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猫の恩返し  作者: 猫正宗
19/19

19 エピローグ

 あれから8年の歳月が流れた。


 季節は春。

 僕は高校を卒業したあと、大学へと進学した。


 そしていまはその大学も卒業して、地元の進学校へ新任教師として赴任。

 日々を忙しく過ごしていた。


「テル先輩、どうしたんですか? ボーッと遠くを眺めたりなんかしちゃって」


 肩を並べて歩く女性が、僕の顔を覗き混んでくる。

 彼女の名前は奈良田さん。

 大学の文芸サークルの後輩だ。


「いや、何でもないよ……。今日もいい天気だし、絶好のお花見日和だなぁ、なんて思ってね」


 本当は別のことを考えていたのだけれども、そんな風に彼女へのこたえを誤魔化した。


「ホント、いい天気になって良かったですよねー。やっぱりアレですかね? 天気も空気を読んで、テル先輩と私のデートを応援してくれてるんですかねぇ?」


 隣で奈良田さんが冗談を言って笑う。

 彼女は元気でよく気の回る素晴らしい女性だと思うのだけれど、時折こんな風に僕をからかってくるのが玉に瑕だ。


「何を言ってるの、全く。さ、それより早く戻ろう。そろそろみんな、お酒はまだかーって騒ぎ出す頃だよ」


 彼女の返事を待たずに先に歩き出した。


「……もう。テル先輩つれないんだから! でも私は諦めませんよー」


 早足で歩く僕の背中に、彼女のそんな声が投げ掛けられた。




「おっせーよ、春間!」

「ごめん、ごめん。はい、お酒とおつまみ、買って来たよ」


 買い出してきたコンビニ袋を差し出すと、周囲から「待ってました」と声が上がった。

 喜びの声を上げたのは、まだ正午にもならない時間なのに、既に出来あがりつつある酔っ払いどもだ。


「わりーな、テル。次の買い出しは俺がいくよ」


 同期の小野寺が話しかけてくる。

 大学時代からの友人が大半を占める僕の交友関係のなかにあって、彼は数少ない高校時代からの友人だ。


 小野寺は相変わらずよく気がつく。

 けれど気を利かせてくれた彼だって、少しばかり顔を赤くしている。


「いや、いいよ。僕はまぁ、そんなに飲まないからね。酔っ払いを買い出しに行かせるくらいなら、僕がいくよ」


 小野寺に応えていると、顔を真っ赤にして既に半ばヘベレケになっている宍戸が、にじり寄ってきた。


「バァロォ、オルァ酔っ払ってなんかねーぞ!」

「はいはい。わかった、わかった。宍戸は酔ってなんかいないよー」


 呂律が回らぬようになるまでガブガブとお酒を飲んで、酔って絡んでくる彼を、そう宥めすかして軽く流す。

 すると宍戸は「わぁればいんだよ、わぁれば」なんて言いながら、今しがた買ってきたばかりの缶ビールに手を伸ばした。




 今日は日曜日。

 会社も学校もお休みだ。


 天気は晴天に恵まれて、正に絶好のお花見日和。

 僕は今日、大学の元文芸サークル仲間に誘われて、近所の公園まで花見をしに来ていた。

 実は大学を出たあとも、こうしてちょくちょく同期の友人や、先輩後輩と何かにつけて会っていたりする。


 少し離れた場所から、サークル仲間たちを見遣る。

 綺麗な桜が楽しめる眺めの良い場所に敷いた青いビニールシートの上には、男女半々くらいの割合で、僕を含めて10人ほどの紳士淑女が花見を楽しんでいる。


 花見の楽しみ方は、人それぞれだ。

 桜も眺めずに、ビールを次から次へと空けていく宍戸。

 ここぞとばかりに仕事の愚痴を吐き出す、池下先輩と山元先輩。

 後輩男子の深川に至っては、急に奇声をあげてどこかに走って行ったきり、帰ってこない。


 ビニールシートの端に目を寄せれば、下野さんや浪花さんといった同期の女子組が、奈良田さんを中心に円陣を組んで、「春間くん攻略法はね……」とか、「笑うと可愛いのよね、春間くんは」なんて話をしているのが伺える。

 一体なにを話しているのやら。


 ぽかぽか陽気の春爛漫。

 僕はみんなを眺めながら、アルコール度数弱めの、カシスのカクテル缶のプルタブを引き開けた。




 僕はあの別れの日から、毎日を笑顔で過ごした。


 大学に進学してからは文芸サークルに入り、積極的にひとと関わり続けた。

 そうして、知り合った人々と別れたりまた出会ったり、喧嘩をしたり仲直りしたりしながら、結果としていま、僕はこうやって大勢の友人たちに囲まれて、色鮮やかな日々を賑やかに過ごしている。


