キッチンにて
ちょっと訊ねたいことがあって、俺は姉ちゃんのいるキッチンへ向かった。
後ろからいつもの調子で気軽に「なあ」と声をかける。すると、姉ちゃんはハッとしたような挙動で振り向くと、いつもと違う微妙な表情で「なあに?」と声を返してきた。
なんだろう。姉ちゃんのこの複雑な表情は。物憂げなようでもあり思案しているようでもあり戸惑っているようにも見える。
あれ? ──ふと姉ちゃんの足元を見れば、そこには長ネギが大量に押し込まれたポリバケツがあった。多い。多過ぎる。どう考えても数十本はありそうだ。
まさか、買ったのか? その本数を? 「袋にネギ詰め放題で二百円」って感じのバーゲンセールで思いっきり張り切ってしまったのか? 冷蔵庫の野菜室にはとても入りきるまい。今の時節の気温を考えたら、うーん、結構日持ち悪いかも。
となると俺は一日何本ネギを食わせられるんだろう? 「ネギのネギ味噌炒め」「ネギのみのしゃぶしゃぶ」「肉抜きのねぎま」「ネギステーキ」──うーん。結構気持ち悪いかも。
姉ちゃん、どうせ詰め放題やるんならパンにしてくれよ。「袋がパンパン」になるまで詰めるんだ。パンの種類はバターロールがいいかな。いや、特にこだわりはないぞ。なんならナンだってかまわない。
あ、パンで思いついた。ま、別にどうでもいい話なんだが、俺は将来結婚して、女の子が生まれたら名前を「ルミエ」にしようと決めている。パンを妻と娘に持たせて、「パン、妻、ルミエ」──ヤッター!
本当にどうでもいい話だった。
あれ、待てよ。よく考えたら詰め放題と決まったわけじゃないな。姉ちゃんのことだ。大量買いをエサにして店に大幅値引きを呑ませたのかも。つまり、めちゃめちゃネギったと。──ネギだけに。
だとしたらこっちは、よくやったとネギらってやらなきゃいけないのか。──ネギだけに。
ああ面倒くさい。もう素直に訊いちまおう。
「その大量のネギ、どうしたんだ?」
「ああ、これね」
姉ちゃんはバツが悪そうな顔をした。
「タイミングが悪かったのよ。ちょうどスーパーのバーゲンでたくさん買い込んじゃったところに、『旅行のお土産だよ』って、いっぱいいただいたの」
「誰だよ。旅行土産にネギなんか持ってくる変態は」
「さて、この近所のダジャレ好きの神職といえば?」
そんな奴、知り合いに一人しかいない。
「ああ、禰宜の加茂さんか。加茂がネギを背負ってきたってか。あの人、下ネタ好きだから、どうせなら群馬に旅行して下仁田ネギを持ってきたらよかったのに」
「下ネタ禰宜、ってこと? 残念ながら時期外れで手に入らないわね。だけどいい線行ってるわ」
「はあ?」
「あのネギ、京都土産なのよ。ほら、加茂さんて、セクハラまがいの発言が多くて……」
「苦情禰宜(九条ネギ)ってか。しょうもな」
「言ったわね。あんた、三日間、食事はネギづくしだから」
「そんな、勘弁してよ、ア、ネギぃ」
さて。
キッチンに来た当初の目的をすっかり忘れてしまっていた。
「それはそうと、何か用があったんじゃないの?」
「ああ。ちょっと訊きたくてな」
「なあに?」
「昨日、取って置きのダジャレがあるって言ってたろ。どんなんだ?」
すると姉ちゃんはキラキラと目を輝かせエヘンと胸を張った。
「いい心がけね。聞かせてあげるからあんたも大いに参考にしなさい。このダジャレマイスターの大傑作を」
なんか偉そうだ。芝居がかった感じでちょっとした違和感がある。
「──言うわよ」
「お、おう」
「『橘氏が立ちっぱなしで立ち話』」
「へ?」
「どう。スゴいでしょう。ひれ伏しなさい」
「いや、そんなにスゴいか?」
「なに言ってるの。『橘氏が立ちっぱなしで立ち話』なのよ」
「並だろ」
俺があっさり斬って捨てると、姉ちゃんはやはり芝居がかった感じでしょげた素振りを見せ、こう呟いたのだった。
「とほほ。ダジャレマイスターの『立場なし』」
続く




