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入試前日

 桃の節句が終わったので、お雛様を片づけた。うちのお雛様は享保雛といって、かなりの年代物だ。段飾りなどというものはない。男雛と女雛だけである。冠をかぶせた状態で幅・高さともに四十センチ以上ある大きな人形ではあるが、二体のみということでセッティングや収納にはさほど苦労しない。ただ、相当高価な骨董品らしいので、若干取り扱いに困る。既に女雛の髪が一部抜け落ちているし、男雛の手の甲にヒビが入っている現状で、これ以上状態を悪化させないためにも、湿気やカビや虫食いには常に気をつけていなければならない。

 ──ああ、面倒だ。売ってしまいたい。百万円にはなるそうだけど……。

 なぁんちゃって。あたしはこの雛人形を気に入っている。特に顔がいい。微笑んでいるような切れ長の目が好きだ。この目を見ていると、お雛様を大枚はたいて骨董品屋から買ってきた父さんとの会話を思い出す。


「君のお雛様だよ。和室のある家を建てたら即買おうって、ずっと思ってたんだ。いつまでも棚の上に和紙のお雛様じゃ、なんか申し訳なくてね。──毎年、自分でちゃんと飾るんだよ」

「ええー。なんか汚くない? アッちゃんちのなんか七段飾りのピカピカだよ」

「これが渋くていいんだよ。それにもしかしたら値上がりするかもしれないし」

「そいつが本音か」

「いや、本当に惚れ込んで買ったんだよ。『この雛の 糸目に心 射止められ 金に糸目を 付けずに買てもた』──おお、いい歌が詠めた」

「『買てもた』が絶望的にダサイわ。そもそもお父さん、和歌にかこつけて、単にダジャレが言いたかっただけでしょう」

「お、わかったんか」

「はいはい。『和歌』と『短歌』を掛けて『わかったんか』ね」

「お、よく気付いたね。でも笑顏が足りない。面白かったらいつでも笑っていいんだよ」

「誰が笑うか」

「そこは『わらわは笑わない』と言わなきゃ」

「もう。明けても暮れてもダジャレばっかり。そんなだからお母さん、お父さんに愛想尽かして他に男を作っちゃうのよ」

「あい、そうですか。しょんぼりルドルフ。ショボン玉ホリデー」

「わけわかんないこと言いながらうなだれても、同情なんかしないからね」

「どうじょ、どうじょ」

「もう! あたしを怒らせたいの?」

「いや、笑わせたかったんだけどな」

「それ、お父さんのセンスじゃ無理だから。今度変なこと言ったら、本気で怒るわよ」

「じゃあ、もうしません、くっくく……」


 あの時どうしてお父さんは忍び笑いを漏らしたんだろうか? もしかして「もう、しません」と「申しません」を掛けたとか? まあ、どうでもいいや。

 あれからもう何年経ったんだろう。あたしはすっかり成長して、見た目だけは大人になった。小さかった弟も、肉体的にはかなりの巨大化を遂げている。無論、人間的には小さいままだが。

 受験生のはずの弟はこのところすっかりダラけていた。明日、県立高校の入試だというのに、今ものんびりテレビを見ている。お雛様を片づけたあたしは、居間に戻って弟に言ってやった。

「あんた、仮にも進学校受けるんだから、一夜漬けぐらいやったらどうなの」

「だって、定員割れだもんなあ。割れせんべいを大量に食べた甲斐があったよ」

「あんた、そこは定番の「ウカール」とか「キットカット」とかじゃないの?」

「ピンポイントで「定員割れ」に賭けてみたまで。『割れ、勝てり』ってとこかな」

「安心し過ぎちゃだめよ。倍率が一倍以下でも、試験結果が極端に悪かったら、不合格もありうるんだからね」

「そこまでひどい点数は取らねえよ。俺の私立の受験結果見たろ。全体で十二番。『特別奨学生』様だぜ。入学金に授業料、教科書代、PTA会費諸々全部無料。おまけに『スポーツ特待生』の候補にも選ばれてる。一年からインターハイ出場が条件だそうだけど、何とかなるかもよ。そしたら、毎月三万円の支給だ。はっきり言って県立行くより、家計には優しいぜ。わざと落ちよっかな」

 くっ。滑り止めの私立の入試でたまたまヤマが当たって物凄い点数を取ったばかりに、果てしなく増長してやがるかも。増長天かよ。増長してんのう? って意味で。

 ホントに何が『特別奨学生』よ。こいつには『特別小学生』か『特別生姜臭え』ぐらいがお似合いだし。特待生だって分不相応だと思う。二年前まで「特」と「待」を取り違えて覚えてたやつに、資格はないんじゃないかな。


「なんか姉ちゃん不機嫌になってないか?」

「あんたがあたしの忠告聞かないからでしょ」

「悪かった。本当に私立の方が家計の助けになるかと考えてたら、真面目に勉強する気になれなくてな。姉ちゃんにはずっと迷惑かけ通しだし……」

  急に弟がしおらしい面持ちになり、申し訳なさそうにそう言った。──え、何? こいつ本気でそんなことを考えてたの? 

