10 春間マリーと公園の野良猫
本日も授業が終わり、いまは放課後。
僕は今日も今日とて春間マリーと一緒に、家への帰路に着いている。
少し前を歩く彼女は、相変わらずの上機嫌だ。
見た目は可愛しくもあるけれども、寧ろ美人といった方がしっくりとくる彼女が、「ななななー」なんて上機嫌に口ずさみながら、軽い足取りで歩く姿は、見るひとにギャップを感じさせる。
その後ろ姿を眺めながらそんなことを考えていると、彼女が急にこちらを振り返った。
「ね、ね、テル。今日の晩御飯は何にするか、もう決めているの?」
「いや、まだ決めてないよ。うーん、どうしようかな。きみは何か食べたいものある?」
「そっかー。私は何でもいいのよ。テルのお料理って、何だっておいしいから!」
彼女がトテテと駆け寄って来た。
腕を絡めてくる。
並びあって帰路をてくてくと歩く。
特に交わす言葉はなくお互いに無言だ。
けれども僕たちの間に流れる空気はとても穏やかだ。
彼女のお腹の虫が、くぅと小さく鳴いた。
「お腹、すいたの?」
「うん。お腹すいたー。ね、テル、スーパーに寄って、晩御飯の買い物をしていこうよ」
お腹をぎゅっぎゅっと押さえながら、「もっと鳴らないかなー」なんて言って遊んでいる。
「ふふふ。そうしようか。でも、そうだね……」
少し思案をする。
たまには変わったことでもしてみようかな。
「寄り道しようよ。晩御飯までまだ少し時間があるから、ちょっとコンビニで、おやつでも買っていこう」
「コンビニ? うん、行く行くー」
彼女はその提案に、嬉しそうな顔を見せた。
ふたりで公園のベンチに、隣り合って腰をかける。
彼女の手には、いましがた、コンビニで買ってきた唐揚げが握られている。
『ねえ、きみ。こっち。甘いのが売ってるよ』
コンビニに寄った僕は、レジカウンター横の陳列ケースに並べられたドーナツを指差した。
けれども彼女は、少し思い悩む素振りを見せてから、『こっちの方がいいな』と、ホットスナックの保温層で温められている唐揚げを指差した。
どうやら甘いものより、お肉系がお好みらしい。
僕と彼女は公園のベンチに座り、コンビニの唐揚げを食べる。
「テルも食べなよー。はい、あーん」
楊枝にさした唐揚げを、ひとつ差し出してきた。
すこし照れながらも、パクリとかぶり付く。
照れながらもぐもぐ口を動かしていると、背後の茂みで、ガサガサと草花が揺れた。
(……ん? なんの音だろう)
ベンチに座ったまま、うしろを振り向く。
すると、そこには1匹の痩せた細った野良猫がいた。
「あ、ねぇ、きみ。ほらあそこ、猫がいるよ」
「んにゃ。ホントだぁ」
唐揚げをモグモグと食べながら、彼女も野良猫に振り返る。
「……ニャー」
野良猫は、僕らを見つめながら目を細めて、小さく鳴いた。
「ほぉら、おまえー。これをお食べー」
彼女は野良猫に近付き、手に持ったコンビニ唐揚げの、最後のひとつを分け与えた。
ベンチに座ったまま、そんな彼女と野良猫の様子を見守る。
猫は警戒した様子を少しも見せずに、彼女が差し出した唐揚げをパクッと咥えた。
なんだか、警戒心の薄い野良である。
もしかすると元はどこかの飼い猫だったのかもしれない。
そんなことを思いながら、猫を驚かさないようゆっくりとした動作で腰を上げ、彼女たちのほうへと歩いていく。
すると、それまでゆったりと構えていた野良猫は、急に警戒心を強めて姿勢を低くした。
「あ、大丈夫だよ。テルはね、嫌なことなんてしないから」
彼女が猫の頭を撫でた。
すると逃げ出そうとしていたその猫は、ふたたび警戒心を解いて、僕らの前でゆったりと寛ぎ始めた。
そんな様子に感心してしまう。
「すごいね。……何だか猫と会話をしてるみたいだ」
