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弟の入学式

 今日は弟の高校の入学式だ。講堂の保護者席は、あたしと一回り以上も歳の離れたオジサンやオバさんでぎっしりである。まあ、高校生の親である以上、どんなに若くても三十歳は確実に越えているはずだから、当然といえば当然だ。あたしのように姉が参列することなんて滅多にないだろう。一応、あたしも薄いピンクのスーツとそれなりのメイクで、多少は大人っぽくなっているのだが、周囲から浮きまくっているのは間違いない。


 そういえば、受付の先生があたしを見てびっくりしていた。もしかして、姉ではなく継母かと思われてしまったかも。

先生、勘違いしないでね。あたしは継母でもママでも母でもありません。後妻でもないですから。──あ、今ダジャレを思い付いた。「行け! 後妻にゴーサイン」。

 あれ? ツマらない? ママならないものよのう。

 思い付いたダジャレが低レベル過ぎて、情けない思いでいっぱいになった。こう見えてもあたしはセンサイなのだ。


 あたしが必死であくびを堪え続けている中、入学式は粛々と進行していた。今校長先生がお祝いの言葉を述べているが、相当緊張しているらしく支離滅裂である。これが立て板に水だったなら、「校長先生絶好調」と定番のダジャレも言えたのだけど。ま、代わりにテンパって頬が「紅潮」しているから良しとしよう。

「えー、何と申しましょうか。そう。当校は国公立大学の合格率が全国でもトップクラスでありまして、新入生の皆さんにも、ぜひその伝統を守っていっていただきたいと思う次第で存じます、はい」

かなり日本語がおかしい。

「──勿論、勉学というものは『一石二鳥』には成らぬものであります」

 あ、今のは「一朝一夕」と間違えたな。

「しかし皆さんが晴れてこの学校に入学できましたように、人間、血ナマコになって勉強すれば、必ず夢は叶うのであります」

 おい。「血ナマコ」って何だよ。とっても生臭そう。講堂のあちこちで失笑が洩れた。

だいたいこの学校、進学校ではあるけど、入学を「夢」と譬えられるほど凄い高校じゃないんだよね。東大や京大の合格者数を誇れないもんだから、国公立大学の合格率なんていう微妙なものにすがるわけで。

「あ、失礼。『血マナコ』ではなく『血ナマコ』でした」

 訂正したつもりで間違いの上書きをするとは。校長の緊張、最高潮。

「何はともあれ、辛抱強く頑張り続ければ必ず結果はついてきます。『石の上にも三年、柿八年』です」

 名状し難い白けた空気が漂う。今のは単なるミスなのか。ウケ狙いが空回りしてしまったのか。

「ええと。あー、ええと……」

 校長先生の顔が一気に青ざめた。赤くなったり青くなったり、歩行者用信号機みたいだ。

「失礼。『桃栗三年、柿八年』でした」

 そっちを採用するんかい。下手したら高校時代、何も成し遂げずに終わるぞ。ちゃんとしたのを採用しなさいよう。

 もはや校長の威厳などかけらもない。


「──さて、保護者の皆様」

 校長先生は姑息にも唐突に話題を変えた。

「本日は御入学まことにおめでとうございます」

 別にあたしは入学したつもりないけど。

「本校は、生徒全員が大学進学を目指す進学校であります」

 当然だ。進学を目指さない進学校なんて聞いたことがない。

「そのため、授業の進み方も早く、授業で理解しきれなかったところを、長時間の家庭学習で補うという形になると思います。つまり宿題が極めて多いわけなんですね。従いまして、ご家族の方には、それとなくお子さまの家庭学習を見守っていただきますようお願いする次第であります」

 あたしは首をひねった。ちなみに頸椎捻挫はしていない。

 「見守る」? ──見守って何になるってえの。自分から進んで宿題をするような子だったら最初から見守る必要すらないし、逆にしない子だったら、見守っていようがいまいが結局何もしない。こりゃ暗黙の了解で「家庭で責任持って勉強させろ」ってことかな。嫌だね。あたしにとって弟は「お子さま」ではないからパス。

