13 春間マリーとアスレチックデート
「テルー! こっち、こっち、早くおいでー!」
楽しげにはしゃぐマリーが、少し先の方で僕を振り返る。
ぴょんぴょんと飛び跳ねながら手を振り、大きな声で僕を呼んでいる。
本日は快晴。
抜けるような青い空を背負ったマリーは、満面の笑顔だ。
「いま行くから! そこでちょっと待っててー!」
負けじと声を張り上げる。
嬉しそうに走り回る姿につられて、何だか僕もワクワクしてきた。
「よーし、いくよー!」
ロープを掴んだ腕に力を入れて体を持ち上げる。
そうして息を弾ませながら、大きなアスレチック遊具を一気に駆け上がった。
ここは都心からは少し外れた公園だ。
フィールドアスレチックで有名なこの公園は、休日になると、多くの家族連れ客で大変な賑わいをみせる。
今日も大勢の人出で大盛況である。
「よっと!」
ひと息にロープ登りの遊具を登りきった。
肩で息をしながら、先に遊具を登りきって顔を前に向けた。
目をやったその先に、美しい少女が笑顔で立っている。
そよ風に揺れる淡い栗色の髪。
新雪のように白くてきめ細やかな透明感のある肌。
長い睫毛に少し目じりの上がったぱっちりとした瞳。
すっと通った鼻筋に、あご周りのシャープな輪郭。
ともすると冷たい印象を与えかねないその美貌だけれど、微笑みを讃える口元が、それを柔らかな印象に変えている。
彼女の名前は、春間マリー。
僕の大切な人で、僕の元飼い猫だ。
「もぅー。遅いのよ、テル?」
遊具を登りきった僕に、マリーが抱きついてくる。
「あはは、ごめんねマリー。お待たせ」
少し胸をどきどきとさせながら、柔らかな体に腕をまわし、キュッと抱き返した。
「ねえ、マリー。今日は、どこかに遊びに出掛けようか?」
今朝のこと。
ダイニングテーブルの隣の席で朝食を食べている彼女に、僕はそう切り出した。
ちなみに朝食は、チキンコンソメのポトフ。
といっても実は昨晩の残り物である。
ひと晩寝かせたお陰でよくスープを吸い込んだ、ざく切りのキャベツを頬張る。
(……うん、おいしい)
キャベツの硬い繊維もすっかり柔らかく煮込まれていて、口に含むとホロリとほどける。
ホクホクとしたジャガイモも、熱々のコンソメスープが染みていて、こちらもおいしい。
僕はポトフを作るときには、糸こんにゃくを巻いて、お鍋の底に沈めることにしている。
ポトフに糸こんにゃくというと、少し想像し難いかもしれないけれど、やっとみると案外おいしくてお勧めなのだ。
「ん。あひょびに、ひひたひ!」
マリーが味の染みた粗挽きソーセージを咥えたまま喋った。
「あはは、何を言ってるのか分からないよ。先ずは口のものを、ゆっくり噛んで飲み込んで」
彼女ははむはむと口を動かして、ソーセージを飲み込む。
そしてグラスを手にとって、なかの水をぐいっと飲み干した。
「ぷはぁ! うん! 遊びに行きたいの!」
言われた通りに、ちゃんと口の食べ物を飲み込んでから話をするマリーは、とても賢い。
手を伸ばして、彼女の頭を撫でまわす。
「なら決まりだね。マリーは何かやりたいことってある?」
「私のやりたいこと? むむー」
マリーは腕を組んで、可愛らしく頭を捻る。
そんな可愛らしい彼女を、より一層激しく撫でまわしながら、彼女が応えるのを待つ。
「……そだ! 私は、体を動かせる所がいいの!」
「そっか、じゃあ調べてみるよ。けどマリーってば、本当に体を動かすのが好きだねぇ」
今度は喉を撫でまわす。
どうにも僕は彼女のことを猫可愛がりしてしまうのだ。
「うん! 私ね、体を動かして遊ぶの大好き!」
ぐるぐる唸って、気持ち良さげに目を細めながら、マリーは僕に笑顔を向けた。
「次はぁー、清水公園、清水公園んん」
電車の車内アナウンスが流れる。
もう目的地だ。
「マリー、この駅だよ。降りよう」
彼女の手を引いて、電車を降りる。
電車に乗っている間中、マリーは興味津々で外を眺めたり、僕にじゃれついて来たりしていた。
マリーは微笑ましくて愛らしい。
僕たちは手を繋いだまま、改札をくぐる。
そうして辺りを見回すと、真っ青な広い空の下、駅前の広場は家族連れの人出で大層な賑わいをみせていた。
「うわぁ! 人がいっぱい!」
マリーが両手を大きく広げながら大きく息を吸い込む。
何人かの家族連れ客が、声を上げた彼女を振り返った。
マリーの愛らしさに見惚れてしまっている男性なんかもいる。
そのひとはどうやら家族連れの旦那さんらしく、お嫁さんに腕を抓られていた。
「さ! 行こう、マリー」
彼女の手を引いて歩き出す。
時刻は朝の10時頃。
青く澄んだ空は高く、春の陽気がポカポカと暖かい。
絶好のデート日和だ。
駅前から少し歩くと、清水公園の全体図が描かれた案内板が見えて来た。
その案内板を眺めながら、感嘆する。
「ほあー、すごいね。思った以上のスケールだ」
案内板を前にして立ち止まった僕の顔を、マリーが覗き込んだ。
「そうなの?」
「うん。この公園は、フィールドアスレチックで有名なんだけどね。なかでも……」
案内板には遊具のイラストが所狭しと描かれている。
遊具の他にもバーベキュー施設なんかもあるようだ。