「ちょっと春間先輩。なにをひとりでにやにやしてるんですかー?」


 近寄ってきて隣に腰を下ろしたのは、後輩女子の中橋さんだ。


 彼女は同じく後輩女子の奈良田さんを流し見ながら「ふッ」と小馬鹿にしたように笑っている。

 奈良田さんは何やら顔を赤くして、奥歯を「ぎりり」と鳴らしていた。


「で、先輩。なにを考えてにやにやしてたんですか?」

「いや、みんな楽しそうで、嬉しいなぁってね」


 笑いながら彼女のほうに顔を向けた。中橋さんは胸を押さえて、顔を赤く染めている。


「だ、だったら春間先輩も、楽しみましょうよ! 差し当たり、私と一緒に、お酒を楽しく飲みましょー」


 彼女は元気いっぱいに声をあげて、両手に持った缶チューハイの片方を僕に差し出してきた。




 ――春。


 この季節になると、いつも思い出す。


 あの日、僕の腕から霞のように消えた少女。

 元々は僕の飼い猫で、あの日に2度目の別れを迎えた僕の最愛のひと。

 春間マリーのことを。


 成長し、大人になった僕は、あの広く冷たい家を出て、都内に小さな1Kの賃貸マンションを借りた。

 そして教職なんていう大変ながらもやり甲斐のある仕事に就き、一緒に笑いあえる友人たちに囲まれて、楽しい毎日を過ごしている。


 高校生だった頃の僕がいまの僕を見たら、なんて言うだろう。

 充実した毎日だ。


 ……でも、僕の胸には、抜けない小さな棘が刺さっている。

 その棘がふとしたときにちくりと痛んで、少しの寂しさで、胸を締め付けるのだ。


 こんな陽気な春の日には、特に。




 花見の宴も進み、時刻は正午を回った。


 朝っぱらから宴会をしている僕たちだから、このくらいの時間になると、騒ぎながら飲んでいた連中もひと息ついて、宴の雰囲気は、騒がしさから落ち着きを伴ったものに変わっていた。


 宍戸なんて既に酔っ払って寝てしまい、大きないびきをかいている。

 深川は走って行ったきり、いまだ帰ってこない。


 午前の喧騒に比べて、幾分落ち着いた雰囲気のなか、みんなでチビチビとお酒を飲み、肴をゆっくりと摘んでいると、不意に小野寺が話しだした。


「なあ、お前ら。知ってる?」

「えっと、なんの話?」


 先輩女子の藤さんが尋ね返す。

 すると藤さん狙いの小野寺は、頰を赤らめてワタワタしはじめた。

 まったく、わかりやすいヤツだ。


「……い、いや、聞いた話なんですけどね。桜の咲き始めた頃から、この公園で誰かを探し回っている子どもの姿が、何度も見かけられてるらしいんですよ」

「何それ、怪談? っていうか、子ども?」

「違う違う、怪談じゃないっすよ。なんでも、8歳か9歳かくらいの、明るくて元気な女の子らしいんですけど――」

「あー、その話私も知ってるー! 白いワンピースのすんごい可愛い女の子の話ですよね」


 奈良田さんが大きな声で、話に割って入った。


「うちの事務所の先輩が見たって言ってました。テレビの子役なんて相手にならないくらい、すんごい可愛くて綺麗な女の子がね。『テルー、テルー』なんて言って、きょろきょろとしながら歩き回ってるんだって」


 なにが興味を引いたのか。

 池下先輩と山元先輩も仕事の愚痴をやめて、会話に参加してきた。


「『テルー』ってそれ、まるで春間を探してるみたいだな」

「というか、何でその程度の話が噂になるんだよ」

「いや、噂になるくらい、すんごい可愛い女の子らしいっすよ。俺も1回、見てみたいなって」


 話題を切り出した小野寺に、浪花さんが尋ねる。


「で、小野寺先輩。どうして急に、そんな話を始めたんですか?」

「いや、その女の子が現れる時間ってのが、ちょうど今くらいの時間らし――」

「あっ、あれ!」


 応えようとした小野寺の話を、下野さんが遮った。

 彼女は少し離れた場所を指差している。


「向こうにいるあの子。その女の子じゃないの」




 視線を遠くの少女に釘付けにする。

 少女もまた、遠くから僕を真っ直ぐに見つめ返してくる。


 白いワンピースの少女は、その顔に泣き笑いのような表情を浮かべたあと、こちらに向かって一歩、足を踏み出した。

 そのまま小さな歩幅で、でもしっかりとした足取りで歩いてくる。


 少女が近づいてくる。


 僕の頭はまるで夢か幻でも見ているかのように、現実感を失い、意識が宙に浮く。


 少女はもう、そこまで近づいて来ている。


 少女を見つめたまま、僕は自然と立ち上がった。


「お、おい。春間?」

「えっと、春間先輩?」


 周りから、そんな声が投げ掛けられた。


 けれど、それらのどの声も、どんな言葉も、僕に届くことはない。

 いま、僕に届く声は、たったひとつだけ。


「……ね、テル。私のこと、わかる?」


 少女が目の前で立ち止まった。


「……わからないはずが、ないだろう?」


 僕は目の前の少女――あの日になくした僕の最愛のひと、マリーに向かってそう応えた。


「……だよね」

「……うんッ」


 声を詰まらせて、瞳から大粒の涙を溢れさせる僕に、マリーは鈴が鳴るような透き通った声で、精いっぱい言葉を伝えてくる。


「私はマリー。あなたのマリー」


 マリーが、花が咲いたような、あの眩しい笑顔を浮かべた。


 その笑顔に僕は、あの日から胸に刺さったままだった棘が、すっと抜け落ちていくのを感じる。


 幼くなったマリーは、それでもしっかりと、僕の瞳を見つめながら、高らかに声を響かせた。


「ねえ、テル! もう一度――」


 一陣の風が吹いた。

 辺り一面をひらひらと桜の花びらが舞う。



「もう一度、私と、恋をしようよ!」



 僕は一歩前へ足を踏みだし、幼いマリーを、思い切り胸に抱き締めた。


 ――季節は春。


 僕とマリーは三度巡り合い、また再び、僕たちの恋物語が幕を開ける。




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