 弟には是非自発的に学習してもらおう。そしたら夜食くらいは作ってあげるよ。昨日の夕食に作った「サンマ蒲焼丼」なんていいんじゃないかな。

 「サンマ蒲焼丼」は、ご飯の上に缶詰のサンマの蒲焼と短冊に切った大根、彩り用のかいわれ大根を乗せて、マヨネーズと七味を掛けただけの手抜き料理だ。昨日は、七月上旬並の暑苦しさで、季節外れの「夏日」だったから、「サマーデイ」に引っ掛けて「サンマーデイ」とシャレ込んでみたのだった。

うん。いいね。「昨日」作った料理ってところが、ダジャレ的にもとてもいい。ほら、家庭学習の夜食でしょ。そんでもって家庭学習は「家スタディ」。


 その後、何だかんだと躓きながら、やっと校長先生の挨拶が終わった。最後までグダグダだったな。こっちはもうクタクタ。ともあれ、校長先生お疲れさま。すっかりヘコんじゃってるみたいけど、済んだことはクヨクヨしたって仕方ないじゃない。誰だって苦手なことの一つや二つあるよね。失敗したら、その分、得意分野で取り戻せばいいんじゃないかな。すごろくとかマージャンとか絶対強いと思う。ほら、すぐ「アガる」から。


 などと考えているうちにあっけなく来賓の祝辞が終わった。そもそもいつの間に始まったんだろう? 何を話していたのか全然記憶にない。例によって聞いたって聞かなくたってどうでもいいようなあくびの出る話だったんだろうけど。はっきり言って、この手の話はもう秋田県の危機、じゃなくて、聞き飽きた。聞くのもイヤーだ。聞いてほしかったら「ライヒィーン、フェードイーン!(by神谷明ボイス)」って叫びながら壇上に上がること。絶対スベるけどね。


 退屈な時間は続く。今度は生徒会長の挨拶だ。

「皆さん、ご入学おめでとうございます。私達は、皆さんのご入学を心から歓迎します。先輩方が築き上げられた栄えある我が校の伝統を、共に一層輝かしいものにしていきましょう」

 生徒会長は天井を右手の人指し指で指しながら、力強く言った。──ん? 天井に何があるって?

 なるほど。電灯が輝いている。さすがは生徒会長、快調に飛ばしているな。どこぞの前ファスナーが半分御開帳なのはいただけないけど。

 ちょっとは面白い話を聞けるかもしれない──そう思って身を乗り出す。


「えー、ここで高校生活三年間をうまく乗り切る秘訣をお教えします。大切なのは『三つの袋』です。一つ目は『寝袋』。昨今は着る寝袋という便利なものがありますが、これさえ身につけていれば、徹夜勉強で寝落ちしても、風邪を引かずに済みます。二つ目は定番の『お袋』です。『いい母親』ならば、試験勉強中に夜食や飲物を差し入れてくれますし、参考書代も、使途を確認することなく余計めにくれます。さらには父親と喧嘩した時の心強い味方。ぜひ大事にしてあげましょう。『いい母親』ならば」

 生徒会長は保護者席にチラチラ視線を送りながら言った。

「三つ目は、『ヤフー知恵袋』です。わからないことはここで何でも聞きましょう」


 うーん。微妙過ぎる。結婚披露宴の定番の「三つの袋」の話をもじって、ウケを狙ったのだろうが、いかんせんつまらない。ここがヤンキー高校ならば、生徒全員が堪忍袋の緒を切らし、寄ってたかって「フクロ」にするレベルだ。襲いかかるフック! ローブロー! たまらず逃げ出した生徒会長だったが袋小路に追い詰められまさしくフクロのネズミ。このまま復路のない死への一本道を行くしかないのか。しかし、その現場にたまたま七福神の福禄寿が通り掛かる。彼が懐から一枚の袋を取り出すと暴徒達は蜘蛛の子を散らすようにいなくなってしまった。──生徒会長が問う。

