姉の回想(スィートコーン)
今日、おやつにとうもろこしを食べた。今でこそあたしはとうもろこしを普通に「とうもろこし」と呼んでいるが、ほんの数年前までは「とうきび」としか言わなかったものだ。ちなみに自分のことも「あたし」ではなく、「わたし」と言っていた記憶がある。
人間は時間とともに変わるものだと思う。たった数年前の自分を振り返ってみただけで、そう思えてくる。
さて、以下は数年前のあたしの話。当時の自分に成りきって、ここに記すことにする。
「スィートコーン」
給食に「とうきび」が出た。三分割されたのが一個だけ。だけどわたしは「とうきび」が大好きだったので、口にした時に思わずこう呟いてしまった。
「『とうきび』おいしいな」
と。
運が悪かったのは、隣の席にいじめっ子のトモがいたことだ。トモはあたしを嫌っていて、何かきっかけを見つけてはあたしに絡んでくる。
トモはクラスのみんなに聞こえるように、大声でこう言った。
「へえー! 『とうきび』だって。とうもろこしを『とうきび』だなんて、どこの田舎出身よ!」
もちろんわたしだって、とうもろこしが一般的な呼び名だってことぐらい知っている。親の仕事の都合で北海道暮らしが長かったから、「とうきび」の方が言い慣れているだけのことだ。
わたしは押し黙った。下手に反論したら、倍の攻撃がやってくる。トモはそれを望んでいるのだ。誰が思い通りになってやるものか。わたしは悔しそうに唇を噛みしめ、相手が怖くて言い返せないふりをする。トモはそれと気付かずに最低限の優越感に浸り、わたしに蔑みの視線を送った。
別に我慢できる。その程度の屈辱で、身体の痛みや大事な物が奪われる悲しみを味わわなくて済むのなら。今までずっとそうやって我慢してきた。
でも……。いつまでそれが続くのだろう。いつまで自分一人が我慢し続けなければならないのだろう。
教室内にトモの意地の悪い高笑いが響き渡る。教室のみんなも追従するように笑った。
ふと、頭の中に一面の「とうきび畑」が浮かんだ。収穫したばかりの「とうきび」に生のままかぶりつく自分の姿が見えた。あの頃の自分は天真爛漫で自由で、恐れを知らなかったなあ。毎日が楽しかった。生きていることがうれしかった。
あの頃の自分に戻りたい。北海道の大地で笑顏で走り回っていた自分を取り戻したい。
なぜか突然そんなふうに思ってしまった。いや、思えてしまったというべきか。何かのスイッチがパチンと入る音が聞こえた気がした。
次の日の放課後、わたしはトモを待ち伏せした。トモが一瞬ギョッとした表情を浮かべる。けど、すぐにわたしを見下すような、いつもの嫌な笑顏に変わった。
「何よ」
訊かれてすぐ、あたしは隠し持っていた「とうきび」をトモの胸に突きつけた。
「このとうもろこしは何?」
トモは不審そうな目をわたしに向ける。完全に目が合った。わたしの目に怯えの色はないはず。不思議がれ。怯えたふりなんて、もうしてやらない。
わたしはできるだけ落ち着いた口調でこう言った。
「この『とうきび』の中にはナイフが仕込んである。あんた、『とうきび』に刺されて死になさい」
ヒッ、と引きつったような声を上げ、トモがカバンを落とす。ギョッと見開かれた目。こわばった血の気のない顏。わたしはトモの一瞬の表情を両眼に焼き付けると、ありったけの力で『とうきび』を彼女の胸に突き立てた。
「ぐへっ」
胸を突かれた衝撃と恐怖とで、トモは腰砕けになって地面にへたり込んだ。
「馬鹿ね。わたしが人を刺すわけないじゃない。たかが『とうきび』一本にそのざま、みっともないわね。普段偉そうにしてるくせに、なんて腰抜けなの」
わたしが蔑むように言ってやると、トモは涙目で唇をキッと噛みしめ、カバンを掴んで逃げるように去っていった。
(あなたの今の顏、演技なんかじゃないわよね)
わたしは満足した。この先、トモがわたしに対してどう来ようとも、さっきの彼女の情けない顏を思い出せば頑張って生きていける気がする。──でも……。
予感がするのだ。もういじめはなくなるんじゃないかな。きっとトモはわたしの中の危険な部分を垣間見たはずだから。仕返しをすれば今度は何が待っているか、勝手に予測してくれていると思う。
わたしは落ちていた「とうきび」を拾った。もうこれを「とうきび」と呼んじゃいけないわね。きれいな思い出はきれいなままにしておきたい。これは、いじめっ子としてのトモを殺した凶器だから。かといって改めて「とうもろこし」と呼ぶのも嫌だ。
そうだ!── わたしはニヤリと笑った。
「トモコロシ」と呼ぼう。
続く