7 春間マリーと街デート
「ね、ね、テル! あっちのあれ! あれ何かなぁ? あのキラキラしてるの!」
はしゃぎながら僕の手を引く美少女。
彼女は転入生の春間マリーだ。
ここは街のショッピングモール。
そして彼女の行く先には、煌びやかなアクセサリーなんかが所狭しと飾られたジュエリーショップが伺える。
柔らかな手のひらの感触に赤面しながらも、それを誤魔化すように、心にもない抗議をしてみた。
「ちょ、ちょっときみ、手をひっぱらないで」
「テールっ! はやくっ、はやくっ」
抗議なんてなんのそのだ。
全く気にする素振りも見せずに、楽しそうに笑って僕を急かす。
ショップについた彼女は、爛々と目を輝かせて、鮮やかに飾り付けられたショーケースを覗き込んだ。
興味津々にアクセサリーを眺める姿を少し離れた場所から眺めながら、やっぱり彼女も年相応の女の子なんだなぁ、なんてことを考える。
なんだかちょっと意外だ。
「ねぇきみ。宝石とかそういうの、好きなの?」
背中から彼女に近づいて声を掛けた。
彼女はショーケースから目を離し、僕のほうに体ごと振り返る。
「んーん、別に好きってことはないかなぁ。キラキラしてて何だろーって思っただけなの?」
「なんだ、そうだったの。僕はてっきり、アクセサリーとか好きなのかと思って、すこし意外だなって考えていたんだよ」
「えっと、意外かな?」
「うん、意外だよ。なんとなくだけどね」
知り合って間もない僕たちだけど、どうしてかそう思える。
「んっとね。今日は何だか、初めてのことがいっぱいだから、私、凄くワクワクしてるんだぁ」
彼女はまた別の売り場に駆けていく。
元気な彼女につられて、僕も気分が明るくなってきた。
買い物客の男性たちが駆けていく彼女をすれ違いざまに眺めて、ひとの目を惹くその美貌に驚き、見惚れている。
彼女の後を追って、少し離れた場所からまた見守った。
今度は化粧品の売り場だ。
彼女は香水を小瓶から直接嗅いで、その強烈な香りに「ギニャッ!?」と顔をしかめていた。
そんな彼女の微笑ましい一面を眺めながら、僕は今朝のやりとりを思い出す。
『……ねえ、きみ。街でデートしようって、具体的には、なにをするつもりなの?』
土曜日の朝。
本日、学校はお休みだ。
朝食の準備をしながら、昨晩ベッドでデートに誘ってきた彼女に尋ねてみた。
彼女はすらりとした細い指を頬に当てて考えている。
『えっとね。私も、よく知らないんだぁ』
『……よく知らないって、そんなのでデートに誘って、どうするつもりだったの?』
ちょっと呆れた顔をしてしまう。
でも彼女はそんな呆れ顔なんて、全然気にした様子がない。
『あ、でもね。クラスの男の子が言ってたのよ? 休日に一緒にショッピングに行こうとか、スイーツ? ドルチェ? 何かそういうの食べに行こう、とか』
少し心がささくれ立つのを感じた。
クラスの男子と彼女が楽しげにデートをする様が、まざまざと頭に思い浮かんだのだ。
『……へ、へえ。ならその男子と、デートをすれば良かったんじゃないの?』
そんな心にもない強がりを言った。
(……って、あれ?)
いま僕は、彼女のことで心を乱してしまっている。
それに気が付いて驚いた。
これは……焼きもちなのだろうか。
彼女が、春間マリーが、僕以外の誰かとデートすることに、焼きもちを焼いている?