「それは何ですか?」

「ただのゴミ袋じゃ。どうやらヤンキーはポリが苦手なようじゃな」

「お助けいただきありがとうございました。七福神の福禄寿様」

「その呼び名は仰々しい。もっと気軽に呼んでくれんかのう。──そう。『カミブクロ』と」

「はあ」

「ところで、その方、なぜあんな奴らに追われておったのじゃ?」

「生徒代表として挨拶を盛り上げようとジョークを織り交ぜたんですが、見事に失敗してしまって」

「怒らせてしまったと」

「ええ。五月に次の生徒会長に交代するもんで、最後にここでひと花咲かせようと頑張ったんですけどね。──ホント僕、『にんき』があまりないんで……」


 おっと。知らぬ間に妄想の世界に落ちてしまったようだ。

 どうやら生徒会長の挨拶もそろそろ終了らしい。

「──それでは、古来より制服のスカートとスピーチは短いほどいいと言いますので、この辺で挨拶を終わります」

 最後まで微妙だった。


 そして、ようやく新入生代表の誓いの言葉となった。弟の出番である。何の間違いか、入試で最高得点を取ってしまったらしい。弟は、高校から打診を受けて早々に自分の言葉を紡ぐことを諦め、中学の担任に泣きついて原稿を書いてもらった。だから文章は完璧である。ただ、余りにお固い。固過ぎて、家の中で何度も練習に付き合わされた身としては、もう二度と聞きたくないというのが本音である。

 あたしはこっそりと耳栓をした。ステージに登った弟の表情にのみ集中する。緊張感のある真剣な顔。堂々としてるし、口も大きく開いているし、うまくいくんじゃないかな。心配する要素はどこにもないようだった。うん。心配停止。

 遠い空の彼方にいるお父さん。あなたの息子はこんなに立派になりましたよ。



 弟の晴れ舞台を最後まで見届けてから寄り道もせず家に帰ると、玄関の前で、いるはずのない人物がうろうろしていた。

 いったいなぜ? ──あたしは愕然として叫んだ。

「どうしたのお父さん! 三年は帰らないんじゃなかったの? 宇宙ステーションの連続滞在日数のギネス記録を狙うって……」

 約束が違う。一年で帰ってくるとわかっていたら、あたしは高校をやめなかった。苦労はしたかもしれないけど、やってやれないことはなかったと思う。

 お父さんは照れくさそうに笑った。

「暇だったんで色々ふざけてたら、『心の病』かもって基地に報告されて、定期交代メンバーに入れられちゃったんだよね。んで、当分日本で静養しろ、いや、静養せいよーってさ。西洋人に言われたくないや」

「どんなおふざけをしたの?」

 あたしはうんざりしながら尋ねた。

「無重力スピニングトルネードダンスを踊りながら、『寝床で失禁、sick in bed』ってわめいたり、『死にたくなったらこの一本。おいしく飲んでポックリ逝ける。“死ンジャーエール!” 信者からエールが送られております』って叫んだりしただけさ。日本語のわかる仲間に聞かれたのが運の尽きだったね」

 あたしは思わず溜息をついた。

「思いっきり病んでるじゃないの」

「まさか。素の自分をちょっとさらけ出しただけだよ」

「だったらお父さんは一生仮面をかぶってて」

「仮面かぶってたら、食事がよく嚙めん、なんちゃって」

「うわ、レベル低」

「まあまあ。地上でダジャレを言うのも久しぶりだからね」

 いや、この人のダジャレは元々こんなもんだった。でも、敢えてそこを突っ込むことはやめておこう。

「まあ、そういうことにしとくわ。ところで、今度の静養って長いの? しばらくは家族で一緒に暮らせるのよね」

「多分ずっと一緒さ。こっちで何かいい仕事を見つけたら、そのまま今のところを退職するつもりだ。宇宙にはもう行かせてもらえないだろうし、思い残すことはないよ」

「そう」

「うれしくないのかい?」

 お父さんはちょっと不安そうな顔をした。

「うれしくないことはないけど、お父さんのことだから、どうせダジャレかなんかでつまんないオチが付くんでしょ。あたし、ぬか喜びはしたくないの」

 するとお父さんは肩をすくめながらこう言った。

「馬鹿だな。オチなんてないよ。だって、一年ぶりの親子の感動の再会なんだぜ」

「お父さん……」

「こんないい場面、くだらないダジャレなんかで……、お父さんは、落とーさんよ」

「……」

 あたしは黙って右の拳を思い切り握った。


おしまい

父親が帰って来てしまったので、このシリーズは一応幕を閉じます。お読みいただきありがとうございました。

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