「バカね。お父さんの残したお金とお母さんから振り込まれる養育費で、充分家計は賄えるわ。あんたは気兼ねなく進学しなさい。成績が良ければ大学まで出してあげるわ。地元の国立一択だけど」

「俺ばっかりいいのか? 姉ちゃんだって……」

「いいのよ」

 あたしは弟の言葉を遮った。

「あたしはいいの。今の生活に満足してるから」

「姉ちゃん……」

「高認だって受かってるし、進学なんてあんたを送り出した後で幾らでもできるわ」

「そっか。姉ちゃんが俺の犠牲になってるみたいで嫌だったんだが」

「あたしはあたしの好きなようにやってるだけよ。──それはそうと!」

 あたしは弟を睨んだ。

「湿っぽい話に持っていけば、あたしの矛先が鈍ると思ったんじゃないの?」

 弟が一瞬ギクッとした表情を浮かべた。

「今思い付いたんだけど、あんたちゃんと自分の部屋片づけてる? 勉強する気が起きないくらい、とっ散らかってるんじゃないの?」

「い、いや、そんなことは……」

 やっぱり、ね。こいつには前科があるのだ。

「押し入れにギュウギュウ詰めになってた、ポテトチップスの袋は全部捨てたんでしょうね」

「待ってくれ。ほとんどは捨てたんだが、期間限定品の袋だけは取ってある。捨てたら二度と手に入らないし、勘弁してくれよ」

「じゃあ、本棚に立ち並んでたペプシコーラのペットボトル軍団は?」

「あれは大事なコレクションなんだ。捨てたくない。キュウリ味やシソ味やあずき味のコーラなんて、ラベルを見ただけで心躍らないか?」

「躍らないわ。面白雑貨屋で売ってるカレー味のラムネとか醤油サイダーとかと同系統でしょ。物好きが一回だけ話のタネに飲むのを当て込んだキワモノ商品じゃないの。捨てなさい」

「えっ」

「えっ、じゃないわよ。片づけるって約束守ってないよね」

「あ、ああ。すまん」

 見える。あたしの心眼には、弟の部屋の惨状が手に取るようにわかる。押し入れや本棚がゴミで占領されてる状況で、部屋だけは綺麗に片づいてます、なんてことは絶対にあり得ない。きっと足の踏み場もないはずだ。

「断捨離しなさい。あんたはつまらないものに執着し過ぎ。全部捨てて、さっぱりしたらどうなの? 何にでも使える広々とした空間も手に入るわよ」

「待ってくれ。片づけなんかやってる暇なんてないだろ。明日はテストだぜ」

「だから勉強できる環境を作るのよ。急がば回れってこと。──さ、あたしも手伝うから一緒に断捨離しましょ」

「おい。流行りの言葉に流されるのは良くないぞ。『何にでも使える広々とした空間』なんて幻想だ。心理的に何も置くことができない死んだスペースができるだけだと思わないか?」

 お、食い下がってきたぞ。よっぽどゴミに愛着があるとみえる。

「思わないけど」

「それにな、床に物が置いてあれば、その上にさらに物を積み重ねることができる。つまり物の上の空間を有効に使えるわけだ。それを繰り返せば天井までの空間を全て無駄なく利用できることになる。一つの部屋の限られた空間をとことん生かせるんだ。──何もない死んだスペースと、何でもある生きたスペース、どっちが素晴らしい?」

 屁理屈である。もはや問答無用。あたしは冷やかな目でこう言ってやった。

「そういうことは、取り敢えずゴミをなくしてから考えましょうね。言うこと聞かないと晩ご飯抜きよ」

「ええー! そ、そ、そんなあ!」

 弟はこの世の終わりのような悲痛な叫び声を上げた。情けない。ご飯抜きってだけで、一瞬でここまでヘタレるとは。


「?」

 今、弟が泣き言のようなことを言ったのだが、意味がよくわからない。何だろ。

 うーん。もしかして、こういうことかな。飯抜きだけに。

「断捨離はいいけど……断シャリはやだよぅ」


続く


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