いや、そんなまさか……。
少し心がモヤモヤとする。
『クラスの男子と、デートなんてしないよ? 私がテル以外とデートなんてするわけないじゃない。ね、それよりさ。テルは今日どこか行きたい場所はないの?』
きっぱりと言い切る彼女に、どこかほっとして胸を撫で下ろした。
『行きたい場所……。えっと、図書館とか』
自分の引き出しの少なさに情けなくなる。
こう言っておいてなんだけど、文学好きでもない女の子との初デートで図書館はないよなぁ。
照れ隠しに鼻の頭を掻いた。
『んっと。図書館はやっぱりやめにしよう。でもどうしようか?』
結局今日のデートの行き先は、クラスの男子お勧めのショッピングモールと相成った。
肩を並べて隣を歩く春間マリーのお腹から、くぅっと可愛いらしい音が聞こえてきた。
彼女がお腹を押さえる。
「お腹すいてきたの? そろそろお昼の時間かなぁ」
時間は正午を少し過ぎた頃。
たくさん歩き回ったから、僕も少しお腹が空いている。
彼女はお昼の時間というその言葉に、耳をピクリと反応させた。
「うにゃ! ご飯!? ご飯、食べていいの!?」
「そりゃあ、いいだろうけれど……」
「やったぁ。テル、ありがと! お腹ぺこぺこなんだぁ」
彼女が僕の腕にしがみ付いてきた。
(えっと……。ありがとう、ということは?)
ちょっと確認してみる。
「もしかして、ご飯は僕の奢りなの?」
戸惑いながら尋ねてみると、彼女はしゅんとなって眉尻を下げた。
「……やっぱりまだ、ご飯の時間じゃなかった? お腹すいたけど、まだ待ないとダメかな?」
落胆したらしい。
満面に咲かせていた笑顔をしょぼんと萎びさせた。
何だか彼女に悪いことをしているような気持ちになってしまう。
「いや……。うん、もうご飯の時間だよ。お昼にしよう!」
先に立って、彼女をレストランフロアに案内した。
「あそこのトラットリアなんてどう? イタリアンだけど、きみ、イタリアンは好きかな?」
「イタリアン? それってどういうお料理なの?」
「そりゃあ、パスタとか、色々だよ。トマトを使っている料理が多いかもね」
「んにゃっ!? トマト!? トマトは嫌だよぉ……。ねぇテル! イタリアンはやめてこっちにしようよ!」
綺麗な指が指し示すお店。
そこには豪快な文字で『仙台名物、厚切り牛タン!』と書かれていた。
「すみませーん! こっち、牛タン炭火焼定食を、ふたつお願いします!」
忙しく動き回る従業員さんを呼び止めオーダーする。
店は随分と良い客入りだ。
きっと人気のあるお店なのだろう。
これはお味の方も期待できそうだ。
オーダーをしたあと、お茶を啜りながら料理が配膳されるのを待つ。
程なくして、僕たちの座る席に、注文をした定食が運ばれてきた。
「これは、なかなか……」
運ばれてきた定食はボリューム満点だ。
お茶碗にてんこ盛りのご飯。
食いでのありそうなジューシーな厚切り牛タン。
ホカホカと湯気を立ちのぼらせるお味噌汁。
ゴクリと喉を鳴らした。
「それじゃあ早速。いただきます」
「いただきまーす!」
彼女は上手にお箸を割って、嬉しそうに定食を食べる。
「うにゃー! おいしい……。テル、これすっごくおいしいの!」
てんこ盛りだったライスをお代わりして、その細い体のどこに入るんだろうと首を捻って
しまうほどの量を、パクパクと食べていく。
実に健啖だ。
こんな風にご飯をおいしそうに食べるひとは好きだ。
幸せそうな彼女を眺めながら、僕も自分のご飯に箸を伸ばした。
(……うん、おいしい)
厚みのある牛タンの、奥歯を押し返してくる噛みごたえ。
ほどよく乗った脂と牛の確かな旨み。
濃厚な味付けがまたお米の甘さとマッチしていて、いくらでもご飯を食べられる気持ちになる。
僕はどちらかと言えば洋食派で、これまであまりこういった、いかにもな定食屋さんのご飯は食べてこなかった。
けれどもこれは凄くおいしい。
これまで食わず嫌いをしていて、少し損をしていた気分だ。
でもふと考えた。
きっとこのご飯がこんなにおいしいのは、料理の味だけじゃなくて、彼女とふたりで食べているからだ。
そんなことを思いながらお昼の定食を楽しむ。
パクパクとご飯を食べていると視線を感じた。