これなら食材を持ってきて、ふたりでバーベキューなんかするのも楽しいかも。
「なかでもね。ほら、ここを見てご覧」
案内板の一部を指で指し示す。
「ここにね、池があるだろう? この公園の特徴はね、池にもアスレチックの遊具が設置されてることなんだよ。だからね、上手く遊ばないと池にぽちゃっと落ちちゃう」
所謂池ポチャというヤツである。
説明を聞いたマリーは僕の腕にきゅっと抱きついてから、自分の体を見下ろした。
可憐な白のワンピース姿。
なにやら彼女は少し眉を寄せて「むむむ」と唸り、葛藤している。
「……でも私、テルの買ってくれたこのお洋服、濡らしたくないな」
まったく彼女はいつだって可愛らしい。
形の良い頭を優しく撫でる。
「大丈夫だよ。アスレチック用のジャージを貸し出してくれるし、シャワー室もいくつかあるみたいだから」
そう伝えるとマリーは難しい顔をやめて、「なら大丈夫ね!」と笑顔になった。
「マ、マリー。こ、このアスレチックはね、こうやって遊ぶんだ」
ゆらゆらと不安定に揺れる橋を、及び腰になりながら、おっかなびっくりと渡る。
この橋は何本もの揺れる丸太を組み合わせたアスレチックだ。
連結されていないせいで不規則に揺れるその丸太を、バランスを取りながら向こう側まで渡っていく。
辺りを見れば僕以外にも、家族連れのお父さんやお子さんなんかが、苦戦しながら丸太の橋をそろりそろりと渡っていた。
「マ、マリーも渡ってみなよ!」
中腰になったまま、彼女を振り返って誘う。
「うん! やってみる。……ッと、こうね!」
マリーは軽い身のこなしで、ぴょんぴょんと丸太の橋を渡りはじめた。
あっと言う間に向こう側に渡りきってしまう。
「どうかしら、テルッ?」
「す、凄いね、マリーは」
さっと僕を追い抜いて、橋を渡りきった彼女の後ろ姿を、感心しながら眺める。
周囲の家族連れ客からも、「おぉー」と驚嘆する声が上がった。
「姉ちゃん、凄えな!」
「お姉さん、かっこいいー」
子供たちが口々に褒め称えながら、マリーを取り囲んでいく。
彼女は「そんなでもないのよ?」なんて謙遜しているけれどその顔は嬉しそうで、案外、満更でもなさそうだった。
それからも僕たちはふたりして、沢山のアスレチック遊具で遊んだ。
クモの巣ネット、三角山越え、壁登り、ドラム回転渡り――
どんなアスレチックでも、マリーは身軽にこなしてしまうものだから、どこにいたって彼女は子どもたちの笑顔に囲まれて、ヒーローのように慕われた。
マリーはとても楽しそうに笑っていた。
普段運動をしない僕はクタクタになってしまったけれども、マリーがずっと楽しそうにしていたから、僕も一緒になってはしゃいで笑った。
「テルー! いっくよぉー!」
掛け声をあげて、彼女は大きくしならせたロープに「えいっ」と飛び付いた。
この遊具はターザンロープだ。
滑車に繋がったロープにしがみ付いて、あちら側からこちら側に長く張られた1本のロープを、しゃーっと滑り渡る遊具である。
僕はひと足お先にターザンロープを渡って、こちら側で彼女が来るのを待っている。
「にゃーッ! 速いのー! うにゃにゃにゃー!」
変な声で笑いながら、彼女がロープを渡ってくる。
淡い栗色の髪がきらきらと輝きながら風に靡いて、とても綺麗だ。
目を細めて見惚れてしまう。
はしゃぐマリーの顔をぼーっとみつめる。
すると彼女は僕の顔を見返して、にやりと悪戯っぽい笑みを浮かべた。
(……ん、さては)
なにか悪戯でもする気かな?
あれでマリーは悪戯者なのだ。
少し気を引き締めて身構える。
案の定近くまで滑ってきた彼女が、ロープから手を放して宙に跳び上がり、勢いよく抱きついてきた。
「にゃにゃにゃにゃにゃーーッ!!」
「なッ!? ちょッ、ちょっと! マリー!」
慌てて腕を広げ、マリーを地面に落とさないように、受け止める。
けれども勢い余った彼女の体を受け止めきれずに、ふたりで絡み合いながら、ごろごろと芝生を転がった。
「……あいたたた。もう、酷いなマリーは」
ぶつくさと呟いて、上体を起こそうとする。
けれども僕の体には、絡まったマリーが覆いかぶさっていて、起きあがることが出来ない。
早々に起きることを諦めて芝生に体を投げ出すと、マリーが先に体を起こして、僕の肩を両手で地面に押し付けてきた。
彼女の重さを肩に感じる。
マリーはそのまま小さな吐息をひとつ吐いてから僕の瞳を見つめ、微かに濡れた唇を開いた。
「ね、テル。私はテルのことが、好き。……大好き」
マリーの視線が、僕の瞳から唇に移った。
「テルは……。テルは、私のこと、好き?」
ごくりと唾を飲み込んだ。
僕も彼女の唇を見返しながら、震える小さな声で、でもしっかりと聞こえるはっきりとした声で、マリーに想いを伝えた。
「うん……。好き、だよ」
目の前に大輪の花が咲く。
彼女は「えへへ」とどこか照れ臭そうに笑った。
しばらくそうして微笑んでいた彼女が、その表情を切なげに変えた。
「……ね、いいかな?」
何がいいのか。
そんなことは決まっている。
彼女の視線を見ていればわかる。
「……うん。いいよ」
マリーが瞳を閉じて顔を沈めた。
「……ん」
そして彼女は、少し濡れた、震えるその唇を、乾いた僕の唇に重ね合わせた。