市議選あれこれ
このところ我が市を賑わせている市議会議員選挙もいよいよ最終日だ。俺が住んでいる地区は、地元から候補者が出ていないこともあって、すっかり草刈り場と化している。一票でも手に入れようと、今日一日でほとんどの候補者がこの地区を巡っていた。
とはいっても、俺自身はこの選挙には何の関心もない。中学生ゆえ、選挙権がないからだ。ただ、選挙カーには非常に迷惑している。延々と繰り返される候補者名の連呼。ユーモアもウィットもない台本通りの台詞。うるさ過ぎるぜ。
あ、また選挙カーが来た。
「応援ありがとうこさいます。山田でございます。山田ただよし本人がお願いに上がりました。どうか皆様の尊い一票を、何卒この山田ただよしに……」
ああ、やかましい。気が散って宿題ができないじゃねえか。残念だ。せっかく勉強する気になっていたのに。――でも、 マンガは普通に集中して読める。不思議だ。
さて、少し前の話になる。部活動最後の夏、県大会の柔道個人戦で優勝した俺は、続く北信越大会でも優勝して意気揚々と全国中学校柔道大会――通称「全中」に臨んだ。まずは一回戦。相手とは部の遠征試合で何度か対戦しており、難敵ではないことを確認済である。
当然俺は勝てると思っていた。だが、それが慢心というものだったらしい。俺は負けた。相手の仕掛けた「内股」が、不運にも俺の金的を直撃し、痛みで実力を出し切れないまま優勢負けを食らってしまったのだ。
くそ、思い出しただけでも股間に痛みが走るぜ。あんなこと試合じゃ滅多に起こらないんだがな。本当にタマタマだ。
以来、部の中での俺のあだ名は「三年B組金的先輩」になった。誰だこんな変な名前付けたやつは。「このバカチンが!」と怒鳴ってやりたい。
まあ、何にせよ部活動もこれで引退だ。次は高校受験が待っている。しかし、今の俺にとっては大した問題ではない。俺の成績はこのところうなぎ登りで、志望校のランクを上げない限り合格間違いなしだ。はっきり言って楽勝。
と思っていたら、今日になって担任から志望校の変更を勧められてしまった。進学校を目指せってか。うえ、面倒くさい。俺は二年生の時の内申点が劣悪だから、ちゃんとした高校に入ろうと思ったら、受験勉強を人一倍頑張らないといけないのだ。――あれ、「人一倍」ってよく考えるとおかしいよな。他人の「一倍」頑張ったって、人並みにしかならないじゃん。二本の足で履くのに「靴一足」っていうのと似たようなものか? いや、全然違うな。 ま、どうせどっかの知恵袋サイトに説明が載ってるだろうから、後で確認しておこう。
おっと、横道に逸れてしまった。
それで、俺としては、下手に冒険して入試に落ちることだけは避けたいと思っている。高望みして万が一不合格になったとしたら、後輩どもに「ジョーク好きの先輩だけに見事な『落ち』ですね」やら「先輩の冗談、いつもはとっても面白いですけど、今回はスベりましたね」などと、家にまで押しかけられていじられるのは避けられない。クソ、あいつらに悪ふざけを仕込んだのは失敗だった。
志望校を変えるべきか否か。うーん。迷うところである。上位の高校に行きたくないといえば嘘になるが、楽と安全・安心を求める気持ちも強い。自分の学力に自信がないから迷うんだろうな。
「――地区の皆様、最後のお願いに参りました。山田、やまだ、山田けんでございます。どうか最後まで皆様の暖かいご支援を、山田けんによろしくお願い申し上げます」
ありゃ、また選挙カーだ。今度も山田って姓か。そういや、今度の選挙じゃ、山田姓が三人立候補してるって聞いたぞ。
「山田でございます。山田しろうでございます。現在、大変な苦戦をしております。なにとぞ、何卒、皆様のお力添えをお願いしたく……」
おいおい。偶然にも山田が三人揃ったじゃないか。
「山田候補の御健闘をお祈り申し上げます」
「ありがとうございます。山田候補の御健闘をお祈り申し上げます」
「山田候補の御健闘をお祈り申し上げます」
「ありがとうございます。山田候補の御健闘をお祈り申し上げます」
「山田候補の御健闘をお祈り申し上げます」
「ありがとうございます。山田候補の御健闘をお祈り申し上げます」
何だよこれ? そうか。一人が二人に対して挨拶するからこうなるんだな。まぎらわしい。下の名前も付けて言えよ。
「……」
「……」
「……」
突然、声がピタリと止んだ。今度はどうした。
複数の車のエンジン音ばかり響いていて、肝心の言葉が全く聞こえてこない。しかも車はみんな同じ場所に留まったままのようだ。トラブルか? はたまた接触事故か?
