごに放り込んでから、腕に抱きついてくる。

 彼女とくっついたまま買い物を続ける僕は、とびきりおいしいパスタを作ってやるんだと、心の中で息巻いた。




「テルー。お皿、水に浸けておくね」

「ん、お願い」


 食後。

 ソファに座って、テレビを見ながらまったりと寛いでいる。


 いま観ている番組は、ツリーハウス職人たちが、四苦八苦しながら、樹上に家を作り上げ、顧客に届けるまでを取材したバラエティ番組だ。

 アメリカで製作されているこの番組は、出演者の驚きや喜びの表現が、一々大袈裟で面白い。


 ゆったりとソファに腰を沈め、のんびりとテレビ画面を眺める。

 そうして食休みをしていると、食器を流し台の水に浸けた彼女が、僕の元までやってきた。


「ね、ね、なにを観ているの?」


 尋ねるなり彼女は、ソファに寝そべって、その頭を膝に預けてきた。


「アメリカのバラエティ番組だよ。……って、本当にきみは、膝枕が好きだねぇ」

「うん。大好き。だって、テルのお膝ってあったかいんだぁ」


 彼女は膝に頭を預けたまま、視線を上げた。

 僕は少し苦笑をしてから、「えへへ」と笑う彼女の顔に視線を落とす。


「晩御飯は、おいしかった?」

「うん! とっても! また食べたいなぁ」

「そっか、良かったよ。オイルサーディンはまだ残っているから、また今度作ろうね」


 彼女は「やったぁ」と嬉しそうに声を上げてから、僕の膝に顔をうずめた。




 会話が途絶えた。

 

 膝にはゴロゴロと喉を鳴らす、猫みたいな少女。

 テレビ画面のなかでは、職人らしいアメリカ人の大男が、熱心にツリーハウスの魅力を語っている。

 吹き替えのその音声に紛れて、リビングの壁掛け時計から、秒針がチクタクと動く小さな音が耳を掠めていく。


 時間の流れがやけに穏やかだ。

 いつもは黙っていると、実際以上に広く冷たく感じるこの部屋に、いま僕は、まったく寂しさを感じない。


 ソファに深く腰を掛け、テレビを観ながら、なんとなしに膝に頭を預ける彼女の髪を撫で付けた。

 白猫のマリーを撫でつけていたような、柔らかな手付きで。


「うにゃ」

「あ、ごめん」


 慌てて手を引っ込める。

 彼女が膝に埋めていた顔を上げた。


「いいのよ? もっと撫でて」


 彼女は僕に頭を向け、淡い栗色の髪を差し出してくる。


「……えっと」


 おずおずと手を差し出した。

 そして僕は、白猫のマリーを撫でるような優しい手つきで、そっと彼女の髪を撫でた。

 彼女は心から幸せそうな微笑みを僕に向けた。

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