世界を支配するもの
リビングでくつろいでいると、弟がいきなり妙なことを言い出した。
「俺、世界を支配してるの、人類じゃないと思うんだよな」
「え、あんた、神様とか宇宙人とかの存在、全然信じてなかったでしょ」
裏で世界を支配してそうな存在なんて、そのぐらいしか思いつかない。
「いや、そんなわけのわからんもんじゃなくて、もっとリアルなやつだ」
わけがわからん、って、神様や宇宙人より、あんたの大好きな縁起担ぎの方が、よっぽどわけがわからんでしょ。ただの語呂合わせが運命にどう関わってくるっていうのよ。
と言ってやりたい気持ちを抑え、あたしはクールに訊ねた。
「あんたは何が世界を支配しているって思ってるの?」
すると弟はおもむろに服を脱ぎ、上半身シャツ一枚の姿で自分の胸を指差した。
「胸? どういうこと?」
「ヒントになってる」
弟が胸の筋肉をピクピクさせているのが、シャツ越しにわかった
「──筋肉の名前は?」
「大胸筋」
「そう。答えは大腸菌だ」
「しょうもな」
あたしはクールに徹しきれず、思わずそう言ってしまった。自分のこめかみの辺りがピクピクするのがわかる。
「馬鹿馬鹿しい。ばい菌なんかに世界が支配できるわけないでしょ」
「いや、できる。まあ、俺の仮説なんだけどね」
弟は真顔で言った。
「──聞いてくれ。地球で最も繁栄している動物は勿論人類だよな」
「当たり前でしょ」
「でも、その人類を裏で思うがままに操っているのが大腸菌なんだ」
「え?」
「あらゆる生命は自己保存本能と自己増殖本能を持っている。大腸菌も本能として、宿主である動物が自然界のあらゆる脅威から守られ、自分たちが安全で安定した環境の中で増殖できることを欲した。その願いに引きずられる形で人類は進化を遂げてきたんだ」
弟が何の証拠もない妄想を滔々と力説した。どうせマンガかラノベから丸パクリしたアイデアに決まってる。あたしは軽く相槌を打って聞き流すことにした。
「ふうん。それで?」
「高度に発達した文明を有する人類は、大腸菌にとっては最高の宿主だ。滅多なことでは死なないし、増殖に必要な栄養も欠かさず提供してくれるし、寒過ぎず暑過ぎずの快適な体内環境も維持してくれる。また、交通機関を用いた人類の移動能力は極めて高い上に、居住地域も実に広範囲だ。だから、必然的に大腸菌は地球のあらゆる場所に勢力を拡大することができた。つまり、大腸菌が作り上げた住居兼乗り物の最高傑作が人類なんだ。それはすなわち大腸菌こそが全ての生物の頂点に立っていることを意味する」
「けど、人間だって、いいように利用されっぱなしじゃないわよ。みんな結構マメに除菌やってるじゃない」
弟の偉そうな喋りが気に入らなかったので、ちょっと反論してみる。
「甘いな。それも大腸菌には想定の範囲内だ。自らの進化を促すために、敢えて受けている試練なんだよ。近いうちにあらゆる薬剤が効かず、どんな過酷な自然環境にも耐えうる新種の大腸菌が生まれることだろう」
弟は大真面目である。あたしはふと違和感を覚えた。弟らしくないのである。こんなにツッコミどころ満載の仮説に、自分でツッコミを入れないなんて。
「で、結局、何が言いたいの?」
「人間なんて、所詮大腸菌のいいように使われるだけのつまらん存在だってことさ。そんな低レベルの世界で頭のいいだの悪いだのと張り合ったり、他人より僅かでも上に行こうと足掻いたりするなんて、無意味だと思わないか?」
「はぁ?」
なんか主張の方向性が変わってきたぞ。怪しい。
「幾ら頑張ったって、どうせ大腸菌様には頭が上がらないんだ。明日の補習授業サボったって、別にいいよな」
「なるほど。そう繋がったか」
やっと弟の魂胆が明らかになった。要は補習をサボる口実を作りたかっただけか。いやあ、回りくどい。その上、説得力のかけらもなかった。
「──ダメよ」
「ええー!」
ポカンと口を開け、弟は物凄く意外そうな顔をした。あたしも随分と見くびられたものである。
「屁理屈こねてないで、補習にはちゃんと行くのよ。そもそも、大腸菌に人間を進化させる能力なんてないから。進化させようって意識もないから。あたしを納得させたかったら証拠を出しなさい。証拠を」
「ほ、ほら。ウイルス進化説ってあるだろ」
「残念でした。大腸菌はウイルスじゃありません。はい論破」
「ガーン! そ、そうなのか」
弟はガックリとうなだれた。
「ま、あんたとしては、結構、頑張って理論を作ってたわね。勉強をサボるためだったら頭を使いまくれるって、なんかおかしくない?」
「うまく煙に巻けたと思ったんだがなあ。ウイルスじゃなきゃ何なんだろ」
反省する様子もなく弟は首をひねった。馬鹿である。
「大腸菌であたしを説得しようっていう発想の奇抜さだけは認めてあげるわ。いつ思いついたの?」
「ん?──ああ、『サイキン』だ」
続く