「――山田でございます」
お、再開したか。何があったか知らないが、とにかく無事で何より。
「山田、山田、山田でございます」
「トリオ・ザ・山田でございます」
え、今何て言った?
「山田けん、しろう、ただよしをよろしくお願い申し上げます」
なんと、三人の山田が急遽結託したみたいだ。三台の選挙カーと支援の車を連ねてキャラバンを作った様子である。絶対その場のノリだよな、これは。
ただ、確かにインパクトはある。山田という姓を印象付けるのには最適だ。もっとも、投票用紙に「山田けんしろう ただよし」という侍みたいな名前が書かれてしまう恐れもあるが。
「一人の山田では力不足でも三人揃えば文殊の知恵。必ずや市民の皆様のお役に立つ所存でございます。投票用紙にはどうか『山田』とのみお書きください」
「山田、やまだ、山田でございます」
「山田をお願いいたします」
なるほど。三人がかりで「山田」を強烈にアピールして浮動票を獲得し、それを選管に按分してもらう作戦らしい。これって、どうなんだろう? 作戦としてアリ、なのか?
選挙に興味はなかった俺だが、この作戦の結末だけは知りたいと思った。
「田中でございます。田中、たなか、田中たけしでございます」
ホント、うるさいな。またこの辺をウロウロしてやがる。確か、この候補者は新人で、隣の町内の歯医者さんだったはず。歯医者なのに安月給の「しかい議員」を目指すとは。よっぽど本業が流行っていないのか。落選して文字通り「はいしゃ」になりそう。
「ご町内の皆様、毎度お騒がせしております。ちり紙交換車でございます」
今度はちり紙交換である。まだ家からは少し離れた位置を走っているみたいだが、じきに騒々しさMAXでうちの前を通り過ぎていくだろう。今日は本当に静けさとは無縁の日だ。
あ、姉ちゃんが雑誌と新聞紙を玄関に運び始めた。ちり紙交換車を呼び止める気満々である。やめさせよう。タイミングが悪過ぎる。
「待てよ、姉ちゃん。今は外に出ない方がいい」
「何でよ。車、通り過ぎちゃうじゃないの」
姉ちゃんは俺の制止を振り切って玄関を飛び出して行った。
「――田中でございます。田中たけしをよろしくお願いいたします」
あらら、田中候補、やっぱりこっちへ来ちまったか。
「沿道の皆様、温かいご声援まことにありがとうございます。田中たけし、元気一杯力の限り頑張っております」
窓から道路をこっそり見てみると、姉ちゃんが選挙カーに向かって恥ずかしそうに手を振っていた。
ほら言わんこっちゃない。俺にはこうなるってわかっていたんだ。
まず、ちり紙交換車を止めようと手を振るだろ。そしたら、選挙カーに応援と勘違いされて感謝されるだろ。感謝された手前、急に手を振るのをやめたらバツが悪いだろ。結局、選挙カーが視界から消えるまで、手を振り続ける羽目になるわけだ。
で、肝心のちり紙交換車はといえば、ご近所さんの家の前で先に呼び止められてしまっていた。拡声器から流れる例の口上に選挙カーの声がカブり、やかましいことこの上ない。
そう。こんなふうに。
「ご町内の皆様、毎度お騒がせしております……」
「田中、たなか、田中でございます」
「家庭内でご不要となりました……」
「田中でございます」
「古新聞、古雑誌、ぼろ布、ダンボールなどございましたら……」
「田中と……」
「交換させていただきます」
「毎度おなじみ……」
「田中」
「交換車でございます」
「どうかこの田中たけしを……」
「トイレットペーパーと交換……」
「させてください。よろしくお願いいたします」
うん。落ちたな、この人。ちり紙交換車は死神召喚車だったか。
投票日の深夜、開票結果が出た。
なんと。
今回の選挙で唯一落選したのは、絶対当選確実と思われていた現職の議長だった。基礎票も実績もあり、人柄も良かったのになぜか落ちてしまったのである。安泰と思っていたら反対で、楽勝と思っていたらチクショー、な結果になってしまった。
落選した議長は目を赤く腫らしながら、支持者に向かって「不徳のいたすところ」と言って天を仰いだという。そして、こう呟いてがっくりとうなだれたそうである。
「なぜだ……。不可市議……」
続く




