離にて
紬とクルトは裏口を出て、離れに行きました。
離れには、まだ図書館が出来る前に作られた本がたくさん保管されています。ここに保管されていた本も今まで多くの人に読まれてきた本です。
しかし、後継者を見つけて役目を終えた本も多く、もう長く持たない本もあります。それらをよりたくさんの人たちの手に渡るようにと、紬たちはできる限りの手を尽くしています。
「さぁ、この部屋だよ」
離れに入り、紬はクルトをとある一室に案内しました。
そこは、窓際にベットが1つ。その近くに小さな机の椅子が1つずつ置かれただけの質素な部屋でした。しかし、同時にどこか暖かみのある、そんな部屋でした。
「ここは?」
クルトが問いかけます。
「ここで、君に冒険をしてもらうの。本の中に入ってね」
「こ、ここでですか!?」
クルトは驚きました。本の中を冒険するのだから、てっきり、もっと大きな部屋で、それこそ魔法陣みたいなものを使って行うと、クルトは思っていたからです。
「そうだよ。君はこれから実際にこの本の中を冒険する。と言っても、身体ごと本に入るのではなく、あくまで意識だけを本の中に送るの。その間は君の体は完全に無防備な状態だけれど、私達が責任を持って管理するから心配しないでね」
「意識だけを、ですか?」
「そう、意識だけ。夢みたいなものだと思ってくれればいいかな?」
意識だけの分離。それだけを聞くとあまりよくわからないクルトでしたが、夢のようなものと言われ、なんとなくですが、理解することがができました。
「でもどうやって意識だけを本の中に入れるんですか?」
「それを今から説明するね」
そういって、紬は栞から渡された本の1番最後のページを開きました。
そのページには何も書かれていません。クルトも読んだ時に不思議に思ったページです。
「ここに、君の名前をフルネームで、君の血を使って書く」
「血を使って、ですか?」
「そう。本との繋がりを作るためには、媒介になるものが必要だからね」
そういって、紬は受け皿と小さなナイフ、ペンを机の中から取り出しました。
「ここに血を溜めてから書いてね。と言っても、血はそんなに必要じゃないから」
さあ。と紬はナイフと受け皿をクルトに渡しました。
「やっぱり、痛いですよね?」
「うん。でも指の先を切るくらいで大丈夫だから」
大丈夫。というのがクルトにはよくわかりません。なにせ、自分の指を自分で切りつけるのですから。
しかししなければいけないのならと、クルトは、恐る恐るナイフを指に当て、そして一思いに切りつけました。
「痛ッ!」
そして、滴る血を受け皿に溜めました。
「うん、それくらいで十分だよ。ほら、傷口を見せて」
ある程度血が溜まったのを見て紬はそう言い、慣れた手つきで傷口を消毒し、ガーゼと包帯を巻きました。
「ほら、次は名前を書いて。早くしないと血が固まって、また切らないといけないよ?」
痛みで目尻に涙を浮かべるクルトでしたが、流石にもう一度自分の指を切るのは嫌なので、急いで本に名前を書きました。
「うん、これで問題無いかな」
「これだけでいいんですか?」
「え、なに? これ以上まだなにかしたいの?」
「いえ、結構です‥‥」
紬は、しっかりと名前が書かれているのを確認するとそっと本を閉じました。
「さて、これから君は本の中に入るけれど、2つ、君が注意しなきゃいけないことがあるんだ」
「注意しなきゃいけない事ですか?」
「そう。まず一つ目。それは君が本の中では、その本がどのような本だったか。どのような人々が登場し、誰とどのような関係だったか。どのような人物だったか。これを一切思い出すことが出来ないこと。
そしてもう一つは、君が物語のどの場面に、どのような立場で関わっていくか。それは、実際に物語の中に入るまでは分からないということ。この2つの事を君は意識しておかなければいけないよ」
「わかりました」
紬は手に持っていた本を机の上に置きました。
「それじゃあ、いよいよ君は本の中に入るけど、心の準備は出来てる?」
「大丈夫です」
「良かった。それじゃあ、ベッドに横になって」
クルトは言われたようにベッドの上に横になりました。
「そのまま目をつぶって」
クルトは目を閉じます。
そして、クルトはとても不思議な感覚に陥りました。
(‥‥あれ?)
目を閉じただけ。しかし、クルトの視界が暗くなったのは一瞬だけでした。直後、彼は真っ白な、上も下も分からない場所にいました。
(なんか、頭がぼーっとしてる)
しかし不快感がある、という訳ではありません。
現実と夢の境界が曖昧になるような、微睡みのような感覚でした。
(あ…、れ?)
不意にクルトは強い眠気に襲われ、そのまま意識を手放しました。
離れの部屋では紬がその様子を見守っていました。
「よし、ちゃんと本の中に入ったみたいだね」
紬はクルトが中に入った本をそっと撫でました。
本の題名は『守るもの』。
1人の騎士の一生を本に綴じた本です。
彼は何を思い、何を感じその生命を燃やしたのか。誰と出会い、誰を愛したのか。
彼の出会いが、思いが、この本には綴じられています。
「そろそろ私も図書館に戻らないとかな。人もそろそろ来る頃だし」
紬は、そう呟くとそっと部屋から出ていきました。