紅白ネタ合戦・後編
メンドい。今朝、姉ちゃんが古茶けたノートを俺に手渡してきた。
「あたしが、中学時代に書いてたネタ帳よ。読んで」
「え?」
「もっとスゴいネタの構想もあるんだけどね、まずはこれで小手調べ。あんたには負けてないはずよ。感想を聞かせてね」
「えー…………」
ああ、実にメンドい。確かに、俺が机の上にアイデア帳を出しておいたのは、純粋に姉ちゃんの批評を聞きたいと思ってのことだ。しかし、姉ちゃんと張り合おうなどとはこれっぽっちも思っちゃいない。もしかしてあれを宣戦布告と勘違いしたのか?
何にせよ、俺はこのネタ帳を読んで、感想を言わねばならない。面白ければ何の問題もないのだ。素直に「面白かったよ」と言えばいいのだから。
問題は、ネタがどれもつまらなかった場合である。俺は感情が顔に出てしまうタイプだ。ウソをついても見破られる可能性が高い。そうなれば姉ちゃんは間違いなく機嫌を損ねるだろう。かといって正直につまらなかったと言っても、結果は同じことだ。姉ちゃんは、自分がダメ出しされることに対してろくに耐性がないのである。適当にからかって遊ぶ分には楽しい相手なのだが、マジな指摘は笑って受け流せない性分らしい。
せっかく「昔書いたネタだから時代に合わなかったのね」とか「あんたより若い時の作だから拙くても仕方ないか」とか、幾らでも言い訳ができる予防線を張っているのに、結局姉ちゃんはそれを全部台無しにしてしまうだろう。
そして、ギスギスした空気の中、日常生活に色々と支障が生じるのだ。具体的には……。──よそう。いやはやひたすらメンドい。想像するのも嫌だ。
過去の幾多の経験が俺に危険信号を発していた。願わくは爆笑もののネタであってほしい。──俺は覚悟を決めてノートを開いた。
『アゴ A GO GO』
Long long ago あるところに大層アゴの長い男がいました。男のあだ名は「チョーチン」です。「長いアゴ(Chin)」もじってつけられた名前で、男はそれをとても気に入っていました。男は大した取り柄もなく、無職でしたが、目立つアゴのおかげで村の人気者だったのです。
ところがある日、男に思いがけない不幸が訪れました。なんと男の家の隣に、男よりもさらに長いアゴを持った老人が引っ越してきたのです。
「ま、負けた……」
男はうなだれました。自慢のアゴも、氷柱のように伸びた老人のアゴにはさすがに見劣りします。
数日後、いつの間にか、その老人のあだ名が「チョーチン」となっていました。男はといえば、本名に「さん」付けでよそよそしく呼ばれるあり様です。
「なんで、そうなるんだよ。オカシイだろ!」
いきなりあだ名を奪われた男は大いに落胆しました。
でも、男もそう簡単にはめげません。なぜなら、男のアゴは長さでは老人に及ばないものの、幅と肉厚さでは圧倒的に勝っていたからです。自分にはもっと相応しいあだ名があるはずだと気を取り直し思案しました。
(そうだ。俺のアゴは長いというよりデカいんだ。──よし。俺は今日から『デカチン(Chin)』と名乗るぞ!」
その日から男は、自らつけた自分のあだ名を衆知徹底する活動に励みました。
「ふはははは。もはやこのデカチン様の名を知らぬ者はこの界隈にはおるまい」
男は満足げに笑いました。──ところが……。
運命はまたしても男を弄びました。
なんと男よりも遥かに巨大なアゴを持つ青年が、向かいの家に引っ越してきたのです。何たる青天の霹靂!
たちまちその青年が「デカチン」というあだ名で呼ばれるようになりました。男の不幸はそればかりではありません。男のアゴが青年の物と比較して明らかに小さいため、絶対的には相当大きなアゴであるにも関わらず、「粗チン」という屈辱的なあだ名をつけられてしまったのです。
これには男もアゴで地面を掘り返さんばかりに怒りました。
「『粗チン』はあんまりだ。変えろ!」
村人も言い返します。
「じゃあ、この間みたいに本名で呼ぶぞ」
「いや、何かもうちょっとこう親しみを持てる感じの呼び名をつけてくれ」
「なら、珍しいアゴだから『珍チン』」
「それはちょっと」
「無職だから『プーチン』」
「やめて、恐ろしや」
「贅沢な奴だな。何が不満なんだ」
「普通嫌だろ、そんな名前」
「だったらもう一回自分で名乗り直せ。相応しい名前なら定着するだろうよ」
「そうか。なら『トビウオ』と呼んでもらえないだろうか」
「『トビウオ』……? なんでまた?」
「いやぁ、アゴだし……」
「却下!」
結局、男はまたしても本名プラス「さん」で呼ばれるようになりました。定職もなく何の取り柄もない男は、唯一のアピールポイントすら失ってしまい、もはや人気者でもなんでもありません。
男は慨嘆しました。
(ああ、俺というやつはアゴが人と変わってたから注目されてただけで、それを取ってしまったら、ただの平凡な遊び人に過ぎないんだな。誰からも注意を払われず、いてもいなくても変わらない『透明な』存在。──これがホントの『むしょく透明』)
やがて吹っ切れた男は村を出ることにしました。
(どうせ俺にはアゴしかないんだ。だったらアゴで目立てる場所にこっちから行けばいい)
そう考えた男は、家を売りそのお金で小さな手漕ぎボートと食糧を買いました。まずは川を舟で下って海へ出ようというのです。
男は自分の舟に「勝利のアゴの舟」という意味を込め、「ビクトリ・ア号」と名付けました。そして力強くこう叫んだのです。
「第一目標、『あご湾』! 出航!」
けれども、すぐに男は顎を出して旅を断念しましたとさ。
おしまい
最初のネタから、俺は大爆笑してしまった。良かった、面白くて。まあ、笑いに関する俺のストライクゾーンは、姉ちゃんよりだいぶ広いのだが。
それにしても、姉ちゃん、これ読み返さないで俺に渡しただろ。うら若い娘が「デカチン」やら「粗チン」やら恥ずかしげもなく書いちまうとは、弟として複雑な気分だね。
さてと。メンドい用事はさっさと済ませてしまおう。
「すっげえ、面白かったよ」
俺がノートのネタを褒めると、姉ちゃんはスゴく得意気な顔になった。
「でしょでしょ。恐れいったなら、今日からあたしのことを『師匠』と呼びなさい」
あちゃあ、調子に乗りやがった。これはこれで始末が悪い。日常に支障が出る事態を免れたと思ったら、今度は別の「ししょう」が出て来ちまったぜ。
続く