「うーん。会話ってわけじゃないけど、なんとなくねー」
彼女は野良猫をじゃらしたままだ。
今度は尻尾の付け根の辺りをポンポンと軽く叩く。
野良猫は、尻尾をピンと立てて、うっとりとしている。
「きみ、猫、好きなの?」
随分と慣れた手つきで猫をじゃらしている。
もしかしたら彼女も猫を飼っていたのかも。
「好きっていうか、元々、猫だもん、私」
「……またまた。たしかにきみは、猫みたいだけど」
冗談を軽く受け流した。
「僕もね、以前、猫を飼っていたんだ。白くて毛並みの綺麗な猫でね……。名前は、きみと同じで『マリー』っていうんだ」
彼女が野良猫をじゃらす手を止めた。
こんなことを誰かに話すなんて自分でも思わなかった。
これは僕にとって大切な思い出話だ。あまり人に話すような類のものではない。
だけど、彼女になら聞いてもらいたい。
彼女は、春間マリーは僕の顔をジッと見つめている。
その顔に表情はなく感情は読めない。
「僕は、マリーのことが本当に大好きでね。家では、いつもマリーと一緒にいたんだ。寝るときなんかも一緒だったよ。僕がベッドに入るとね、マリーもベッドに潜り込んでくるんだよ。でもね、よくマリーは寝返りを打っては、ベッドから転げ落ちちゃったりするんだよ。あはは……。猫なのに、なんだか間抜けだよね」
いまは亡き最愛の猫、マリーへ想いを馳せる。
自然と目が細まった。
胸に湧き上がるのは、たくさんの懐かしさと、わずかな寂しさ。
「もうっ! ヒドイのね、テルは。間抜けだなんて、目の前で悪口を言うなんて!」
「えっと……。悪口? 僕、酷いことを言ったっけ?」
「いま言ったじゃない。私のこと間抜けだーって。そんな風に呆けても、誤魔化されないの!」
なぜか彼女はプンプンとお冠のようだ。
いったいなにが気に障ったのだろうと首を捻る。
「んと。間抜けって言ったのは、僕が飼っていた、白猫のマリーのことだよ?」
「うん、だから私のことでしょ。マリー」
「……ええと、たしかにきみは、マリーだけど」
おかしな話の成り行きに困惑してしまう。
彼女はそんな僕の困惑に気付いた様子はない。
「だからね、私、猫のマリーだよ? テルが拾って、育ててくれたマリー。私、死んじゃったはずだけど、死んでからもずっと、テルのことを、そばで見ていたのよ?」
何を言いだすのだろうか。
話し続ける彼女に、困惑を一層強くする。
「それでね。私、ずっとテルを見ていたら、テルが、どんどん笑わなくなっていくものだから、お祈りをしていたの。テルに、笑顔を取り戻したいって」
「……」
自分の顔から表情がなくなっていくのがわかる。
彼女は変わらずそんな僕の様子に気付いていない。
そのまま話を続けている。
「私、毎日毎日お祈りをしていたの。そうしたらね、いつの間にか私、変な場所にいて、何でか私、生き返っ――」
「やめてくれッ!」
悲鳴のような声が漏れた。
彼女の言葉を遮る。
――マリーが生き返る。
そんなことが起きれば、どれだけいいだろうか。
そんなことはもう何度だって考えた。
そしてその度に現実に打ちのめされてきたのだ。
もし……。
もしもまたマリーと会えるのなら、僕はどんなことだってするだろう。
でももう、マリーは死んだのだ。
僕がこの手で、力なく横たわる小さな白い体を荼毘に付して焼いたのだ。
遺骨を納めた小さな仏壇だって、部屋にちゃんと安置してある。
「……あんまりね。マリーのことで、ふざけないで欲しいんだ」
「ふざけてなんか――」
彼女は、まだ続きを離そうとした。
けれども彼女の言葉を、僕は遮る。
「もう、この話は終わりにしよう」
彼女はまだなにかを言っていた。
けれども僕は、その話の一切を拒絶して背を向けた。
彼女はそんな僕の頑なな様子に唇を尖らせて、「もうっ……」と小さく呟いた。