顔を上げると春間マリーが僕の牛タンを見ていた。
彼女のお皿はもう空だ。
物欲しげな彼女と目があった。
彼女は僕から目を逸らさない。
「……えっと」
「……んにゃ」
無言で見つめ合う。
「……えっと、食べ足りないの?」
「うん。……にゃあ」
可愛く鳴かれた。
随分と食いしん坊で、まるで猫みたいに自分勝手だ。
その間も彼女はじっと僕と牛タンを交互に見ている。
そうして半ば脅しに屈するように、残りの牛タンの乗ったお皿をそっと差し出した。
「ほら! そっちいったよ!」
「うにゃにゃッ! こうやって、……テル、お返しよ!」
公園でふたり、バドミントンに興じる。
『午後からは、どうしようか?』
昼食をとったあと、そう尋ねてみた。
すると彼女は、少し思案してから口を開いた。
『ショッピングはもういいや。ねえ、テル! 私ね、体を動かしたいな。一緒に遊んでくれる?』
どこか近くで運動ができるようなスポットはなかったかと記憶を探る。
けれどもこの近くで体を動かせる場所なんて思い付かなかったものだから、雑貨屋さんでおもちゃのバドミントンセットを購入して、彼女を連れて公園へとやってきた、という寸法だ。
「……ッと! この!」
気合いを声に乗せて、彼女が打ち返した羽根を追いかける。
けれども追いつくことが出来ず、地面に羽根を落としてしまった。
「えへへー。また私の勝ちだね! テルは本当、運動が苦手なのねー」
「きみが、運動、得意な、だけ、なんじゃないの? 僕だって、人並み程度には、動ける、つもりだよ」
肩でぜえぜえと息をしながら、途切れ途切れのセリフで虚勢をはる。
けれども彼女はまったく息を切らしていないものだから、僕のそんな強がりはこれっぽっちも様にならなかった。
地面に落ちた羽根を拾いあげる。
「さあ! もう1度だよ。次こそは、僕が勝つからね!」
「にゃっふっふー! どこからでもいいの! 何度でもかかっておいでよ、テル!」
彼女は笑いながら、楽しそうにおもちゃのラケットを構えた。
沈み始めた太陽の光が、辺り一面を夕焼け色に照らしてゆく。
僕たちはバドミントンで一頻り遊んだあと、公園のベンチで肩を並べて座っていた。
「……そろそろ、帰らないとね」
そう、確認をする。
彼女は遠くを眺めながら「そうだね」と応えた。
「きみは自分の家に帰るんだよ? さすがに家に連絡はしているだろうけど、いくらなんでも親御さんだって、心配し始める頃だろうしね」
彼女が不思議そうな表情をした。
「私、親はもういないよ? お母さんは私を産んで死んじゃったし、お父さんのことは、私、顔も見たことがないよ」
「え……? じゃあ、だれかご家族は?」
「兄弟がいたけど、もう死んじゃった。だから、私の家族は、テルだけなのよ?」
かける言葉を失った。
「……もちろん、嘘でも、冗談でもないんだよね?」
「嘘なんてつかないの」
この少女も僕と同じ……。
この子もひとりだったのか。
僕はひとりの寂しさをよく知っている。
ガランとした誰もいない静かな広い家は、冷たくて、虚ろで、ひとりでは持て余すのだ。
陳腐な物言いかもしれないけれど、僕は彼女に同情した。
そうして、そんな家庭環境でも、尚も明るく笑う春間マリーを、尊いもののように眺めた。
「……それじゃあ、保護者の人は?」
改めて確認する。
「私には保護者なんていないよ? 飼い主がいるだけ。私の飼い主はテル。とっても、とっても優しいのよ?」
隣に座った彼女が、ベンチに体を横たえて、僕の太ももに頭を乗せてきた。
(……保護者もいない)
いや、いないなんてことはないだろう。
ただ何かしらの事情があって言いたくないのか。
膝に頭を乗せて、ゴロゴロと喉を鳴らす彼女を見下ろした。
「……なら、僕の家に、くる?」
自分自身に驚いてしまう。
彼女の家庭環境に自分を重ねて、居た堪れなくなったのだろうか。
それもある。
でも、それだけじゃない。
(……そうだ)
もう、自分を誤魔化すのは止めよう。
彼女のためではなく、僕が、彼女と離れたくないと、思い始めてしまっているのだ。
顔が赤くなる。
でもきっとこれは夕日のせいなんかじゃない。
「うん! また、ふたりで暮らすの!」
膝に頭を乗せたままの彼女が、花が咲いたみたいに微笑んだ。