痩せた野良猫は、さっきの僕の大きな声に驚いて、遠くへと駆け去っていた。
夜。
自宅で彼女とふたりの夕食を済ませたあと、ソファに座って、テレビを観ていた。
流れている番組は、クルーズ船での船旅を紹介する番組だ。
この番組では、世界の様々なクルーズ旅行が紹介される。
紹介される船も多岐に渡って、オールインクルーシブで楽しむ大衆クルーズ船から、全室バトラーサービスの付いた高級クルーズ船まで多種多様だ。
ゆったりとソファに腰を落ち着け、テレビを観ていると、今日も彼女が膝に、覆いかぶさってきた。
「ね、ね、テル。何の番組を観ているの?」
「んとね。クルーズ旅行を紹介する番組だよ。今回の番組内容は、ライン川を上流に向けて遡る、リバークルーズみたいだね」
彼女は「そうなんだぁ」と声に出しながら、枕にした膝に顔をうずめた。
優しい手つきで彼女の髪を撫で付けながら、僕は番組の説明を続ける。
「今回のは再放送なんだけどね、川を北に上りながら、欧州各地のクリスマスマーケットを巡る船旅なんだ。川の途中でロマンチック街道の側を通るから、たくさんの古城が出てきたりして、楽しいんだよ」
ひと通り説明を終えると、彼女が「ふぅん」と呟いた。
顔の向きを変えてテレビを覗いている。
「……いつか、テルと一緒に、こんな旅行にいけたらいいのにね」
「うーん。流石にクルーズ旅行は無理かなぁ。行けたとしても、日帰り温泉旅行くらいだよ」
僕も膝に落としていた視線をテレビに向け直して、ふたりで番組を楽しんだ。
スピーカーから、優しい音色の音楽が流れだした。
番組終了と次回予告のBGMだ。
テレビを観終えた僕らは、少し手持ち無沙汰になった。
まだ眠るには少し早い時間。
膝に預けられた栗色の髪を眺めながらボーッとしていると、彼女が急にガバッと頭を上げた。
「そうだ! このまえ買ったゲームをしようよ!」
先日ふたりで寄った輸入雑貨屋さんで、ボードゲームを買ったのだ。
彼女の提案に内心で頷く。
「うん、そうしようか。眠る時間までの暇つぶしに、ちょうどいいよね」
「やった。じゃあ私、ゲーム持ってくるねー」
彼女は口に出すなり体を起こして、トテテと歩きだす。
クローゼットを開いて、そこの奥に納められたボードゲームを持ってきた。
そのままフローリングの床にいそいそとゲーム盤をひろげて、僕を誘う。
「テルー、準備できたよ。こっちおいでー」
「わかった。いま行くよ」
ソファから腰を上げ、フローリングに直に座る彼女の対面に、同じよう座りなおした。
「はい。これ、テルのオバケね」
オバケの駒を手渡してくれる。
このボードゲームは、『ガイスター』というふたり用のボードゲームだ。
世界中で楽しまれている名作である。
ゲームのルールはとても簡単。
駒には良いオバケと、悪いオバケがある。そして勝利条件は3つ。
まずひとつ目。
将棋のように駒を配置して、相手の良いオバケを全部取ってしまえば、取った方の勝ち。
次にふたつ目。
自分の悪いオバケを相手に全部取らせるのでも良い。
最後のみっつ目。
自分の良いオバケを、1体でも相手陣地にある脱出口から逃がすことが出来れば、それでも勝利となる。
実はこのゲーム、彼女はなかなか強くて、僕は負け越している。
「あ、そうそう、テル。3回負けたほうが、相手のいうことを、何でもひとつ聞くのよ?」
よし、今日こそ勝ち越すぞと袖を捲っていると、急に彼女が、そんなルールを持ち出した。
「え? 聞いてないよ、そんなルール」
「いま決めたんだもん。じゃあゲーム開始ね!」
早速彼女が駒を動かした。
「あ、先行……」
「にゃふふ。早い者勝ちなのよ?」
少し苦笑をしてしまう。
僕は微笑んでからボードゲームへと視線を落とした。




